ギリシャ・カラパラ~トルコ・リゼ(Greece to Turkey)2,200km 2025/4/27~5/3
世界遺産の切り立った岩山に建つ修道院があったメテオロ(Meteoro)からギリシャ第二の都市ティッサロニキ(Thessaloniki)を目指した。
道路を走行して気が付いたことは北ギリシャは平地の農地が広大で、農業が盛んであることだ。
この時期は降雨が多いため、緑色になった小麦畑や牧草地が広がっている。雪山も見れる景色もあった。
当方がかってに想像していた乾いた痩せた土地とは違った。
(KalampakaからThessalonikiへ向かう途中の北ギリシャの一般道沿いは緑色の小麦畑だった。)
高速道路の料金が安いのに驚いた。しかも交通量が少なく、カメが高速道路上を横断しているのを見た。
当方が走行中に、高速道路の前方に何か動くものがいると判り減速した。
近づくとカメが2車線の高速道路をほぼ横断しかけていた。カメが横断できるぐらい交通量が少ない場所がある。
立派な高速道路はおそらくEUの補助金で造ったのだろう。
20km~40km毎に料金所があるが、料金は0.5ユーロ(約80円)~2ユーロ(約330円)程度とイタリアやフランスに比較すると超安い。
200km程度距離の有料道路でも通行料金は約7ユーロ(1,300円程度)とイタリアの1/4もしない。
これでは料金所の人件費も賄えられないだろうし、道路のメインテナンス費用にもならない。
ギリシャはリーマン危機後(2008年)、政府が二重帳簿で財政状況を改ざんしていることが発覚したことがあった。
そのギリシャの財政改ざんがユーロの信頼性を棄損して通貨危機を招いたことがあった。
高速道路が必要ない所に、安い通行料金で高速道路を建設することからも政府の財政に関する脇の甘さが垣間見れる。
アレキサンダー大帝と世界遺産の町ティッサロニキ(Thessaloniki)
観光のためティッサロニキに2泊した。ティッサロニキはギリシャ第二の都市として古代ローマ時代から
交通の要所として栄えてきたとガイドブックに案内されていた。
過去にはローマから中近東(トルコ)への幹線街道の宿場町として商工業が発展したとの案内だが、街をみるかぎりそんな面影がみられなかった。
町にはユネスコ世界遺産の建物が2つある。
一つはローマ時代のカレリウス皇帝の霊廟(Rotonda)だが、ギリシャ全土にはもっと有名な世界遺産が多くあるためか、ここを訪れる観光客は少なかった。
当方は今回のツーリング前に紀元前4世紀ごろマケドニア(現在の北ギリシャ)のアレキサンダー大帝がエジプトから中央アジアのウズベキスタンや南アジアのパキスタンまで遠征して、領土を収めた(侵略した)歴史書を読んでいた。
ティッサロニキはアレキサンダー大帝の活躍した当時のマケドニアの中心地だ。
アレキサンダー大帝の部下のカッサンドロス将軍が建設した町であり、同将軍はアレキサンダー大帝の異母妹を妻としてむかえ、妻の名前ティッサラニケから町の名前が由来していると言う。
歴史を知らなかったら、さっと通り過ぎるような町だが、歴史書のお陰で散策しながら感慨深くなった。
(丘が多いティッサロニキ。丘の上の住宅地から海方向を見る。)
(世界遺産のローマ時代のカレリウス皇帝の霊廟Rotonda。オスマン時代はモスクとして利用されたと言う。)
(紀元前4世紀に活躍したアレキサンダー大帝の騎馬像)
(高級ホテルが立ち並ぶティッサロニキの目抜き通りのカフェには多くの高齢者が仲間との会話を楽しんでいた。)
ギリシャからトルコ入国
今回のツーリングは北ギリシャをトルコに向けてほぼ最短距離で進行するルートを取った。
当初、ティッサロニキの後は、トルコ入国手前のアレキサンドロポリで一泊後トルコへ進むことを考えていた。
(ティッサロニキから海岸沿いに進んだ。海の向こうに山影が見えた時、トルコ領かなと思ったが、近くのサソス島=Thasosだった。)
(ティッサロニキからアレキサンドロスに向かう途中の海岸。夏なら海水浴客でに賑わっていただろう。)
(ティッサロニキからアレキサンドロポリへ向かう途中の海沿い道路)
