普通人の映画体験―虚心な出会い -5ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年10月29日(火)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、18:00~鑑賞。

「エイス・グレード 」

作品データ
原題 EIGHTH GRADE
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 トランスフォーマー
上映時間 93分


『レディバード』の製作陣と『ムーンライト』などの気鋭スタジオ「A24」が手掛け、インディペンデント・スピリット賞など数々の映画祭で賞を受賞した青春ドラマ。生まれたときからウェブサイトやSNSが存在する“ジェネレーションZ世代”のティーンたちのリアルな葛藤や恋、家族との関係を描く。『怪盗グルーのミニオン危機一発』で主要キャラクター・アグネスの声を務めたエルシー・フィッシャーが主演を務め、第76回ゴールデングローブ賞の主演女優賞(コメディ/ミュージカル部門)にノミネートされた。YouTuber出身という異色の経歴を持つ人気コメディアンで、『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』などで俳優としても活躍するボー・バーナムが自身の経験をもとに脚本を執筆し、初メガホンを取った。

ストーリー
中学校生活の最後の一週間を迎えたケイラ(エルシー・フィッシャー)は、「学年で最も無口な子」に選ばれてしまう。不器用な自分を変えようと、SNSを駆使してクラスメイトたちと繋がろうとする彼女だったが、いくつもの壁が立ちはだかる。人気者のケネディ(キャサリン・オリヴィエ)は冷たいし、好きな男の子にもどうやってアプローチして良いか分からない。お節介ばかりしてくるシングルファーザーのパパ(ジョシュ・ハミルトン)はウザイし、待ち受ける高校生活も不安でいっぱいだ。中学卒業を前に、憧れの男子や、クラスのイケてる女子たちに近づこうと頑張るが…。

▼予告編

2019年10月23日(木)TOHOシネマズシャンテ(東京都千代田区有楽町1-2-2、JR有楽町駅・日比谷口徒歩5分)で、19:55~ 鑑賞。

「ホテル・ムンバイ」

作品データ
原題 HOTEL MUMBAI
製作年 2018年
製作国 オーストラリア/インド/アメリカ
配給 ギャガ
上映時間 123分


2008年のインド・ムンバイ同時多発テロでテロリストに占拠された歴史ある五つ星ホテルで起きた衝撃の実話を映画化した実録群像サスペンス。テロリスト集団による凄惨な殺戮が繰り返される中、ひとりでも多くの宿泊客を救うために命がけで行動した誇り高きホテルマンたちによる奇跡の脱出劇を緊迫感あふれる筆致で描き出す。出演は『LION/ライオン~5年目のただいま~』のデヴ・パテル、『君の名前で僕を呼んで』のアーミー・ハマー。監督はこれまでも数多くの短編作品を手がけ、本作が長編初監督作となるオーストラリア出身のアンソニー・マラス。

ストーリー
インドの巨大都市ムンバイに、臨月の妻と幼い娘と暮らす青年アルジュン(デヴ・パテル)は、街の象徴でもある五つ星の「タージマハル・パレス・ホテル」の従業員であることに誇りを感じていた。2008年11月26日。この日も、いつも通りのホテルの光景だったが、武装したテロリスト集団がホテルを占拠し、“楽園”は一瞬にして崩壊する。500人以上の宿泊客と従業員を、無慈悲な銃弾が襲う中、テロ殲滅部隊が到着するまでに数日かかるという絶望的な報せが届く。アルジュンら従業員は、「ここが私の家です」とホテルに残り、自らの命を危険にさらしながら宿泊客を救う道を選ぶ。一方、ホテルに宿泊していた、生後間もない娘キャメロンとシッターのサリー(ティルダ・コブハム=ハーヴェイ)を同伴したアメリカ人建築家デヴィッド(アーミー・ハマー)とその妻ザーラ(ナザニン・ボニアデイ)や、ロシア人実業家のワシリ
ー(ジェイソン・アイザックス)らは、それぞれ命がけの決断を迫られることになるが…。

▼予告編

2019年10月23日(木)TOHOシネマズシャンテ(東京都千代田区有楽町1-2-2、JR有楽町駅・日比谷口徒歩5分)で、15:40~ 鑑賞。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

作品データ
原題  Once Upon a Time... in Hollywood
製作年 2019年
製作国 アメリカ
配給 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
上映時間 161分


『パルプ・フィクション』『イングロリアス・バスターズ』のクエンティン・タランティーノ監督が、1969年のハリウッドを舞台に、古き良き60年代アメリカへの“愛”を描いたノスタルジック・エンタテインメント。ハリウッド史上最大の悲劇といわれる“シャロン・テート殺害事件”を背景に、復活を期す落ち目のTV俳優と、長年彼のスタントマンを務めてきた男の友情の行方を、虚実を織り交ぜつつ“郷愁”あふれる筆致で描き出す。主演はこれが初共演となるレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピット。共演にマーゴット・ロビー、アル・パチーノ、ダコタ・ファニング。

ドンッドクロ シャロン・テート殺害事件とは :
シャロン・テート(Sharon Tate、1943/01/24~69/08/09)は、1960年代にテレビの人気シリーズに出演し、18歳のときにイタリア映画『バラバ』(原題:Barabbas、リチャード・フライシャー監督、1961年)でスクリーンデビュー。現在も活躍中の映画監督ロマン・ポランスキー(Roman Polanski、1933~)と、彼の監督作『吸血鬼』(1967年)に出演した縁で、1968年1月20日に結婚する。同年にはブルース・リー監修のもとでアクションにトライした『サイレンサー第4弾/破壊部隊』(原題:The Wrecking Crew、フィル・カールソン監督)が公開。ポランスキーとの第1子妊娠も分かり、私生活、女優としてのキャリアともに順風満帆だった。1969年8月8~9日までは…。
その8月8日の深夜、ロサンゼルス・ハリウッドのシエロ・ドライブ10050番地にあるポランスキー邸の敷地内に、4人の若い男女テックス・ワトソン(Tex Watson、1945~)/スーザン・アトキンス(Susan Atkins、1948~2009)/パトリシア・クレンウィンケル(Patricia Krenwinkel、1947~)/リンダ・カサビアン(Linda Kasabian、1949~)】の影があった。彼らはチャールズ・マンソン(Charles Manson、1934~2017)率いるヒッピーのカルト集団「マンソン・ファミリー」のメンバー。当時ポランスキー監督は仕事でロンドンに出張中で、家(母屋)には妊娠8ヵ月の妻シャロンのほか、夫婦の友人3人【コーヒー財閥フォルガー家の跡取り令嬢アビゲイル・フォルガー(Abigail Folger、1943~69)/アビゲイルの恋人でポーランド人作家ヴォイテク・フライコウスキー(Wojciech Frykowski、1936~69)/映画『シャンプー』のモデルにもなった有名ヘア・スタイリスト、ジェイ・シブリング(Jay Sebring、1933~69)】がいた。
マンソンの命を受けた信者4人は、悪逆無道の限りを尽くす。日付変わって9日未明、まずワトソンがゲストハウスの管理人をたまたま訪ねて来ていた18歳の青年スティーブン・ペアレント(Steven Parent、1951~69)をナイフで傷つけ、22口径の拳銃で射殺。そして、見張り役としてカサビアンを残してワトソン、アトキンス、クレンウィンケルの3人が母屋内へ。やがてシブリング、フォルガー、フライコウスキーの3人を次々に惨殺していった。逃げ惑う彼らを追いかけ回し、ナイフや拳銃で命を奪う。ナイフに刺されることシブリング7回、フォルガー28回、フライコウスキーは51回に及んだ。最後に残ったシャロンは、「赤ちゃんだけは助けて」と涙ながらに哀願したが、アトキンス~Atkins or Watson or both?~に胎児ともども16回刺され、絶命する。アトキンスはシャロンの血を使って壁に「Pig(豚)」と書き殴った。
この猟奇的な惨殺事件の直後、マンソンは今度は自らが指揮に当たった。翌10日未明、先の4人にクレム・グローガン(Clem Grogan、1951~)とレスリー・ヴァン・ホーテン(Leslie Van Houten、1949~)を加えた6人を引き連れて、スーパーマーケット経営者であるレノ・ラビアンカ(Leno LaBianca、1925~69)の邸宅(Location:3301 Waverly Drive, Los Angeles, California)を襲撃。マンソンの殺害命令のもと、ワトソン、クレンウィンケル、ヴァン・ホーテンの3人がレノとその妻ローズマリー・ラビアンカ(Rosemary LaBianca、1929~69)をナイフやフォークなどで滅多刺しにして殺害(ローズマリーの刺し傷は41か所に及ぶ)。クレンウィンケルは夫妻の血で、壁に「Rise(決起せよ)」「Death To Pigs(豚に死を)」、冷蔵庫の扉に「Healter Skelter」※と書き殴った。

マンソンには、歪んだ“ビートルズ”愛が顕著である。「ビートルズよりもビッグになる」という夢を持つ彼は、「ザ・ビートルズ(The Beatles)」と題された2枚組のアルバム、通称「ホワイト・アルバム」の中に“ハルマゲドン”(Armageddon/最終戦争)に向けた予言を読み取ってしまう。このアルバムはビートルズ末期の1968年11月22日にリリースされたオリジナル・アルバム(30曲入り、総収録時間約94分)で、レゲエ、フォークソング、子守歌など、果ては前衛音楽に至るまで多種多様な楽曲が収録されている。中でもマンソンが最も注目したのが、ポール・マッカートニー作詞・作曲の「ヘルター・スケルター」。この楽曲から啓示を受けた彼は、白人と黒人のハルマゲドンを“ヘルター・スケルター”と呼び、砂漠に疑似生活共同体「ファミリー」だけで隠れ住むよう信者に説いていた。ちなみに、ラビアンカ邸に書かれた血文字「Healter Skelter」の綴りは間違いで、正しくは「Helter Skelter」。

一連の事件~Sharon Tate–LaBianca murders~は、あまりの凄惨さに大きな注目を集め、世界中を震撼させた ガーン
若者たちを凶行に走らせたチャールズ・マンソンとは、一体何者なのか。彼は米オハイオ州シンシナティで娼婦の私生児として生まれ、孤児院で育った後に犯罪に手を染め、人生の大半を服役していた。34歳のとき、そのカリスマ性と幻覚剤LSDを用い、若い男女を洗脳。自らをキリストの復活、悪魔とも称してカルト・クレイジー集団を結成していく…。マンソンは1969年12月にシャロン殺害の実行犯と共に、殺人を教唆したとして逮捕され、71年4月に死刑判決を受けた。しかし、72年にカリフォルニア州が死刑を一時廃止したために終身刑に減刑となり、以来州内の刑務所などに服役し、2017年11月19日に同州ベイカーズフィールドの病院で死去した(83歳没)。
なぜ、シャロンが標的になったのか。動機は諸説ある。誇大妄想に囚われたマンソンは、まもなく黒人と白人の“人種間の最終戦争”が起こると信じており、ブラック・パンサー党などの黒人過激派の仕業に見せかけた無差別殺人を行なうことで、そのプロセスを加速させようと考えた。事実、ラビアンカ夫妻殺人の際には、現場に黒人の過激派的ポーズを取り繕う痕跡があった。一方、マンソン一味にとって用事があったのは、シャロンが移り住む前にそこに住んでいた音楽プロデューサーのテリー・メルチャー(Terry Melcher、1942~2008)だったという説もある。いずれにせよ、犯行はシャロンとは全く関係ない身勝手な妄想に駆り立てられたものだった―。

叫び cf. 5人(妊娠8か月の胎児を含めば6人)の犠牲者が出た“事件”直後のポランスキー邸
ポランスキー邸

流れ星 cf. Sharon Tate - Forever Young


ストーリー
1969年2月8日、ハリウッド。かつてテレビ西部劇「賞金稼ぎの掟」で名を馳せた中堅俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、今ではドラマの悪役やゲスト出演といった単発の仕事で食いつないでいた。相棒のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)は、長年リックのスタントマンを務めてきた親友だが、今や彼にスタントの仕事を回してやる余裕もない。映画プロデューサーのシュワーズ(アル・パチーノ)からは「イタリア製の西部劇に出てみないか?」と誘いを受けるも、リックは都落ちのような仕事はしたくないと渋る。そんな友人を黙って見守るクリフ。彼もまたTVドラマ「グリーン・ホーネット」の撮影現場で出演者のブルース・リー(マイク・モー)と揉め事を起こして以来、仕事を干され気味だった。
シエロ・ドライブにあるリックの自宅の隣には、先頃『ローズマリーの赤ちゃん』を大ヒットさせた売れっ子監督ロマン・ポランスキー(ラファル・ザビエルチャ)と、その妻である女優シャロン・テート(マーゴット・ロビー)が住んでいる。シャロンは愛する夫と友人たちに恵まれ、まさに幸福の絶頂。夫が仕事でいないときは、元恋人で美容師のジェイ・シブリング(エミール・ハーシュ)がいつも付き添っていてくれる。映画と音楽とファッションに囲まれた、華やかで穏やかな日々。少し前までは、リックもそんな暮らしを享受するセレブの一人だったのだが…。
翌朝、リックはクリフの運転で撮影所に向かう。若手俳優ジェームズ・ステイシー(ティモシー・オリファント)が主演するTV西部劇「対決ランサー牧場」のパイロット版で、悪役に起用されたのだ。準備万端、セリフもしっかり暗記したはずなのに、前夜に酒を飲みすぎたおかげでコンディションは最悪。自己嫌悪に苛まれながら、セットで出会った利発そうな子役の少女トル―ディ(ジュリア・バターズ)に話しかけたリックは、そこで思わず感情が堰を切って溢れてしまう。芝居への情熱と将来性に溢れた若き才能と、すべてのチャンスを棒に振った落ち目の中年俳優。もはや彼には、あとがなかった。
その頃、暇を持て余して町をドライブしていたクリフは、以前見かけたヒッチハイカーのヒッピー少女、プッシーキャット(マーガレット・クアリー)と再会。彼女が仲間と暮らしているというスパーン映画牧場まで送り届けることに。そこはクリフにとっても馴染み深い撮影地の一つだった。怪しい予感を覚えながら牧場に辿り着くと、そこにはチャーリーことチャールズ・マンソン(デイモン・ヘリマン)という男を信奉するヒッピーの集団がいた…。
一方、シャロンはひとり気ままに休日を過ごしていた。ウエストウッドの映画館で、たまたま自分の出演作『サイレンサー第4弾/破壊部隊』が上映されているのを目にした彼女は、思わず劇場の受付係に申し出る。「わたし、この映画に出ているんだけど、観ていっていいかしら?」
シエロ・ドライブに運命の日【1969年8月8日夜~9日未明】が訪れるまで、あと6か月…。

▼予告編



ENDING SCENES




≪クリフが愛犬のブランディの散歩に出た後、リックがフローズン・マルガリータを作ろうとキッチンに立った頃、4人の男女~ワトソン(オースティン・バトラー)/アトキンス(マイキー・マディソン)/クレンウィンケル(マディセン・ベイティ)/カサビアン(マヤ・ホーク)~を乗せた1台の車がシエロ・ドライブ(Cielo Drive)に現われた。自邸の前に停車した車のエンジン音に苛立ったリックは4人を恫喝し、その勢いに気圧された4人は足早にその場を後にした。マンソンからの命令により旧テリー・メルチャー邸に住む人物(即ちシャロンら)の殺害を企てていた4人だったが、自分たちを恫喝した人物がリック・ダルトンであることに気づくと、「リック・ダルトンのような殺人を演じた西部劇スターこそが自分たちに殺人を教え込んだ張本人である」、「殺しを教えた野郎を殺そう」と標的をリックに変更する。この後、運転手と見張り役を任されたカサビアンが犯行途中で恐れをなして逃亡するも、ワトソン、アトキンス、クレンウィンケルの3人がリック邸に押し入ると、ちょうど散歩から帰宅したクリフとブランディが彼らを迎えた。ファミリーのリーダー格の男ワトソンはクリフに銃を向け、奥の部屋で寝入っていたリックの妻フランチェスカ・カプッチ(ロレンツァ・イッツォ)もナイフを突きつけられる。しかし、クリフがブランディに対して食事の合図を出すと、ブランディはワトソンの腕に噛みつき、クリフも怯んだファミリーの3人を容赦なく袋叩きにする。一人プールでマルガリータと音楽を楽しんでいたリックは、クリフとブランディから攻撃を受け半狂乱になったアトキンスが突如プールに飛び込んできて一瞬怯むが、過去の出演作で使用した小道具の火炎放射器(flamethrower)でプール一面を焼き払った。やがて警察と救急隊が駆けつけ、ファミリーの遺体3体と負傷したクリフを搬送、リックとフランチェスカは事情聴取を受ける。クリフを見送り、その場に佇むリック。そこへ(隣するポランスキー邸から)、騒ぎを聞きつけたジェイ・シブリングがリックに声をかける。シャロンもインターフォンを通し、リックの身を案じ、お酒でくつろぐよう自宅へ招待する。出迎えたフライコウスキー(コスタ・ローニン)、フォルガー(サマンサ・ロビンソン)、そしてお腹の大きなシャロンは、リックを温かく招き入れるのであった。≫

