2019年11月8日(金)新宿ピカデリー
(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分) で、17:10~鑑賞。
作品データ :
原題 At Eternity's Gate 製作年 2018年 製作国 イギリス/フランス/アメリカ 配給 ギャガ/松竹 上映時間 111分 ウィレム・デフォーが孤高の画家フィンセント・ファン・ゴッホを演じ第75回ベネチア国際映画祭で男優賞を受賞し、第91回アカデミー賞でも主演男優賞にノミネートされた伝記ドラマ。自身も現代美術のアーティストであるジュリアン・シュナーベル監督が、
ファン・ゴッホの最期の日々に焦点を当て、不安や孤独と格闘しながらも自らの絵を追い求め続けた姿を、ファン・ゴッホの眼から見た世界の再現に挑んだ美しい映像とともに描き出す 。ファン・ゴッホ役のデフォーのほか、ゴーギャンをオスカー・アイザック、生涯の理解者でもあった弟テオをルパート・フレンドが演じるほか、マッツ・ミケルセン、マチュー・アマルリックら豪華キャストが共演。
ストーリー :
画家としてパリでは全く評価されていないフィンセント・ファン・ゴッホ(
ウィレム・デフォー )。彼は、会ったばかりのポール・ゴーギャン(
オスカー・アイザック )の「南へ行け」というひと言で、南フランスのアルルへやって来る。「まだ見ぬ絵を描くために、新しい光を見つけたい」という彼の願いは、この地で春を迎えた時に叶えられた。
行きつけのカフェのオーナーであるジヌー夫人(
エマニュエル・セニエ )に頼んで、“黄色い家”を紹介してもらったファン・ゴッホは、ゴーギャンの到来を待ちわびる。
広大な畑をひたすら歩き、丘に登って太陽に近づき、画材を取り出すファン・ゴッホ。竹の枝で作ったペンの先から、たちまち彼だけの線が生まれていく。どこまでも続く風景に絶対的な美を見出した彼は、「永遠が見えるのは僕だけなんだろうか」と自身の胸に問いかける。風になびく麦の穂や沈みゆく太陽を見つめる彼の瞳は、不思議な輝きを放っていた。
ある時、地元の人々とトラブルになったファン・ゴッホは、強制的に病院へ入れられる。駆け付けてくれた弟のテオ(
ルパート・フレンド )にも、初めて特別なものが見えることを打ち明ける
のだった。
やがて一緒に暮らし始めたファン・ゴッホとゴーギャンは、“絵を描く”ことについて際限なく議論を交わす。自然を見て描くファン・ゴッホと、自分の頭の中に見えるものを描くゴーギャン。一瞬で真実を捉えようと素早く描くファン・ゴッホ、ゆっくりと降りてくるのを待つゴーギャン。屋外に美を探し求めるファン・ゴッホ、内面に深く潜るゴーギャン、すべては正反対だ。それでもファン・ゴッホは、「僕らの時代だ」と熱く語るゴーギャンに心酔し、ますます創作にのめり込むが、やがてゴーギャンが去って行くことは止められなかった。
再び一人になり絶望したファン・ゴッホをこの世に繋ぎとめたのは、描き続ける情熱だけだった。相変わらず1枚の絵も売れない日々の中、彼は神父(
マッツ・ミケルセン )にそっと語る。「未来の人々のために、神は私を画家にした―」
もはや彼の眼差しに不安の影はなかった。晴れ晴れと穏やかなその瞳が最期に映したものとは…。
▼予告編
VIDEO ▼
特別映像 :
VIDEO ◆
ジュリアン・シュナーベル(Julian Schnabel、1951~)×ウィレム・デフォー(Willem Dafoe、1955~) インタビュー (
映画.com -「ゴッホの映画をアーティストが作るということ」- 2019年11月8日 )
――生前に才能を認められなかったゴッホとは違い、画家としても映画監督としても成功されているあなたが、ゴッホを題材にした映画を作られた理由を教えてください。 シュナーベル:私は画家としても映画監督としても成功していると言われますが、何をもって成功と言うのでしょうか。本当の成功は、自分の作った作品の質によるのではないかと思います。私にとって芸術と人生は表裏一体。アド・ラインハートという画家の言葉を引用すると「芸術があり、あとはそれ以外」ということなのです。ゴッホがかつて描いた絵が、今、生きている私たちの中で息づいています。
