Kazakhstan・Almaty~Russia・Ufaまで2,750km (2025/6/25~7/1)
カザフスタンへ再入国後は初回のカザフスタンと同様にカザフ・ステップ(カザフの草原)を走行する長くて単調なツーリングだった。
ツーリングルートは以下の通り:
Almaty(元首都)~390km~Siganag(国道沿いのシャワー無し宿で宿泊)~280km~Balkash(道路が未整備の寂しい町)~600km途中から寒くなる~ Astana(首都)~410km~Esil(寂しい町)~410km途中のKostanaiの町でカザフのライダー達とランチ~Karabelik(国境近くの集落)~45km~国境・ロシア入国~20km~Troitsk(一時輸入許可証延長)~140km~Chliyabinsk~430km~Ufa
1997年にカザフスタンはアルマティー(Almathy)からアスタナ(Astana)へと遷都を行った。
遷都の理由はアルマティーはカザフスタンの中心から離れすぎてロシア系住人が多く住むカザフスタン北部が分離独立する懸念があったためとも、アルマティーは地震多発地帯に立地するため、地震で首都の機能が失われるリスクがあったとも等言われている。
アルマティーを日本に例えると首都が北海道にあったような感じだ。
しかし、新首都のアスタナがカザフスタンの中央といえどもカザフスタンを東西に横断する高速道路がないため、カザフスタンの地方の人々にとっては首都アスタナへの道のりは遠いことには変わりない。
アルマティーからアスタナまで約1300kmの距離、更にアスタナからロシアの国境まで約850kmと単調な景色の中を走行する。 アスタナ以外途中で宿泊した町はほどんど記憶に残らない。
それでもあえて言うと、途中に一夜を過ごした町バルカシュ(Balkash)やエシル(Esil)には、アルマティーやアスタナのような立派な舗装道路や建物が少なく、ソ連時代の集合住宅のベランダが朽かけ、寂しい町だった。 大都会と地方の町の格差が非常に大きいと思った。
エシル(Esil)では幹線道路から町に通じる道路でさえ、未舗装で雨の後は道路のいたるところに水たまりができ、走行するにも骨が折れる。
(カザフスタンの道路看板。首都アスタナ(Astana)まで964kmある。)
(アルマティー=地図右下で手書きの赤丸印のところからロシアのウファ=地図左上の青色矢印マークまでの走行ルート。
手書きの赤色矢印の順に走行した。走行ルートの距離感が判りずらいが日本の北海道から鹿児島まで以上の距離がある。)
(シガナグ=Siganag近くの国道脇の食堂と宿泊施設。シャワーは無く、トイレも駐車場の外れにあった汲み取り式共同トイレ。トイレにはドアは無い。)
(首都アスタナの高さ105mバイテック・タワー。球状の展望台は人気があり、入場者は長蛇の列で待たなくてはならない。)
(超モダンな建物が多い首都アスタナ)
(地方都市バルカッシュ=Balkashの住宅街道路は未舗装のままだった。)
(地方都市バルカッシュの中心部のスーパーマーケット)
(地方都市エシル=Esilはロシア系のカザフスタン人が多いような感じの町だった。この時期は雨・曇りが多いため、人通りも少なく寂しそうに見えた。)
(アスタナの国立博物館所蔵の目玉展示品。ゴールドマン=Goldman。BC4世紀から3世紀ごろの17歳~18歳ぐらいの王子のものと思われる金の衣装)
(13世紀のチンギスハン=モンゴル軍襲撃時の絵。アスタナの国立博物館)
(1700年にオランダで出版された世界地図。 アスタナの国立博物館)
(1795年パリで出版されたアジア地図。日本の北海道はまだ知られていなかったようだ。)
(バルガシュ~アスタナへ向かう途中の草原の岩山。オーストラリア中央部のエアーズロックに似ていた。)
(バルガッシュ~アスタナ途中の地下資源の開発現場)
(アスタナが近づくと雨が多いせいか広大な小麦畑が広がっていた。気温も低くなり寒くなってきた。)
(カザフスタン北部には広大な農地がある。 長さ4km以上あった菜の花畑。当方がこれまで見た中で最大級の広さだった。)
(カザフスタン北部の広大な農地=小麦畑の周辺には巨大な穀物倉庫が複数あった。ビルのような形の穀物倉庫は高さが10階以上のビルの以上と巨大だった。)
車両保険はカザフスタン入国時の国境で買うべきだった。
国境から近い最初のカザフスタンの町だったKegenで保険を買う予定だった。
しかしながら、カザフスタン入りした日はカザフスタンの祭日だった。 そのため、保険を扱う業者が休みだった。仕方がないので、 当方はアルマティーで買えば良いだろうと安易に考えた。
アルマティーには保険会社はあるが、バイク保険を扱っていなかったり、そもそも保険会社の場所をしらべてもその場所にはなかったりと、なかなか業者まで行きつかない。
最終的に保険が買えたのは、アルマティー市内の大学の総務部だった。 たぶん学生とか職員のために、保険加入の事務手続きを行っているのだろう。当方は大学関係者の善意でオートバイの保険加入の手続きを行ってもらった。
