カザフスタン(Kazakhstan)入国~トルキスタン(Turkistan)まで2,350km (2025/
5/12~20)
(ロシアのアストラハンからカザフスタンのトルキスタン市まで走行ルートを赤線で示す。
地図左端がアストラハン。右端がトルキスタン市となる。赤丸印が投宿した場所である。地図中央のX印の場所が当初計画したカザフスタンからウズベキスタンへの国境地点)
時間がかかったロシア出国
ロシアのアストラハン(Astrakhan)からカスピ海北部沿いに湿地帯を約65km東へ進むとカザフスタンとの国境になる。
ロシアからカザフスタンへ向かうロシア人は稀だ。
この国境では、ロシアで出稼ぎを終えたような男たちが荷物と一緒に定員いっぱい乗り込んだ乗用車が多い。
カザフスタンやウズベキスタンのナンバープレートを付けた車だ。
当方アロシアから簡単に出国できると思っていた。
しかしながら、当方や欧州やからの旅客、俗にいう西側外国人の出国については、慎重に出国審査をした。 別室で英語を流ちょうに話すが、冷たい目つきの私服係官がスマホの中身をチェックし始めた。
ロシアに批判的なコメントやSNS、 戦略的価値がある橋や軍事基地等の写真がスマホ内に保存されているかどうか検閲をしているのだろう。30分程度入念に調べてた。
更に、英文の質問状への記入を求められる。 質問は、親族にウクライナ軍の関係者はいるか、ウクライナへのロシアの特別軍事作戦をどう思うかとか、クリミア半島はロシア領と思うか等ウクライナとの戦争に関することだ。
最後には質問状に回答した内容を係官が撮影するスマホに向かって声を出して読めというではないか。
スパイを取り締まる際の尋問を受けているようないやな感じであった。
ロシア出国に当たっては、当方以外にも、当方より更に一時間以上長く待っていた車で旅行するイタリア人やオートバイで旅をするチェコスロバキア人も当方と同じ扱いを受けていた。
(アストラハン周辺はボルガ川がつくったデルタ地帯のため湿地帯が多い。ここから本日の目的地のアティラウ=Atyrauは国境を挟んで342km先にある。)
(カーナビ=Organic Mapではカザフスタンとの国境手前のロシア領が地図上で有料道路となっていた。有料道路は約300m幅の川に架かる浮橋だった。浮橋は上下に揺れ動きオートバイでは走行しずらかった。)
入国手続きが簡単だったカザフスタン
入国手続きはパスポートとオートバイの登録証を見せるだけだった。税関の荷物検査も係官がオートバイ全体を目視するだけで、オートバイの荷物やトップケースを開けて所持品をチェックするようなことはしなかった。
ロシアとカザフスタンは関税同盟を締結しているため、ロシア入国時のオートバイの一時輸入許可証(Temporary Import Permit)は、カザフスタン入国の際にも有効である。
入国手続きを済ませた直後にあったバラックの建物の一つでオートバイの強制保険を購入した。
有効期間が15日間(最低期間)で6,000テンゲ(カザフスタンの通貨)。日本円で2,000円程度である。
当初保険価格は7,000テンゲと言われたが、当方が<価格が高い>と言ったら、1,000テンゲ割引した。
ここでは現金払いが要求された。 バラック周辺では3名程度のおばさんたちが徒歩姿でカザフへ入国する外国人を相手に外貨との両替の商いをしていた。
国境での為替レートは悪いと思い、現地通貨への両替は強制保険の代金を払える程度の金額にとどめた。
その後の旅で、このおばさんたちが提示した為替レートがカザフスタン内で一番良かったことが判った。
チェコスロバキアのオートバイライダーと行動を共にする。
ロシア出国の際に知り合ったチェコスロバキアから中央アジア方面へツーリング中の若者と話しているうちに気が合った。
この若者も同じ方向へ進もうとしていたので、国境から300km弱先のアティラウ(Atyrau)の町まで一緒に走行することにした。
カザフスタン入国手続き等を済ませて、これから先へ進もうとする時にチェコ人ライダーのオートバイのエンジンがかからない。 バッテリー上がりだ。
