照葉樹林帯と日本人 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

横山 智によると、アジアの照葉樹林帯に沿って存在する文化の特徴として、

⑴ 野生のイモ類やカシの実などの堅果類を水にさらしてアク抜きする技法

⑵ 茶の葉を穴の中で発酵させ、それを、加工して飲用する慣行

⑶ 蚕をはじめとする絹糸虫(カイコガ)の繭から糸を引いて絹をつくる技術

⑷ ウルシノキの樹液を用いて漆器をつくる技法

⑸ 柑橘とシソ類の栽培とその利用

⑹ 雑穀や米を粒のまま麹を用いて発酵させて酒を醸造する方法

⑺ 最近までイモ類の他、雑穀類(アワ・ヒエ・モロコシ・ソバ・陸稲)を栽培する焼畑耕作がひろく分布し生活を支えてきた

⑻ 雑穀類や稲の中から、粘性の高いモチ澱粉を有する品種(モチ種)をつくり出し、粘性に富む特殊な食品を数多くつくり出した

⑼ 味噌や納豆などのような大豆の発酵食品がひろく分布し利用されてきた

⑽ モチ米と魚肉を交互に桶の中に漬け込んで発酵させたナレズシが少数民族の間に点々と分布

11 河川で鵜を使って漁労を行う鵜飼の習慣が中国西南部・長江流域・日本でみられること

などを挙げている。

この照葉樹林帯はヒマラヤ山脈に遮られた気流が南から北東に伸びる温暖・多雨な豊穣な地域であった。この地域に定住した民は水稲の稲作の恵みにより、西はインドのタミル地方から東は日本列島、朝鮮半島に進出した。

彼らが日本の水稲稲作農業の基礎を築いた揚子江中下流域から来た弥生人となった。彼らが日本の弥生時代の銅剣・銅鐸文化圏の人々である。彼らの日本語への寄与が大野晋の日本語の起源として報告されている。

同時期、照葉樹林帯の北の民、すなわち縄文人が日本列島のみならず古代中国大陸にも存在し、農耕や遊牧を行い、殷の時代に漢字を作ったりして日本文化の大枠を造った(参考)が、彼らと交流して互いに切磋琢磨した結果が現在の日本文化になったと考えられる。


注意1

弥生人は大きく二種類あり、ここで言及した南方系の稲作弥生人(O2、吉野ヶ里など北部九州の弥生人)と、北方の殷人の末裔の縄文人と同族の弥生人(D、土井ヶ浜弥生人など、参考)が居た。

さらに、古墳時代から平安時代まで殷人の末裔の渡来人(D)が多くいた(参考)。日本語は縄文人と殷人の末裔の渡来人が共通に喋っていたことになる(参考)。この古代中国の殷人の末裔の渡来が、騎馬民族征服王朝説の本質であった(参考)。

漢民族と言っても原初の漢民族(現在の客家人、参考)(O3)も日本人として現存している。遣隋使の小野妹子が紹介しているが、華夏族の言葉を喋る集団が日本にいたことを言及している。漢氏(アヤウジ)がその例である。また、現在の華僑もほとんど客家人のようた。

男性のY-DNAを調べると、現代日本人は縄文人(D)、弥生時代の渡来人(O2とD)、そして古墳時代から平安時代までの渡来人(D、O3)の子孫から構成されて、三種類のハプログループ(D、O2、O3)で分類され約3分の1ずつ持っている。


注意2

中国大陸には大きく三種類の民(Y-DNAハプログループD、O2、O3)が居た。

最も明確に三種類の民が三つに分かれた時代があった。魏・呉・蜀の三国時代である。魏は縄文人と同族の殷人の末裔(D)の国、呉は揚子江中下流域の春秋戦国時代の呉と同じで照葉樹林帯にあり、夏王朝の末裔の稲作農民の呉人(O2)の国、蜀は周王朝の末裔の漢人(O3)の国であった。

現在、漢人と呉人を一緒にして、華夏族、すなわち漢民族と呼んでいる。漢字を作った殷人は漢民族とは異なる不明な民族とされるが、実は縄文人と同族であり、ほとんどが日本に渡来してきた。


注意3

旧石器時代から日本列島の周辺にはY-DNAハプログループC1の海の民が同時に存在して、海の幸と山の幸を交換し、互いに通婚していたことも忘れてはならない。日本語の中に南方の言葉を見出したり、南北アメリカにもつながりを見出せるのはこの為であった(参考)。


注意4

上記に示したY-DNAハプログループD、O2、O3は旧分類であり、現在、分類が精密化されて表記も変更されている。しかし、議論の統一を図る為、明示がない限り旧分類を使用する。

また、旧分類のD1とD2も、最新の分類では夫々D1a1、D1a2と近づいている。便宜上、単にDとひとまとめに書く場合もある。


参考

① 照葉樹林文化論 納豆の起源

横山 智(名古屋大学、参考)の伐採



② タミルの稲作の陸上伝播説(参考)



④ 大野晋の日本語の起源のタミール語説(参考)

日本語、韓国語とタミール語の間で文法などが共通し、稲作用語などが若干残存している。


注1: Y-DNAハプログループO2(旧分類)から見たタミル語と日本語の関係(参考)
O2(旧分類)の分布図

 注2: タミル語ゆかりの日本語は九州弁に相当するか!?(参考)
注3: 九州と東国の武士にゆかりの言葉に相当か!?(参考)
注4: 中国南部、九州そして朝鮮半島の犬肉食文化(参考)


⑤ 大野晋の日本語の起源と犬肉食(参考)


⑥ 中国の最初の王朝の夏王朝が長江中下流域の稲作発祥の地から始まった(参考)


⑦ 納豆の起源(当ブログの研究による)

しっかり納豆を食べる納豆文化圏は現在でも東日本であるが、主には茨城県から福島県、秋田県の北関東から東北地方である。ところが、不思議なことに中九州の熊本県あたりが納豆をやや積極的に食するようだ。

この納豆文化圏を調べて見ると、中国大陸南部の少数民族や朝鮮半島にもあった。

この辺りは、長江中下流域の水田稲作の発祥の地域から、稲作民が拡大して行った地域にまるごと対応していた。

各地に豚肉や犬肉又は馬肉などの獣肉食文化などでも特徴付けられる。

また、大野晋さんの日本語のタミル語起源説にも対応している。