(オートバイの保険を購入したアルマティー市内のカスピアン大学)
草原の怪奇現象
当方が、アルマティーからシガナグ(Siganag)へ向かっている途中、数キロメートル前方の道路付近で雲が地面から湧き上がっているように見え、分厚い雲に覆われている。
どのタイミング雨具を着込むべきか考えながら、反対側から向かってくる(対向車)のウインドシールに雨粒がついているかどうかチェックしながら、その先へ向かった。 反対側から向かってくる車は雨で濡れていないが,
目前に暗雲が迫っている。
道路わきに少し停車して、目前の状況をよく見ると、地面から雲が湧き出るように見えた現象は、激しい砂嵐だった。
その砂嵐が移動しながら当方へ迫ってきて、周辺が地上から舞い上がった砂でよく見えない。風も強烈で30分ぐらい続いたが、その間当方はスピードを落として走行し続けた。
停止すると、強風でオートバイと一緒に倒されると思ったからだ。 強風でオートバイは5m(一車線分)位は右へ、左へと揺れ動いた。怖かった。
(地上から雲が沸き上がっているように見えた砂嵐)
超フレンドリーなカザフのオートバイライダー達
このルートを走行中に2回オートバイライダー達と遭遇した。
一人はアスタナへ向かう途中、当方を抜き去ったホンダ製のチョーパー型大型バイクのライダーだった。
そのライダーは前方の休憩所て当方に手を振りながら<止まってくれ>の合図をする。
当方は、高速で走行しているので、直ぐに停止できず、Uターンしてそのカザフライダーのもとへ行き停止した。
英語を交えて話すが、そんなに多くのコミュニケーションは取れない。写真を一緒取り合った後、一緒に高速道路を先へと進む。 しばらく走行後、アスタナ手前休憩所で別れたが、その際、当方へ<受け取ってほしい>とカザフスタンのチェコレート3つと清涼ドリンクを当方に差し出して来た。
当方はそこまでしなくてもいいのにと半分思いながらも、有難く受け取った。
2回目はアスタナからロシア国境手前のカラバリック(Karablik)を目指していた路上だった。
暗雲が前方に迫ってきたので、当方が雨具を着込んでいる時、ホンダ製アフリカツイン(大型アドベンチャーバイク)に跨るロシア系カザフ人が当方へのところで停止した。
そのライダーの兄弟がシムケントで日本人のオートバイライダーを見かけたと言って当方に挨拶してきた。
当方は、当方をシムケントで見かけたと思い、1カ月前のシムケントでの出来事を思い起こしたが、記憶にない。
雨の中を二人で一緒に走り出した。 ライダー同士は一緒に走行することで、連帯感が生まれる。
ガソリンスタンドで給油をした際、そのカザフ人ライダーは当方のガソリン代を支払うではないか。
その後、途中のコスタナイ(Kostanai)の町で、同氏の友人ライダーも加わり、一緒にランチを取ろうと誘われる。当方は通常ランチを食べないが、カザフの事情を聞くには良い機会だと思いしゃれたレストランへ同行した。
今度は新たに加わったライダーが<ランチはごちそうする>と言って、当方に払わせない。更に、<自分のガレージでチェーンの洗浄や他のメインテナンスができるので、ぜひガレージに来い>と言う。
当方はその申し出に甘えて、同氏のガレージでチェーンの洗浄をしてもらった。
カザフスタンのオートバイライダーは一期一会を大事にする人達だと思い知った。
ライダーでなくてもカザフスタン人は優しく、親切だったが。
エシル(Esil)というアスタナの次に宿泊した小さな町で当方はホテルを探していた。 Booking.Comも小さな町の宿泊施設はカバーしていない。 Google Mapで目をつけていたホテルへ行ったが、宿泊客は受けていないと言う。 そこにいた中年のカザフ人が、<俺がホテルへ連れて行ってあげる>と言い、自分の車について来いという。
そこで到着したホテルで、交渉までしてくれる。
(アスタナへ向かう途中で会ったカザフ人のライダー)
(前方では雨が降り出している。 カザフスタン北部では雨のおかげで広大な農地が広がる。常時動いている雨雲は
広大な農地の灌漑システムの役割を果たしている。)
(コスタナイでランチ後に集まってきた人たちも交じって写真を撮る。ガソリン代をおごってくれたアフリカツインのライダーとアナトリー=Anatoliy(当方左側)とランチをご馳走してくれたザニック=Zhanik氏(当方右側)
(当方のオートバイのチェーンを洗浄してくれたザニック=Zhanik氏。トヨタ自動車のコスタナイ工場で勤務した経験がある。同氏はカザフスタンの重量挙げの元チャンピオンで重量挙げ550㎏の記録を持つ。 当方のオートバイを荷物を載せたまま=約250㎏を上り坂道でも容易に扱っていた。)
議論好きなあるカザフ人学者
アスタナのホステルに英語を話す議論好きな中年のカザフ人がいた。
カザフ国会の委員会で微生物学の専門家として農地を如何に肥沃させるべきかの検討会に招かれていると自己紹介をした。
