欧州・中央アジア周回ツーリング総集編その①(スペインからトルコ・ジョージア経由ロシア・コーカサス地方まで)
何故スペイン・マドリッドがツーリングの出発地点?
スペインの首都マドリッドが今回のツーリングのスタート地点であり、終着点である。
当方は日本の知人から昨年にマドリッドのオートバイ修理店に保管されていた知人のスズキ製Vストローム250を譲り受けた。
その知人はコロナ禍前にオートバイで日本からユーラシア大陸を横断後、マドリッドのオートバイ修理店にオートバイを預けっぱなしであった。コロナ禍終息後、その知人はマドリッド発のツーリングを再開する気が失せていた。そこで、当方がその友人からオートバイを譲り受けた経緯があった。
(知人から譲り受けたスズキ製Vストローム250)
ツーリングの計画ルート
今回のツーリング計画はマドリッドをスタート後、南仏~北イタリア~地中海沿いにトルコまで最短距離を一気に進み、トルコからジョージア~ロシア・コーカサス地方を経てカザフスタンへ入国してウズベキスタン、タジキスタン、キルギスの中央アジアまで至るルートを往路とした。
復路は中央アジアからロシアの西部地域を経由してエストニアへと抜け、その後フィンランド、ノルウェー等のスカンジナビア半島をツーリング後、イギリスやアイルランドを経てスペインのマドリッドへ戻る計画だ。
3万km~3.5万kmの走行距離を想定して、ツーリング期間は9月末までの約6ヶ月間とした。
ただし計画にはアフガニスタンのマザーリ・シャリフへのツーリングは無かった。
4月初旬に成田空港から空路スペインのマドリッドへ向かった。
(地図上の赤線は実際のツーリングルート。青色の矢印の方向へ進んだ。走行距離は34,000kmだった。)
(スペイン・マドリッド=地図左下地点から出発して南フランス~北イタリア~クロアチア~モンテネグロ~アルバニア~ギリシャ~トルコ~ジョージア~ロシア・コーカサス地方(カスピ海西部)~カザフスタン~ウズベキスタン~アフガニスタン~再度ウズベキスタン~タジキスタン~再度ウズベキスタン~キルギス~再度カザフスタン~ロシア西部地域~エストニア~フィンランド~ノルウェー~スウェーデン~デンマーク~ドイツ~オランダ~ベルギー~フランス~イギリス~アイルランド~再度イギリス~再度フランス~スペイン~ポルトガル~再度スペイン・マドリッド帰着)
スペイン出発後、南フランス~北イタリアを経てクロアチアをアドリア海沿いに進む
マドリッドのオートバイ店に預けてあったオートバイに日本から持参したテント等のキャンピング用品やオートバイの交換部品を入れたサイドバッグ等を装備して、まだ肌寒いマドリッドを出発した。
スペインからセルビア・ブルガリアを経てトルコへ進みジョージアへ至る経路は2年前にオートバイで走行したルートでもあり、新鮮味がなかった。
一方トルコへ至る途中のアドリア海沿いのクロアチアやギリシャはまだ訪れたことがなく興味がわいた。そのため、スロベニアからアドリア海沿いのクロアチアを東へとギリシャに向けて進むルートを採ることにした。
スペインのマドリッドを出発後、南フランス~北イタリア~クロアチアのアドリア海の付け根部分のイストラ地方までは約一週間、連日雨の中をオートバイで移動するだけであった。
クロアチアへ入国後やっと天気が快晴になり、アドリア海沿いのザダールやドブロブニク等の観光地で風景や旅情を楽しんだりする気になり、連泊した。
(小雨が降る中マドリッドを出発)
(スペインの高速道路。先方の丘の上には高さ7m~10mくらいの巨大な牡牛の広告看板が見える。)
(イタリア領のリビエラ海岸)
(イタリア北部ガルダ近くのブドウ畑)
(アドリア海沿いのクロアチアの海岸は観光化されていない)
(アドリア海沿いのクロアチア・ザダールの旧市街の歴史的な門。旧市街にはユネスコ世界遺産の中世の教会塔があった。)

(アドリア海沿いの山脈。山脈が国境となり、海側はクロアチア領、山脈の裏側はボスニア・ヘルツエゴビナ領)
(アドリア海の真珠と呼ばれるユネスコ世界遺産のクロアチア・ドブロブニクの旧市街)
クロアチアからモンテネグロを経てアルバニアへ
アドリア海沿いのルート上ではクロアチアからモンテネグロを経由してアルバニアに入った。