▼ Roundtable:Quentin Tarantino, Margot Robbie, Leonardo DiCaprio and Brad Pitt



私感
結論を言えば、唖然とさせる映画である。ある意味で、バカバカしくも愚かしい映画だ。
そこでは、“シャロン・テート殺害事件”の歴史的実在性もヘッタクレもあるものか、といった案配!クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino、1963~)の極めてパーソナルな~主観的な思い・独断・妄想に満ちた~作品だ。
タランティーノは1990年代前半、入り組んだプロットと犯罪と暴力の姿を描いた作品で一躍脚光を浴びた。私はこれまでに、彼の監督作全てを鑑賞してきた。
1992年『レザボア・ドッグス』→94年『パルプ・フィクション』→97年『ジャッキー・ブラウン』→2003年『キル・ビル Vol.1』→04年『キル・ビル Vol.2』→07年『デス・プルーフ in グラインドハウス』→09年『イングロリアス・バスターズ』→12年『ジャンゴ 繋がれざる者』→15年『ヘイトフル・エイト』、そして9本目の映画となる本作(cf. 本ブログ〈June 30, 2016〉)。
彼は以前から、「10作品撮ったら引退する」と公言しているが、これは自らの映画の賞味期限性を篤と弁えた上での発言なのだろう―。
そもそも“破調”をもってする彼の映画作りは、常識破りの過剰にして過大な表現が特徴的。地道に歴史的・社会的な現実に肉薄し、その、あるがままの現実を総体的に再構成する想像力がからきし弱い。そこでは、とかく奇抜な趣向を凝らした極私的グラフィティーが勝手気ままに描かれる~ex.「どうでも良い話なのに、聞いていてマア何やらオモシロイ」という絶妙な“無駄話”の演出に定評あり!~。

スペード “シャロン・テート殺害事件”とは、どのような歴史的・社会的な事件なのか。
1960年代後半のアメリカは端的に言って、“カオス”だった。終結の見えない泥沼化したベトナム戦争(1955~75年)、公民権運動、ウーマンリブ運動など…物情騒然として様々なことが引きも切らず起こっていた。
そんな中、ベトナム反戦運動は盛んになっていき、それとともにヒッピー文化が若者たちの中で急速に浸透。この波はサンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区(Haight Ashbury)を中心に全米中に広がっていく。大麻やLSDは街に溢れかえり、グレイトフル・デッド(Grateful Dead)、ジェファーソン・エアプレイン(Jefferson Airplane)などサイケデリック・ロックバンドのコンサートには一文無しの若きヒッピーたちが押し寄せ踊り狂っていた。彼らは安心してセックスとドラッグを堪能できるコミューンと大規模なロックコンサートを求めてヒッチハイクで街から街へ、そして社会を嘲笑することに夢中になっていた。
その頃、何度目かの刑務所生活を終えた身長157センチの小柄な男が、ギターだけを手にヒッピーだらけのヘイト・アシュベリーに降り立った。チャールズ・ミルズ・マンソン(Charles Milles Manson)その人である。
愛に恵まれない出自の彼マンソンは、幼い頃からチンケな犯罪を繰り返し、施設を出たり入ったり。1967年の仮釈放の時点で人生の半分以上を施設、あるいは刑務所で過ごしてきた。それなりに凄みや神秘性を漂わせていたのだろうか!?長く伸ばしまくった髪と髭、それから刑務所で習ったギターで、モノホンのヒッピー・ミュージシャン降臨!といった風情で路上に立った。そして、自らをキリストの生まれ変わりと称し、パッチワーク的なアシッド・フォークとドラッグ&フリーセックスで、すぐさま若い奔放な家出少女たちをモノにする。また、その取り巻きの女性たちを使って男たちをも魅了する。結局、青年男女のコンプレックスに付け入る驚くほどイージーな説教で信奉者を集め、「ファミリー」~いわゆる「マンソン・ファミリー」というヒッピーカルト集団(コミューン)~を主導するにいたった―。

マンソンは当時大人気だったビートルズを超える偉大なミュージシャンとなり、世界に自分のメッセージを伝えようと目論んでいたが、その夢が叶わず、ハリウッドの高級住宅地に住むエンタメ業界の勝ち組たちに歪んだ憎悪を抱くように。そして、「スパーン映画牧場」というさびれたロケ地に居を構えていたマンソン・ファミリーは、1969年8月9日、事件を起こす。女優シャロン・テートがそこに住んでいると知らず、「犠牲者(金持ち)なら誰でもいい」と彼女の自宅に侵入したファミリーのメンバー4人は、妊娠8か月だった26歳のシャロンやその場にいた人物計5名を、残虐な手口で殺害したのだった―。

クラブ シャロン・テート惨殺事件は私の自分史上、リアルに思い浮かぶ事件の一つである。当時の私は、長期化・深刻化するベトナム戦争に対する学生の反戦運動の渦中に身を置いていた。ベトナム戦争が激化した1960年代の後半になってアメリカを始め、世界各国で反戦運動が高揚していくが、日本でもその反戦運動の波が全国の大学に押し寄せる中、大学改革⇒社会改革を求める「スチューデント・パワー」~「怒れる若者たち」の「異議申し立て」~の嵐が吹き荒れた。ベトナム戦争/反戦状況下の“カオス”を端的に物語る社会的事件として、シャロン・テート事件を、今なお私は忘れられない※。

ベトナム戦争/反戦状況との絡みで言えば、シャロン・テート事件のほかに、次の二つの事件もまた、学生時代の私の存在を大きく揺さぶった。
⑴ 1967年4月28日、プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ(Muhammad Ali、旧名カシアス・クレイ〈Cassius Clay〉、1942~2016)は、米テキサス州ヒューストン徴兵局による陸軍入隊命令を拒否した。アリいわく、「黒人の徴兵率は30%。白人は10%。なぜだ?何の罪も恨みも憎しみもないべトコン(南ベトナム解放民族戦線)に、銃を向ける理由はない。黒人が戦うべき本当の敵はベトコンじゃない。日本人や中国人でもない。300年以上も黒人を奴隷として虐げ、不当に搾取し続けたお前たち白人だ!」 彼はその“良心的兵役拒否(conscientious objection)”(宗教の信条や政治的、哲学的な背景に基づく兵役拒否)により、まずニューヨーク州のボクシング・コミッションによってライセンスが停止され、それを受けて世界ボクシング協会(WBA)からタイトルも剥奪される。事実上のボクシング界からの追放であった。同年6月にはヒューストン連邦地区裁判所より、「禁固5年、罰金1万ドル」の判決が下された。これを不服とするアリは、以後も裁判闘争を続け、ベトナム反戦や黒人解放運動の象徴的存在となった。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、「恐怖と弾圧に屈しないと決意したすべての人々の覚醒された意識。君はその象徴である。私は全身全霊を傾けて君を支持する」と激励の手紙を彼に送っている。米最高裁が彼に対する実刑判決を破棄したのは71年6月のこと。毅然として戦争に反対し、国家に勝利したアリ。70年代の彼は、まさに全世界の大衆にとっての「自由の象徴」としてボクシングの枠を超えた「グレイテスト・チャンピオン・オブ・ザ・ワールド/世界で最も偉大な男」となった。
⑵ 1967年11月11日午後5時50分頃、日本のエスペランティストで平和運動家の由比忠之進(ゆい・ちゅうのしん、1894~1967)は、首相官邸前の路上で、ガソリンをかぶって焼身自殺を図った(翌日、死亡)。彼の携行していた鞄の中には、翌12日に訪米する予定の佐藤栄作首相に宛てた「抗議書」(罫紙3枚半=約4000字)があった。それは、世界に先駆けてアメリカの北爆(北ベトナム爆撃)支持を表明し、沖縄・小笠原の施政権返還に弱腰の首相に対する、死をもっての抗議にほかならなかった。由比いわく、「ベトナムの問題については、米国の北爆拡大に対する非難の声が今や革新陣営だけでなく、国連総会においてもスウェーデン、オランダ、カナダからさえ反対意見が出ているにもかかわらず、首相はあえて南ベトナム訪問を強行したのみでなく、オーストラリアでは北爆支持を世界に向かって公言された。毎日毎日、新聞や雑誌に掲載される悲惨きわまる南北ベトナム庶民の姿。いま米軍の使用している新しい兵器の残虐さは原水爆のそれにも劣らない。ダムダム弾は国際条約によって禁止されているが、それよりもはるかに有力で残忍きわまるボール弾を発明し実戦に使用、大量殺戮を強行することはとうてい人間の心を持つ者のなし得るところではないのである。」「ベトナム民衆の困苦を救う道は、北爆を米国がまず無条件に停止するほかない。ジョンソン大統領と米国に圧力をかける力を持っているのはアジアでは日本だけなのに、圧力をかけるどころか北爆を支持する首相に深い憤りを覚える。」「真の世界平和とベトナム問題の早期解決を念願する人々が私の死を無駄にしないことを確信する。」
日本では国家権力に抗議しての焼身自殺は、由比が初めてとされる。その身を殺して伝をなす凄惨な死は、日本中に大きな衝撃を与えたが、彼が絶命した直後、佐藤首相を乗せたジェット機はアメリカへ向けて飛び立った。時の佐藤栄作は、まさに実兄・岸信介の盲目的対米追随路線を受け継いで、ベトナム侵略戦争を全面的に支持し、政治/経済/軍事全ての面で米国を無条件に支えていくことを公言してはばからないのだった(ちなみに、岸信介は現首相・安倍晋三の母方の祖父に当たる人。彼は知る人ぞ知る、東條英機内閣の太平洋戦争開戦時の商工大臣で、極東国際軍事裁判におけるA級戦犯被疑者)。


ダイヤ 本作ラスト13分では、「シャロン・テート事件」の枠組みが一応扱われてはいる。しかし、それは事実~歴史的現実~とは、まるで違っていた。結論を言うと、シャロン⇒マーゴット・ロビーは殺されることなく、また史実にあった他の友人たちも殺されず、カルト集団「マンソン・ファミリー」の3人衆~ワトソン/アトキンス/クレンウィンケル~は、何とクリフ/ブランディ/リック/フランチェスカによって、完膚なきまでにボコボコにされ血祭りにあげられてしまう。
特にアトキンスのやられっぷりの凄まじきこと!クリフにドッグフードの缶詰をどんと顔面にぶつけられ(鼻折れ前歯欠け顔中血だらけ)、ピットブル犬のブランディに全身さんざん噛み付かれる。そして、パニックのあまり窓ガラスを突き破って庭へ飛び出し→プールにざぶんと落下して手にした銃を宙に乱射し→水をバシャバシャ撥(は)ねて、悲鳴に似た叫び声をあげて…。当初、一人プールに浮かぶエアーベッドに仰臥し、優雅にマルガリータを飲みながらヘッドホンを耳に当て音楽を聴いていたリック。アトキンスの狂乱の態(阿波踊り!?)に気がついてビックリ仰天、ひるんで浮き足立つが、すぐに気を奮い立たせて、手早く倉庫から“火炎放射器”を持ち出し、紅蓮の炎を煽って、“狂女”を燃やし尽くす。プールの水面に浮上する黒焦げの死体…。

要するに、本作では「シャロン・テート殺害事件」は起こらず、シャロンは輝けるスターのままでい続ける。タランティーノ監督があえて史実を曲げてみせたのは、シャロンをフィクション~甘いハッピーエンド~の形で救ってあげたいという思いからなのだろう。これは、タランティーノ自身が幼少期を過ごした1960年代のハリウッド黄金期最後の瞬間に対するノスタルジーに満ちた作品であった。1969年のツァイトガイスト(時代の精神)であるシャロン・テートにもう一度命を与えようとする彼特有のすこぶる個人的な映画であり、そのようなものとして「ワンス・アポン・ア・タイム」つまり「昔むかし…」の御伽噺(おとぎばなし)であった。

作品の出来具合は“現実再構成の想像力”いかんにかかっていると、私は常日頃考えている。この点は本ブログでも度々論及・言及してきた。
cf. 本ブログ〈December 31, 2018〉/本ブログ〈February 15, 2019〉/本ブログ〈February 25, 2017〉/本ブログ〈February 08, 2016〉/本ブログ〈May 27, 2015〉/本ブログ〈February 10, 2018〉
この思想的文脈に即して言えば、本作における「シャロン・テート殺害事件」の扱い方は、典型的な“現実拒否(否定)の空想力”の所産にほかならない。
夜更けにポランスキー邸(旧テリー・メルチャー邸)を襲撃しようとしていたマンソン・ファミリーのメンバーたち。しかし偶然のいたずらか、隣家の主人リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)とイザコザ~私道に勝手に車を停めた迷惑なヒッピー野郎/女郎(めろう)に頭に来たリック、「出ていけ。警察を呼ぶぞ!」と怒鳴り散らす~を起こした後、何とターゲットをポランスキー邸のシャロンら住人から、リック邸のリックら住人に切り替えてしまう。リック・ダルトンがTV西部劇の人気俳優であることに気づいた彼らは、<現代に「殺し」が蔓延しているのは、テレビで役者が次々に人を殺すからだ。殺人に対して感覚が麻痺しているからだ。世界から殺人をなくすために、殺人を平気で演じた役者~つまり自分たちに人殺しを教え込んだ奴ら~を殺してしまえ>という“結論”に達するのだった。

殺人カルト集団が狙う標的がご都合主義も露わに、急に変更された!彼らにとっては、犠牲者は誰でもよかった。詭弁を弄して破れかぶれになって「誰か」を殺すことで「何か」を訴える、ただそれだけのこと―。そこでは必然、ドタバタ暴力的コメディーが演じられる。襲来したヴィランを結果的にクリフとリックらが返り討ちにし勝利するとはいえ、〈殺す-殺される〉の関係性が二転三転しシッチャカメッチャカ、訳が分からないまま、銃がぶっ放され、ナイフが振り回され、したたかに殴り、殴られる。手を食い千切らんばかりにワトソンに噛み付くブランディ、パン生地のごとく壁と言う壁にクレンウィンケルの頭をフルフォースで叩き付けるクリフ、もはや原形を全く留めぬまでにアトキンスをガスバーナーで派手やかに“消し炭”に仕上げるリック。一見して目を背けたくなるほどにゴアリーなシーンが続く一方で、(雌犬)ブランディが(男)ワトソンの急所に噛みつくというようなコメディーならではのシーンもある。問題はその全てが、私にとって余りにも滑稽で何ともバカバカしいこと。全くもって“美しくない”このエンディング(⇒クライマックス)シーンに、私は辟易し、目のやり場に困ったものだった―。

そもそもシャロン・テート殺害事件を映画化するというのは、一体どういうことなのだろうか。映画業界の人間にとっては、“身内”の事件なるがゆえに、宿命的に惹き付けてやまないものがあるのか。だが、マンソン・ファミリーが繰り広げた酸鼻戦慄の状~冷酷を極めるインヒューマン(inhuman)な行為~を描くのは非常に難しい。ここでは、私の主張するところの“現実再構成”の想像力を、いかに駆使することができるだろうか。それが凡俗の輩(やから)の力量に余る難問であることは論を俟(ま)たない。かと言って、現実逃避で、現実拒否の空想力に走り~歴史に縛られた被害者たちの呪いを解くと称して~、惨劇を免れたシャロンらが幸せに生き続ける甘い夢の御伽噺を再現するは、あまりに安易・安直が過ぎよう。

思うに、本作におけるタランティーノの構えの取り方で最大の問題点は、ベトナム戦争という時代ののっぴきならない限界的な政治的・社会的状況を正面切って捉え返すにいたっていないこと―。今でも米政府と米軍のトラウマ、黒歴史になっているベトナム戦争に対する反戦運動から、多くのフォークやロックの名曲や、小説や映画や演劇の名作が誕生したように、この戦争抜きに世界各国のサブカルチャーは語れない。映画の場合、1978年の『ディア・ハンター』(マイケル・チミノ監督)本ブログ〈December 24, 2018〉、79年の『地獄の黙示録』(フランシス・フォード・コッポラ監督)本ブログ〈December 31, 2018〉から2017年の『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(スティーヴン・スピルバーグ監督)まで多数の傑作が生まれている。本作では、ラジオのアナウンサーが米兵10人に対するベトナム人100人単位の戦死者の数を伝える場面があるにはあったが…。根本的な問題は、ラブ&ピースの理想を訴えるヒッピーというカウンターカルチャー・ムーブメントが、何故に、一人の教祖(チャールズ・マンソン)の指示に従って平然と残虐な殺人をしでかす破壊的なカルト教団(マンソン・ファミリー)などというものを生み出すにいたったのか、である。ベトナム戦争という当時のカオス的な大状況をはっきりと見極めることなしに、その問題の核心に迫ることはできない。

ハート 本作のキャスト陣について触れると、私が素直に感情移入できたのは、大変少なかったように思う。一人の子役と一匹の“俳優犬”だけだったか…。
レオナルド・ディカプリオ演じるリック・ダルトンと共演する「トルーディ・フレイザー役」のジュリア・バターズ(Julia Butters、2009~)。彼女はなかなか演技が上手で、可愛かった!
Once Upon a Time in Hollywood

ブラッド・ピット演じるクリフ・ブースの愛犬ブランディ。第72回カンヌ国際映画祭“パルム・ドッグ”賞(優秀な演技を披露した犬に贈られる賞)を受賞した名優犬だけに、ブラピと見事なコンビネーションを見せていました!


