映画『ローマの休日』(3) | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

【以下は、同名映画(2)〔本ブログ〈November 01, 2019〉〕の続き…】

Also Known As(AKA)
(original title)  Roman Holiday
USA  Roman Holiday
UK  Roman Holiday

France  Vacances romaines
Italy  Vacanze romane
Germany  Ein Herz und eine Krone
Spain  Vacaciones en Roma

Finland  Loma Roomassa
Denmark  Prinsessen holder Fridag
Russia  Римские каникулы
Poland  Rzymskie wakacje

Hungary  Római vakáció
Slovakia  Prázdniny v Ríme
Korea  로ー마의 休日
Japan(Japanese title)  ローマの休日


「ローマの休日」(48)

「ローマの休日」(49)「ローマの休日」(50)

「ローマの休日」(51)「ローマの休日」(52)

「ローマの休日」(53)「ローマの休日」(54)

「ローマの休日」(55)「ローマの休日」(56)

「ローマの休日」(57)「ローマの休日」(58)

「ローマの休日」(59)「ローマの休日」(60)

キラキラ 美男美女”Gregory Peck& Audrey Hepburn
(Actors Gregory Peck as Joe Bradley and Audrey Hepburn as Princess Ann in a publicity still for the film “Roman Holiday”, 1953. )【私は数十年に及ぶ自らの映画鑑賞史上、正真正銘の“美男美女”というと、ただちにGregory Peck & Audrey Hepburnという好一対の男女の組み合わせを連想する―。】
「ローマの休日」(61)

宝石赤 cf. 第26回アカデミー賞授賞式(開催日:1954年3月25日)で主演女優賞を受賞したAudrey Hepburn
(Audrey Hepburn winning the Best Actress Oscar for her performance in “Roman Holiday” at the 26th Annual Academy Awards in 1954. Presented by Donald O'Connor and Gary Cooper.)


宝石ブルー cf. 第35回アカデミー賞授賞式(開催日:1963年4月8日 )で主演男優賞を受賞したGregory Peck
(Sophia Loren presenting Gregory Peck the Oscar for Best Actor for his performance in “To Kill a Mockingbird”(邦題『アラバマ物語』) at the 35th Academy Awards in 1963. Introduced by Frank Sinatra.)


虹 キラキラ cf. 第60回アカデミー賞授賞式(開催日:1988年4月11日)でプレゼンター(賞の授与者)を務めたGregory Peck& Audrey Hepburn
(Audrey Hepburn and Gregory Peck presenting the Oscars for Writing (Screenplay Based on Material from Another Medium) to Mark Peploe and Bernardo Bertolucci for “The Last Emperor” and for Writing (Screenplay Written Directly for the Screen) to John Patrick Shanley for “Moonstruck” , at the 60th Academy Awards in 1988.)【『ローマの休日』から35年後の二人!!


宝石ブルー cf. Gregory Peck(1916年4月5日~2003年6月12日〈87歳没〉)
(Eldred Gregory Peck was an American actor who was one of the most popular film stars from the 1940s to the 1960s. Peck continued to play major film roles until the late 1980s.)


宝石赤 cf. REMEMBERING AUDREY HEPBURN(1929年5月4日~1993年1月20日〈63歳没〉)
[The images shown in this slideshow are mainly from her earlier films(which include Roman Holiday, Sabrina, etc) and some of her family photos as well.]


ゆめみる宝石 cf. 想い出のオードリー・ヘプバーン


私感
!! 名作は何度観てもいい!今や古典的名作として名作中の名作である本作は、何回鑑賞しても素晴らしい!シナリオも演出も職人芸の巧(うま)さが詰め込まれ、どのショット→シーンも絵になり何とも魅力的で名場面になりえている。主役はもとより、どの脇役にも人間味が籠(こ)もっており、映画の隅々にユーモアと共に大人の男と女の気品が漂っている。