ウィレムもアーティストですし、彼は俳優として、演技という芸術活動を行っています。ですから、ふたりでこの映画という芸術作品を作りました。芸術は時間と一緒に機能していくもの。この映画のタイトルは「永遠の門」です。私たちはこの映画とともに永遠に参加したのです。皆、いつの日か人間としての命は消えますが、映画は記録された作品として残り、彼の画家としての感情はずっと続いていくのです。
この芸術作品―映画は、ウィレムがいなければできませんでした。彼が参加し、高みに持って行ったことに、ゴッホは大きな笑みを浮かべるに違いないでしょう。ゴッホについての映画はたくさんあり、それぞれ違う視点から作られています。しかし、このウィレム・デフォー版のゴッホは、比類のない素晴らしいものだと思います。今回彼と一緒にこの映画を作り、完成したことを光栄に思っています。
――これまで様々なゴッホの映画が作られていますが、あなたのこの作品は、主に彼の精神、そして聖性のようなものにフォーカスされています。 シュナーベル:例えば、黒澤明監督の「夢」では、ゴッホの絵をまずイメージとして取り入れ、そこにキャラクターを置くというアイディアを使っています。マーティン・スコセッシが演じたゴッホは賢く描かれていますが、ゴッホの内面に入ろうとしているとは思えません。
私は、ゴッホは気が狂ってはおらず、自殺したとも考えていません。繊細で、他人と上手に付き合うことができなかっただけです。 リサーチからもそう思います。私たちは純粋に彼の作品にのみ呼応して作りました。そして実際、ゴッホ自身、
キリストと同化していた部分 があるのです。
――映画史に残る数々の傑作に出演されていますが、今作は新たな記念碑的な一本になったのではないでしょうか。30年前にマーティン・スコセッシ監督の「最後の誘惑」でキリストも演じられています。ゴッホという、ある意味神格化されたような人物を演じるにあたっての役作りについて教えてください。 デフォー:アーティストについての作品をアーティストが作る。そういった作品の鍵となるアプローチは自分がいかに経験し、学び取れるのかということ。今回特別だったのは、ジュリアンが僕に絵を描くことを教えてくれたことです。絵を描くことで、ものの見方のシフトができて、それがものすごく本質的なことだとわかりました。
対象を見る、絵を描くというのはそのテクニックのことだけを指すのではなく、生き方、自然と共に生きるのはどういうことなのかということでもあり、そこで何かを見ることによって、何かが作られていく 。そういった物事の栄枯盛衰はゴッホが手紙に書いたことでもあり、役者にとって実用的な側面として、私自身を変えました。物語の中に自分を置き、全ての過程でそれが影響してきたのです。
シュナーベル:彼の言葉に付け加えさせてください。彼が言う、役へのアプローチは事実ですが、一言で言うと“
神秘 ”、説明できないものなのです。彼がその場に行って、そこで感じたもの、どういうプロセスを経たのか、ひとつひとつ名前をつけると、それは宗教かもしれませんし、狂気といったものになるのかもしれません。
私は彼のことを30年知っていますが、彼は自分がわかっていること、わかっていないことをいったん全て自分の中に取り入れて、キャラクターにします。そして、カメラの前に立った彼は私の知らない人物になっている。これまでの人生に何があったか知りませんが、それが出てきて、神秘としか言いようがないのです。
ゴッホの絵も同じことが言えます。もちろん描かれた花、筆致、ガッシュ、色…と様々な要素にそれぞれ名前をつけることができますが、それをひとつにすると、
説明のできない、論理のない物 になる。それが神秘であり、魔法です。そして、その魔法がどのようにしてできるのかは、はっきりした答えがないのです。この人生のなかで、数少ない純粋さを貫いているものがそこにはあるのです。やはり「芸術があり、あとはそれ以外」なのです。