それにしても、ブラピ(Brad Pitt、1963~)もディカプリオ(Leonardo DiCaprio、1974~)も、いささか年を食ったようだ。さすがに寄る年波には勝てないか…。
私がブラピの出演作で初めて出会ったのが『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』(エドワード・ズウィック監督、1994年)。遙かなオールド・ウエストを舞台に、愛に素直に生きられない青年と、彼を想い続けた女性の悲しい愛の軌跡を描いた大河ロマン。この快作に惹かれて以来、彼の出演作品のほぼ全作を観続けてきたが、私のブラピへの好感度自体は『リバー・ランズ・スルー・イット』(92年)や『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(97年)あたりをピークにして、年々低下する傾向にある。
また、ディカプリオの場合、私の最初の出会いは、『ギルバート・グレイプ』(ラッセ・ハルストレム監督、1993年)。肉体的・精神的に傷つきやすい家族を守って生きる青年の姿を通して、家族の絆、兄弟の愛憎、青春の痛み、そして未来への希望を描いた心優しきヒューマン・ドラマ。ここで重度の知的障害のある少年アーニー役を演じたディカプリオが、本当の知的障害者と間違えられるほどの名演技を披露!以来、『タイタニック』(1997年)、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)を始め、彼の出演作(日本公開作)をすべて観続けて今日にいたっているが、私の印象度は総体的に悪くはないが、『ギルバート・グレイプ』に比して年々ダウンはすれどアップすることはない―。
2019年10月23日(木)TOHOシネマズシャンテ(東京都千代田区有楽町1-2-2、JR有楽町駅・日比谷口徒歩5分)で、11:50~ 鑑賞。

Entebbe_poster7 Days in Entebbe

作品データ
原題 Entebbe / 7 Days in Entebbe
製作年 2018年
製作国 イギリス/アメリカ
配給 キノフィルムズ
上映時間 107分


「エンテベ空港の7日間」

『エンテベの勝利』(1976年)、『特攻サンダーボルト作戦』(77年)、『サンダーボルト救出作戦』(77年)と、これまでに3度映画化された歴史的なハイジャック事件を、『エリート・スクワッド』のジョゼ・パジーリャ監督が史実を再検証して新たな視点で描いた実録ポリティカルサスペンス。7日間にわたった人質解放交渉と奇跡の救出劇として知られる“サンダーボルト作戦”の全貌を、ハイジャック犯とイスラエル政府それぞれの内部での葛藤と思惑が複雑に交錯する人間ドラマとともに描き出す。W主演となるハイジャック犯役を、『ラッシュ/プライドと友情』のダニエル・ブリュールと、『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイクが演じる。

ストーリー
<1日目/1976年6月27日、日曜日>
イスラエル・テルアビブ発パリ行きのエールフランス139便が、経由地のアテネを飛び立つ。だが、高度に達した直後、その飛行機は重武装した4人のテロリストにハイジャックされる。犯人のうち2名は、パレスチナ解放人民戦線・外部司令部(通称:PFLP-EO)のパレスチナ人メンバー。残り2名は、パレスチナの大義に同調するドイツ極左の過激派グループ“革命細胞”(通称RZ)のメンバー、ヴィルフリード・ボーゼ(ダニエル・ブリュール)と、ブリギッテ・クールマン(ロザムンド・パイク)だった。ボーゼは早々と、操縦室を制圧。機長以外は操縦室を出るよう命令するものの、航空機関士のジャック・ルモワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)は拒絶する。恐怖に怯える乗客たち全員のIDとパスポートを犯人たちが没収するなか、飛行機は南へ方向転換。リビアのベンガジで燃料を補給し、体調不良を訴える自称・妊婦の乗客1人を解放したのち、ウガンダのエンテベ空港へと向かう。
事件の一報がイスラエルの首相イツハク・ラビン(リオル・アシュケナージ)に届いたのは、国防費を巡って国防大臣シモン・ペレス(エディ・マーサン)と攻防を続けていた閣議の最中だった。そっと手渡された1枚のメモの裏に、質問を書き留めるラビン。やがて、乗客239人のうち83人がイスラエル人だと判明する。

<半年前>
ドイツ、フランクフルト。ボーゼがブリギッテとフアン・パブロ(フアン・パブロ・ラバ)に、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のファイズ・ジャベール(オマー・バーデゥニ)を紹介。ハイジャックについての話し合いがもたれた。支持を失い、構成員の多くが獄中にいる彼らは、事件を起こして若者へのアピールを図るとともに、同胞の釈放を求めようとしたのだ。その後、イエメンのPFLP訓練所でウルリケ・マインホフの自殺を知らされたボーゼは、彼女のためにも活動を続けると返答。ウガンダの“異常者”イディ・アミン(ノンソー・アノジー)に命を預けることにフアンは反対するが、ウルリケに罪悪感を抱くブリギッテは、彼の言葉に耳を貸そうとしなかった。

<2日目/1976年6月28日、月曜日>
イスラエルから4000kmも離れた、エンテベ空港へ降り立つ一行。アミン大統領の出迎えを受けた後、空港ビルの旧ターミナルに監禁される。空港で待っていたワディ・ハダド(イハーブ・バウス)は「交渉は任せろ」とボーゼらに言い残し、アミンと去っていく。劣悪な環境下に置かれた乗客の体調を憂慮するルモワーヌは、ボーゼに直訴。ボーゼは環境の改善を約束するとともに、「いずれ俺が正しいと分かる」と答えるのだった。その夜、ドイツ人の人質女性が錯乱状態になる。鎮めようと外へ連れ出したボーゼは、彼女がナチ強制収容所にいたことをその腕からみてとるのだった。
イスラエルでは、ハダドの犯行だろうと断定するペレスに、ラビンが現地への出兵方法を考えるよう指示を出す。

<3日目/1976年6月29日、火曜日>
エンテベ空港では、人質がイスラエル人と非イスラエル人に選別される。イスラエル人を一部屋に集め、爆発物で取り囲むためだ。横暴な“仕分け”に混乱する人質と、「俺はナチじゃない」と憤るボーゼ。そんなボーゼを尻目にブリギッテは、「抵抗すれば撃つ」と機関銃を手に人質を威嚇する。だが、非情に徹するブリギッテもまた、人知れず葛藤と闘っていた。
イスラエルでは、特殊部隊司令部の動きが活発化。しかし首相官邸では、ハイジャック犯との交渉を検討するラビンと、「囚人52名の釈放要求など呑むわけにはいかない」と反発するペレスとの溝は深まるばかりだった。ペレスはアミンが乗っているベンツのリムジンと特殊部隊を輸送機で送り、アミンの振りをして敵に奇襲をかける作戦を進めていく。

<4日目/1976年6月30日、水曜日>
前日にイスラエルの将軍から電話を受けたアミンの提案で、人質の一部、48人が解放される。カメラの前では笑みを湛えて人質を送り出す一方、アミンは残された人質の前で、イスラエル政府が交渉に応じなければ子どもを殺していくと恫喝する。交渉の期限は、翌日に迫っていた。

<5日目/1976年7月1日、木曜日>
朝。水が出なくてトイレが使えないことから、ボーゼの監視下でルモワーヌが給水設備を修理する。「パレスチナ人のためなら人質を殺してもいいのか?」 ルモワーヌの言葉に、ボーゼの心は揺れ動く。
テロリストと交渉しない方針を示してきたイスラエル政府も、態度を軟化。人質家族の姿を目の当たりにしたラビンが、交渉に応じると表明したのだ。イスラエル政府の方針転換を受け、犯人たちは期限を日曜に延長する。だが、その夜、勝利に浮かれるボーゼに対して、ジャベールは厳しい言葉を浴びせていく。同じ頃、ペレスたちは救出作戦の最終確認に入っていた。

<6日目/1976年7月2日、金曜日>
交渉に応じてきたイスラエル政府への善意の証として、人質のフランス人全員が解放されることに。だが、エールフランスの乗員たちは残ることを決意する。帰国する人質に、ルモワーヌは妻への手紙を託す。
指揮官のヨナタン・ネタニヤフ中佐(アンヘル・ボナニ)のもと、救出作戦の演習を行なうイスラエル特殊部隊。夜の闇に紛れて新ターミナルの滑走路に着陸、アミンとその護衛を装ったリムジンで旧ターミナルへ行き、敵を壊滅して人質を輸送機に乗せて戻る作戦だ。承認を待つ隊員のなかには、ダンサーの恋人と暮らすジーヴ・ヒルシュ(ベン・シュネッツァー)の姿もあった。

<7日目/1976年7月3日、土曜日>
イスラエル特殊部隊が、エンテベ空港へと出動。政府が人質救出作戦を承認し、機上の部隊に<サンダーボルト作戦>遂行の命が下る。
空港の新ターミナルでは、憔悴したブリギッテがフアンに電話をかけていた。「これが終わったら、故郷をみつけましょう。どこか平和な場所を」 けれどその声は、最愛の人に届くはずもなかった…。

▼予告編



Deaths, Guns and Shootouts



▼ Featurette



ジョゼ・パジーリャ監督(José Padilha、1967~) インタビューCinemarche-「弱き者の言葉にも耳を傾ける意義はある」-2019/10/05) :
──本作『エンテベ空港の7日間』の冒頭から、ダンスシーンで始まることに度肝を抜かれました。
ジョゼ・パジーリャ監督(以下、ジョゼ):世界的に知られるイスラエルのカンパニー、パットシェバ舞踏団の演目エハッド・ミ・ヨデアです。この踊りを注意深く見ると非常に自虐的な動きがみられます。/ダンスシーンを用いることで、今イスラエルとパレスチナの抗争はお互いに傷つけ合っている。比喩的な形で冒頭にもってくることで、それを示したかったのです。

──ダンスシーンの構想はいつ思いついたんですか?
ジョゼ:実は最初からダンスシーンを生かしたものではなく、映画撮影の終盤になって必要にかられて出てきたアイディアだったのです。/計画された予算内で映画を撮る時間と、資金が底をついてしまった。何か別のアイディアがないかというなかで生まれました。/具体的な襲撃のアクションシーンを大掛かりに撮影するのではなく、比喩的な対立の構図を考えたところ、ポイントとなる配役のひとりにダンサーという役柄を入れることで、予算節約の手段ではあるのだけれど、象徴的であり、必要性があって生まれたアイデアとなったかと今でも考えています。

──ヒッチコック監督の映画『知りすぎていた男』(1956)で、盛り上がりを見せたオーケストラのクライマックスのように、ダンスはサスペンスを盛り上げるのに不可欠であったように思います。
ジョゼ:ダンスを比喩としてもちいたけれど、効果ということを考えると、いくつもの多面的な効果があります。/まず1つは、先ほども触れた、葛藤、紛争という互いが痛みを持っているという構図を表す効果。/そしてもう1つですが、実は第二次世界大戦の時、英国がドイツの爆撃を受けてチャーチル大統領が人々に決断を求められたのです。その時に、戦時下における生活の見直し、劇場を閉鎖するべきではないかという話が持ち上がりました。ですがチャーチル大統領は、こう言ったそうです。「もし、劇場を閉鎖しなければならないのなら、戦争をする理由がない」と。
イスラエルでは兵役が男女に課せられていることなど、軍事的な面がメンタルにおいても市民生活の一部となっています。何かによって軍事的な部分が中断してしまったら、全てが終わってしまう。/空港に襲撃したショットと並行して交互に見せたのは、ダンスのシーンには、軍のアクション・シーンと同等の映像にしても力があると感じたからなのです。

──43年前のハイジャック事件に興味を持ったきっかけは何ですか?
ジョゼ:43年経った今でも、イスラエルとパレスチナの紛争は未だに続いており、平和的解決にいたっていません。/特にイスラエルは、ガザ地区でのパレスチナ難民の扱いなどについて、国際的な批判を浴びています。一方のパレスチナの政府も平和にむけての解決策を提示できていません。/なぜ、こんなに長引いているか。2国間の問題ではなく、アメリカをはじめとする世界全体の、いわば国際社会の問題ともいえるのです。/あのハイジャック事件以降、それぞれの国の情勢は変化しているのですが、抗争状態にあることは変わっていません。それを捉えたかったのです。

──本作の経緯のなかで、執筆を担当したグレゴリー・パークとはどのように脚本を形作っていったのでしょうか?
ジョゼ:イギリスの映画会社によってこの映画のプロジェクトが発足し、グレゴリー・バークに脚本の依頼がありました。のちに私のもとに監督の依頼がきて、グレゴリーらグループに参画して作り上げていきました。

──映画のストーリーは、「人質とハイジャック犯の関係」と「イスラエル政府内部のペレスとラビンの討論」という二つの視点を軸に進んでいきます。こういったアイディアもグループ内の話し合いのなかで作られていったのですか?
ジョゼ:最初は大規模なアクションシーンがありました。イスラエルの政府のことや人質の立場からのシーンも描かれていました。その後、先ほど述べた理由からダンスのシーンが加わりました。それに関しては私のアイディアです。

──このハイジャック事件はすでに何度も映画化されていますが、今回同一の題材を扱う中で過去作を意識したり、気をつけたことはありますか?
ジョゼ:かつて作られた映画は、救出作戦を指揮したヨナタン・ネタニヤフ(1946~76/07/04-引用者)がヒーローとして描かれるものでした。そこには、彼をヒーローとして描くことでイメージが作られ、政治的に利用されてきたという現実があります。/現在のベンヤミン・ネタニヤフ首相は兄・ヨナタンを亡くしたからこそ政治家になったことや、イスラエルの右翼らによって、首相の兄が亡くなったことを軍事的に利用されている側面があります。/また当時のヨナタンは、実際のこの作戦では遅れて参加するなど、これまでの作品で描かれていた事実とは異なる面があります。/そこで、今回は当時のラビン首相とペレス国務大臣の確執に焦点をあてました。つまり、交渉するか否か、という点です。
一般的には、“テロリスト”とされた者たちと交渉をすると「弱腰」とみられ、市民からの人気が落ちてしまいます。/民衆からの人気取りを意識しつつも、パレスチナ側で交渉する直接の相手がいないなかで、交渉するのか、それとも交渉しないのか。本作における政府の描き方はこれまでになかったものだと言えます。

──ジョゼ監督は映画制作に際し、どのような取材をしましたか?また印象に残ったことはありますか?
ジョゼ:多くの人質、ヨナタンと一緒にいた多くの兵士、人質を誤って撃ってしまった兵士や作戦の指示を出した担当者、パイロット、ラビン首相の最側近、ラビン首相の息子にも話を聞きました。/とにかく多くの人に聞き取り取材を行い、できる限り正確な情報を集めました。/そのなかで兵士の一人だったメラット・マカルが、人質を助けた点においてこの作戦は成功し、祝う気持ちにもなった。しかし「司令官であるヨナタンを喪った」という事実は、心の傷として残っている、と言っていたのは印象に残っています。/またテロリストであるボーゼと、対話をもって関係性を築こうと試みた人質の方の取材では、非常に多くの共感を受け取りました。/ハイジャッカーではあるけれど彼らの心情を理解したい、対話をもちたいという気持ちは、まさに私の映画でしたかったことなのです。/ただ“テロリスト”といってしまうと、その者は非人間と化してしまう。映画監督して私がやるべきなのは「どういった経緯でテロリストになったのか」を描くことであり、“テロリスト”とされた者たちに声を与え、その心情を探りたかったんです。/しかし、そういった描き方は、多くの人に怒りをもたらした。だが私としては、そういったテロリストになっていく道筋を理解せずに、テロ行為を止めることができるのか、という気持ちがありました。