オートバイを押しがけしようとしてもクラッチを入れると後輪タイヤが、ロックして動かない。
3速ギアで試しても後輪タイヤがロックする。 650ccエンジンのヤマハ製のがっちりしたオフロードバイクだった(Yamaha XT660R)。
周囲で車を止めているドライバー達に車同士でバッテリーを繋げるケーブルを持っているかどうか尋ねたが、皆首を縦に振らない。
当方が近くの食堂で食事を取っていた女性に声をかけると(実際にはスマホのグルーグル翻訳でカザフスタン語訳した文章を見せる)、ケーブルを持っていると言うのではないか。
車のバッテリーとチェコ人のオートバイをケーブルつなげるとオートバイのエンジンがかかった。
いろいろとハプニングもあり、国境を出発したのは午後3時過ぎだった。 ロシア時間なら午後2時過ぎだが、カザフスタン時間はロシアより1時間進んでいた。
午後の3時の出発では当方一人の単独行動では約300km先のアティラウまでは行かずに、途中で宿をとるのだが......。
午後8時(日没は午後9時頃故、この時期の8時と言っても明るい)にアティラウのホステルにチェコ人と投宿。
アティラウの宿はHostel Inzhu(ドミトリー式ベッドで一泊3,500テンゲ=約1,100円)
(カザフスタン入国後、アティラウへ向かう幹線道路。チェコスロバキアのライダーは35歳のルーカス氏)
アティラウ(Atyrau)では宿の居心地がよく、ブログの更新作業等もあり2泊した。
宿の主人は45歳のガリムジャン氏(正式にはKuzembayer Galimjan)。
ホステルの他に車のレンタル等の事業も手がけている事業家だ。 ロシア語の私立学校で教育を受けたと言って,ロシア語は堪能だ。 だが、英語は少し判る程度だ。ガリムジャン氏は当方と英語で話そうと努力をしていた。
同氏は子供達には英語を学ばせているようだ。16歳の高校生の長女は上手な英語で挨拶をした。
日中はビジネスに多忙でホステルは妻に任せているが、夜になると必ず小生の前に現れて、いろいろカザフの情報を教えてくれる。
一番助かったのは、今後のツーリングルートと投宿すべき場所についてのアドバイスだった。
ロシア出国時に会ったイタリア人旅行者から当方が計画していたカザフスタンからウズベキスタンへとカスピ海の東側を通る最短ルートの国境が閉鎖されていることを聞いていたが、あらためてカリムジャン氏からも同じことを教えてもらった。
当方が頼りにしているオーバランダー用の情報アプリのI Overlanderでも1週間前の投稿で、同国境では施設工事のため3.5トン未満の車両は、通行不可と伝えていた。
ウズベキスタンへ行くためには、計画していた最短ルートより余分に約2,0000kmカザフスタンの草原(ステップ)を迂回せねばならない。
(アティラウで投宿したHostel Inzhuは新しくきれいだった。利用客が少なくオーナーは当方たちを歓迎してくれた。)
(Hostel Inzhuのオーナー、カリムジャン氏)
(アティラウの中央部をアジアとヨーロッパに分けるウラル川。アジア側からヨーロッパ側を見る。)
(アティラウのアジア側を示すモニュメント)
(アティラウの中心部。写真奥の建物はドラマ劇場)
長くて単調な迂回路 2000km:
アティラウ(Atyrau)~510km~カンディアガシ(Qandyaghash)~310km~カラブタグ(Qarabutag)~420km~アラル(Aral)~280km~アタ・ムラ宿泊施設(Ata Mura Complex)~バイコヌール・ロシアのロケット打ち上げ基地ある幹線道路経由~480km~トルキスタン(Turkistan)が迂回路である。
一泊目のカンディアガシ(Qandyaghash)は予定していた宿泊地では無かった。
当初アティラウから610km走行してアクトベ(Aktobe)という比較的大きな都市まで行こうとオートバイを走らせたが、何も無い真っ平らな草原の直線路は飽きて、たびたび眠気が襲う。
距離感と時間の感覚が失われていく感じだ。 アクトベまであと100km程度で疲れ果てて、小さな町を見つけた。その場所がカンディアガシの町だった。