クリップ 私は本作を小学生の時、二人の姉に連れられて、北海道の田舎の映画館で初めて観た。その後、私と本作との関わりは、映画館で10回前後、VHS、DVD、テレビ放送で十数回、計20回超の鑑賞回数を数える。本作は私の映画鑑賞史上、夢寐(むび)にも忘れられない映画にほかならない。
私の姉二人は、本作をきっかけにして、オードリー・ヘプバーンの大ファンとなり、日本公開のオードリー出演作を必ず鑑賞するほどの熱の入れ様。特に長女にいたっては、単なる映画鑑賞にとどまらず、オードリーの全身像に憧れて、そのメイク&ファッションの何か一つでも真似しようと必死になった。何でも~後年の彼女自身の思い出話によれば~、そんな「女子ゴコロ」が10年近く疼(うず)き続けたとのこと。

宝石赤 オードリー・ヘプバーンは本作でアカデミー賞主演女優賞を獲得、一躍押しも押されもせぬ世界的な大スターになった。「アーニャ」⇒オードリーは可憐で、愛らしく、爽やかで、溌溂としている。 「アン王女」⇒オードリーは我意を張りながらも、高貴で、気品があって、毅然としている。まさしく、はっとするような美しさ、あどけなさ、初々しさ、その全てがはなはだ印象的なのだ。ハリウッド・デビューとなったオードリーについて、共演のグレゴリー・ペックは 「彼女はきっと大スターになる」 と確信し、監督のウィリアム・ワイラーは「世界中が彼女に恋してしまうと、私には分かっていた」 と語ったという。確かに本作はオードリーの魅力が光った作品であり、彼女あっての映画であるといっても過言ではない。

宝石ブルー ところが、本作初鑑賞時の私は、 どうやら後に“永遠の妖精”と謳われたオードリー・ヘプバーンの価値を痛感していなかったように思う。当時ませた映画少年だったとはいえ、しょせん小学校低学年の小癪なガキにすぎなかったからだろうか…。正直なところ、本作全編を通して、私はオードリーよりも、グレゴリー・ペックという正統派美男俳優に強く惹きつけられたものだ。私には、彼の体全体が醸し出す清々(すがすが)しい雰囲気が、何よりも堪らなく心地よかった。そして、彼の端正なマスクとスマートな体型~190㎝の、肩幅も広い、均整のとれた長身~が、私の目を奪うのであった。本作初見後、〈小学→中学→高校→大学→大学院〉時代を通して日本公開のペック出演作を、(大部分は映画館で、多少はVHS・DVD・テレビ放送で)手当たり次第に鑑賞するという、彼の熱心なファンとなった私!1950~70年代に(76年のオカルト大作『オーメン』以降は観ずじまい)、ざっと数えて20作ばかりに接したが、今でも忘れがたい、すぐに全体像を想起できる作品といえば、『子鹿物語』(46年)/『白昼の決闘』(46年)/『キリマンジャロの雪』(52年)/『白鯨』(56年)/『大いなる西部』(58年)/『悲愁』(59年)/『渚にて』(59年)/『ナヴァロンの要塞』(61年)/『恐怖の岬』(62年)/『アラバマ物語』(62年)/『マッケンナの黄金』(69年)の11作である。

宝石赤 オードリー・ヘプバーンについては、私の場合、年を重ねるほどに彼女の価値を発見するようになり、次第にその魅力につかまっていった。
私は本作初見後、1950年代から60年代にかけて~オードリーがハリウッドにおける15年間にわたる輝かしい経歴に区切りをつけ、映画界から一旦身を引いた67年まで~、彼女の出演(=主演)全作品を映画館で鑑賞。すなわち、『麗しのサブリナ』(54年)/『戦争と平和』(56年)/『パリの恋人』(57年) 本ブログ〈January 13, 2016〉/『昼下りの情事』(57年)/『緑の館』(59年)/『尼僧物語』(59年)/『許されざる者』(60年)/『ティファニーで朝食を』(61年)/『噂の二人』(62年)/『シャレード』(63年)/『パリで一緒に』(64年)/『マイ・フェア・レディ』(64年)/『おしゃれ泥棒』(66年)/『いつも二人で』(67年)/『暗くなるまで待って』(67年)の15作である。この間、オードリーはハリウッドで最も集客力のある女優の一人となり、話題作・人気作に出演するスター女優であり続けた。  
私の場合、オードリーに思い入れが強くなり始めたのは、どの作品あたりからだったか。大都会ニューヨークが舞台のお洒落なロマンティックコメディ『ティファニーで朝食を』(原題:Breakfast at Tiffany's、ブレイク・エドワーズ監督)を鑑賞してからのことではなかったか。女主人公ホリー~夢見がちで自由気まま、いつも着飾って華やかな暮らしをして、時に騙されてしまう、チャーミングだけど少し頭の弱い可愛い女性~を演じたオードリーの魅力満載の小粋なストーリに、私はいたく感じ入るとともに、そんなホリー⇒オードリーが歌う美しい名曲「ムーン・リバー」(Moon River)に何か心が清々しく洗われたのだ。