──“テロリスト”とされる者たちは“マイノリティ”だという監督の指摘もありましたが、主人公をドイツ人テロリストに設定したことと合わせてベルリン国際映画祭での反応についてお聞かせください。
ジョゼ:ベルリン国際映画祭ではスケジュールの関係で直接観客の声を聞くことができませんでしたが、映画はドイツにおいて興行的に成功しました。/また観客の意見というのは難しくて、そういった時に我々は観客を1つのなにか、単体のようなものと捉えがちです。観客の意見は複数あり、賞賛する声や一方で批判的な意見も存在するなど様々です。/この映画はタブーを扱っています。“テロリスト”とは、誰をさすのでしょうか?/アメリカでは、イスラム教徒の兵士でアフガニスタンにいれば“テロリスト”だといわれます。爆破事件に関わったらその者は“テロリスト”かもしれないですが、遠隔ドローンでの爆撃において、そのドローンを操作した人は果たして“テロリスト”といえるのでしょうか?/一体誰が、誰を、“テロリスト”だと名指しできる権利があるのか。そういった現代の社会でもタブーとなっている問題を扱いたかったのです。/もちろん、罪のない人を殺すのは間違っています。それでも、彼らの言葉を聞こうと思っています。

メラメラ cf. “Echad Mi Yodea” by Ohad Naharin performed by Batsheva - the Young Ensemble :
2019年10月17日(木)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、15:10~鑑賞。

「ドッグマン」⑵

作品データ
原題 DOGMAN
製作年 2018年
製作国 イタリア
配給 キノフィルムズ
上映時間 103分


「ドッグマン」⑴

『ゴモラ』で知られるイタリアの鬼才マッテオ・ガローネ監督が、1980年代にイタリアで起こった実在の殺人事件をモチーフに描いた不条理ドラマ。イタリアのさびれた海辺の町で、“ドッグマン”という犬のトリミングサロンを経営するマルチェロは、娘と犬を愛する温厚な男だった。だがある日、暴力的な友人シモーネの儲け話を断れず、片棒を担ぐ羽目に。…全てを失った男が、もとの生活を取り戻して再起しようとする。主演のマルチェロ・フォンテが第71回カンヌ国際映画祭で主演男優賞を獲得したほか、イタリア版アカデミー賞と言われるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞・監督賞など9部門受賞。

ストーリー
イタリアのさびれた海辺の町で、「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを営むマルチェロ(マルチェロ・フォンテ)。店は質素だが、犬をこよなく愛す彼には楽園だ。妻とは別れて独り身だが、彼女との関係は良好で、最愛の娘ともいつでも会える。地元の仲間たちと共に食事やサッカーを楽しむ温厚なマルチェロは、ささやかだが幸せな日々を送っていた。
だが、一つだけ気がかりがあった。シモーネ(エドアルド・ペッシェ)という暴力的な友人の存在だ。シモーネが空き巣に入る時に無理やり車の運転手をさせられ、わずかな報酬しかもらえなかったり、コカインを買わされ金を払ってくれなかったりと、小心者のマルチェロは彼から利用され支配される従属的な関係から抜け出せずにいた。自分の思い通りにいかないとすぐに暴れるシモーネの行動は、仲間内でも問題になり、金を払ってよその人間に殺してもらおうという話さえ出ていた。ある日、シモーネから持ちかけられた儲け話を断りきれず片棒をかついでしまったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失ってしまう。そして、娘とも自由に会えなくなったマルチェロは考え悩んだあげく、ついに元の平穏だった日常を取り戻すため、ある驚くべき行動を起こす…。

▼予告編



▼本編映像 ― 迫力の冒頭3分

2019年10月17日(木)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、12:10~鑑賞。

作品データ
原題 JOHN WICK:CHAPTER 3 - PARABELLUM
製作年 2019年
製作国 アメリカ
配給 ポニーキャニオン
上映時間 131分


John Wick Chapter 3_Parabellum

キアヌ・リーブスが最強の元殺し屋に扮し、銃とカンフーを融合させた「ガン・フー」や車とカンフーを合わせた「カー・フー」など、これまでにないアクション要素を盛り込みヒットした『ジョン・ウィック』シリーズの第3弾。裏社会の掟を破り、懸賞金をかけられ追われる身となったジョン・ウィックが、次々と現われる暗殺者と繰り広げる死闘の行方を多彩なアクションとともに描き出す。監督は前2作に引き続きチャド・スタエルスキ。キャストはイアン・マクシェーン、ローレンス・フィッシュバーンら前作からの続投組に加え、謎の女ソフィア役でオスカー女優のハル・ベリーが初参加する。

ストーリー
裏社会の聖域であるコンチネンタルホテルでの“不殺の掟”を破った伝説の殺し屋、ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)。全てを奪ったマフィアへの壮絶な復讐の先に待っていたのは、裏社会の秩序を絶対とする組織の粛清だった。1400万ドルの賞金首となった男に襲いくる、膨大な数の刺客たち。満身創痍になったジョンは、生き残りをかけて、かつて“血の誓印”を交わした女、ソフィア(ハル・ベリー)に協力を求め、モロッコのカサブランカへ飛ぶ。しかし、最強の暗殺集団を従えた組織は、追及の手をコンチネンタルホテルまで伸ばして、ジョンを追い詰める。 果たして、ジョンは窮地を脱出し、再び自由を手にすることができるのか!?

今回は初っ端からアクションの連続で、多少の休憩を挟みつつもひたすらバトルが続く、シリーズ最高のアクション量!しかも、アクションにおける数々の創意工夫が際立つ。銃一辺倒ではなく、分厚い本や馬の蹴りなどを使った殺人攻撃や、戦闘犬との殺人連携技など多彩な見せ場が次々出てきて、全く目が離せないほどの全編アクションまみれ!ジョンと世界中の強烈殺し屋たちが盛大に殺り合う様は、もはや殺人世界サミット!

▼予告編



▼2分で分かる『ジョン・ウィック』シリーズ振り返り映像 :

【以下は、同名映画(2)〔本ブログ〈November 01, 2019〉〕の続き…】

Also Known As(AKA)
(original title)  Roman Holiday
USA  Roman Holiday
UK  Roman Holiday

France  Vacances romaines
Italy  Vacanze romane
Germany  Ein Herz und eine Krone
Spain  Vacaciones en Roma

Finland  Loma Roomassa
Denmark  Prinsessen holder Fridag
Russia  Римские каникулы
Poland  Rzymskie wakacje

Hungary  Római vakáció
Slovakia  Prázdniny v Ríme
Korea  로ー마의 休日
Japan(Japanese title)  ローマの休日


「ローマの休日」(48)

「ローマの休日」(49)「ローマの休日」(50)

「ローマの休日」(51)「ローマの休日」(52)

「ローマの休日」(53)「ローマの休日」(54)

「ローマの休日」(55)「ローマの休日」(56)

「ローマの休日」(57)「ローマの休日」(58)

「ローマの休日」(59)「ローマの休日」(60)

キラキラ 美男美女”Gregory Peck& Audrey Hepburn
(Actors Gregory Peck as Joe Bradley and Audrey Hepburn as Princess Ann in a publicity still for the film “Roman Holiday”, 1953. )【私は数十年に及ぶ自らの映画鑑賞史上、正真正銘の“美男美女”というと、ただちにGregory Peck & Audrey Hepburnという好一対の男女の組み合わせを連想する―。】
「ローマの休日」(61)

宝石赤 cf. 第26回アカデミー賞授賞式(開催日:1954年3月25日)で主演女優賞を受賞したAudrey Hepburn
(Audrey Hepburn winning the Best Actress Oscar for her performance in “Roman Holiday” at the 26th Annual Academy Awards in 1954. Presented by Donald O'Connor and Gary Cooper.)


宝石ブルー cf. 第35回アカデミー賞授賞式(開催日:1963年4月8日 )で主演男優賞を受賞したGregory Peck
(Sophia Loren presenting Gregory Peck the Oscar for Best Actor for his performance in “To Kill a Mockingbird”(邦題『アラバマ物語』) at the 35th Academy Awards in 1963. Introduced by Frank Sinatra.)


虹 キラキラ cf. 第60回アカデミー賞授賞式(開催日:1988年4月11日)でプレゼンター(賞の授与者)を務めたGregory Peck& Audrey Hepburn
(Audrey Hepburn and Gregory Peck presenting the Oscars for Writing (Screenplay Based on Material from Another Medium) to Mark Peploe and Bernardo Bertolucci for “The Last Emperor” and for Writing (Screenplay Written Directly for the Screen) to John Patrick Shanley for “Moonstruck” , at the 60th Academy Awards in 1988.)【『ローマの休日』から35年後の二人!!


宝石ブルー cf. Gregory Peck(1916年4月5日~2003年6月12日〈87歳没〉)
(Eldred Gregory Peck was an American actor who was one of the most popular film stars from the 1940s to the 1960s. Peck continued to play major film roles until the late 1980s.)


宝石赤 cf. REMEMBERING AUDREY HEPBURN(1929年5月4日~1993年1月20日〈63歳没〉)
[The images shown in this slideshow are mainly from her earlier films(which include Roman Holiday, Sabrina, etc) and some of her family photos as well.]


ゆめみる宝石 cf. 想い出のオードリー・ヘプバーン


私感
!! 名作は何度観てもいい!今や古典的名作として名作中の名作である本作は、何回鑑賞しても素晴らしい!シナリオも演出も職人芸の巧(うま)さが詰め込まれ、どのショット→シーンも絵になり何とも魅力的で名場面になりえている。主役はもとより、どの脇役にも人間味が籠(こ)もっており、映画の隅々にユーモアと共に大人の男と女の気品が漂っている。

クリップ 私は本作を小学生の時、二人の姉に連れられて、北海道の田舎の映画館で初めて観た。その後、私と本作との関わりは、映画館で10回前後、VHS、DVD、テレビ放送で十数回、計20回超の鑑賞回数を数える。本作は私の映画鑑賞史上、夢寐(むび)にも忘れられない映画にほかならない。
私の姉二人は、本作をきっかけにして、オードリー・ヘプバーンの大ファンとなり、日本公開のオードリー出演作を必ず鑑賞するほどの熱の入れ様。特に長女にいたっては、単なる映画鑑賞にとどまらず、オードリーの全身像に憧れて、そのメイク&ファッションの何か一つでも真似しようと必死になった。何でも~後年の彼女自身の思い出話によれば~、そんな「女子ゴコロ」が10年近く疼(うず)き続けたとのこと。

宝石赤 オードリー・ヘプバーンは本作でアカデミー賞主演女優賞を獲得、一躍押しも押されもせぬ世界的な大スターになった。「アーニャ」⇒オードリーは可憐で、愛らしく、爽やかで、溌溂としている。 「アン王女」⇒オードリーは我意を張りながらも、高貴で、気品があって、毅然としている。まさしく、はっとするような美しさ、あどけなさ、初々しさ、その全てがはなはだ印象的なのだ。ハリウッド・デビューとなったオードリーについて、共演のグレゴリー・ペックは 「彼女はきっと大スターになる」 と確信し、監督のウィリアム・ワイラーは「世界中が彼女に恋してしまうと、私には分かっていた」 と語ったという。確かに本作はオードリーの魅力が光った作品であり、彼女あっての映画であるといっても過言ではない。

宝石ブルー ところが、本作初鑑賞時の私は、 どうやら後に“永遠の妖精”と謳われたオードリー・ヘプバーンの価値を痛感していなかったように思う。当時ませた映画少年だったとはいえ、しょせん小学校低学年の小癪なガキにすぎなかったからだろうか…。正直なところ、本作全編を通して、私はオードリーよりも、グレゴリー・ペックという正統派美男俳優に強く惹きつけられたものだ。私には、彼の体全体が醸し出す清々(すがすが)しい雰囲気が、何よりも堪らなく心地よかった。そして、彼の端正なマスクとスマートな体型~190㎝の、肩幅も広い、均整のとれた長身~が、私の目を奪うのであった。本作初見後、〈小学→中学→高校→大学→大学院〉時代を通して日本公開のペック出演作を、(大部分は映画館で、多少はVHS・DVD・テレビ放送で)手当たり次第に鑑賞するという、彼の熱心なファンとなった私!1950~70年代に(76年のオカルト大作『オーメン』以降は観ずじまい)、ざっと数えて20作ばかりに接したが、今でも忘れがたい、すぐに全体像を想起できる作品といえば、『子鹿物語』(46年)/『白昼の決闘』(46年)/『キリマンジャロの雪』(52年)/『白鯨』(56年)/『大いなる西部』(58年)/『悲愁』(59年)/『渚にて』(59年)/『ナヴァロンの要塞』(61年)/『恐怖の岬』(62年)/『アラバマ物語』(62年)/『マッケンナの黄金』(69年)の11作である。

宝石赤 オードリー・ヘプバーンについては、私の場合、年を重ねるほどに彼女の価値を発見するようになり、次第にその魅力につかまっていった。
私は本作初見後、1950年代から60年代にかけて~オードリーがハリウッドにおける15年間にわたる輝かしい経歴に区切りをつけ、映画界から一旦身を引いた67年まで~、彼女の出演(=主演)全作品を映画館で鑑賞。すなわち、『麗しのサブリナ』(54年)/『戦争と平和』(56年)/『パリの恋人』(57年) 本ブログ〈January 13, 2016〉/『昼下りの情事』(57年)/『緑の館』(59年)/『尼僧物語』(59年)/『許されざる者』(60年)/『ティファニーで朝食を』(61年)/『噂の二人』(62年)/『シャレード』(63年)/『パリで一緒に』(64年)/『マイ・フェア・レディ』(64年)/『おしゃれ泥棒』(66年)/『いつも二人で』(67年)/『暗くなるまで待って』(67年)の15作である。この間、オードリーはハリウッドで最も集客力のある女優の一人となり、話題作・人気作に出演するスター女優であり続けた。  
私の場合、オードリーに思い入れが強くなり始めたのは、どの作品あたりからだったか。大都会ニューヨークが舞台のお洒落なロマンティックコメディ『ティファニーで朝食を』(原題:Breakfast at Tiffany's、ブレイク・エドワーズ監督)を鑑賞してからのことではなかったか。女主人公ホリー~夢見がちで自由気まま、いつも着飾って華やかな暮らしをして、時に騙されてしまう、チャーミングだけど少し頭の弱い可愛い女性~を演じたオードリーの魅力満載の小粋なストーリに、私はいたく感じ入るとともに、そんなホリー⇒オードリーが歌う美しい名曲「ムーン・リバー」(Moon River)に何か心が清々しく洗われたのだ。

クリップ 私は1985年7月、初めてイタリアを訪問し、「永遠の都」と言われるローマに3週間ばかり滞在した。用向きを2週間で終えてから、年来の宿望を果たすべく、本作『ローマの休日』のロケ地である「トレビの泉」/「スペイン広場」/「パンテオン神殿」/「コロッセオ」/「真実の口」/「サンタンジェロ城」/「コロンナ宮殿」(ラストシーン〈アン王女の記者会見〉の撮影現場)を一つ一つ懇ろに見て回った。

クリップ 私は1999~2000年、ニューヨーク・マンハッタンに長期滞在した。この間の私の住まいが、“5番街”57丁目にある「ティファニー(Tiffany & Co.)」から歩いて5分ほどの所にあるアパート。週に1度、私は5番街の早朝散策を楽しんだ。午前5時に自宅アパートを出て、ティファニー前で携行したパンとコーヒーを平らげた後、同店を基点としつつ、午前6時半頃まで5番街をほっつき歩き回った次第。なぜに、その気ままな散歩を早朝に限定したかと言えば、私なりに映画『ティファニーで朝食を』の主人公にあやかってのこと。同作の冒頭シーン: ホリー⇒オードリーは、まだ薄暗いニューヨークの朝、タクシーで一流宝石店ティファニーに乗り付け、ショーウインドーを眺めながら、紙袋からクロワッサンとコーヒーを取り出して口にする…。それに何より、日中の5番街~ましてティファニー前~ともなれば、まさに殷賑(いんしん)を極めており、その人通りの多い道で、オードリーまがいの長閑(のどか)で優雅な散策に興じるなど、とんでもハップン、とうてい望むべくもないのだ。

晴れ 今回、私は有楽町スバル座「メモリアル上映」で、本作を十数年ぶりに鑑賞した。公開から66年経った現在でも決して色褪(あ)せない、瑞々(みずみず)しい名作であることを今改めて確認する。本作は今後も文字通り“不朽の名作”として諸国を越え、世代を越え、営々と語り継がれて輝き続けることだろう。
10月15日当日、午後8時40分頃、本作(約2時間)が終幕を迎えた瞬間、期せずして多くの客席から大きな拍手が起こった。有楽町スバル座は座席数が272席(うち車椅子席2)。その日の館内は、ほとんど満席に近い状態であり、観客二百数十名を収容していた。その全観客の過半数を占める人々(私を含む)が、映画に感動するあまり思わず心の底からパチパチと音高く拍手した―。この昨今の映画館ではとんと見かけない情景に、私は感慨も一入(ひとしお)、非の打ち所がない名作『ローマの休日』の世界に深く共感できた他者の存在を現前に見て、ほっとした安らぎに満たされるのだった。

メモ 私は本ブログ〈February 12, 2018〉で、既にグレゴリー・ペック&オードリー・ヘプバーンに関する一文を草している。)

音譜 cf. “Moon River”(訳詞付) /From “Breakfast at Tiffany's” :
[「ムーン・リバー」(作曲:ヘンリー・マンシーニ〈Henry Mancini、1924~94〉/作詞:ジョニー・マーサー〈Johnny Mercer、1909~76〉)- 第34回アカデミー賞歌曲賞受賞]


キラキラ cf. Breakfast at Tiffany's Opening Scene
【以下は、同名映画(1)〔本ブログ〈October 30, 2019〉〕の続き…】

原題:Roman Holiday/西題:Vacaciones en Roma/独題:Ein Herz und eine Krone

「ローマの休日」(35)

「ローマの休日」(33)

「ローマの休日」(34)

アーニャ(アン王女)にローマ案内を買って出たジョー。スクープに必要な証拠写真を押さえるため、相棒のカメラマン、アーヴィング・ラドヴィッチ(エディ・アルバート)を誘い込む。実はアーニャはアン女王その人だ、この「お忍びのローマ見物」という滅多にない大スクープをモノにできれば、5000ドルで売れること間違いなし、ぜひとも分け前25%で、写真スタジオを自営しているお前の自慢の腕を発揮して特ダネを抜くことに協力してもらいたい―。このジョーのたっての願いを聞き入れたアーヴィングは、手始めにオープンカフェで初めてのタバコを試すアーニャを喫煙ライターの隠しカメラで撮影、続いて街中を疾走するジョー&アーニャ2人乗りしたスクーターを後ろから車で追いかけ、隠しもった小型カメラで撮影。そして、3人が訪れた「パンテオン神殿」、「コロッセオ」、「ヴェネツィア広場」、「カンピドーリオの丘」、「真実の口」、「祈りの壁」、「サンタンジェロ城」など数々の名所で、抜け目なくアーニャの一挙一動を次々とスナップ撮影する(アン王女のローマ観光⇒極秘独占取材)。

「ローマの休日」⒀
(アーニャ〈アン王女〉がカフェ「G.ROCCA」で初めてタバコを吸う瞬間を、手元のライター型カメラで盗撮するアーヴィング)

「ローマの休日」⑻
(ジョーはアーニャをスクーター〈ベスパ/Vespa〉の後ろに乗せ、ローマの観光名所をドライブする…)

クラッカー 生まれて初めてスクーターを運転するアーニャ!