当方が国境を通過するのは朝一番か遅くても午前中に通過するようにしている。
陸路の国境通過は一般的には手続きに時間がかかり、午後に国境通過すると最寄りの町に到着するのが夜になるのが常だからだ。
夜に知らない町を動くのは危ないし、宿を見つけるのが困難になる場合が多いからだ。
しかしながら、今回は違った。
アレキサンドロポリ手前の休憩所でオートバイでイタリアまでのツーリング帰路途中のトルコ人ライダーと出会った。
同ライダーは 午後の2時台なのにこれからギリシャから自宅があるトルコのイスタンブールまで一気に帰るようだ。イスタンブールまではここから300km以上ある。
当方はアレキサンドロポリの約50km先にあるトルコ国境での入国手続きにどの程度時間がかかるか知らなかったが、午後の時間に、ここからイスタンブールまで行こうとライダーがいることを知り、国境を目指すことにした。
ギリシャの出国手続きは5分もかからなかった。出国を待つ車は数台程度で、パスポートをチェックして、EUの出国印を押すだけだった。
国境となる川の橋の両端には完全武装の兵士が守衛ポストでまじめな顔つきで見張りをしていた。
緊張した国境だ。ギリシャとトルコは友好国で無いことが感じとられる。
トルコ側の国境管理事務所で入国手続きを待つ車は4~5台あった。 パスポートチェックの後、税関手続きになるが、トルコの自動車保険が必要だ。
税関裏の建物内で自動車保険を買い求めた(3カ月間有効で2,000リラ=約8千円)。入国に30分程度時間を要した。
(トルコ入国直後。トルコへようこその看板がある。)
(トルコ入国検問所からケシャーン=Kesanへ至る道路)
トルコ入国後の最初の町ケシャーン(Kesan)で投宿することにしたが、ホテルの予約もなければ、事前に目星をつけた宿もない。 カーナビアプリのホテル検索で最初に表示された宿へ向かった。
そこへ行ってみると、宿ではない様子だった。
後で調べたら、芸術学校兼寄宿舎のようだ。 そこのマネージャーが親切にも、近くのホテルに電話かけて宿の手配をしてくれた。当方のオートバイはその学校の裏に駐車したほうが安全だと言ってくれる。さらに学校の職員が同ホテルまで案内してくれるではないか。
Kesanの宿はVarna Hotel 一泊1,000リラ(約4,000円)
(トルコ一泊目のケシャーン=Kesanの町角。空にはトルコ国旗と政治家の写真が舞っていた。)
トルコ・ヨーロッパ側からアジア側へと強風のマルマラ海をフェリーで渡る
トルコのヨーロッパ側とアジア側は海や海峡で遮られている。 当方はイスタンブールのボスポラス海峡を結ぶ橋を渡るべきか、マルマラ海の狭い場所であるダダーネル海峡大橋を通るべきか、あるいはマルマラ海をフェリーで渡るべきか検討した。
ボスポラス海峡大橋とダダーネル海峡大橋(高速道路)は通行手続きが外国車両にはめんどくさい。事前に通行券を郵便局等で購入して車両に電子読み取りが可能なステッカーを貼り付けておかねばならないと聞いていた。 面倒な手続きだ。
そんなわけでフェリーでマルマラ海を渡ることにした。2年前はトロイの遺跡があるチャナッカレでアジア側から欧州側へ小型のフェリーで3km程度の幅狭いダダーネル海峡を渡ったことがあった。
今回は2年前とは異なる場所だ。台風のように風が強い日だった。強風でフェリーが欠航しているのでは懸念しつつフェリー乗り場へむかったが、運航している。 横須賀と金谷を結ぶ東京湾フェリーなら欠航するような強風だ。
フェリーではオートバイをロープで船上に固定しなかった。サイドスタンドで車体を立てたままだったので、フェリーが波で揺れるたびにオートバイが倒れないように祈った。
(マルマラ海の波は荒かった。写真奥にはダダーネル海峡大橋が見える。)
(マルマラ海を左手に見ながらブルサ=Bursaへ向かう。)
(長さ数百メートルの広大な菜の花畑。菜の花の匂いがあたり一面に漂っていた。)
2