8年前のツーリング時はコソボからアルバニアを素通りしてモンテネグロの首都ポドゴリツァで宿泊したことがあった。今回はモンテネグロを素通りしてアルバニアの首都ティラナに宿泊して同地を見物することにした。
アルバニアに入ると地理的には欧州地域なのにパキスタンのようなイスラム圏内の新興国に来たような感じだった。アルバニアはイスラム教徒が多い国のため、幹線道路沿いの町や村にはモスクが建っていた。
EUの国々との経済格差はデータ以上に歴然としていた。同国の一人当たりGDPは約8千米ドル(100万円強)と南欧ポルトガルやスペインの1/3~1/4程度だ。道路や建物は修理が必要なほど傷んでいる。 また、車の運転マナーは新興国同様に荒っぽい。
地理的には欧州地域だが、なかなかEUの仲間入りはできないだろうと感じた。
(アルバニアの国道沿いのモスク)
(アルバニア首都ティラナで車の修理工場を経営する若者。チェコで働いた経験から英語を話すため、当方は地元の情報を得るのに助かった。)
(ティラナ郊外の八百屋)
アルバニアからギリシャへ進む
ギリシャ北部ではティッサロニキを訪れ、紀元前にマケドニアと呼ばれたこの地に思いを馳せた。
ギリシャ北部のティッサロニキは紀元前4世紀に当時のマケドニアのアレキサンダー大王が王位に就いた場所でもあり、当方はアレキサンダー大王のアジア大遠征路に興味を抱いていた。
アレキサンダー大王が当時のトルコやペルシャ(イラン)を破り、現在のウズベキスタン、タジキスタンやパキスタン、インドまで兵を進めた。
タジキスタンのホシャンドは当時<最果てのアレキサンドリア>と呼ばれ、アレキサンダー大王軍が征服した土地の最も東に位置していた。
当方はギリシャではティッサロニキを訪問後、アレキサンダー大王が遠征した最果ての地であるタジキスタンのホシャンドもツーリングの訪問地としていた。
(ギリシャの第二都市ティッサロニキ。紀元前の時代にはマケドニアの中心地だった。)
(「ティッサロニキにあるアレキサンダー大王の騎馬像)
好印象のトルコからジョージアへ
2年前のトルコ縦断の際には、現地で出会った複数のトルコ人のお世話になった。オートバイツーリングの同行に誘われ一緒に宿泊したり、街で食料をたくさんもらったり等、たいへん親切な人達だと当方は好印象を持った。
今回もギリシャからトルコ入国後に最初に宿泊したケシャン(Kesan)の町ではホテルと勘違いして立ち寄った学校の管理者にホテルを斡旋してもらい、ホテルまで送ってもらう等の親切を受けた。
また、2年前に訪れた黒海沿岸のリゼ=Rizeの町では、食料品をたくさん貰うなどの親切を受けた食料品店を経営する若者と再会した。
その若者は当初当方には気が付かなかったが、当方が2年前にブログに載せたその若者の写真を見せると<え~え? まさか?>という顔つきで当方に気が付き、再会を喜んだ。
他方、残念なこともあった。
オスマン時代の初期の首都であったブルサの道路で、当方がオートバイで走行中に当方のすぐ後ろを走行のワゴン車にオートバイの後方から接触され、オートバイと一緒に転倒させられた。
着こんでいたライダー専用のジャケットやズボンに装備されている肘当てや膝当てプロテクターのお陰で大事には至らず、当方は腰と膝の打撲程度で済んだ。ワゴン車の運転手は当方を病院へ案内すると言い、車で先導したが、途中で逃げてしまった。
ジョージア中部のクタイシでは2年前にも宿泊したゲストハウスに泊まった。この宿の女性オーナーは当方のことを直ぐに気づき、歓待してくれた。2年前も親切な応対をしてもらったが、今回は食べきれないくらいの朝食を作ってもらう等の歓待を受け、心に残る旅となった。
ジョージアからコーカサス山脈を越えてロシアのチェチェン共和国へ入るルートは初めて通る道であった。山脈の峠道の付近の山々には雪が残り寒かったが、雪山の景色は素晴らしかった。

(トルコのケシャン市内。空中には政治家の写真とトルコ国旗がなびいていた。)
(トルコ領内のマルマラ海最狭部をヨーロッパ側からアジア側へフェリーで渡る。 海にはヨーロッパ側とアジア側を結ぶダダーネル大橋=写真奥がかかっている。)
(ブルサのドネール店。 炙って焼いた肉を薄く切り落として薄焼きパンで巻いて食べる。)