乙女のトキメキ 真実の口》(Bocca della Verità〈ボッカ・デラ・ベリタ〉/Mouth of Truth) Clips :

[アーニャ(アン王女)とジョーとアーヴィングの3人の着いた先が、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会内にある石の彫刻《真実の口》。「嘘つきの手は食いちぎられる」とジョーから聞かされたアンは、自分が王女であることを隠している(嘘をついている)負い目からか、左手を唇に近づけはしても、なかなか口の中にまで手を入れることができない。「あなたが、やってみて」とジョーに順番を渡すことに。ジョーは恐る恐る口の奥の方まで右手~指先から手首まで手全体(いくらか前腕に及ぶ)~を差し込む。その瞬間、自らの手が今まさに食いちぎらているかのように、悲鳴を上げて踠(もが)き始めた。そんな異様な彼の姿にショックを受けながらも、必死になって彼に飛びつき、その背中にしがみつき、後ろから彼を引っ張って助けようとするアーニャ。ほどなく口から引き出された、右手のないジョーの腕。それを一瞥して、「キャー!!」と顔を覆って泣き叫ぶアーニャ。ところが、ジョーはやおら、袖に隠していた右手を出して、掌(てのひら)をパッと開きつつ、戯(おど)けて「Hello」と言う。無傷のままのジョーの手を見て、「ひどいわ!何ともないじゃない!大丈夫なのね!」(You beast!It was perfectly all right!You’re not hurt!)と怒りながらも、安堵の胸を撫で下ろすアーニャだった。/SHE IS SO CUTE IN THIS SCENE!

「ローマの休日」(45)   「ローマの休日」(46)
(アーニャはジョーの手が食いちぎられたと思い込む…)     (アーニャはジョーの手が無事な様子を見て…)
(《真実の口》の場面は、俳優グレゴリー・ペックのアドリブで演じられたといわれるが、それにしてもオードリー・ヘップバーンの自然な演技が際立つ名シーンである!)

一方、王女失踪で大慌ての某王国大使館。王女が見つからない状況にでもなれば、大使・将軍・侍従長は職務怠慢の責任を取らされて罷免は確実だ。そこでシークレットサービス(SS)の男20名ほどを本国から空路でローマに召集。ローマ市内で王女が居そうな場所に張り込んで、ローマ警察に知られないように、王女を連れ戻す作戦を実施する。

夜になって、サンタンジェロ城前のテヴェレ川に浮かんだ川船では、ダンスパーティーが始まった。アーニャ(アン王女)は普段着であるが、ジョーとワルツを踊る。美容師のマリオも喜んで、彼女と踊る。そこへ黒服のSSの面々が現われ、アーニャ+ジョー+アーヴィング+マリオとの間に時ならぬ争いが起こった。ダンスパーティーは乱闘に一変する。SSの追っ手が迫ったジョーとアーニャの二人は、一緒に川へ飛び込み、泳いで逃げる。
つかの間の自由と興奮を味わううちに、いつの間にかジョーとアーニャの間には強い恋心が生まれていた。川べりの闇の中で、二人は抱き合って熱いキスを交わす…。そして、お互いへの本当の想いを口に出せないまま、ジョーはアーニャをアーヴィングが手配した彼の愛車に乗せてマルグッタ通り51番地のアパートへ戻った。

「ローマの休日」(29)
(パーティー会場でダンスを踊るジョーとアーニャ〈アン王女〉)

メラメラ テヴェレ川船上パーティーの大乱闘シーン

(ダンスパーティーを楽しむアン王女を見つけたSSエージェントたちが、彼女を強制的に連れ去ろうとする。必死に抵抗するアン。気づいたジョーは、彼女を守ろうとして彼らと揉(も)み合いになる。そこにアーヴィングや美容師のマリオも加わり、パーティー会場は一気に乱闘モードへと突入。アーニャも参戦!会場の中にあったギターを掴み取り、追いかけてくるエージェントを打ち叩くというオテンバぶりを発揮する…)

「ローマの休日」(30)
(ギターでSSの追っ手をぶったたくアーニャ〈右側〉とその様子をシノゴ(4×5インチ判)のスピグラ〈大判のプレスカメラ〉で撮影するアーヴィング〈左側〉)

恋の矢 二人が思いを通わせた瞬間

(テヴェレ川に飛び込み、エージェントたちを撒いて無事に岸辺に辿り着いたジョーとアーニャ。そして、冷たい川の水に体温を奪われて終始震えっぱなしのアーニャを抱き寄せて必死に温めようとするジョー。Joe「大丈夫か?」→Anya「あなたこそ」→Joe「大丈夫だとも」。二人は「さっきの君はすごかった」→「あなたも まあまあね」と、先の大乱闘での互いの健闘を冗談交じりに称え合う。そして、そのまま思わず魅入られたかのように衝動的に、ジョーはアーニャに口づけをしてしまう。それを抵抗することなく、受け入れるアーニャ。そして、アーニャに惹かれている自分の気持ちの変化に戸惑うジョー。初めてキスを交わした二人はその後、「とりあえず濡れた服と体を乾かそう」と、照れくさい雰囲気を払拭するかのようにジョーのアパートに向かう。/One of the most moving kisses in the entire history of cinema!

ジョーの部屋に戻り、服も乾かした二人。夜は更け、とうとう迫ってきた別れの時。アーニャ(アン王女)は身分を偽って束の間の休日を楽しみながらも自分が王位継承者であることを自覚しており、“1日だけ”という約束通り、夜には宮殿に戻ると決めていた。やがてアーニャを乗せ、彼女が指示する場所~某国大使館の前~へと車を走らせるジョー。ついに目的地に到着…。しばしの沈黙の後、「お別れしなくてわ(I have to leave you now.)」と口を開いたアーニャ。そして、「私はこれから、あの角を曲がります。あなたは車から降りないで、このまま帰って。私が角を曲がったら、もう見ないと約束して。そのまま帰ってお別れして。私が、そうするように」(I’m going to that corner there and turn. You must stay in the car and drive away. Promise not to watch me go beyond the corner. Just drive away and leave me as I leave you.)とジョーにお願いする。恋してはいけない女性に恋してしまったジョー。苦しい表情を浮かべながらも、彼は彼女の願いに素直に頷く。目に涙を浮かべたAnya:「私はサヨナラをどう言えばいいか分からない。言葉が思いつかない」(I don't know how to say goodbye. I can't think of any words.)→Joe:「言わなくていい」(Don’t try.)。感極まったアーニャとジョーは、ひしと抱き合って最後の熱いキスを交わす。そして、暗闇の先へと続くそれぞれの「元の世界」へと戻っていった。アーニャはもう、ジョーの手の届かない、遠い世界の女(ひと)、“Princess Ann”である。

「ローマの休日」⒇
(車中で別れを惜しむ~結ばれない愛に泣く~二人)

「ローマの休日」(36)「ローマの休日」(21)
(アン王女に戻ったアーニャは、小走りに大使館に駆け込んで行く…

宮殿(大使館)に戻ったアン王女は、大使とヴェレベルグ侍従長とプロヴィノ将軍を前に、気丈に振る舞う。心配のあまり問いただす大使と王女の言葉のやりとり:
大使:「王女様、24時間を丸々無駄にされましたな」
王女:「してないわ」
大使:「両陛下には何と申し開きを?」
王女:「病気だったが、回復したと」
大使:「自覚してくださいまし、私に義務(duty)があると同様、王女様にも義務があるのです」
王女:「お言葉ですが、私に対してその言葉を二度と使わぬように。わが王室と祖国に対する義務をわきまえていなければ、今夜帰っては来なかったでしょう。この先も永久に…」(Your Excellency, I trust you will not find it necessary to use that word again. Were I not completely aware of my duty to my family and to my country, I would not have come back tonight... or indeed ever again!)「 さて、今日は予定の行事が沢山あって忙しいですよ。もう下がってよろしい」

「ローマの休日」(27)「ローマの休日」(28)
(王女失踪で心労に疲れた〈左から順に〉大使、ヴェレベルグ侍従長、プロヴィノ将軍の3人が、やっと戻った王女と真っ向から向かい合って…)

自立心が芽生え、毅然たる気品を感じさせるアン王女。その口調と態度には、あの天真爛漫で身勝手なお嬢さんの面影が失せ、一国の王女にふさわしい風格と威厳が備わりつつある…。たった1日だけの休日ながら、永遠に彼女自身の心の中に残る一日だった。ローマで自由を満喫し、冒険をし、恋に落ちる…。日頃、彼女が願っていた以上のすべてが実現されたのだ。アン王女は一回り大きく成長して、再び王女として生きる決意を固めるのだった。

翌日の朝、ヘネシー支局長が目を輝かせてジョーのアパートにやってきた。
支局長:「ジョー、手に入れたか?」
ジョー:「何をです?」
支局長:「王女の特ダネだよ。手に入れたか?」
ジョー:「ダメだった」
支局長:「そんなはずない」
ジョー:「…コーヒーでもどうです?」
支局長:「もったいぶるな」
ジョー:「誰がです?」
支局長:「君がだよ。分かってるぞ。王女の特ダネをモノにすると提案した後、君はいなくなった。大使館から王女失踪の噂も聞いた」
ジョー:「噂をいちいち本気にするんですか?」
支局長:「ほかにもある。川でのパーティーのこと。某国の8人のSS要員が拘束されたこと。それに王女が奇跡的に回復したことで合点がいく。(今更出し惜しみをして)記事の値段を吊り上げるつもりか。約束は約束だ。今すぐ出せ。記事はどこだ」
ジョー:「ありません」(I have no story.)
そこへ、“写真”を現像したアーヴィングが、喜び勇んでやってきた。「これを見てみろよ!」―すごい写真が撮れたと興奮するアーヴィング。ジョーはヘネシー支局長にアン王女の極秘撮影の事態を気取られまいと、ことさらにアーヴィングに嫌がらせをする。水をひっかけたり→足を掬って転倒させたり…。一悶着を起こすジョーとアーヴィングを、呆気(あっけ)に取られて見つめるヘネシー。やがて業を煮やしたか、先のジョーへの話を続けて言う。「昨日の君の口ぶりでは…」
ジョー:「確かに作日は目算があった。でも、それが外れた。ただ、それだけの話。記事(特ダネ)はありません(There is no story.)」(この言葉を耳にして一瞬、顔に驚きが走り、目を見張るアーヴィング…)
支局長:「分かった(Okay.)。王女は今日また、同じ時間、同じ場所で記者会見を開く。せめて、その記事ぐらいはモノにしてくれるだろうな。500ドル(bucks)の貸しだぞ(忘れるな!)」
ジョー:「週に50ドル、給料から引いてください」
支局長:「言われなくとも、そうするよ」
ヘネシーが帰った後、アーヴィングはしんみりとした口調で言う。「どうした?もっと、いい買い手がついたのか?」
ジョー:「アーヴィング、どう説明すればいいのか…。記事についてだが、この写真につけるための記事はない」
アーヴィング:「なんでだ?」
ジョー:「つまり、自分は関われない、ということだよ」(I mean, not as far as I'm concerned.)
このジョーの言葉を聞いた途端、思い当たる節があるのか、顔に複雑な表情を浮かべるアーヴィング。が、すぐに気を取り直して言う。「写真はうまくできたよ。ちょっと見るかい?」 アン王女を撮った写真は、“カフェで人生最初のタバコを吸う王女”、“「真実の口」に向き合う王女”、“美容師マリオと踊る王女”、“「祈りの壁」に願いを込める王女”など、実に鮮やかな傑作ばかり。アーヴィングが見せる写真に眺め入りながら、王女⇒アーニャの、何か微笑(ほほえ)ましい甘やかな情景が次々と脳裏に現われて、悦に入るジョー。そして、ダンスパーティー会場での大乱闘の中、アン王女がSS要員にギターを振り下ろす瞬間の写真を前に、ジョー&アーヴィング二人していやが上にも気分が盛り上がり、Wow!ベストショット!まさに感嘆措(お)く能わず!しかし、須臾(しゅゆ)にして我に返って、物思わしげな顔つきをするジョー。アーヴィングはその顔色を窺いながら、彼にはっきりと言明する。「彼女は凄い特ダネなんだ(She’s fair game.)。常にカメラから狙われる。…どうかしてるぞ(もっと冷静になれよ)(You must be out of your mind.)」
ジョー:「分かってるけど…。でも、君が写真を売りたいのなら邪魔はしない。いい値がつくぞ」
アーヴィング:「Yeah!」
ジョー:「記者会見には行くのか?」
アーヴィング:「君は?」
ジョー:「ああ、仕事だからな」
アーヴィング「また後で」

アン王女の記者会見が始まった。王女が無事に戻ったことを確認した王室は、「アン王女、病気から回復」と速報を打ち、キャンセルした王室の会見を1日遅れで開催する。広い会見場(宮殿)の各国記者の列には、ジョーとアーヴィングも並んでいる。皆の前に悠然と現われたアン王女。その姿は気高く気品に溢れていた。記者団の中に立つ二人の姿を見つけた王女は、【この時初めて二人の“正体”を知って】一瞬穏やかならぬ気配を見せ、少し複雑な表情で会見を始める。

「ローマの休日」(44)
(アン王女は階を上った上席に座って記者の質問に答える)

「ローマの休日」(39)
(記者団の中に立つジョーとアーヴィング)

記者A:「最初に一同を代表して、大変早い御病状の回復にお喜びの言葉を申し上げます
王女:「感謝します」(Thank you.)

記者Bの質問:「王女様(Your Highness)のお考えでは、ヨーロッパの経済問題について、連邦化(federation)は解決策となりえましょうか?」
王女:「ヨーロッパの協力関係(cooperation in Europe)が緊密になるのであれば、いかなる政策にも賛成です」 【政治的な質問に、抑制のきいた回答でそつなく対応するアン王女!】

記者Cの質問:「では、国家間の友好関係については、今後どのような展望をお持ちですか?」(And what, in the opinion of Your Highness, is the outlook for friendship among nations?)
王女:「私は国家間の友好は守られるものと信頼しています。人と人との間の友好関係を信頼しているように」(I have every faith in it... as I have faith in relations between people.)【これは公的な言葉でありながら、暗にジョーに向けて投げかけられたものであり、その意味合いを正当に理解できる者はジョーのみ。王女とジョーだけに特別な意味を持つ言葉である。事前に準備した公式コメントとは異なる発言をする王女に何のことかと戸惑う側近たちだった…】
ジョーは王女の言葉を受けて発言する。「わが通信社を代表して申しますが、王女様の御信頼は決して裏切られることはないものと信じます」(May I say speaking for my own press service, we believe that Your Highness's faith will not be unjustified.)
王女:「そのお言葉をお聞きし、大変嬉しく存じます」(I am so glad to hear you say it.)

