がんの告知は当たり前になり、治療技術も向上しました。がん=不治の病という印象はなくなりました。しかし、がんの治療を続けながら生活している方も多く、がんになっても安心して生活していくためのサポートは必要です。
緩和ケアと聞くと、末期と勘違いしてしまう人も多いようです。
がん当事者の方も数名ご参加頂きました。時代によっても異なる価値観、医療者と患者はどのように歩みよっていけばよいのかヒントがたくさんありました。
痛みについて
「痛い」と医師や看護師に伝えるには、どうすればよくわかってもらえるか?
自分の言葉で痛みの程度を伝えるのは難しい。
▪持続性の痛みなのか、突発的か?
▪鈍い痛みなのか、鋭い痛みか
▪痛む場所を図で書いたり、指で指したりする。
▪痛みの持続時間は「いつから」「いつまで」
▪痛みがある時間帯はいつ頃が多いか?
▪頓服薬を使用して、痛みは止まったか?薬の持続時間はどのくらいか?
診察時間中に的確に答えられる人はなかなかいない。
しかし、簡単なものでよいので以上のことをメモでよいから、医師や看護師に渡しておいてもよい。
30年前は…。
「痛み」は余程のことでない限り、我慢するものと思われてきたようだ。
戦争を生き抜いてきた世代、80代90代の方に多い。
なぜ我慢してきたか?→わがままと思われてしまうから。
しかし…
「痛み」を我慢することで、支障を来すことが多かった。
▪家族への不安
▪日常生活の不便さ
▪職場での不安
緩和ケアとは
告知から家族も含めて考える痛みのケアである。痛みには、身体的、精神的、社会的な痛みなどがある。つまり、治療も含めた生活を支えるためのケアである。
体験者の方
病院のスタッフは忙しそうで、痛みを伝えたくても言葉が出てこなかった。
誰かに聞いてほしくて病院じゅうを歩いていたら、緩和の緩という文字のバッジを着けた看護師がいた。もしかして話を聞いてくれるかも知れないと思い、話しかけた。聞くところによると、緩和ケアの講習を受講した看護師だったようだ。
聞いてもらえて嬉しかったが、その後の医療連携が今一つだったらしい。
チームで患者の情報を上手く共有できていないことがあるそうだ。
チーム連携が大きな課題だ。
繋ぎ役が必要なのではないか?
もしかしたら、体験者かもしれない。
80代の体験者がこう言われた。
「私の体験で良ければ、誰かのために話してあげたい。」と。
「上手く話はできないが、苦痛を共有することはできる。」
医療者が多忙なのはわかっている。一人あたりに時間を避けないのも分かっている。それならば、他の力を借りたい。体験者や市民団体であってもいいのではないですか?
緩和ケアとホスピスは同格ではない。緩和ケアのほんの一部の終末期に、あえて積極的治療をしないで、その人らしい生活のなかで最期を迎えるまでの居場所です。治療の場ではなく、生活の場であること。
どちらかといえば、自宅療養である。
生活を支える場として
「在宅」か「ホスピス」か?
どちらも同じ意味である。家族との話し合いやご本人の意向が反映される。
介護力やお金の問題もある。
生活相談窓口がホスピスや在宅ケアには必要だと思う。
気軽に相談できる人は、病院ではなくもっと普通の生活の場にいる住民ではないか?
NPO多摩の医療増進フォーラムを主宰されている芝先生は、地域の皆様のお力を是非お貸しくださいと仰っていました。正に、そのための地域活動です。
市民と介護を考えるカフェ「オリーブの木」も発足して2年経ちます。市民の皆様に医療、介護へ関心をもち、自ら関わって欲しいと願っています。
地域の医療介護を支えるのは地域住民のちからです。
今回、サービス付き高齢者住宅にお住まいの皆様や関心を持ってお集まり頂いた皆様方に、感謝します。そして大事なことは、次の一歩をどう踏み出すかです。
市民協働を目指しましょう。