町で通りすがりの人に<どこか宿がありますか?>とグーグル翻訳を介して聞いて、宿の場所を教えてもらった。 その場所は工事現場で働いたりするような人々が主に利用する食堂を兼ねたかなりローカルチックな宿だった。
そこの坊主頭のこわもてな宿主に、当方が<泊まれるか?>と尋ねると<泊まれる>と言う。
当方が宿泊を決める前の手順は、 部屋を見た上で、トイレの水が流れるか、温水シャワーが出るか等部屋の状態を確認する。 そして最後に部屋代を聞くようにしている。
部屋の状態を一通りチェックした後に、宿主へ部屋代を聞いたら、<4000テンゲ(約1200円)だ>と言う。
安い価格だが、それでも当方は<部屋代を勉強できるか? 朝食はついているか?>と宿主へ質問する。
宿主は<そんなものあるか!>とぶっきらぼうに答える。 他に泊まるところが無いような小さな町だから、ここで妥協するしか無いのだが、一応聞いてみる。
1階が食堂で2階が宿泊できる部屋になっている造りである。
因みに日本とカザフスタンの経済格差を考慮すると日本の価格の1/3程度がカザフスタンでは適正価格と考えている。
つまり、カザフスタンの1テンゲは日本の1円位の感覚だろう。
日本の一人当たりの2023年現在のGDP(大まかな平均年収と見なすことも可能)は約34,000米ドル(約470万円)、カザフスタンは約13,000米ドル(約180万円)である。
ここの宿主おやじは以外に親切であった。
昼間に休憩した幹線道路沿いの食堂で飲んだミルクティーでおなかを壊していた。 当方が夕食として豆入りのスープだけを注文すると、その親父は<それだけで大丈夫か?>と当方の食欲のなさを心配してくれた。
翌朝、朝食代を払おうとすると 宿主は<朝食代はいらないよ>と言う。更にチェックアウト時には<カザフスタンの土産だ>と言い、当方にカザフスタンの文字が入った板チョコレートとライターをくれるのではないか。
当方はたばこを吸わないのでライターの受け取りは丁重に断ったが、心の優しい人だと思った。
投宿はGastinisha Adai(カザフ語ではロシア語と同様にホテルや宿のことをガスティニッツアと呼ぶ)
(ロシアでは見なかったラクダの放牧をよく見かけるようになった。)
(500km続くほぼ直線道路)
(幹線道路近くを貨物列車が通る。約60両編成だった。)
(投宿したGastinisha Adaiの主人とその妻)
2泊目のカラブタグ(Qarabutag)の宿
カラブタグは小さな集落のような町だ。
町自体は幹線道路から少し離れた場所に位置して何もない。
幹線道路がロシアとカザフスタンやウズベキスタンとの間の物流の動脈となっている。 長距離輸送の貨物トラックの運転手が仮眠をとったり、休憩する食堂と宿泊を兼ねた施設が複数ある。
アティラウで投宿したホステルの経営者から、カラブタグには泊まるところがたくさんあるので、現地で簡単に宿が見つけられると聞いていた。 その通りであった。
2軒目にチェックした宿の接客対応が良かったので、そこで投宿することに決めた。
ロシア系の中年女性が正直に全ての部屋を見せてくれる。
バスルーム付きの広いダブルルームは10,000テンゲ(3千円)だが、3名の相部屋なら3,000テンゲ(千円弱)であると言う。 当方は相部屋にする。オートバイを安全に保管する倉庫の手配もしてくれる。
よくあることだが、ホテルや宿では、部屋料金が一番高い部屋を最初に案内する。 安い料金の部屋があっても交渉しないとなかなか案内してくれないのが一般的である。しかしながら、この女性はそうでなかった。
その女性の接客態度に感心して、当方がオーバーランダー向けにの情報アプリ(I Overlander)にその宿についての情報を投稿した。投稿した旨をその女性スタッフへ伝えたら、当方の説明を熱心に聞き入った。
投宿はHotel Nurly Jol(相部屋3,000テンゲ=約1000円)。夕食は宿の食堂で軽く済ませる。
(貨物トラックの通行が多いため、道路面が破損する。修繕が追いつかない。)
(補修部分や路面に大きな亀裂や穴がある場所ではトラックは時速30km程度で通行する。)
(少し大きめのピックアップ・トラックで放牧している牛を見守る牧童たち。このポーズで写真をとってくれと言われた。)