記者Dの質問:「御訪問された都市の中で、どこが一番お気に召されましたか?」(Which of the cities visited did Your Highness enjoy the most?)
しばし答えに迷い沈黙する王女。傍らに立つプロヴィノ将軍が慌てて、低い声で彼女に耳打ちする。“Each in its own way...” と。この用意された決まり文句に促されて、「それぞれの都市はそれぞれのやり方で…忘れ得ぬ思い出になりました。一番を選ぶのは難しいことと…」(Each in its own way was...unforgettable. It would be difficult to...)と当たり障りのない答えを口にしかけた王女。だが、お仕着せの常套句はここまで!彼女は突然霊感に打たれたかのように、万感の思いを込めてキッパリと言い切る。
ローマです。何と言ってもローマです。私は、この地を訪れた思い出を懐かしく思うことになるでしょう、私が生きている限り」(Rome;by all means, Rome. I will cherish my visit here, in memory, as long as I live.)【これは王女が今回の欧州親善旅行で初めて自らの本心を打ち明けた言葉であり、そしてそのようなものとして、何よりもジョーに対する偽りない本心からの言葉でもあった。】
王女の意外な発言に記者たちはどよめく。側近たちは驚愕する。「ローマでは病気で御静養されていたにも関わらずですか、王女様?」(Despite your indisposition, Your Highness?)との記者からの声。アン王女:「病気静養していたにも関わらずです」(Despite that.)

下三角 アン王女の記者会見 (英和対訳字幕) :
(束の間の“休日”から王女の立場に戻り、ヨーロッパ歴訪の締め括りとして各国の記者団に囲まれ会見する王女)



記者会見が終わると、続いて王女の写真撮影である。一斉にフラッシュを焚(た)くカメラマンたち。アーヴィングが王女にライター型隠しカメラをこれ見よがしに見せつけてニンマリする。王女は「ローマ観光」中その隠しカメラで自分が撮られていたことを、今ここで初めて豁然と悟るのだった。

「ローマの休日」(47)
(王女の写真撮影タイムで、他社のカメラマンたちがスピグラで撮っている中、あえて茶目っぽく8mmのライターカメラで撮って見せるアーヴィング)

写真撮影後、アン女王は「記者の皆様にご挨拶をしたいと思います」(I would now like to meet some of the ladies and gentlemen of the Press.)と言い出す。そして自ら、各メディアの記者たちの並ぶところに降りて来て、一人一人に挨拶をしながら握手して回る。この王女の、予定にはない、異例の振る舞いに不意を打たれて面食らう側近たち。
やがて女王がアーヴィングの面前に立つ。アーヴィング:「CRフォト・サービスのアーヴィング・ラドヴィッチ(Irving Radovich)です」→王女:「How do you do?」。二人は軽く握手を交わす。そして、アーヴィングは「お渡ししたいものが…ローマ御訪問の記念写真(some commemorative photos of your visit to Rome)です」と言いながら、盗撮していた「王女のローマの休日」の写真が入った封筒を手渡した。封筒を開け、パーティー会場でギターを振りかざして応戦する自分の“姿”を目にした王女は、少し驚きながらも、「大変感謝します」(Thank you so very much.)、嬉しそうにその封筒を受け取った。

「ローマの休日」(40)
(アン王女に盗撮していた写真〈封筒〉を渡すアーヴィング。“スクープ写真”で大儲けするチャンスを目の前にしながらも結局、ジョーとの友情を大切にして、「アン王女とのローマの一日」を封印してしまう)

アーヴィングの次はジョー。王女はついにジョーの元へ。この時、二人は初めて出会ったかのように…。ジョー:「アメリカ・ニュース・サービスのジョー・ブラッドレー(Joe Bradley)です」→王女:「お会いできて大変幸せです、ブラッドレーさん」(So happy, Mr. Bradley.)。二人は互いに相手の顔をじっと見つめ合いながら、しっかりと握手を交わす。手を握ったまま、瞳で無言の会話を交わすこの数秒間が、二人にとって真に【最後のひと時】となった。

「ローマの休日」 (43)
(この時初めて出会ったかのように握手を交わすジョーとアン王女)

やがて記者たちへの挨拶を終え、彼らの拍手に送られて退席する王女。いよいよ、お別れの時だ!去り際に笑顔とともに記者団の方を振り向いた彼女の瞳には、かすかに涙の跡が光っていた…。
アン王女「記者会見」の全てが終わり、記者団が解散する。しかし、ジョーだけはその場を離れようとしない。大広間に一人立ち尽くし、しばらく沈黙を続ける。アーニャ=アン王女との、結ばれない運命(さだめ)の愛のもどかしさを噛み締めている…。そして、ようやく納得するしかないと自分に言い聞かせるような表情で、その重い足を踏み出し、独り寂しく宮殿を出ていくのだった―。

「ローマの休日」 (41)「ローマの休日」 (42)
(独り物思いに沈みながら、宮殿内の会見場を、自らの靴音をコツコツと響かせながら後にするジョー。脳裏に甘酸っぱくよみがえる、アーニャとの楽しい思い出。また、ほろ苦い別離の思いも胸をよぎる…。彼は出口付近に近づいて、名残り惜しそうに再度立ち止まり、アン王女が座っていた場所をもう一度振り返って見る。誰もいない、しんと静まり返ったステージ…。この重い現実を受け止めるかのように、彼は改めて前を向き直し、その場を静かに去り、画面からフェードアウトする。そして瞬間、エンドマークが大写しされる。)【私の心の中で長く感動の余韻を引くラストシーン。ジョー⇒グレゴリー・ペックの全身に漂う切々たる哀愁が堪らない。本作の締め括りとして、これ以上ない名シーンである!】

Trailer



Full Movie - 【日本語字幕】part 1→part 2 :




音符 Soundtrack


宝石赤 宝石ブルー A Tribute To Audrey Hepburn & Gregory Peck



Audrey Hepburn's Roman Holiday Screen Tests
(Oscar-winning costume designer Edith Head shows personality and costume tests for Audrey Hepburn in Roman Holiday, as seen on the television program You Asked for It.)


▼ cf. Audrey Hepburn dancing 'en pointe' in the film “The Secret People”(1952)
(A young Audrey Hepburn, who had trained as a ballet dancer from childhood, played Valentina Cortese's younger sister in this film. Here are all three scenes where she dances in the film. 同作〈邦題:『初恋』、監督:ソロルド・ディキンスン、日本初公開:1966年1月〉は、1930年代のロンドンを舞台として製作されたイギリス映画。)


▼ cf. Audrey Hepburn's First Film “Nederlands in Zeven Lessen”(『オランダの七つの教訓』1948年、日本未公開)
(It was a Dutch movie and she has a small role as a stewardess.)
2019年10月15日(火)有楽町スバル座(東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビル2階、JR有楽町駅・日比谷口正面)~同館「スバル座の輝き―メモリアル上映―」(10月5-20日)※~で、18:40~鑑賞。

※スバル興業の公式サイトは、2019年8月21日付で、次のような《「有楽町スバル座」閉館イベントに関するお知らせ》を発表した。≪当社が運営する「有楽町スバル座」 は、2019年10月20日(日)をもちまして閉館いたします。/丸の内スバル座から長きにわたり、お客様や地域の皆様にご愛顧いただきましたことに感謝し、映画史を飾った作品を選りすぐり、「スバル座の輝き~メモリアル上映~」と題し、特別興行を行います。/「スバル座の輝き~メモリアル上映~」 2019年 10 月 5 日(土)~ 10 月 20 日(日)の 16 日間≫ (cf. 本ブログ〈September 05, 2019〉/ 本ブログ〈September 08, 2019〉

「ローマの休日」⑵「ローマの休日」⑽

作品データ
原題 Roman Holiday
仏題 Vacances romaines
伊題 Vacanze romane
製作年 1953年
製作国 アメリカ
配給 パラマウント映画会社
上映時間 118分

米国初公開 1953年8月27日(ニューヨーク)
日本初公開 1954年4月21日(佐世保)/同年4月23日(名古屋)/同年4月27日(東京)
Vacances romaines
「ローマの休日」⑴「ローマの休日」⑼

多くのジャンルで名作を撮ったハリウッドを代表する名匠ウィリアム・ワイラー(William Wyler、1902~81)がイタリア・ローマに出向いて製作・監督したロマンティック・コメディー。欧州親善旅行でローマを表敬訪問した某国の王女と、彼女が滞在先から飛び出し一人でローマ市内に出たとき偶然出会ったアメリカ人新聞記者との、切ない24時間~たった1日~の恋の夢物語
王女をアメリカ映画初出演となる~オランダ映画1本→イギリス映画6本に出演後の初主演~オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn、1929~93)、新聞記者を『子鹿物語』『キリマンジャロの雪』の名優グレゴリー・ペック(Gregory Peck、1916~2003)が演じている。これに『黄昏』のエディ・アルバート(Eddie Albert、1906~2005)が本作の魅力を支える脇役として絶妙の名演を見せ、またハートレイ・パワー、ハーコート・ウィリアムズ、マーガレット・ローリングス、トゥリオ・カルミナティ、パオロ・カルリーニなど英伊の実力派俳優が助演している。
初公開時のクレジットでは、原作はイアン・マクレラン・ハンター(Ian McLellan Hunter、1915~91)、脚色は原作者と『悪魔と寵児』のジョン・ダイトン(John Dighton、1909~89)との共同となっていたが、後年、原案・共同脚本をダルトン・トランボ(Dalton Trumbo、1905~76)が担当したと明らかにされた※。『ギャングを狙う男』のフランツ・プラナーと『アンナ・カレニナ』のアンリ・アルカンが協力して撮影監督に当たり、『夜ごとの美女』のジョルジュ・オーリックが音楽を担当した。なお、『貴方は若すぎる』の監督ピエロ・ムゼッタが助監督としてスタッフに加わっている。
第26回アカデミー賞では、作品賞、監督賞など10部門でノミネートされ、主演女優賞(オードリー・ヘプバーン)、衣装デザイン賞(白黒部門/イーディス・ヘッド〈Edith Head、1897~1981〉)、原案賞(イアン・マクレラン・ハンター)※の3部門で受賞。

1940年代後半から50年代半ばにかけて、マッカーシズム(McCarthyism)による赤狩り(Red Scare)の旋風が吹き荒れる中、ハリウッドで活躍する監督や脚本家、俳優たちの中でアメリカ共産党と関連があったとして列挙された人物リスト、ハリウッド・ブラックリスト(Hollywood Blacklist)なるものが存在した。さらに、そのうち召還や証言を拒否して議会侮辱罪で有罪判決を受けた主要な10人を、ハリウッド・テン(Hollywood Ten)と呼んでいる。ダルトン・トランボ(cf. 本ブログ〈September 21, 2016〉)は、赤狩りに反対し、ハリウッド・テンの一人となった。禁固刑の実刑を受け、刑期終了後も映画界から事実上追放されたトランボは、メキシコに逃亡し、いくつかの偽名を使って脚本家としての仕事を続けた。『ローマの休日』の原案・共同脚本の場合は、トランボの友人でイギリスの脚本家、イアン・マクレラン・ハンターの名義で執筆。そして、第26回アカデミー賞では、そのハンターに「原案賞」が贈られた。1990年代に入って、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)は冷戦期のレッドパージなどに起因する間違いを正すことに決め、1993年、既に故人となっていたトランボへ改めて「1953年原案賞」を贈呈する(なお、アカデミー原案賞〈Academy Award for Best Story〉自体は、57年度の第30回より廃止)。2011年12月19日、全米脚本家組合は『ローマの休日』の原案者クレジットをハンターからトランボに変更、ハンターとダイトンの2人が記載されていた脚本クレジットにトランボの名前を追加したと発表した。

本作は世界中で大ヒット作となった。日本でも1954年に劇場公開されるや否や、観客の心を魅了して、とりわけ「ヘップバーンカット」の髪型はブームとなったくらいである。
本作はアメリカン・フィルム・インスティチュート(American Film Institute、AFI)が“アメリカ映画100周年”を記念して2002年に選定した「愛と情熱の映画ベスト100」で第4位[『カサランカ』(1942年)→『風と共に去りぬ』(1939年)→『ウエスト・サイド物語』(1961年)に次いで]、同じくAFIが2008年に選定した「ロマンティック・コメディ映画ベスト10」で第4位[『街の灯』(1931年)→『アニー・ホール』(1977年)→『或る夜の出来事』(1934年)に次いで]にランクされた。
劇場公開されてからおよそ六十数年経った現在でも、繰り返し劇場やテレビ等で上映され続けているように、本作は世紀を超えて世界中の人々に愛され続けている恋愛映画の最高傑作であり、映画史に残る文字通りの不朽の名作にほかならない。

Roman Holiday「ローマの休日」⑾

ストーリー
ヨーロッパ最古の王室の王位継承者、はたち(二十歳)になったばかりのアン王女(Princess Ann/オードリー・ヘプバーン)は、欧州親善旅行でロンドン、アムステルダム、パリ各地を往訪。さらにローマで、駐在大使主催の歓迎舞踏会に出席する。強行軍にもかかわらず、元気に任務をこなしていた王女だが、内心では分刻みのスケジュールと、用意されたスピーチを披露するだけのセレモニーにウンザリし、我慢は限界に。就寝の時間になると、側近たちを前に軽いヒステリーを起こしてしまう。主治医のバナクホーフェン(Heinz Hindrich) に鎮静剤を注射された彼女は、一時落ち着きを取り戻したかのように見えたが、やはり気が高ぶっていて、なかなか目が冴えて寝つけない。ふと思いついた彼女は、側近たちの目を盗んで滞在先である大使館(宮殿)をひそかに脱出する。

「ローマの休日」⒂
(宮殿から抜け出すアン王女)

停まっていた、大使館出入りのトラックの荷台に乗り込み、夜のローマの街中に向かったアン王女。やがて先ほどの鎮静剤が効いてきてフラフラ状態となった彼女は、強烈な睡魔に襲われて歩くこともままならず、ついには道端の低い石垣の上に身体をぐったりと横たえ、眠りに陥ってしまう。
そこへ偶然通りかかったのが、新聞記者~“American News Service”のローマ支局通信員~のジョー・ブラッドレー(Joe Bradley/グレゴリー・ペック)。仲間とのポーカーを終え、一人帰宅の途上にあった。若い女が酩酊して寝転んでいると思い、何とか彼女を家に帰そうと腐心するジョー。しかし、彼女の意識は朦朧としていて、一向に埒が明かない。前後不覚になるほど「酔っ払った」面倒な娘を、そのまま放っておくこともできず、仕方なく自分の安アパートへ連れて帰る。

「ローマの休日」⒃「ローマの休日」⑷
(真夜中に路上で眠る女の子〈アン王女〉を発見したジョー)

眠気を引きずりながら、ジョーの後を何とかトボトボ歩いて、彼の部屋に通された“見知らぬ女”。眠くてたまらず、ジョーのベッドを使おうとする。しかし、ジョーは彼女に、ベッドではなく、寝椅子(couch)に寝るように注意する。そして、自分のパジャマを手渡した上で、ひとまず外にコーヒーを飲みに出かける。10分後に戻ってくると、彼女はパジャマを着て、寝椅子ではなく、ベッドにぐっすり寝込んでいた。困り果てた~頭に来た?~彼は、ベッドの隣に寝椅子を運んで、その寝椅子の上へ、シーツを掴み上げつつ、彼女を掛け布団ごと投げ飛ばしてゴロンと移動させる―。

「ローマの休日」(22)
(外での時間潰しから戻ってアパートの部屋のドアを開けると、こんこんとベッドに寝入る“彼女”…)

「ローマの休日」(23)
(ジョーは世話の焼ける“彼女”をベッドから寝椅子へ移動させて、これにて一件落着!)

