クロアチア~アルバニア~ギリシャ入国 1,300km 4/18~4/26 | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアをツーリング中。

クロアチアの世界遺産の都市(Zadar,Dubrovnik)~アルバニア~ギリシャ(世界遺産メテオロの奇岩の上の修道院)

1,300km (2025 4/174/26)

 

 

クロアチア入国直後のイストラ(Istra)地方ロッシュ村(Roc)での2泊で疲れがとれた。ここのゲストハウスは2ベットルームとキッチン・ダイニングがある一世帯分の広さを当方一人で占有した。

 

オーナーのおばさんがチョコレートを差し入れてくれたり、出発の朝には朝食としてクレープも作ってくれた。

当方がブログを書いていると伝えたのが、奏功したのか・・・

あるいは、一泊35ユーロ(5,700円)がこの村の相場以上だったため、当方を良くもてなしてくれたのか知らないが・・・

(Roc村のゲストハウスでオーナーおばさんに作ってもらった朝食用クレープ)

 

クロアチアのアドリア海沿いの世界遺産の都市ザダール(Zadar)とドブロブニク(Dubrovnik

 

アドリア海に出ると晴天だった。ここからは一般道を海岸沿いにモンテネグロを経由して、アルバニア、ギリシャ方面へ向かう。

(上の写真はRoc村からリエカ=Rijeka方面の山道。山道を過ぎると下の写真のリエカ=Rijeka付近のアドリア海にでた。)

 

海岸沿いの崖の中腹にある道路は、まだ観光シーズンになっていないためか通行する車が少なく快適だった。

大型オートバイに跨り、かっ飛ばすライダーをこの道路ではよく見かけた。やはり景色がよいルートだからだろう。

 

アドリア海の水は透き通り、きれいであった。途中に通った漁村の港やヨットハーバー脇で休憩してすると透きとおった海中を泳ぐ魚が良く見えた。 こんなにたくさんの魚が海中にいるが、魚釣りをしている人は見かけない。

 

地中海沿岸でもスペイン、フランスやイタリアのように観光化されていない。少し物足りなさを感じつつも

観光客が少ないところが気に入った。

(上の写真はザダール=Zadarへ向かう海岸の丘の中腹にある道路。下はアドリア海の海岸)

 

 

宿泊したザダール(Zadar)の町の事前知識は無かった。旧市街の城壁やビザンチン時代の教会が世界遺産であることを誰からか教えてもらった。当初は一泊のつもりだったが、世界遺産がある旧市街を見学しようと2泊することにした。

 

世界遺産がある町と言っても、東京の浅草の様に外国人観光客であふれているわけでもなかった。 

(上の写真はザダール旧市街へ入る門と城壁。 下の写真の中央が世界遺産のビザンチン様式の古い教会。)

 

 

ザダールで宿泊したドルミトリー方式のホステルにはオートバイライダーが当方以外に4名来た。 

 

ライダーの一人にデンマークからの若者がいた。

今年9月に福島県の会津にある大学院でソフト・エンジニアリングを学ぶため、オートバイで日本を目指している途中だった。オートバイでの陸路ツーリングはイラン経由インドまでで、インドからはオートバイを日本へ海上輸送するとのことだった。

 

宿泊はBackpaker Home(一泊14ユーロ=約2,300円)


(写真左から当方、オランダ、デンマークと写真右側の2名はイタリアからのオートバイライダー達)

 

アドリア海の真珠と呼ばれる世界遺産のドブロブニク(Dubrovnik)の旧市街は2017年の世界一周ツーリング時に訪れたいと思った。 クロアチアを訪れたが、その時は7月の観光シーズン真っ盛りの時であった。そして、宿泊価格が高すぎてドブロブニクを訪れるのを諦めた経緯があった。

 

ザダールからアドリア海の海岸線を東へとドブロブニクを目指す。ここで当方の目を引いたのが、アドリア海沿いに高くて長い山々が続いている風景だった。印象的な風景だ。

 

地図をみると、アドリア海沿いに数百キロメートル続く細長い土地がなぜクロアチアの領土になっているのだろうかと疑問に思っていた。

 

景色を目のあたりにして、このアドリア海沿いの山脈が国境としてボスニア・ヘルツエゴビナとクロアチに分れているため、クロアチア領が細長くなっていることに納得した。

(上の写真の山脈の海側がクロアチア領土となる。この山脈が先端のドブロブニクまで続く)

 

4月のドブロブニクの旧市街はそれなりの数の観光客はいるが、混んでいるほどでは無かった。また、当方が宿泊した安宿も、随分すいていた。(宿泊はAnchi Guesthouse、ドミトリー式で一泊19ユーロ=約3,100円)

(ドミトリー式のホステルには世界各国の若者たちが集まる。若者達と話すのも刺激になる。彼女はイタリア人のエリカ。イギリスで働いていたが、転職前に休暇でバックパック旅行をしている。昨年11月に岐阜県の白川郷を観光して気に入ったと話していた。)