トルコのアジア側ではオスマントルコ時代の初期に都としたブルサ(Bursa)に2泊した。人口200万人の大きな都市だが、旧市街的な中心部は歩いて回れる程度で広くない。 旧市街を行きかう中年以上の女性はイスラムの伝統的な全身を覆うような長い服を着ている人が多い。
トルコは世俗的と言われるが、イスラム教の習慣が根付いている。 オスマントルコ時代の交易所、隊商が泊まった宿、モスクやバサール(商店街)が集まった場所はさながらオスマントルコ時代にへタイムスリップしたような感じである。
(ブルサ=Bursaの旧市街中心地の広場。写真奥にはブルサ大モスクのミナレット=尖塔が見える)
(ブルサのストリートマーケット。野菜果物が中心だ。)
(オスマン時代は交易所と隊商宿だったKoza Hanの中庭)
(ブルサのシンボルであるイェシル・ジャミ=Yesil Camiと呼ばれる緑のモスク)
(ブルサのバザール)
(バザールでおばさん達が大勢集まっていたのは婦人服店。保守的な控えめの模様が好みのようだ。)
(ブルサで投宿したホテル=Guner Hotel)
(ブルサはドネール=焼いた鶏肉を薄いパン生地で巻いて食べるファストフードの本場だ)
(饅頭に見えたイズミールの爆弾=Izumir Bombaという名の超甘い菓子。チョコレートがたっぶり入っていた。ひとつ25リラ=約100円)
ブルサでまさかの交通事故にあう。
ブルサから約300km先に位置する世界遺産に登録されているサフランボル(Safranbolu)という内陸部の町へ向かった。 サフランボルは料理でコメを黄色にするサブランの産地である。
朝から雨だった。ブルサのホテルを出発して、市内を走行中にオートバイの後ろから追突され、オートバイと一緒に転倒した。前方100m先が赤信号だったので、オートバイを減速しながら車線を一番道路端の車線へ変更中に、後ろから衝撃を受けあっというまに転倒してしまった。
その場でけがの状況をチェックした。
右腰の皮膚が赤みを帯び打撲したあざができている。膝も痛いがたいしたことではないようだ。
当方は<念のため病院で検査を受けるので運転免許証を見せてほしい>と追突してきたワゴン車のドライバーにグーグル翻訳を介して伝えると、その運転手は<病院へ連れて行くので俺の車の後ろについて来い>とジェスチャーする。
そのワゴン車についていこうとしたら、信号機が赤色へ変わり、当方は信号待ちとなるが、相手のワゴン車はそのまま行ってしまうのではないか。
ワゴン車を探したが、相手の車は当方を待たずにどこかへ行ってしまったようだ。当て逃げだ。
本来なら事故が起きたらケガの程度に関わらず、警察を呼ぶべきだった。事故の時は、ケガをしていても、緊張で痛みを感じない場合がある。そして、時間が経過してから痛みがでてくるからだ。
当方が6年前のアフリカツーリングの際に深い砂道で派手に転倒した時がそうだった。
(オートバイで転倒後、雨用のブーツカバーは穴だらけになっていた。)
その事故後は気分を切り替えて雨の中を約300km走行してサフランボロの数キロ手前のカラブク(Karabuk)の町の郊外に投宿。
その日も予約した宿は無く、やっと探し当てた宿は階段の照明が無い郊外の安宿だった。 もう夜になるし、雨の中を他の宿を探す気力も起こらない。<テント泊よりましか>と割り切り、下宿屋兼ペンションのYilmaz ペンション&ホテルに投宿(一泊750リラ=約3000円)。
このペンションではオーナーは常駐せず、ワッツアップ(WhatsApp=SNS)で連絡を取り合うことになるが、トルコ語しか通じない。同ペンションに住むソマリア人留学生に通訳の労をかけた。
そのソマリア人留学生はトルコ在留歴6年の機械工学を学ぶ大学4年生だった。卒業後もトルコで就職するつもりだと話していた。 機械工学を専攻しているため、日本の産業用ロボットの安川電機を知っていて、素晴らしい会社だとほめていた。
トルコ黒海側へと進む。
カラブクに一泊後、サフランボルの世界遺産となっている村の景観を見て先へと進んだ。
(町の景観が世界遺産になっているサフランボル=Safranbolu)
(サフランボルの町)
内陸部を約200km進み峠を越すと黒海へと出る。 黒海側へ通じる峠道はトンネルだった。 トンネルを抜けると雨だった。