その一方で、深夜の3時頃、某王国の大使館は大パニックになっていた。アン王女「行方不明」の事態に直面して慌てふためく、ヴェレベルグ侍従長(マーガレット・ローリングス)、プロヴィノ将軍(トゥリオ・カルミナティ)、そして大使(ハーコート・ウィリアムズ)。
思案顔で密談中の3人の所に警備員が来て報告する。「館内のどこを探しても王女が見つかりません」。大使:「庭も捜した?」→警備員:「屋根裏から地下室まで―」→大使:「この件については他言は無用。王女が王位継承者であられることを忘れてはならん。これは最重要機密だ。他言しないと誓うか?」→警備員:「Yes, sir.」→大使:「よろしい(very well)」(警備員退出)。この間、無言のままでいるヴェレベルグ侍従長とプロヴィノ将軍に向かって、大使はおもむろに言う。「では、両陛下にご報告せねば…」。
しかし、5時間後の朝からは、王女のスケジュールが時間刻みに決まっており~午前11時45分から記者会見開催~、苦渋の決断で「アン王女が突然の発病(THE SUDDEN ILLNESS)」というニュースが、大使館から友好のある各国政府やローマに本支社を置く報道メディアに緊急配信される。

翌朝、ジョーは前夜のひと騒ぎの影響もあって、つい寝過ごしてしまう。近くにある教会の時計が正午を知らせる鐘の音でようやく目が覚めた。午前11時45分からのアン女王の記者会見は、もはや間に合わない。ともあれ、彼はまだ眠っている“美しいが何か変な娘”を部屋に残したまま、大急ぎで勤務先の新聞社へ出勤し、デスクのヘネシー支局長(ハートレイ・パワー)のもとへ―

支局長:「今ごろ、出社か」
ジョー:「まさか」
支局長:「わが社は8時半始業だ。仕事の割り当てを…」
ジョー:「昨夜、もらった」
支局長:「何の仕事だ?」
ジョー:「王女の記者会見」
支局長:「それに行ってきたのか!?」
ジョー:「その戻りですよ」
支局長:「なるほど、それは悪かったな」
ジョーのウソに開いた口が塞がらず、しかし、そのウソに乗ってみることにしたヘネシー。ニヤリと笑って ニヤニヤ、「This is very interesting.」、そして真顔で問いかける。「ここに共同記者会見での質問状のコピーがある。王女は欧州連邦化(European Federation)について、何と答えていた?」
ジョー:「もちろん“賛成です”と」
支局長「それだけ?」
ジョー:「二つの効果が見込めます。直接的な効果と間接的な効果だ。当然ながら」間接効果は直接効果ほど直接的でなく―即効性はない、後になって初めて分かる」
支局長:「なるほど、鋭い洞察力だな。王室はうまくだましてる、意外と頭がいいな。未来における国家間の友好(the future friendship of Nations)を保つには?」
ジョー:「若者です。“世界の若者がより良い未来をけん引する” そう、王女は信じています」
支局長:「独創的だ。ところで、王女の服装は?」
ジョー:「つまり何を着てたか?」
支局長:「それ以外の意味があるか?…グレー(grey)だと言った?」
ジョー:「言ってません」
支局長:「いつもはそうだが」
ジョー:「そういえば、グレー系の色でしたね」
支局長:「金の襟がついてるドレスか?」
ジョー:「それですよ、うまく説明できなくて」
支局長:「うまい説明だったよ」
ヘネシーとの会話のやり取りの中でウソを積み上げていくジョー。ここでヘネシーは遂に怒りを露わにし、断然と言い放つ。「王女は今朝3時に高熱を出し、今日に予定された行事は全て中止になったというのに!
ジョー:「全部が中止?」
支局長:「そう、ブラッドレー君(Yes, Mr. Bradley)、全部だ」
ジョー:「理解できないな」
支局長:「王女に会ったそうだからな。ローマ中の新聞の一面を飾ってるぞ―」
ジョー:「確かに寝過ごしましたけど」
支局長:「普段から早起きして朝刊を読む癖があれば、世間が注目する、この記事にも気づいたはずだ。すぐメッキの取れるウソをつかずに済んだのに。…」
ヘネシーから渡された新聞に掲載の写真を見て、ジョーは驚いた。そこに写る「アン王女」は、何と昨夜自宅アパートに、やむをえず連れ帰って一夜の宿を提供した、愛らしいが、どこか厚かましく厄介な、あの“招かれざる客”によく似ているではないか
ジョー:「これが王女?」
支局長:「そうだ、Annie Oakley(アニー・オークレイ、1860~1926、米国オハイオ州生まれの女性の射撃名手)でもDorothy Lamour(ドロシー・ラムーア、1914~96、米国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の女優)でもMadame Chiang kai-shek(蒋介石夫人、1898~2003、中華民国の指導者蒋介石の妻・宋美齢)でもない。よく拝んどけ、もう見れないかもよ」[()内は引用者]

「ローマの休日」⒄「ローマの休日」⒅
「ローマの休日」⑸
(ヘネシー支局長の傍らで、新聞紙上のアン王女の写真を見て驚くジョー)

ジョーはそそくさと、ヘネシーとの話を打ち切る。そして慌てて、オフィスの電話に走り、人に聞かれぬよう、アパートの管理人ジョヴァンニ(クラウディオ・エルメッリ)を相手に息せき切って言う。「よく聞いてくれ。急いで僕の部屋へ行き、誰かいるか見てくれ」。件(くだん)の“彼女”がまだ寝ていることが分かって一安心するジョー。必死の思いで、「銃(gun)でもナイフ(knife)でも何でも」持って、誰も部屋に出入りできないようにシッカリ見張ってくれ、と頼み込む。剽軽(ひょうきん)者のジョヴァンニは、銃を肩にかけて、まるで警備兵のようにジョーの部屋の厳重な警戒に就いた―。

「ローマの休日」(24)「ローマの休日」(25)
(“彼女”〈アン王女〉が就眠する部屋の前を警護するジョヴァンニ)

ジョヴァンニとの電話を終えたジョーは、意気揚々とヘネシー支局長のもとへ引き返して言う。
ジョー:「“this Dame”とのインタビューの価値は?」
支局長:「王女の話か?」
ジョー:「ドロシー・ラムーアの話じゃない。いくらだ?」
支局長:「お前が聞いてどうする?」
ジョー:「もし取れたら?」
支局長:「世界情勢についてのコメントなら250。ファッションの話なら1000くらい」
ジョー:「ドルで?」
支局長:「ドルだ」
ジョー:「あらゆる分野(everything)に関する話ならば?例えば、“王女様の個人的で秘密の願い”。わが社の記者による独占インタビューで密かな王女の心のうちを告白したら?これは支局長好みじゃなさそうですな…」
支局長:「恋の要素もあるのか?」
ジョー:「ほとんどが、それです」
支局長:「写真付きか?」
ジョー:「付くといくらに?」
支局長:「その記事なら、どこでもfive grand(5000ドル)は出すだろう。その前に、一つ聞かせてくれ。どうやってインタビューを取る?」
ジョー:「体温計に変装して病室に入り込む(I plan to enter her sick room disguised as a thermometer)。5000と言いましたね。では握手を」(二人は握手を交わす)
支局長:「王女は明日にもアテネ(Athens)に発つんだぞ。じゃあ、私と賭けをしないか。記事が取れなければ500だ」
ジョー:「…交渉成立」
支局長:「では約束の握手を。(二人の再握手直後、続けて)君には既に500貸してるから、負けたら1000の貸しだぞ。いつも私にカモられて(勝ち誇ったように哄笑ニヒヒ )」
ジョー:「ツキも今日で終わり。僕が勝ちます。そして、ニューヨークへ戻ります」
支局長:「負け犬が遠吠えしてるな」
ジョー(顔に柔和な笑みを湛えながら ほっこり):「本社で支局長のことを考えます。空の手綱を握って、ここに座っている姿をね」

急遽アパートに戻ったジョー。侍医が処方した鎮静剤がよほど強い眠り薬だったのか、“彼女”は寝椅子の上で、まだ眠りを味わっていた。新聞のアン王女と目の前の彼女を見比べてみると、やはり同一人物。試しに「王女様」(Your Royal Highness)と呼びかけると、「ええ、何の用?」(Yes, what is it?)と応答するではないか。ジョーはこれは本物だと確信するや否や、寝ている彼女を両腕で抱き抱えて長椅子から、わざわざベッドに移すビックリマーク …やがて目覚めた彼女は、薬の効果が切れ、すっかり正気を取り戻す。そして、知らない部屋に知らない男性といることに驚き入るびっくり

アン:「(私が着ている)このパジャマはあなたの?」
ジョー:「僕のだ」
アンは、右手を素早くお尻に触れ、ショーツをちゃんと穿いているかを素早くチェックする…。
アン:「ここは、どこなのか説明してくださる?」
ジョー:「僕の安アパートさ」
アン:「あなたが無理やり私をここに?」
ジョー:「いや、むしろ、その逆ですよ」
アン:「ここで一夜を過ごした…私ひとりで?」
ジョー:「僕を除けばね」
アン:「では、一夜を共にしたのね…あなたと?」(So I’ve spent the night here – with you?)
ジョー:「その表現は、あまり正確とは言えない。しかし、見方によっては、そうだね」
ここで気持ちのわだかまりが吹っ切れて、晴れ晴れしい笑顔を浮かべたアン。そして、互いに思いがけない出会いを喜ぶかのように、「How do you do?」と挨拶&握手を交わすとともに、名前を聞き合うアンとジョー。
アン:「あなた(のお名前)は…?」(and you are…?)
ジョー:「ブラッドリーだ。ジョー・ブラッドリー」
ジョー:「君の名前は?」(What's your your name?)
アン:「私の名前は…アーニャ」(You may call me Anya.)

「ローマの休日」⒆「ローマの休日」(26)
(正気に戻ったアーニャ〈アン王女〉が、“操”を守れたのでジョーを信頼する…)

やがて、一晩面倒を見てくれたジョーにお礼を伝え、いとまを告げるアーニャ(アン王女)。
アーニャ:「私は、もう行きます。お別れだけ言おうと」
ジョー:「お別れ?会ったばかりじゃないか。朝食はどう?」
アーニャ:「時間がないの」
ジョー:「そんなに慌てて、よっぽど大切な約束か」
アーニャ:「そうよ」
ジョー:「途中までお供しよう」
アーニャ:「大丈夫、一人で帰れるわ」
「good-bye, Mr. Bradley」―アーニャはジョーのアパートを辞去する。しかし、それも束の間、すぐに引き返してきて言う。「忘れてました。お金を貸してくださる?」
ジョー:「いいとも、確か一文無しだったね。いくら必要だい?」
アーニャ:「さあ、いくらお持ちなの?」
ジョー:「では…1000リラ(lira)ある」
アーニャ:「1000リラ、そんなにたくさん?」
ジョー:「およそ1ドル50さ」
アーニャ:「必ずお返しします。ここの住所は?」
ジョー:「マルグッタ通り51番地(via Margutta 51)だ」
アーニャ:「マルグッタ通り51番地、ジョー・ブラッドリーね」
(1953年当時の1000リラは、1ドル50セント=540円<今は昔、1ドル360円時代〉)

宮殿へ戻るべく、一人ローマの街へと繰り出すアーニャ(アン王女)。ジョーは彼女を見失わないように少し離れて尾行する。アーニャはアパートを出た後、何かワクワクするような気分を感じ、せっかく手に入れた自由をすぐに捨て去るには忍びず、街をのんびりと散策。
彼女は露店で、露天商のおばさんにサンダルを勧められて、靴を履き替えた。次に、彼女が気に入った店、「トレビの泉」に近いマリオ・デラーニ(パオロ・カルリーニ)の美容室に入る。

「ローマの休日」⑹
(散策中に「トレビの泉」を偶然発見し、しばし見つめるアーニャ〈手前スカートの長髪の女性〉)

アーニャはマリオにロングヘアを耳の下までカットして欲しいと注文する。マリオはその立派な美しい長髪をバッサリ切ることに驚き、しきりに躊躇するが、結局彼女の希望を叶える。アーニャは小顔なのでショートヘアでも大変似合った。陽気で憎めないイタリア人のマリオは言う。「あなたは、音楽家かな?芸術家でしょう。画家かな?分かったモデルでしょ。完璧にできました。ショートカットにしても素敵です。とても今風ですよ」。そして続けて、「今夜、僕と一緒に踊りに行きませんか。とてもキレイですよ。場所はサンタンジェロ城前のテヴェレ川の船の上です。月明かりの下の音楽、ロマンティックです。来てください」

「ローマの休日」(32)
美容院 アーニャ〈アン女王〉の長くて豊かな美しい髪を切るのをためらい、何度も確認する美容師のマリオ。もっと短く、もっと短く、と言われ、最後はヤケクソのように思い切ってカットする)

「ローマの休日」(31)
(マリオはプロの腕前で、アーニャの髪を短く美しく整える。そして、短髪がよく似合う彼女の美しさを賛美する)

「ローマの休日」⒁「ローマの休日」(38)
(マリオの手に成る ショートカットに大満足のアーニャ(オードリー・ヘプバーン)。前髪は毛先を揃えたストレートバング、サイドの毛はバックの方にぴったりと流し、バックは襟足いっぱいにカットする。これが、いわゆる“ヘップバーンカット”と呼ばれて一世を風靡した女性のヘアスタイルである)

ごく普通の女の子のように楽しい時間を満喫するアーニャ。この間、彼女の後方からついてゆくジョーは、何とかスクープを狙おうとするも、手元にカメラがなく、証拠を残すことができない。それでも諦めきれず、「スペイン広場」の階段でジェラートを頬張る彼女のもとへ、偶然を装って再接近。「もう帰るべきよね」と立ち去ろうとする彼女に、「人生を楽しまないか」「丸一日冒険してみようよ」と提案する。そんなジョーの言葉に少し乗り気になったアーニャが応じる。「あなたには想像もつかないと思うけど。したいことをしたいわ、一日中ね」(Oh, you can’t imagine. I’d like to do whatever I liked, the whole day long.) ジョー:「例えば、散髪や食べ歩き?」。アーニャ:「そう、カフェのテラス席に座るわ、ウインドーを眺め雨の中を歩くの、楽しくワクワクすること…」。これを聞いたジョーは、「今日1日休みにするから、それを二人で一緒に全部やろう!」と、彼女の手を引き、スペイン広場を後にする。

「ローマの休日」(37)
「ローマの休日」⑺「ローマの休日」⑿
(スペイン広場の階段でジェラートを頬張るアン王女の元へ、偶然を装って近づくジョー)

【「映画『ローマの休日』(2)」[本ブログ〈November 01, 2019〉]へ続く…】
2019年10月8日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、18:15~鑑賞。

「イーダ」⑴

作品データ
原題 Ida
製作年 2013年
製作国 ポーランド
配給 マーメイドフィルム
上映時間 80分


「イーダ」⑵

1960年代初頭のポーランドを舞台に、孤児として修道院で育った少女が、修道女の誓いを立てる前に自らの出自を知る旅に出て、やがてユダヤ人を巡る歴史の深い闇と向き合う姿を、モノクロ&スタンダードサイズによるクラシックな映像美で叙情的に描き出すヒューマンドラマ。主演は新人のアガタ・チュシェブホフスカ(Agata Trzebuchowska、1992~)。監督は『マイ・サマー・オブ・ラブ』『イリュージョン』のパヴェウ・パヴリコフスキ。本作はワルシャワに生まれ、14歳の時にポーランドを出てヨーロッパ各国で映画を撮り続けてきたパヴリコフスキ監督が初めて母国で撮り上げた作品。第87回アカデミー賞でポーランド映画初となる外国語映画賞に輝き、全世界48の映画賞を受賞。日本では「ポーランド映画祭2013」でプレミア上映されて好評を博し、14年に単独ロードショー。

「イーダ」⑶

ストーリー
1962年のポーランド。戦争孤児として修道院で育った18歳の見習い尼僧アンナ(アガタ・チュシェブホフスカ)は、“修道誓願”の日を前に修行に勤しんでいる。ある日、アンナは院長(ハリナ・スコチンスカ)から唯一の肉親である叔母(母の妹)ヴァンダ(アガタ・クレシャ)の存在を教えられる。修道院はヴァンダにアンナを引き取るよう何度も依頼したが、ヴァンダは断わり続けてきた。院長は修道女になり完全に俗世と関係を断つ前に、ヴァンダに会うようアンナに勧める。
気が進まないまま、アンナは都会に出てバスに乗り、ヴァンダの家を訪ねる。ヴァンダは一目見て、アンナが自分の姪だと気づく。
アンナはヴァンダの口から、自分が「イーダ・レベンシュタイン」という名のユダヤ人だと知る。母はルージャ、父はハイムといい、第二次大戦中にホロコーストの犠牲となった。ヴァンダは赤ん坊のイーダが、現在のイーダと瓜二つのルージャと写っている写真を見せる。
イーダはヴァンダと別れて再びバスに乗り、修道院に帰るために駅へ向かう。夕刻、裁判所での仕事を終えたヴァンダは駅へ行き、列車を待っているイーダを家へ連れて帰る。イーダは幼い自分と写真に写っている一人の少年に目を留める。
イーダは故郷のピャスキに行って両親の墓参りをしたいと望むが、ヴァンダはユダヤ人のルージャたちの遺体は何処にあるか分からないと言う。二人はピャスキでルージャたちの墓の在り処を探ることにする。

