映画『パリの恋人』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2016年1月7日(木)有楽町スバル座(東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビル2階、JR有楽町駅・日比谷口正面)で、18:30~ 鑑賞。

作品データ
原題 Funny Face
製作年 1957年
製作国 アメリカ
配給 パラマウント
上映時間 103分


宝石赤 不滅のミューズとして人々に愛されるオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn、1929~1993)主演のミュージカル。カメラマンにスカウトされ、パリでモデルとなった女性の恋を華やかな歌と踊りを交えて描き出す。メガホンを取るのは、『雨に唄えば』などミュージカル映画の名作を多く手がけたスタンリー・ドーネン。共演は1930年代から1950年代にかけてハリウッドのミュージカル映画全盛期を担ったフレッド・アステア(Fred Astaire、1899~1987)。撮影コンサルタントに、ファッション・フォトの名手リチャード・アヴェドンを迎え、その写真がコラージュされた画面は、映画にテンポを生んでいる。

宝石緑 オードリー・ヘプバーンは『パリの恋人』が気に入っていたという。他愛もないミュージカルもの、と言ってしまえばそれまでの映画に、何でそう思い入れがあったのか。憧(あこが)れのフレッド・アステア相手に、思う存分ダンスが踊れたからだ。オードリーが目指していたのはバレリーナ、それもプリマだった。一心不乱にレッスンに打ち込んでいたのに、背が高くなりすぎて相手役がいなくなり、セカンド・バレリーナなら大成すると言われガックリ。バレエはダメでも自分が最高になれるものがあるはずだと、生来努力家のオードリーはモデルやらダンサーやらをやって一家の生活を支える。ロンドンのキャバレーで踊っていたのは20歳のころ。オードリーのサクセスは、確かに彼女の才能ゆえのことだろうが社会人としての良識も、人を人と思わない芸能人もいるなかで、彼女を護った才能のひとつだった。満足に食べられなかった少女時代の飢えと困窮の暮らし。生涯それを忘れなかったオードリーは、無我夢中で働き、優れた監督や脚本家と出会い成功したが、人の好意にあぐらをかかず、目をかけてもらうだけでもありがたいことなのだと感謝した。セットには絶対遅刻せず時間厳守、セリフは完璧に覚え、スタッフへの礼儀と尊敬を忘れなかった。
フレッド・アステアと言えば、当時オードリーでなくても多くのファンの「憧れの人」だった。1930年から1950年代のアステアは、ハリウッドのミュージカル映画の全盛時代をつくった。映画会社RKOが経営を立て直したのは、アステアとジンジャー・ロジャー(Ginger Rogers、1911~95)が組んだダンス・コメディによる。映画史に「アステアとジンジャーもの」というジャンルさえつくった不世出の大スターである。不況下のアメリカでアステアのダンスは、大衆に夢と希望を与え勇気を鼓舞した。アステアが、生活のため悪戦苦闘していた無名のオードリーのヒーローだったとしても不思議ではない。
『パリの恋人』が企画されたとき、オードリーは『ローマの休日』(1953年)→『麗しのサブリナ』(1954年)→『戦争と平和』(1956年)と立て続けに主演し、舞台の『オンディーヌ』(1954年)でトニー賞受賞と、もはや押しも押されぬトップスターだった。オードリーが出した条件がアステアとの共演だった。劇中オードリーが踊るダンスシーンがかなり長くある。もちろん自分で踊っている。アステアは「彼女はそれまで抑えていたダンスの夢が解放され、つむじ風のように踊った」と言っているが誇張ではない。オードリーの体格は170センチ、58キロ。見た目より体重があり、息子ショーンによると「母は着ぼそりするタイプで、脚や腕はアスリートなみの筋肉がついていた」。本作では黒いタイツ姿で踊るのだが、長い腕や脚にはしっかり筋肉がつき、基礎から鍛えたレッスンを思わせた。アステアのワンマンショーもさることながら、オードリーと二人で踊るシーンも素晴らしい。
監督のスタンリー・ドーネンは、28歳の時に『雨に唄えば』(1952年)でミュージカルの金字塔を打ち立てた。オードリーとは『パリの恋人』以後『シャレード』(1963年)、『いつも二人で』(1967年)と相性のいい仕事をしている。そもそもドーネンはダンスの名手で、1998年のアカデミー名誉賞受賞のとき授賞式で軽やかなタップダンスを披露した。『パリの恋人』でも演技指導か何かだろう、オードリーと気持ちよさそうに踊るスナップが残っている。

ストーリー
ニュー・ヨークのファッション雑誌クォリティ・マガジンは、新しいモデルを探し出してミス・クォリティと名づけ、パリの世界的デザイナー、ポール・デュヴァル(ロバート・フレミング)に衣裳を作らせてファッション・ショーを開き、その写真を独占して大いに雑誌を売ろうと計画した。ミス・クォリティのモデルを探す役は、有名なファッション・カメラマンのディック・エヴリー(フレッド・アステア)。苦労の末、ジョー・ストックトン(オードリー・ヘプバーン)という娘を見出した。彼女はある古本屋の店番で、パリのフロストル教授が主宰する「共感主義」の哲学を信奉するインテリ娘だった。ジョーはもちろん、ファッション・モデルなどに興味はなかったが、パリに行けば崇拝するフロストル教授に会えるので、ミス・クォリティになるのを承諾した。クォリティ誌の主筆マギー・プレスコット女史(ケイ・トンプソン)とエヴリー、ジョーの一行がパリに着くと、ジョーは早速、画家や詩人や共感主義者が集まる裏街のカフェーに行った。翌日、デュヴァルのサロンでは、見違えるほど美しくなったジョーの姿があった。ミス・クォリティを紹介するパーティの夜、ジョーはフロストル教授が裏街のカフェーで講演することを知ると、パーティのはじまる前の寸暇を盗んで出かけて行った。ジョーははじめてフロストル教授(ミシェル・オークレール)に会って、教授がまだ30代の青年であるのに驚いた。ジョーの後を追って来たエヴリーは、ジョーを促し、デュヴァルのサロンへタクシーを走らせた。途中、2人の間に口論がはじまった。エヴリーは若い青年の教授が彼女に興味を抱いている様子が気に入らないのだ。ジョーは教授の前でエヴリーが無礼なことを言ったと腹を立てていたのだ。2人の口論はサロンに着いてからも続いていた。そのお陰でパーティは滅茶滅茶になった。翌日、エヴリーはジョーがフロストル教授の部屋にいるのを見つけると、ジョーを連れ帰ろうとした。昨夜見せられなかったデュヴァルのデザインしたドレスを今夜発表することになっているからだが、一つには教授の野心を見抜いたからだった。しかし、ジョーはエヴリーのそんな態度が気に入らず、絶対帰らぬと言い張って喧嘩別れしてしまった。エヴリーが帰ると教授は、エヴリーが見抜いたとおり、ジョーに愛を求めようとした。彼女ははじめて教授の本心を悟り、部屋を飛び出すと、デュヴァルのサロンへ急いだ。難産の末に、ミス・クォリティはやっと誕生し、エヴリーとジョーは結ばれた―。

▼予告編



オードリー・ヘプバーンの歌「 How Long Has This Been Going On? 」in Funny Face :



フレッド・アステアの歌「He Loves and She Loves」in Funny Face :