この間、友達から

 

。―地球の運動について―』

 

という漫画を借りて読みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時代は15世紀のヨーロッパ。

 

 

 

 

 

「地球やその他の惑星が太陽の周りを回っている」

という『地動説』を信じている人たち

 

 

 

「地球は宇宙の中心にあって

その地球の周りを太陽や月が回っている」

という『天動説』を信じている権力者から迫害を受けながらも

 

 

 

地動説への探求をやめず、広めていこうとする物語です。

 

 

 

 

 

鈴木宏幸@人生コンサルタントの

自己紹介は<こちら

 

 

 

 

 

で、地動説は

今の僕たちにとって常識なんですけど。

 

 

 

 

 

漫画の中で、迫害を続けてきた

天動説を信じる権力者側の悪役が

結局は天動説が間違っていたことに気づき

 

 

 

最後には

その悪役は自分のしてきたことに対して

 

 

無意味さ

 

 

を感じて死を迎えるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、確かに

無意味さを感じるのも分かりますよね。

 

 

 

 

 

 

今まで自分が信じていたものが

じつは間違っていて

 

 

しかもそのせいで

やばいぐらい迫害し続けてきて

 

 

 

 

今まで自分のしてきたことは

何だったんだ!

 

 

 

 

ってなりますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど

僕は全巻最後まで読んで思ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

「そもそも天動説があったから

地動説が生まれたんじゃないか?」って。

 

 

 

 

 

 

もう少しいうと

 

 

 

15世紀に天動説が存在して

それを信じた人たちがいたおかげで

 

 

天動説に疑問を持つ人が現れて

地動説が生まれたと思うんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

で、僕たちも

 

 

 

何かをして

思ったような結果にならなかったり

 

 

最初から間違ったことして徒労感を感じたり

 

 

 

やったことに対して

無意味に感じることがあるじゃないですか?

 

 

 

 

 

そして、時には落ち込むこともありますよね?

 

 

 

 

 

 

だけど、さっきの漫画のように

無意味に感じることがあっても

 

 

 

それがキッカケになったり、

経験になったり、知恵になったりと

何か生まれたり得られるものがあるわけですからね。

 

 

 

 

 

僕たちのすることに

無意味なことなんて一つもないんですよ。

 

 

 

 

 

 

だから

自分のしたことに無意味さを感じた時は

 

 

 

『そこから学べることは何だろう?』

 

 

 

と視点を持って

無意味に感じたことを捉えてみるといいかも。

 

 

 

 

 

 

そしたら、それが糧となって

人生がより良いものになっていくと思いますよ^^

 

 

 

 

 

鈴木宏幸