その同氏が、当方が日本人と知ると<何故日本人は大家族制度を捨てたのか>と議論も持ち込んできた。
確かに第二次大戦前の日本の農村では兄弟姉妹が多く2世代、3世代が同居する大家族が普通だった。
当方がその当時の時代背景(高い幼児死亡率、子供が労働力になる等)がそのような大家族制度を支えた要因であり、合理性があったと説明しても聞く耳を持たない。同学者は一方的に誤った認識に基づき持論を展開するのみだった。 当方はあきれて、聞く耳を持たない人と議論をしても意味がないと同氏の相手をするのを止めた。
すると同氏は今度は同じイスラム教徒であるモロッコ人に民主主義について議論を持ち込んだ。同氏の認識は<民主主義はろくなものではない。 選挙の際にお金で票を買っているだけだ。 独裁の方がスピーディーに物事を決められて優れている。>と独裁政治を評価するのではないか。
結局二人の議論は平行線のままで終始して、最後にはモロッコ人が怒って席を立って終った。
カラバリック(Karabalik)~ロシア国境通過してロシア入り~トロイトスク(Troitsk)~チェリアビンスク(Cheliyabinsk)~ウファ(Ufa)
国境越えには事前の準備が必要だ。
新たに入る国で車両保険は買えるか? 国境で両替は出来るか?等。
カラバリック(Karabalik)はカザフスタン最後の町というより集落だった。 国境越えする人たちやロシアから入国した人たちが立ち寄るところだ。
道路沿いに保険業者、両替商、食堂、小型スーパーマーケットや宿泊施設がある複合施設があった。カラバリック・キャンピングだ。 当方はこの複合施設にある保険業者でロシアの車両保険を購入した。更に使い切れなかったカザフスタン通貨をロシア通貨へ両替して、この複合施設のホテルに宿泊した。
カラバリックからロシアとの国境まで45kmしかないので、1時間もかからない。
(カラバリック=Karabalikの複合施設カラバリック・キャンピング)
国境通過手続き
カザフスタンの国境通過手続きは30分と比較的短かった。
それでも、イミグレーション係官は当方の100ページあるパスポートを1ページづつめくって15分から20分かけて当方が過去に出入国した国々を入念に調べた。 こんなに入念に調べる係官は初めてだった。
ロシア入国も1時間程度で済んだが、ロシアの税関では一時輸入許可証についてはなんの言及もなかった。
当方は、そのまま立ち去ることも出来たが、ロシアを出国する際に書類不備で問題にならないように、イミグレーション係官と税関職員に当方オートバイのロシアの一時輸入許可書の作成有無について尋ねた。
複数の外国人ライダーがロシア出国時にロシアの一時輸入許可書が無くて出国に時間を要したり、税関職員に<ロシアに入国した際の国境まで戻って一時輸入許可書を作成して来い>と言われたことを聞いていた。
このロシア国境の現場では一時輸入許可書に関する手続きは一切知らないとのことだった。 国境税関が属するトロイトツク(Troitsk)の税関本部で相談してほしいと言われたので当方はそれに従った。
トロイトツクは国境から20km入った小さな町だった。町外れの税関本部でも一時輸入許可書のことは関知しないようだった。 数名の税関職員と議論をして次のことが分かった。
1.
この国境のロシア税関はカザフスタン、キルギスタン等中央アジア諸国から来た人々が通過するため、この国境では外国車両の一時輸入許可書を作成しない。
2.
ロシア入国前のカザフスタンやキルギスタン等で既に一時輸入許可書が作成され、それらの書類がロシアでも有効だと言う。
当方はキルギスタンー>カザフスタンー>ロシアの順に国境を通過してきた。そして、キルギスへ入国した際の1カ月有効の一時輸入許可書を持っていた。 この三ヶ国は関税同盟を結んでいるので、ロシアでは一時輸入許可書を作成する必要がないというのだ。
3.
ロシア出国時にキルギスの一時輸入許可書を税関で見せればよいと言う。
ただし、キルギスで作成した書類の失効期限が迫っているので延長手続きを取る必要があると言う。
その手続きに3時間かかる。
ロシアは法律や規則が多い国だ。法律や規則を実務的に執行する際には、建前と実務に矛盾があってはならないので、解釈が難しい手続きには時間がかかることを当方は会社員時代のモスクワ駐在時に経験していた。
当方の相談が稀なケースだったから、税関本部と言えども結論を出すのに時間がかかったのだろうと理解した。
(キルギス入国時に税関で作成したオートバイの一時輸入許可書。ー朱色の押印部分がトロイトツク=Troitsk税関本部で期限を延長した箇所)
急激の気候の変化で風邪を引き体調を崩す。
既にアスタナから涼しいと感じていた。雨が多くなって、連日雨が降る。 カザフスタン北部は緑あふれる広大な農地が控えている。
ロシアに入ると雨の量が多くなった。連日の雨で、気温も10℃台と寒い。この変化に体がついていけず、ウファ(Ufa)で風邪の症状がでた。 静養が必要だ。
(ロシアの農地や平原には森や林が必ず見える。カザフの草原とは違う。)
以上