多摩のシンポジウム「がん患者が求める対話」2018.12/8@恵泉女学園多摩キャンパス | ほっこり 知恵袋

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昨日、多摩のシンポジウム「がん患者が求める対話」を開催することができました。

きっかけは、第24回市民と介護を考えるカフェ「オリーブの木」でテーマ『がん患と共に生きる』でした。https://ameblo.jp/shimoumadentc/entry-12347810270.html

ゲストとしてお招きした、樋野興夫先生〈順天堂大学教授≪病理・腫瘍学≫、一般社団法人がん哲学外来理事長、恵泉女学園理事)、当事者のパネリストで現役でご活動中の方々にお話を伺いました。その中で、病気を抱えながら生きることで当事者が最も気になったことは、医療者との関係でした。不安な気持ちを受け止めて欲しい患者は、医療者の態度や言動に傷つくことが多いようです。インフォームドコンセント、セカンドオピニオンは今では行われるのが普通です。しかし、本当に患者が求めている医療なのでしょうか。患者の気持ちが置き去りにされて、医療技術や方法などの治療が優先されいないだろうか。

説明と対話、会話は違います。話し手と聞き手の関係はどうなのでしょうか?

対等性があるのは、会話と対話です。何がどう異なるのでしょうか?

そんな疑問が持ち上がり、シンポジウムで話し合ってみようという運びになりました。

 

 

パネリストの方々は全員がんサバイバーでした。現役で仕事を続けながら、家族もいて、治療も続けています。

突然のがんの告知、治療の開始、病院では本人の気持ちが置き去りにされたまま、「病気」の治療が優先されていく現実。

まだ、本人は病気を受け止められないでいる間に…。

当事者と家族の間でも温度差があること。

家族は、大切な人だからこそ、最善の治療を望んでいること。

当事者の気持ちより、治療を優先してしまう傾向があること。

当事者の気持ちは、誰なればわかってくれるのでしょうか?

医師でしょうか?看護師でしょうか?

それぞれの体験と思いを語り合いましたが、残念ながら「医師」と答えられた方は少なかったのです。

どうやら、医師に限らず、「つらい気持ちを吐き出せる人」らしいです。

人柄にかかっている、または言い出せる状況や場、環境にかかわる要素が大きいようです。

 

対話とは?

人それぞれ持っている価値観が異なる、という前提で、相手を真っ向から否定するのではなく、お互いを尊重し合い話し合うことで新しい答えを導き出すこと。

 

会話とは?

話のやり取りのこと。

 

対話には、対等な立場が前提です。お互いを尊重しあうには信頼関係が必要です。

さて、対等性と信頼関係をつくるには何が必要でしょうか?

医師であり、患者の経験もあり(がんではない)、患者家族であった、杉山先生。

三者の立場をよく理解してくれています。杉山先生が当事者として救われた医師というのは、面と向かってバリバリ明るく治療に向かう医師ではなく、さりげなく声掛けしてくれる「癒し系」の医師のほうでした。

私はこの言葉にぎくりとしました。なぜ日常の診療で患者が私の前で本音を言わないのかに気づいたのです。

不安なことはいつもスタッフに相談しているのです。スタッフの人柄を見て、「聞いてくれそうな方」を選んでいるようなのです。

よく相談を受けているスタッフに聞いてみたら、「間」があるからではないかと言われました。

「間」とは、話し手にとって考える時間であり、「大切な気持ちを打ち明けてもよい相手であるかどうか判断ができる時間」でもあります。

信頼できるかどうか、真っ先に自分の意見を否定しないでくれる相手かどうか…。

「共感する」気持ちを持ち合わせているかどうかが決めてなるように思いました。

共感は、否定も肯定もしないで、そままの気持ちを受け止めることです。

不安や苦しみの中にいる人は、正論をもめているのではないという事。論理的に治療が必要なことはわかっていても、気持ちが追い付かないということではないでしょうか?「もやもやした気持ち」「やり場のない不安」「焦燥感」「憂鬱感」など。

「受け止めてくれたら、すっと心が軽くなったんです。」「それから、治療に向かう決心がつきました。」

そうおっしゃったパネリストがいました。

そうなのですね…。

医療者の強い口調や、確定的な言い方、態度は、患者を余計不安ににさせているのですね。

共感力はとても重要であること。そんなことに、今更ながらに気づいたのでした。

患者の気持ち、自己決定、自由意志それが最も優先される生き方ではないかという、樋野先生のお言葉がこの日、一番応えたました。

パネリストの皆様は、それぞれの想いを抱えながら、自己決定し「今」を生きていらっしゃる。重い選択もあったでしょうが、まっすぐに自由意志を実現されいるお姿に感銘を受けました。参加者の中には、涙ぐんでいらっしゃる方もいました。ご自身の体験と重ねていらっしゃるのかもしれません。先ずは、自分自身と向き合うこと、自分はいったいどうしたいか心の中と対話することが大事ではないかと思いました。

 

「対話とはなにか?」改めて考えさせられた1日でした。

パネリストの皆様、杉山先生、樋野先生、スタッフの皆様、そして参加者の皆様に感謝と御礼を申し上げます。