イーダとヴァンタは車に乗り込み、ピャスキへ向かう。現在、二人がかつて生まれ暮らしていた家には、フェリクス(アダム・シシュコフスキ)の一家が住んでいる。フェリクスの帰宅を待つ間、イーダは教会へ、ヴァンダはカフェへ行く。ヴァンダはカフェの店主や客にルージャたちについて尋ねるが、皆ユダヤ人について話すことを避ける。
必死にルージャたちの消息を知ろうとするヴァンダに対し、フェリクスはユダヤ人について話すことを頑なに拒む。第二次大戦中、フェリクスの父シモン(イェジー・トレラ)は迫害されているユダヤ人たちを匿っていた。ヴァンダはフェリクスから、シモンが他の町へ越したことを聞き出す。
シモンがいる町へ向かう途中、スピード違反のためヴァンダは拘留され、イーダは教会に泊まる。翌朝、釈放されたヴァンダは、戦後に多数の反体制派の人間を処刑したことをイーダに打ち明ける。1950年代初頭、彼女は人に恐れられるスターリン主義の検察官だったが、今は酒と煙草と束の間の情事に逃げ込んでいた。
町の手前で、ヴァンダはヒッチハイク中のサキソフォン奏者の青年リス(ダヴィド・オグロドニク)を拾う。リスはイーダたちが泊まるホテルでの公演のために町へ向かっており、二人をその夜の公演に招待する。
ホテルの従業員からシモンの住所を聞き出したヴァンダは、イーダと共にシモンの自宅へ向かう。シモンは数日前から老衰のため町内の病院に入院しており、いつ戻るか不明である。
夜、イーダは聖書を読んで静かに過ごそうと部屋に残る。ヴァンダはレストランへ行き、酔って見知らぬ男と踊り、夜更けに部屋へ戻ってくる。イーダはヴァンダのふしだらな振る舞いに戸惑うが、ヴァンダがルージャを心から愛していたこと知り、思わず彼女に同情する。
眠れなくなったイーダは、レストランで仲間たちと過ごしているリスに会いに行く。初めて会った時から惹かれ合っていた二人は、言葉少なに会話を交わす。

翌日、イーダたちは入院しているシモンを訪ねる。二人はシモンから、庇いきれなくなったユダヤ人を殺して埋めたことを聞かされる。ルージャに預けられていたヴァンダの息子も殺され、ルージャたちと一緒に埋められた。イーダは写真に写っていた少年がヴァンダの息子だったと知る。
ホテルに戻ったイーダたちのもとに、フェリクスがやってくる。フェリクスはルージャたちが埋められた場所を教える代わりに、死期の近いシモンに関わらないよう、イーダたちに頼む。
リスはレストランの隅で物思いに沈むイーダに話しかけ、将来について質問する。イーダは修道女になるという明白な目標を語り、青年は兵役から逃れるために各地を転々としていると打ち明ける。イーダは青年への恋心を自覚する。
翌日、イーダとヴァンダは、フェリクスと共に町外れの森へ行く。ヴァンダはフェリクスが掘り起こした息子の骨をショールに包む。
大戦中、匿っていたユダヤ人たちを殺して埋めたのは、シモンではなくフェリクスだった。フェリクスが、ユダヤ人だとはわからない幼いイーダを秘密裏に修道院に預けたため、イーダは一人生き残ることができた。

イーダは両親の骨を毛布で包み、車のトランクにヴァンダの息子の遺骨と並べて乗せる。一族の墓にルージャたちの骨を埋めるため、イーダたちはルブリンへ向かう。荒れ果てた共同墓地に遺骨を埋めた後、イーダは十字を切る。
修道院に戻ったイーダは、修道女になる決意が揺らぎ、修道誓願を辞退する。ヴァンダは酒浸りになり、男たちと逢瀬を重ね、亡き親族の写真を眺めながら悲嘆に暮れる毎日を過ごす。そして、ある日、ヴァンダは自宅の窓から飛び降り自殺する。
イーダはヴァンダの家に滞在し、部屋を片付け遺品を整理する。彼女は修道服を脱いでヴァンダのドレスを身に纏い、慣れないヒールを履き、ヴァンダが残した酒を飲んでタバコを吸う。
ヴァンダの葬儀の日、イーダは墓地でリスと再会する。彼は修道女であることをやめたイーダをデートに誘う。二人はバーでダンスをし、ヴァンダの家で一夜を共にする。リスはイーダに結婚を申し込む。
翌朝、イーダは修道服を身につけ、眠っているリスを残して部屋を出る。町へ向かう車とすれ違いながら、彼女は歩いて修道院へ帰っていく―。

▼予告編



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パヴェウ・パヴリコフスキ(Pawel Pawlikowski, 1957~) 『イーダ』について語る本作オフィシャルサイト/作品紹介) :
≪1962年は、共産主義ポーランドが構築していた“英雄の時代”が終わりを迎えた時代でした。共産主義思想が色あせ、時代の空気に変化がみられ、ポーランドが東欧諸国のなかで最も自由な雰囲気に包まれていた頃だったのです。
私の母はカトリック教徒でバレリーナ、父はユダヤ教の信者で医師でした。父は自分がユダヤ教の信者であることを人に一切話さず、彼の家系には謎めいたところがありました。ある日、私は父方の祖母がアウシュヴィッツで死んだことを知り、それ以来カトリックである事、キリスト教徒である事の意味について深く考えるようになったのです。
私はチャック・コリアやキース・ジャレットに影響を受け、一時期ジャズ・ピアニストとして活動していました。映画の中でジョン・コルトレーンのバラード“ネイマ”を引用しましたが、あの曲はイーダとヴァンダ2人の女性に比類のない好機を開き、重要な結果に至るような効果をもたらせたのです。またポーランドではあの時代モダン・ジャズの流行があり、クシシュトフ・コメダ(ロマン・ポランスキー監督作品「水の中のナイフ」の音楽を担当)が活躍していました。
ポーランドの一部の人々は、私の作品が明確にホロコーストを扱っていないと反発しました。復讐心や罪悪感に関する内容ではなかったからです。私は2人の女性の旅路を描き、劇的な最後が彼女たちを待ち受けている作品を作ったのです。1962年のポーランドでは生きていくのに数々の困難があったはずです。世界全体を見回しても生きるのが難しかった時代を描くにあたって、散文的にせず詩的理念を持ち観客の共感を得ようと考えたのです。
欧米で作品が支持されて驚きでした。ポーランド映画というものが、世界でどう思われているのかずっと懸念していました。いざとなったら“切腹”をする覚悟で製作していたのです。≫

パヴリコフスキ監督インタビューwebDICE-骰子の眼 2014/07/25) :

──『イーダ』はどのようにして生まれたのですか?
『イーダ』の発想源は、複数あります。そのなかでとりわけ興味深い発想源がいくつかあるのですが、その種のものに限ってさほど意識することなく浮上してきたように思います。たとえば私は秘密や矛盾をたっぷり抱えた一族に生まれ、これまでの人生のほとんどをなんらかの亡命めいた状態で過ごしてきました。アイデンティティ、家族、血統、信仰、帰属意識、歴史といった問題に、常にさらされてきたわけです。
自分がユダヤ人であることを悟るカトリックの尼僧の話を、何年もの間ああでもないこうでもないともてあそんでいました。当初は、ストーリーの時代背景を1968年に設定していたのです。ポーランドで学生による抗議行動が生じ、共産党(ポーランド統一労働者党)が反ユダヤ的な排斥運動の後押しをした(いわゆる「三月事件」として知られる)年です。もともと考えていたストーリーの主人公はイーダよりやや年長の尼僧でした。そのほか、困難な問題を抱えた司祭や、公安省の職員も登場していました。そして全体的に、当時の政治にもっとどっぷりと浸った内容だったのです。当初の脚本は、自分の好みに反して少々図式的にすぎるうえ、スリラー志向も強すぎ、また筋が込み入りすぎてもいたので、しばらくの間『イーダ』は棚上げにして『イリュージョン』(2011)を作るためにパリへ行ってしまいました。ですから当時はまた別の土地にいたわけです。
再び『イーダ』に取り組み始めたとき、自分がこの映画をどのようなものにしたいのかに関し、以前よりずっと明確なアイディアを持っていました。共同で脚本を執筆したレベッカ・レンキェヴィチと一緒に、余計なものを全部取り除いて筋をもっと単純化し、登場人物を含蓄に富んだものにすると共に、彼らをストーリー推進のための駒として扱うことを極力控えました。イーダはもっと若く、もっとうぶで、もっと"白紙状態"の娘になったし、人生の瀬戸際にいるひとりの若い娘になったのです。それに、われわれはストーリーの時代背景を1962年に変更しました。ポーランドにおいては、1968年よりも明確な特徴のない時代です。けれども1962年は、私がいちばん活き活きと記憶している時代でもあります。私自身が子どもの頃─大人の世界で生じていることはわからないけれども、映像や音に対してはずっと敏感だった頃─に、いろいろな印象を抱いた時代なのです。映画のなかに登場するいくつかのショットは、無意識のうちに私の家族アルバムに貼ってあった写真を着想源とした可能性もありますね。

──ヴァンダという人物はどうやって着想なさったのですか?
1980年代初頭にオックスフォード大学で大学院課程の学位を取得しようとしているときに、親切な経済学者にして修正派マルクス主義者で1968年にポーランドを離れたヴウォジミェシュ・ブルス教授(1921年~ 2007年)と親しくなりました。ブルス教授の奥さんのヘレナが私は大好きだった。煙草を吸い、酒を飲み、冗談を言い、びっくりするような話をいろいろとしてくれる女性でした。彼女は馬鹿者どもを容赦することはなかった。けれども温かくて寛大な女性で、私はヘレナのそういうところに心を打たれました。
オックスフォードを卒業してからはブルス夫妻と交流することもなくなりましたが、10年ほど後になって、BBCニュースで次のような報道がなされているのを聞きました。ポーランド政府が、非人道的犯罪への加担を理由に、オックスフォード在住のヘレナ・ブルス=ヴォリンスカなる人物の引き渡しを要請している、と。あの素敵な老婦人が、20代後半の頃にスターリン主義の検察官だったことが明らかになったのです。とりわけ彼女は、世論操作のためにおこなわれたある裁判で、完全に無実だったレジスタンスの真の英雄"ニル"フィエルドルフ(国内軍副司令官エミル・アウグスト・フィエルドルフ[1895年~1953年]のこと)の処刑を工作しました。
このことを知ったとき、少しばかりショックを受けましたね。自分が見知っていた思いやりのある皮肉屋の女性と、冷酷で狂信的でスターリン主義者の死刑執行人とを一致させることができなかったのです。このパラドックスは、何年もの間脳裏を去ることがありませんでした。ヘレナに関する映画の脚本を書こうとすらしましたが、これほどの矛盾を抱えた人物は、私ごときの想像を絶していた。イーダの物語にヘレナ(を思わせる人物ヴァンダ)を導入することで、イーダという人物を活気づける一助となりました。逆に言えば、人を死に追いやった元狂信者をイーダの脇に置くことが、この(ヴァンダという)人物の輪郭をくっきりしたものにし、若き尼僧の旅が孕む意味を明確なものにする助けとなってくれたのです。

──この映画においては、音楽が大きな役割を担っているように思われます。
そう、当初からポップソングがカギとなっていました。子どもの頃に、避けがたく記憶に刷り込まれましたからね。ポップソングは風景を彩ってくれる。ジョン・コルトレーンやら何やらは、大人になってから聴き始めたものです。ちなみに、1950年代末期から1960年代初頭にかけては、ポーランド・ジャズの黄金時代でした。本物の爆発が起こったのです。クシシュトフ・コメダ、ズビグニェフ・ナミスウォフスキ、トマシュ・スタンコ、ヤン・ヴルブレフスキ…イーダの物語を語ることに加えて、ポーランドが喚起するあるイメージ、自分が大切に思っているイメージを呼び覚ましたいと思ったのです。わが祖国は1960年代初頭においては、陰鬱で重苦しく、身動きのとれない状態だったのかもしれない。けれどもいくつかの点では、現在のポーランドよりも"クール"でオリジナルだったのです。それにどういうわけか、世界と共鳴し合う普遍性をもっと備えてもいました。
ポーランド人の多くが『イーダ』に不満を抱くでしょうね。われわれの映画に込められている美や愛情に気づかず、憂鬱や田舎者や醜悪さに焦点を当てることでポーランドのイメージを傷つけたと、私を非難するポーランド人が数多くいるに違いありません…それから、ユダヤ人一家を殺害したポーランド人農夫の問題がある…きっと面倒なことが起こるに違いない。他方では、ユダヤ系を出自とするスターリン主義国家の検察官も登場します。そのおかげで、私は別の角度からも非難されるかもしれない。それでも私は、『イーダ』がありのままに理解されるほどに、特別でありながらもわかりやすい映画であればいいなと思っています。

──イーダ役はどのようにして配役なさったのですか?
若手女優や演劇を学ぶ女学生のなかから配役しようと、ポーランド中いたるところを探しまわった末に、完全な素人に演じさせることに決めました。演技経験が一度もなく、演じたいとすら思っていない女の子──現在ではなかなかお目にかかれないタイプです。時間切れになりそうななか、私が死にもの狂いになって女優探しをしていることを知っていた友人の女性監督マウゴジャタ・シュモフスカが、ワルシャワのカフェでアガタ・チュシェブホフスカのことを目にしました。当時私はパリにいたのですが、マウゴジャタはその場で電話をくれましてね。それで、アガタをiPhoneで密かに撮影して送ってくれないかと頼んだわけです。見たところでは、イーダ役にはまるで似つかわしくない娘だった。むやみに飾り立てたヘアスタイル、古臭い服、ウルトラクールな物腰の、人目をひく"ヒッピー"だったのです。尼僧など演じられそうになかった。けれども彼女の風貌を面白いと思ったし、私はなんとかしてイーダ役の演じ手を見つけようと本当に必死になっていましたからね。
アガタは戦闘的なフェミニストであるうえ、神というものに懐疑的で、ポーランドにおける教会の存在を頭から軽視していることがわかりました。オーディション中に、化粧やヘアスタイルや"ヒッピー"的な装いを取りさって、アガタのことをもっとよく見てみたのです。彼女こそ、まさしくイーダでした。アガタにはどこか時代を超えたところがあり、感動的なまでに真正だった。あたかも現在のメディアや一般的ナルシシズムとは無縁の存在であるかのようだったのです。彼女は真面目な子どものような面立ちをしているけれども、力強さや穏やかな知性を身にまとってもいる。製作者や出資者のなかには、演技経験がなく女優になりたいとすら思っていない人間を起用することに、強い不信感を抱く者もいました。彼らは撮影開始前にも撮影中にも、懸念のメールを送って寄越しましたが、最終的にアガタ起用のリスクは完全な杞憂に終わったのです。今となっては、イーダ役をほかの誰かが演じることなど考えられません。アガタは女優経験を楽しんでもいましたが、彼女が女優よりもむしろ監督を志望していることはかなりはっきりしています。
ヴァンダ役を演じたアガタ・クレシャも、稀に見る強さと誠実さを備えた女性でした。けれどもほかの点では、彼女は若いアガタの対極でした。とてつもなく努力して徹底的に演技の訓練を受けた、自分の職業に全身全霊で打ち込む本物の名人だったのです。頭の回転が速く、葛藤を抱えていて、躁病的で、メランコリックなヴァンダを演じるために、彼女は最大限の努力をしなければならなかった。集中し、抑制し、技巧を誇示することを避けながらね。バランスをとるのが難しかったわけです。
若いサキソフォン奏者のリス役には、実際にサキソフォンを演奏することができて、なおかつ1960年代の人間のように見える俳優を起用したかった。今となっては、容易なことではありませんが。概して若手男性俳優というものは、にやけた色男か勇ましくて凶悪な奴かのどちらかに二分されがちです。男性的でありながら感受性が鋭く、聡明で機知に富み、かつ魅力的でもある若い男を見つけるのは難しい。ダヴィド・オグロドニクは、これらすべてを備えていた。なんといっても、こいつは本物だなと感じさせてくれたのです。彼は二日酔いでキャスティングの集まりに姿をあらわしました。何かの賞をもらって、一晩中そのお祝いをしていたのです。ダヴィドはサックスを持っていませんでしたが、友人から借りたクラリネットを携えてやって来ました。ダヴィドが(ふたつに分割されていた)クラリネットをねじってつなげようとする様子や、ポケットのなかで携帯電話が鳴り出したときに彼が狼狽する様子には、どこか心を打つものがあった。はじめのうち、彼は携帯電話を見つけることができませんでした。次いで使い古した携帯を取り出すと、友人にこれからオーディションを受けるんだと説明していましたね…ダヴィドをアガタ・チュシェブホフスカに引き合わせてみました。ふたりは会話をし、ダンスをして、一緒にいることを楽しんでいましたよ。