(投宿したHotel Nurly Jol)
(貨物トラックのドライバー達が仮眠をとる交通の要所カラブタグ=Qarabutag。写真奥には数十台の貨物トラックが駐車してある。)
3泊目 アラル(Aral)
アラルあるいはアラリスクとも呼ばれるカザフスタン側ではアラル海に近い町である。
ただし、この町はアラル海より数十キロメートル内陸にあるので、アラル海は見れない。
幹線道路沿いの景色は何もない平原だが、砂漠化が進んでいるようだ。 緑の草で覆われた草原ではなく。砂漠の中に低いブッシュ(低木)や枯れた草が点在するような平原だ。
もっと大きな町だと思っていたが、小さな砂漠の町との印象を持った。
町には3階以上の高い建物が無い。 民家は広くてゆったりしている感じだが、道路等のインフラ設備が追いついていない。町中の住宅地に入ると道路は未舗装のままだ。
郊外には広い敷地に門構えがある新しい大きな民家がポツリポツリと建っている。 人口が増えれば、郊外にこぎれいな住宅が建つのだろう。 この町の産業は何だろうか?人々の生活の糧は何だろうか?等、疑問が湧く。
この日、3軒目に尋ねた宿に決めた。この町のホテル主の商売は下手だと思った。
当方が尋ねた3軒の宿は、最初に部屋代は12,000テンゲだと言う。 値引きを求めると10,000テンゲだと値引きする。 <更にもっと安い部屋は無いか>と当方が交渉すると安い部屋を見せるが、最初の部屋と料金はそんなに変わらない。
この地に泊まる旅人は少ないようだ。 宿泊客を取り込みたいなら思い切って安い部屋代を提示してでも客を引き込むべきであろう。 1軒目の宿は相場に比較して部屋料金が高い。 宿主は親切そうでなく強気の対応だった。
2軒目は投宿客は来ないだろうと思われるような立地にあった。
管理している老婆は、当方が<安い部屋は無いか?>と聞くと 少し内装が壊れ、ベットも壊れた部屋へ案内する。
そのボロイ部屋の料金では上等の部屋とあまり変わらない。 当方は上等の部屋の半値以下でも高いと思った。
3軒目のホテルは周囲に何もない荒れ地の中にあった。それでも外観は立派だった。12,000テンゲからスタートした上等の部屋代は、一ランク下の部屋であるが6,000テンゲ(約2千円)で決着。
翌日、宿帳を見ると投宿したのは当方一人のみだった。 このホテルはBooking.Comでも紹介されていた。
当方一人だけでは、この宿で働く人たちの人件費にもならない。
(ロシア南西部の主要都市サマーラ=Samaraからカザフスタン南部のシムケント=Shymkentまでの約2,200kmのルートを示す看板。 看板の下側がサマーラ。上がシムケントだ。)
(カザフスタンのオートバイライダー達と一緒に撮影。写真中央は当方だ。ライダー達の本職は牧童のようだった。写真左のライダーはヘルメットをかぶらず、毒ガス用防護マスクのようなものを着けていた。)
(草原の幹線道路沿いのポツンと一軒家は宿泊と食堂をかねる施設だ。)
(アラル市内の住宅街。住宅街の中は未舗装な道路が多かった。ところどころ深い砂になっている。
深い砂地にオートバイのハンドル取られて危うく転倒しかけた。)
(アラル市の中心部。飲食店が立ち並ぶ)
(アラルで投宿したホテル。クルエン・サライ。 サライとは隊商宿のこと)
(初めて見た面白い形のミネラル・ウオーターの1リットルペットボトル。ペットボトルの蓋がコップになっている。)
4泊目アタ・ムラ宿泊施設(Ata Mura Complex)
アティラウのホステルオーナーが教えた宿泊施設だったが、全くのハズレだった。
モスクがある食堂と宿泊の複合施設だった。
施設の外観から判断すると数年前なら立派な施設だっただろうと想像がつく。
しかし設備のメインテナンスが不十分で、洗面所の水は出ない、 温水器はあるがシャワー用の温水が出ない。そもそも普通の水ですらシャワーから数リッター程度の量がちょろちょろと流れる程度でとてもシャワーは浴びられない。
他の部屋でもトイレ以外の水回りは壊れていたり、使用できないようになっているが、この辺りには他に宿泊できる施設がない幹線道路沿いの平原の一軒屋だ。
