横浜市の不可解な人事異動
人事は組織の心臓部である。人事配置を見ればその組織がどの方向に向かおうとしているかが鏡のように見えてくる。18日、人事異動の資料が各議員に配布された。実際の人事異動はこの震災の影響を鑑み5月1日となった。
林市長は政策の成果を示すことを発信し、対話を重視し現場主義を打ち出した。風通しのよい、もの言える組織への変革、脱“中田”という林市長の基本姿勢が評価されてきた。そして最も力をいれている施策が、子育てと医療政策。どちらも命に関わる分野である。
しかし、今回の青葉区で起きた育児支援放置の問題が浮き上がったことを契機に、“部下がものを言える組織”ではないことが浮き彫りになった。議員には行政を監視する義務があり、調査権もある。青葉区もこども青少年局も、その殆どの経営責任職が経緯経過の詳細に口を閉ざした。小さなこどもが亡くなっているにも関わらず、個人情報を理由にかたくなに口を閉ざし続けた。そして、嘘をついた。
今もなお、その全貌が釈然としていない。それは医療専門職も同じで、医療専門職だから命に対して誠実であるとは決して思えない態度だった。こども家庭課を統括する事務職の部長の態度も同様であった。串田議員が“隠ぺい”という言葉を使ったのも無理はない。
3月9日のこども青少年局常任委員会では、青葉区長、医師である福祉保健センター長の姿勢が厳しく追及され、翌日の朝日新聞にも福祉保健センター長への議員の指摘が具体的に掲載されていた。鯉渕局長は“管理職は事務職だった。上下の意思疎通が図れなかったのは事実。専門職を管理職に登用したい。”と答弁したと書かれていた。
この答弁は誤解を生む。医療専門職であろうと、事務職であろうと、最後市民の命を守ろうとする姿勢の是非を決めるものは公務員としての責任感とその人間としての品性である。職位の高さは関係ない。今回の調査の中で、私はそのことを本当に痛感した。
3月11日、東北関東大震災が起こった。そして16日の総合審査は行われなかった。この青葉区の事例を含め、本市の児童虐待施策は来期の議会に引き継がれ、議論されてゆく大きな問題である。そして、横浜市のこの問題に対する真摯な姿勢が今回の人事に現れるはずだ。
しかし、今回のこども青少年局の人事異動に私は非常に驚いた。青葉区の事例に対する対応の事実上の責任者は、こども青少年局こども福祉保健部長であった。未だ解決をしていない中で、命に関わる健康福祉局企画へと異動する。つまり、いわゆる“逃げ切り”である。次の議会で直接問われることはない。
そして、議会でその姿勢を問われた医師である青葉区の福祉保健センター長がこども青少年局のこども保健医務監として配置されていた。つまり、本市のこども施策を専門的に助言する立場に立つというのだ。
市長が変わろうと変わるまいと、脈々と受け継がれてきた横浜市の人事の作法。それが今回の人事異動で浮き彫りになったといえる。
3月3日の予算委員会では我々議員は“未来のこどもの命を守る”行政の姿勢を真剣に問い正したのだ。しかし、我々の真剣な問いに対する回答を横浜市はあざ笑うがごとくまさに人事という形で示してくれた。我々議員は、本市の真の人事システムを改めなければ何も変わらないということを認識すべきなのだ。
被災地で復興を夢見るこどもたちの笑顔と、本市の経営責任職達の顔が私にはあまりにも対照的に映った。