(リゼの町で2年ぶりに再会した若者。ユヌス氏)
(ジョージア・クタイシのゲストハウスと肝っ玉母さんのような女性オーナー。)
(クタイシのゲストハウスでは食べきれないほどの朝食を用意してくれた。)
(ジョージアからロシアへ向けてコーカサス山脈の峠を進む。)
(ロシア国境に近いジョージア領内のコーカサス山脈の町ステパンスミンダ)
厳しいチェック体制のロシア・コーカサス地方への入国と出国
南欧州から中央アジアへ行くルートはトルコ・ジョージアを経由ロシアのコーカサス地方を通過してカザフスタンへ抜けるルートが最短だろう。当方はこの最短ルートを進んだ。
トルコからイランを経由してトルクメニスタンへ至るルートもあるが、イラン入国にはオートバイのカルネが必要だ。また、トルクメニスタン入国には地元のガイド付きツアーを事前にアレンジせねばビザの入手もできないし、同国の通過もできない等面倒な手続きと費用がかかる。
ロシア入国手続きには4時間かかった。
国境を管理する入出国管理事務所では別室で私服の姿の係官からいろいろ質問を受けた。
ロシアと敵対する欧米諸国を主とする外国人は警戒されていることが感じられた。
また、ロシアへ外国車両で乗り入れる際の一時輸入許可証を作成する書類の準備にも手間取った。
書類の記載内容に誤りがあると何回でも書類を書き直さねばならない。当方は3回書類を書き直した。
チェチェン共和国等ロシア・コーカサス地方はイスラム教徒が多い地域だ。 チェチェン共和国の首都グローズヌイは1994年~1995年と2004年~2005年の独立派とロシア連邦軍の内戦で徹底的に破壊された。
現在は中東サウジアラビアの首都リアドやUAEのドバイのように近代的な高層ビルが立ち並ぶ都市に生まれ変わっている。ロシアにありながら、中東の都市のような街並みには驚いた。
カスピ海西岸付近の不毛地帯を通り、ボルガ川河口付近のアストラハンからカザフスタンへとロシアを出国する時の国境管理事務所でも係官の対応にはうんざりした。
通常のパスポートチェックの後、別室に通され目つきが鋭い私服の係官からアンケートのような書類に記入せよと指示された。
アンケート内容は
① 親族にウクライナ軍関係者はいるか?
➁ロシア軍によるウクライナに対する特別軍事作戦をどう思うか?
② クリミア半島はロシア領だと認識するか?
等の返答に窮するものだった。
更に当方に返答した内容を係官がビデオ撮影するスマホに向かって声を出して読み上げよと指示された。当方は<一体何のために?>との疑問が沸いた。
更に、係官は当方のスマホを取り上げて、入念にアプリ等を動かして内容をチェックする。おそらくスマホ内にロシアが禁止している写真や国境等の写真が写されているかどうかやSMS上にロシア批判のコメントがあるかどうか等のチェックをしていたのだろうと推測した。
(ジョージアとの国境検問所に続く道路には国境通過の順番を待つ貨物トラックが数kmの列を作っていた。)
(ロシア・コーカサス地方チェチェン共和国の首都グローズヌイ)
(グローズヌイ市内の巨大モスク。見物人やお祈りをする信徒の姿はまばらだった。)
(カスピ海・西岸近くのロシア・コーカサス地方をアストラハン方面へ進む。)
(アストラハンのクレムリン=城塞都市)
(アストラハンからカザフスタン方面へ向かう幅約200mの川には艀のような浮き橋が架かっていた。
走行すると橋が上下に動くため、オートバイでは走り辛かった。)
以上












































































































































































































































































































