――デフォーさんにとって、映画監督としてのシュナーベルさんとの仕事についてお聞かせください。 デフォー:ゴッホは絵が自分自身であるというのですが、私にとっても、この作品がジュリアンと私、そしてゴッホであり、切り分けることができないのです。それは、何かを守りたいということではなく、真実だからです。もしかしたら、それはお互いを知っているからかもしれないし、お互いに作りたいという欲望がマッチした結果かもしれません。あるいは、ロケでのふたりの感覚であったり、何かを探そうとするふたりの思いが合致したのかもしれません。共に経験し、共に動きながら、見つけていくという中で生まれた作品なのです。
まず最初に企画があり、それを形にしていく映画があります。しかし、これはそうではなくて、もちろん強い脚本や視覚的なアイディア、独特な撮影法もありますが、
全てはロケ地に立って、そこで動く事象、光を見たり、絵を描いたりすること でした。これはゴッホの手紙から借りたやり方でもありますが、自然とやり取りする中で、生まれてくる錬金術のようなものでした。全ての映画はこのように作られているわけではありませんが、ジュリアンは何かを見つける、見出すことについて作品作りをしていく中で研鑚を積んでいます。制作過程で真実とは何かを見つけていく、今回はそのように作られた作品です。
――おふたりは30年来の付き合いだそうですね。どのような部分がお互い共鳴しているのでしょうか。 デフォー:僕はジュリアンと一緒にいるのが好きです。刺激を受けますし、いつも挑戦をしているし、心が広くて、そこにあるものと相対することがとても上手な方です。彼は今の生を生きることに長けているんです。そういう意味で素晴らしい師でもあります。
シュナーベル:私の母がこう言いました、「
友人とは、自分のことを全部わかっている人。だけど、それでも好いてくれる人が友人 」だと。一緒に仕事をする上では、信頼でき、何かを学べ、自分が考えないことを考えてくれる人。作者であるということで、自分を守らずオープンであることが大事です。彼は、脚本を読んで、何か違うなと思ったら、「このキャラクターはこういう風に言うかな?」と提案し、どういう感情を出したいのかを言ってくれる。そこには、信頼があり、協力しようという気持ちがあると思います。そして彼は、そういったことを他の監督にも言える人なのです。自分の役割だけでなく、映画全体を通してのメッセージとして、どのようにしたら良いのかを考えてくれる人。そういう意味では、真の協力者であり、無私の人。俳優はエゴイストが多いので、彼は珍しいタイプです。他の役者を助けるという意味でも、まれな役者。信頼はとても大事です。
時々、私たちは一体何をしているんだろう、と思うこともあったんです。しかし未知の部分に進んでいるということだけはわかっていました。私の理論はとりあえず穴に飛び込む、そして一日で這い上がれたら、今日一日分の仕事は終わった、と考えるのです。
デフォー:私も信頼がなければ未知の場所に足を運ぼうとは思いません。そういったことなしに何かを発見するということには至らないのです。
シュナーベル:この映画を撮影したのは2年前です。今回ふたりで日本に来たのは、仕事ではなく、この作品を愛の結晶として考えているからです。お互いを尊重し、ゴッホに敬意を表する意味でもあるのです。この言葉は適切ではないかもしれませんが、面白いと思うのです。ゴッホは日本の絵画に興味を抱いていました。19世紀末のフランスで人気を博し、VOGUEの表紙に載っていた浮世絵を、当時無名のゴッホが模写していた。ですので、ゴッホについての映画を作った私が、今ここで取材を受けていると知ったら、彼はとても驚くのではないでしょうか。
◆
ジュリアン・シュナーベル監督 インタビュー (
Real Sound - 「ジュリアン・シュナーベル監督が語る、ゴッホへのアプローチ」- 2019.11.13 ) :