 

長さ約2kmの高い城壁で囲まれた旧市街は15世紀~18世紀のドブロクニ共和国へタイムトリップしたようによく保存されている。

 

旧市街を囲む高さ20mの城壁の上に登り、城壁の上を歩いて旧市街を一周できる。しかし、この城壁の上を散歩する通行料金は高い(40ユーロ=約6,600円)。

(上の写真はドブロブニクの城壁。下は旧市街の狭い路地階段)

 

 

(16世紀のドブロブニクと海洋博物館展示の19世紀の航海測量器。下の写真のスクリューのような形状の測量器は船の速度を測る。船の舳先帆に着け回転数で速度を測っていた。右側は船の位置を測量する機器で現在のGPSのようなもの。)

 

ドブロブニクからモンテネグロ経由アルバニアへ

 

クロアチア東部のドブロブニクに2泊後、モンテネグロを通過してアルバニアへと向かった。 ドブロブニクから約40km東へ進むとモンテネグロとの国境がある。

 

8時台のため、国境検問所には通行車両が殆どいなかった。

クロアチアの出国はパスポートとオートバイの登録証(Certificate of Registration)をチェックするだけで1分もかからなかった。

 

当方が少し懸念していた名義書き換えのためオートバイのEUへの入国記録が無いことは全く問題にならなかった。 オートバイの入国記録はオンラインでEU加盟国内で共有されていないようだ。

 

モンテネグロ入国についてもパスポートとオートバイの登録証のチェックだけだった。オートバイの強制保険の有無についてはノーチェックだった。 2017年当時、当方がオートバイで他の国境検問所からモンテネグロに入国した際には、オートバイの強制保険を国境で買わねばならなかったが・・・

(モンテネグロ内で近道をするためフェリーを利用。フェリーから見た岸辺の町や村)

 

そんな訳で、モンテネグロは保険無しで通過した。もっともモンテネグロの走行距離は短く、アルバニアまでの国境までは150km弱の距離しかない。

 

午後の2時頃にはモンテネグロを走り抜け、アルバニアとの国境に到着した。

ただし、アルバニアとの国境にいたる道が分かりにくく、カーナビ(Organic Maps)に頼って進むと、人の往来が少ない狭い田舎道になり、このルートで大丈夫かなと思った。 

更に、国境手前ではその細い道が道路工事中で通り抜け不可になっていた。


 

道路工事関係者がオートバイならなんとか進める迂回路があると薦めてくれたところは、藪と石ころの荒れ地になった狭い所で、とても道とは呼べるものではなかった。

(アルバニアとの国境に近いモンテネグロの田舎道と荒れ地の迂回路)

 

アルバニア入国

 

2017年の当方の世界ツーリングではアルバニアに一泊もしなかった。コソボからモンテネグロへ向かった際に数時間かけて通過するだけだった。 そのため、アルバニアがどのようなところか判らずじまいだった。

 

アルバニア入国後、目についたのは道路わきのモスクの建物だった。 あらためてアルバニアにはイスラム教の国民が多く、EU諸国とは異なることを感じた。 経済統計ではアルバニアの一人当たりのGDPは欧州で下から数えたほうが早い8,000米ドル(約120万円)とフランスの1/5程度しかない。

(アルバニア入国後の集落のモスク)

 

道路造りや建物、走行している車を観察するとその経済格差が判る。

 

交通マナーに至ってはパキスタンやインドほどまでひどくないが、ルールを無視する車が多い。 狭い道路や交差点では我先に進もうとする。 新興国へ来たような感じである。

 

首都ティラナ(Tirana)で2泊した。 ティアナでは宿泊の予約は無かったので、事前に目星をつけていたホステルに2泊した。 

 

住宅街の一角の6~7世帯ほどの小型集合住宅にホステルがあった。ホステルを示す看板が無いので判りずらい。 その付近の住人にホステルの場所を教えてもらい何とかたどりついた。 

 

門とフェンスに囲まれた集合住宅の建物の軒下にオートバイを駐輪して、雨で濡れた雨具等をオートバイの座席シート上やハンドル周りで乾かしていた。 翌朝、オートバイに装備していたサイドバッグを誰かが開けようとした痕跡があり、乾かしていたゴムロープが無い。

 

日本からマドリッドの空港に到着した際、途中2回フライトの乗り継ぎをしたため、機内預け入れ荷物の一つがマドリッド空港に到着せず、未着で紛失したままだ。 未着荷物の中に本来使用するはずのバイク専用のゴムロープが入っていた。 

 

そのため、マドリッドを出発する際には、予備のゴムロープを使用していたが、アルバニアで盗まれるとは思わなかった。

 

高価な物ではないが、荷物を効率的にくくれるようにロープの中間には3個の固定フックがついたオートバイ専用ロープだった。失ってその貴重性を認識した。 

 