雨が降ってきたので、次の集落まで100kmも走行するのは気が進まなかった。
キャンプするよりましだろうと割り切って投宿するが、さびれた宿泊施設だった。トラック運転手もここでは仮眠等の休憩をしないようだ。
たぶんアティラウのホステルオーナーは過去この施設がきれいなで繁盛している時に利用して気に入ったのだろう。
この施設の食堂で食べた肉とコメが入ったおかゆのような食べ物で食あたりになった。
腹部に激痛が生じて、おなかが下った。
トイレで用を済ませても、おなかの痛みが引かない。 しばらくベッドに横たわり回復を待っているうちに翌朝まで寝込んでしまった。
翌朝食堂の厨房を覗くと、売れ残りの料理がたくさん残っている。料理が多少古くなっても使いまわしているのだろう。 客が少ない食堂の料理には注意を払うべきとの教訓だった。
宿泊はAta Mura Complex 一泊5,000テンゲ(約1,600円)
(途中見たロシアのロケット打ち上げ基地であるバイコヌールのサブ・ステーション。バイコヌール市内はロシアが管理して、一般人は立ち入り禁止となっている。スマホの10倍望遠で撮影しているため、写真の画質が悪くなった。)
(この時期、ゲリラ豪雨が多い。 雨雲が事前にわかるため雨雲が通り過ぎるのを待った。)
(がっかりしたアタ・ムラ複合施設=Ata Mura Complex)
(周囲に村や町が無くてもバス停があった。)
良心的な警察官(?)と悪徳警察官
カザフスタンでよく目にするのが幹線道路で検問するために駐車してあるパトロールカーと警察官だろう。
当方は検問では一度も止められなかった。
しかしながら、アタ・ムラの宿泊施設の駐車場から幹線道路へ出る際に、うっかりして左折禁止の道路標識を無視して左折して走行車線へ進んだ(日本なら右折禁止の意味)。
幹線道路ながら日曜日の午前9時前だから道路には車は通っていない。
その場所に待機していたパトロールカーがいた。当方の交通標識無視を待っていたかのように直ぐにサイレンを鳴らして当方を追いかけてきた。
警察官は当方に停止を指示して、ジェスチャーで左折禁止になっていたことを告げる。
当方はとぼけて、ツーリング用の地図を広げてこれから向かう地域を警察官に説明した。
警察官が行き先を聞いているのでは無いというジェスチャーをすると、当方は次に運転免許証と強制保険証を警察官に提示した。
警察官は<この男=当方は全然判っていない>と言いたげな表情で、<もういいから行って良い>とジェスチャーで示す。
警察官が放免してくれたのだが、交通違反が起こりそうなところには罠に引っかかるネズミを待つようにパトロールカーが待機している。
しばらくして、パトロールカーが道路脇に止められて、立っていた警察官が当方へ停止せよのジェスチャーをする。
単に検問かなと思った。
警察官は胸につけたビデオカメラを指で示して、カメラで撮影していることを伝え、正当な検問業務を行っているようなジェスチャーをする。
警察官は当方の運転免許証に目を移して、何やらチェックするそぶりをするが、当方は警察官の意図が判らない。
そのうちに、その警察官はタブレットPCを取り出して、タブレット上に110と書いて、当方へ示す。
何やら当方がスピード違反を犯したと言いたげのようだ。 そして、お金を出せと請求するジェスチャーをする。
110が時速110kmで当方が走行したのか、制限速度が時速110kmだが、それ以上のスピードで当方が走行したと言いたいのか不明である。また、スピード違反の証拠の提示も無い。
因みに、片側1車線の幹線道路の制限速度は時速90kmになっている。片側2車線以上の幹線道路の制限速度は時速110kmだが、当方は通常時速80km~90km程度のスピードだ。
スピード違反とは冗談じゃないと思い、当方は日本語で警察官に怒鳴りつけた。
警察官も当方が怒っていることを理解して何も言わない。 当方は警察官を無視して、さっさとオートバイでその場を後にした。
(道路沿いに町かと思ったが、町を小さくしたような墓地だった。カザフスタンではこのような墓地を多数見かけた。)
(砂漠化している平原の道路)