――ゴッホは非常にポピュラーな存在です。なぜ、今改めてモチーフとして取りあげることにしたんでしょうか? シュナーベル:君の言う通り、ゴッホは歴史上で最も取りあげられている画家かもしれない。
みんな自分がゴッホのことをすでに知っていると思っている。でも、そんなことはありえない。 だから、僕は、あえてゴッホに対して違うアプローチをとった。自分たちでゴッホという「像」を意識的に作り上げたんだ。彼が書いた手紙や、私が見た彼の絵画の印象、彼とゴーギャンの関係についての資料を元にして、彼だけに限らず、本作に映っている絵画も作り上げた。私は画家でもあるから、絵画のことをよく知らない人が作ったものとは違うゴッホになったと思う。
――本作を作ったことで、改めてゴッホについて気づいたことはありますか? シュナーベル:今回の制作を経て、ゴッホから「今までやらなかったことをやってもいい」という許可をもらったような気がする。ゴッホには「ひまわり」という有名な絵があるけれど、その絵が何枚も描かれているんだ。すごく面白いと思ったし、僕は今でもデフォーが演じたゴッホをモデルにした、ゴッホの自画像作品を何枚も描いている。今、改めて、ゴッホのインスピレーションを探っているし、自分がやってこなかったことに挑戦しようとしている。
そういう意味では、まだ映画は終わっていないとも言えるね。映画というのは記録された部分だけじゃなく、その前や後もあるんだ。まさに『永遠の門』というタイトルみたいに永遠に続いているのかもしれない(笑)。
映画を観終わって映画館から出ても、自分の心の中に生き続ける 。それってアートの目的だよね。映画でも絵画でも、物理的なものを扱ってできたものが、精神に取り込まれていく…そのアートの価値に改めて気づいた。本作を観て一週間ほど経ってから電話してきてくれた人が、「何かが変わったみたい」と言っていたんだけど、それを聞いた時に作品の成功を実感したね。
――監督自身では、絵画と映画で、どのようにアウトプットを分けているんでしょうか? シュナーベル:静止しているか否かという手法の違いしか僕は感じていない。そして、どちらも孤独な行為だということ。一度、絵を映画に、映画を絵にしようとしたことがあるんだけど、結果としてその両者の構造や意味、与えてくれる感覚は僕には分けられなかった。どうやって、何を語るか…結局それが大事で、手法に関して意識したことはないね。
――本作でゴッホを演じたウィレム・デフォー、ゴーギャンを演じたオスカー・アイザックとの作業はいかがでしたか? シュナーベル:彼らはとても温かくて、寛大な俳優たちだった。「お仕事」じゃなくてやりたいからやってくれたんだ。アイザックは、『スター・ウォーズ』の宣伝活動より、こちらを優先して撮影に来てくれた。それってすごい選択だよね。彼はそれほどこの映画に強く惹かれていたんだ。彼らのことは信頼していたから自由にやってもらって、僕らスタッフはそのための場所を提供すること、そしてその中で起きる一つ一つを見逃さないことだけに注意していた。
――芸術は、不遇に終わったゴッホの時代に比べればとてもポピュラーなものになりました。 シュナーベル:
芸術というのは、芸術家が止むに止まれず作ってしまうもの だと思う。お金持ちになりたいという欲望から偉大な芸術が生まれるとは思えない。ゴッホが有名になりたかったかと聞かれたら、彼は怒るだろう。彼は、自分のやり方で、自分の世界を表現したかっただけだ。後になって観客が追いついてきた。その点、僕はすごくラッキーだ。こうして作品を観客と分かち合うことができている。これはゴッホにはなかったことだ。だけど、
彼にはゴーギャンがいた 。アンデパンダン展で、ゴーギャンから作品の交換を提案されたことは彼の人生に大きな感動を与えた。尊敬している人が、自分が見ている世界に同意してくれるというのは芸術家にとって最高なことだと思う。
参照:
本ブログ〈December 13, 2018〉 /
本ブログ〈December 15, 2018〉 /
本ブログ〈April 17, 2018〉 。