崖から出る水で土砂が道路上に流れて泥水をかぶりながら進む。お陰でオートバイも装備品も泥まみれになった。
黒海は曇天だった。風が無いので穏やかだった。
(黒海側に出た。 サンスン=Samsunへ向かう途中)
どこで投宿するか判らないので、この日も宿の予約は無い。 燃料給油のため、夕方立ち寄ったガソリンスタンドの店員に<安くて清潔な宿を教えてほしい>とアドバイスを求めた。通常地元の人は地元の宿のことをあまり知らない。
町中にLove Hotelがあるので、そこがいいと教えてくれた。 当方は誤解をした。日本の様なLove Hotelを想像したが、トルコ語でホテル名がSergi Hotel=英語に直訳するとLove Hotel)になる3星の立派なホテルだった。
トルコでの当方の宿泊予算は1000リラ(約4千円)までと決めていた。そこは1,600リラ(約6200円)だったのでそのホテルへの投宿は諦めて、ガソリンスタンドでアドバイスされた2軒目の宿へ向かった。 その宿は、一昔前なら立派な3星ホテルだった。受付けで一泊1,500リラと言われたが、当方が1000リラにならないかと交渉すると、あっさり1000リラでOKとなった。
ただし現金払い、領収書無し。 トルコの消費税率20%を考慮すれば、
ホテル側が消費税を政府に納めなければ、本来の宿泊料金の20%引きでもホテル側の実入りは変わらない。
前夜とこの日は雨のため、ホテルチェックイン後に外出出来ず。ホテル周辺には店も無い郊外だった。
そのため、2日連続して夕食は持っていたスープとパンのみで済ませた。 このような事態に備え、水と多少の食糧を常時持参していて良かったと感じた。
投宿はRidhirga Hotel(一泊1,000リラ)
(サンスンで投宿したRidhirga Hotel。Ridhirgaとはトルコの戦艦の名前とのことだった。)
2年ぶり2回目の投宿場所のリゼ(Rize)
翌日もジョージア方面へ向けて先に進む。ジョージアとの国境の約100km手前にリゼ(Rize)という町がある。2年前アジア・中近東ツーリングの際にジョージアからトルコへ入国して最初に泊まった町だった。
その町では前回と同じホテルに投宿した。
前回はこの町で初めてトルコ人の親切さを感じた。ホテルの横にコンビニのような食糧店があった。当方はそこで働いていた若者から<食料品を持っていけ>と言わんばかりに食料品をもらった経緯があった。
その若者がその店で今でも働いているかなと思い、店内を覗いてみるとその若者がいた。
当初、若者は当方を見ても気が付かなかった。しかし、当方が2年前のブログに載せたその若者の写真を見せると、当方のことに気づいた。
その若者は<まさか?>という顔つきだった。当方は頷いて<その通りだよ。今回もツーリング途中でリゼに寄ってみた>」と伝え再会を喜び合った。
(2年前の2023年6月に出会った時のユヌス=Yunus氏の写真。彼にはとても親切にしてもらった。)
(今回再会した時のユヌス氏の写真。同氏は2年前と変わっていない。店の陳列は変わっていたが...)
投宿はErdem Pansiyon & Otel 1(一泊1,000リラ=約4,000円)
(ギリシャからトルコへのツーリングルートはピンク色の線だ。赤印の都市に投宿した)
(トルコの走行ルート地図。青色の矢印が示すようにピンク色の線に沿って進んだ。)
以上






















































































































































































































































