クリップ 私は1985年7月、初めてイタリアを訪問し、「永遠の都」と言われるローマに3週間ばかり滞在した。用向きを2週間で終えてから、年来の宿望を果たすべく、本作『ローマの休日』のロケ地である「トレビの泉」/「スペイン広場」/「パンテオン神殿」/「コロッセオ」/「真実の口」/「サンタンジェロ城」/「コロンナ宮殿」(ラストシーン〈アン王女の記者会見〉の撮影現場)を一つ一つ懇ろに見て回った。

クリップ 私は1999~2000年、ニューヨーク・マンハッタンに長期滞在した。この間の私の住まいが、“5番街”57丁目にある「ティファニー(Tiffany & Co.)」から歩いて5分ほどの所にあるアパート。週に1度、私は5番街の早朝散策を楽しんだ。午前5時に自宅アパートを出て、ティファニー前で携行したパンとコーヒーを平らげた後、同店を基点としつつ、午前6時半頃まで5番街をほっつき歩き回った次第。なぜに、その気ままな散歩を早朝に限定したかと言えば、私なりに映画『ティファニーで朝食を』の主人公にあやかってのこと。同作の冒頭シーン: ホリー⇒オードリーは、まだ薄暗いニューヨークの朝、タクシーで一流宝石店ティファニーに乗り付け、ショーウインドーを眺めながら、紙袋からクロワッサンとコーヒーを取り出して口にする…。それに何より、日中の5番街~ましてティファニー前~ともなれば、まさに殷賑(いんしん)を極めており、その人通りの多い道で、オードリーまがいの長閑(のどか)で優雅な散策に興じるなど、とんでもハップン、とうてい望むべくもないのだ。

晴れ 今回、私は有楽町スバル座「メモリアル上映」で、本作を十数年ぶりに鑑賞した。公開から66年経った現在でも決して色褪(あ)せない、瑞々(みずみず)しい名作であることを今改めて確認する。本作は今後も文字通り“不朽の名作”として諸国を越え、世代を越え、営々と語り継がれて輝き続けることだろう。
10月15日当日、午後8時40分頃、本作(約2時間)が終幕を迎えた瞬間、期せずして多くの客席から大きな拍手が起こった。有楽町スバル座は座席数が272席(うち車椅子席2)。その日の館内は、ほとんど満席に近い状態であり、観客二百数十名を収容していた。その全観客の過半数を占める人々(私を含む)が、映画に感動するあまり思わず心の底からパチパチと音高く拍手した―。この昨今の映画館ではとんと見かけない情景に、私は感慨も一入(ひとしお)、非の打ち所がない名作『ローマの休日』の世界に深く共感できた他者の存在を現前に見て、ほっとした安らぎに満たされるのだった。

メモ 私は本ブログ〈February 12, 2018〉で、既にグレゴリー・ペック&オードリー・ヘプバーンに関する一文を草している。)

音譜 cf. “Moon River”(訳詞付) /From “Breakfast at Tiffany's” :
[「ムーン・リバー」(作曲:ヘンリー・マンシーニ〈Henry Mancini、1924~94〉/作詞:ジョニー・マーサー〈Johnny Mercer、1909~76〉)- 第34回アカデミー賞歌曲賞受賞]


キラキラ cf. Breakfast at Tiffany's Opening Scene