当方は代用できるゴムロープを探し求めてティラナ市内の自転車店やオートバイ店を回ったが、ちょうど良い長さのゴムロープがない。当方が求めているサイズのものは無く、当地の店で販売しているゴムロープは全て短く、大人の人差し指位の太さがある。それでも、無いよりましだと思い買った。

 

こんなことで半日以上費やして、ティアナ市内の観光をする時間が無くなった。

 

ホステルの管理人のおばさんは<子供のいたずらだろう>と当方を慰めるよう言い、そこの小さな集合住宅に住む子供たちに聞いてみると言ったものの、その後何もしなかった。 いやな思い出が出来てしまった。

(ティラナで投宿したホステルがあった集合住宅)

 

ティアナの町の住宅街の商店で食料品を買い求めた。 店には品数が少なかった。 ビスケット、チョコレートや清涼飲料等の大部分の食品が輸入品のため、値段は所得が高いクロアチア等の隣国より高い。ガソリンも高い。これでは庶民の生活は厳しいだろうと感じた。

(上の写真はチェコで3年自動車修理工として働いた経験があるが、地元に戻り自分の自動車整備工場を経営している若者。英語を話すので当方はアドバイスをしてもらった。 両親が写真の食堂と雑貨店を経営している。外人が来ると英語を話す息子が手助けしてくれる。    下の写真は住宅街の典型的な八百屋。値段の表示がないので、当方のような外人には不便)

 

人口300万人程の小国が豊かになる方法は、外国から工場誘致等の直接投資を呼び込むとか、EUに加盟して補助金で道路等のインフラ投資や公共投資で経済を活性させるとか手段は限られている。

 

外国から観光客を呼び寄せるには観光資源が不足しているようだ。首都の中心地でさえ、外国人観光客の姿はほとんど見かけない。


(上の写真はティアラな中央の広場周辺。国立博物館=左側建物とインターコンチネンタル・ホテル=金色の高層ビル。 下の写真は高級ホテルや大統領官邸が位置する目抜き通り。写真奥にインターコンチネンタル・ホテル見える)

 

ティアナに2泊後、ギリシャへ向けて走行した。ティアナから30km程は高速道路になっているが、その後は一車線の対面通行の一般道路になった。

 

町と町の分かれ目が無く、道路沿いに民家が固まって建並んでいたり、ポツリポツリと建っていたりしている。そのため、一般道での制限時速は時速50kmになっていて、距離をかせぐ走行ができない。

 

ギリシャ方面へ向かう道路は山間部を通る地方道だ。くねくねした山岳道路を2時間ほど走行すると大きな湖(Lake Ohrid)に出た。 高地のため肌寒い。走行する車の数が随分少なくなった。 更に進むと道路の分岐点になり、ギリシャ方面への近道は山のすそにある集落を辿るようになる。 その道には車が全く走行していない。 この道で国境まで行いけるか少し不安になる。

 

カーナビの案内を信じるしか方法が無いので、ひたすら先を進むと黄色で変な形のドガナ(Dogana)国境検問所の建物が見えてきた。この検問所を通行する車両は少なかった。

(ティラナから郊外へ延びる高速道路。通行車両は少ない。下の写真の奥の建物がアルバニア国境での国境管理事務所)

 

アルバニア出国では、パスポートとオートバイの登録証を国境管理官がチェックするだけだ。 ちなみにアルバニアの入出国時にはパスポートにスタンプが押されない。 

 

ギリシャ入国

 

ギリシャ入国時にはパスポートにスタンプが押されるが、オートバイの登録証のチェックは無かった。

 

シェンゲン条約加盟国に再度入国したことを確認する意味でスタンプを押すのだろう。 オートバイの強制保険(グリーンカード)のチェックも無かった。

 

ギリシャに入国して間もなく、雨が降り出した。雨は目的地のカランバカ(Kalampaka)の町まで続いた。

カランバカは世界遺産に登録されている岩山の上に建つ修道院で有名なメテオロ(Meteoro)を観光するための拠点だ。

 

当初メテオロを訪れる計画は無かった。たまたま見たギリシャの旅行書(地球の歩き方)に載っているメテオロの岩山の上に建つ修道院の写真が衝撃的だった。そして、そのメテオロの修道院が世界遺産だと知った。

 

カランバカの宿泊はHotel King (一泊32­ユーロ=約5,300円) 

 

(上の写真はカランパカ=Kalampakaの町の入口からメテオロ=Meteroの岩山を見る。 下の写真は世界遺産の岩山の修道院の一つ。複数の修道院が岩山の上に建つ)

 

(イタリアからギリシャまでのツーリングルートをピンク色で記した。赤字でマークしたところは上から、イタリアのガルダ=Garda, クロアチアのロシュ村=Roc, ザダール=Zadar、ドブロブニク=Dubrovnik、アルバニアの首都ティラナ=Tirana、ギリシャのカランプラKalampola=メテオロ(Meteoro)の順)

 

以上