(アラル海に注ぐシリダリヤ川から水を引く水路と農地。シリダリヤ川は天山山脈に源を発する大河)
(幹線道路の巨大門。グーグル翻訳では門の文字はInstant Tripと訳されているが, 実際には何のことかわからない。)
5泊目から3連泊 トルキスタン=Turkistan(世界遺産の地)
トルキスタンはイスラームの時代から存在したティルク族の土地を意味する。
インド亜大陸と同じくらい広いティルク族(カザフ族が主流)が支配する土地が現在のカザフスタン,
ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスタンや新疆ウイグルに至る地域にかって存在した。
現在の中央アジアを示す地域にほぼ一致する。
しかし、モンゴルの支配や、その後13世紀のティームール朝等の支配を受け、19世紀の帝政ロシア時代にはロシアの支配下になっていた。その中心が現在のトルキスタン(都市名)として残っている。
1980年代後半の会社員時代に当方がバーレンに駐在していた時に、サウジアラビアのジェッダ市で日本人のような顔つきのサウジアラビア人と知り合いになった。
同氏から、祖先はトルキスタン出身で、祖先がメッカ巡礼に来たままサウジアラビアに居残ったと聞いたことがあった。
同氏の親族のパーティーに招待された時、親戚はやはり東洋系の顔つきをもつサウジアラビア人が多かったと記憶している。そんなことも影響してトルキスタンという地には興味を抱いていた。
世界遺産となっているのはイスラムの神秘教団ともいわれるスーフィー教(回転しながら踊る教団)の一派を12世紀に設立したコジャ・アフマド・サラウィーの霊廟(Mausoleum of Khawaja Ahmed Yasawi)であるモスクだ。
現存する中央アジア最大の建造物とも言われ、中央アジアに一大帝国のティームル朝を起こしたティムール帝の命令で14世紀に造った高さ44mある巨大建造物だ。
イランでも巨大なモスクを見学したが、これほど大きな建造物は見たことが無かった。
アティラウに滞在して以来の都会らしい町だ。ホテルがたくさんある。 ホステルの数も多い。当方はグーグル・マップで見つけたホステルの一つ(VIP Hostel Turkistan)に投宿した。 (一泊3,000テンゲ=約1,000円)。客は当方も含め数名程度で、ツインの部屋を一人で使用した。
このホステルには広い中庭があり、中庭には天幕を張って、暑い季節の夜には寝られる縁台おかれている。
各部屋も中庭に面して居心地が良いので、世界遺産の見学やブログの更新のため3泊することにした。
(トルキスタンのコジャ・アフマド・サラフィー廟の正面=Mausoleum of Khawaja Ahmed Sarawi)
(コジャ・アフマド・サラフィー廟の裏側=Backsideof Mausoelum of Khawaja Ahmed Sarawi 。写真左側の人と比較すると大きさがわかる。高さは15階建てのビル位)
(コジャ・アフマド・サラフィー廟の側面)
(コジャ・アフマド・サラフィー廟を囲む高い防護壁。修復したばかりで新しい)
(カザフ人のおばさん達。ドレスがきれいですねと言ったらにこりとして写真を撮らせてくれた。イスラムの国では
女性をカメラに収めることは通常タブーだが。)
(トルキスタンの街角の壁絵は中央アジアらしいラクダに乗った隊商)
(トルキスタンで投宿したホステルVIP Hostel Turkistan)
カザフ人の気質
カザフ人は当方が外国人でもよく声をかけてくれる人懐っこい人々だ。
日本人と同じ東洋系の顔立ちの人々が殆どだ。
しかし、当方がカザフ人でないことは着ている服やオートバイでツーリングしていることで判るようだ。
大体は<中国人か?>と聞かれる。当方が<日本人だ>と答えると、握手求められたり、スマホで一緒に写真撮影を求められる。 中には当方へこのポーズで写真を取ってほしいと注文をつける若者もいた。
当方は片言のロシア語で答えることしかできないので、それ以上の会話は成立しない。しかしながら、おじさんも若者も、たまには、おばさん達にも同じように人懐っこさを感じた。 親しみやすい人々だと思った。
以上