普通人の映画体験―虚心な出会い -6ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年10月8日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、16:25~鑑賞。

「Cold War」⑴

作品データ
原題 Zimna wojna
英題 Cold War
製作年 2018年
製作国 ポーランド/イギリス/フランス
配給 キノフィルムズ
上映時間 88分


「Cold War」⑵

前作『イーダ』で第87回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ監督が、自らの両親の波瀾万丈の人生をモチーフに、冷戦下のポーランドで出会った男女~ピアニストと歌手~が、時代の波に翻弄される中で繰り広げる激しくも情熱的な愛の軌跡を美しいモノクロ映像で描き出した恋愛叙事詩
ポーランド、ベルリン、ユーゴスラビア、パリを舞台に、「西」と「東」に揺れ動き、別れと再会を幾度となく繰り返して15年。過酷だがドラマティックでもあった時代に流されながらも、「黒い瞳を濡らすのは一緒にいられないから」と、愛を知る者なら誰もが魂を揺さぶられる「2つの心」という名曲で結ばれ、互いへの燃え上がる想いだけは貫こうとする二人。民族音楽と民族ダンス、さらにジャズにのせて、髪の毛1本、草の葉1枚、そよぐ風と揺れる水面まで、すべてのショットが私たちの生きる世界はこんなに美しかったのかと教えてくれる映像で綴る、心と五感を刺激する極上のラブストーリー
主人公のカップルを『イーダ』のヨアンナ・クーリクと、ポーランドの人気俳優トマシュ・コットが演じる。第71回カンヌ国際映画祭で監督賞受賞、第31回ヨーロッパ映画賞で最優秀作品賞を含む5部門受賞、第91回アカデミー賞で外国語映画賞を含む3部門ノミネートなど、世界的に高い評価を受けた。

ストーリー
1949年、共産主義政権下のポーランド。3人の男女が、音楽を“収集”するために村から村へと訪ね歩いていた。彼らの使命は、民族音楽を集め、歌唱力とダンスの才能に恵まれた少年少女を探し、国立のマズレク舞踊団を立ち上げること。管理部長のカチマレク(ボリス・シィツ)の指揮のもと、まずは養成所が開かれる。音楽監督兼ピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)と、ダンス教師のイレーナ(アガタ・クレシャ)が、生徒たちの中から団員を選抜するのだ。
そのエネルギーに満ちた眼差しで、初日からヴィクトルの心を奪った少女がいた。彼女の名前はズーラ(ヨアンナ・クーリク)、イレーナは「問題児なのよね」と指摘する。「父親殺しで執行猶予中」と聞いて驚いたヴィクトルは、ズーラに「お父さんと何が?」と尋ねるが、ズーラは平然と真相を話し、「私に興味が?それとも私の才能に?」と、大人びた表情で聞き返す。
1951年、ワルシャワで初の舞台が幕を開ける。センターで歌い踊り、ひときわ輝きを放つのはズーラだ。公演は大成功を収め、ヴィクトルたちは大臣に呼び出され、最高指導者の賛歌を歌えば支援を惜しまないと持ちかけられる。イレーナは「私たちは純粋な民俗芸能にこだわっている」と断るが、権力にすり寄るカチマレクは引き受ける。
その頃、ヴィクトルとズーラは激しい恋に落ちていたが、ズーラはカチマレクにヴィクトルのことを密告していると告白する。西側の放送を聴くか、神を信じているかなど聞かれ、執行猶予中のズーラは命令に従うしかなかったというのだ。
西側の音楽を捨てられないヴィクトルは、パリへの亡命を決意する。1952年、東ベルリンでのマズレク舞踊団の公演後、一緒に行くと約束したズーラを、ソ連占領地区の端で待つヴィクトル。東ベルリンは東ドイツの首都。西ベルリンはアメリカなど西側が共同で管理している。東西ベルリンの間にまだ壁はない。亡命ということで、ソ連軍に見つかれば投獄され、西ベルリンに渡れば二度と戻れないことは、ヴィクトルもズーラも分かっていた。数時間が過ぎてもズーラは現われなかった。心を決めたヴィクトルは、一人で西側へと渡る。
1954年、パリ。ヴィクトルは編曲や作曲をしながら、ジャズバンドのピアニストとしてバーやクラブで演奏していた。ある時、マズレク舞踊団のツアーでやって来たズーラと2年ぶりに再会する。元恋人たちのぎこちない会話の終わりに、未熟だから無理だと思ったと、約束を破った理由をかろうじて告げるズーラ。二人は強く抱き合うが、「逃げない」という彼女の意志は固かった。ヴィクトルは一緒に暮らしていた恋人、女流詩人のジュリエット(ジャンヌ・バリバール)に、「大切な女に会った」と打ち明ける。
1955年、ヴィクトルはズーラに再会するために、ユーゴスラビア(社会主義連邦共和国)で公演するマズレク舞踊団の公演を観に行く。同国は東側に属しながら、チトー(Josip Broz Tito、1892~1980)がスターリン(Joseph Stalin、1878~1953)に反旗を翻したために、ソ連との友好相互援助条約をも破棄された、自主管理社会主義国家。現在はフランスに居住し、無国籍難民のためのナンセンス・パスポートで旅するヴィクトルにとっては、往来の自由な国だ。しかし、公演の途中、1幕目が終わると、ヴィクトルはユーゴスラビア国家保安局の男たちに連行される。ズーラを西側に連れ去るのではないか、と危惧したカチマレクが裏工作をしたためだ。秘密警察はヴィクトルを列車に乗せてフランス・パリへ送り返す。2幕目の幕が上がり、ズーラは空席に向かって悲しげに歌うのだった。
1957年、ズーラは国外移住のためにシチリア(イタリア)人と結婚する。そして、ヴィクトルと再会するためにパリにやって来る。1956年の“雪解け”(cf. ソ連の第20回党大会におけるフルシチョフのスターリン批判)以来、西側の人間と結婚していれば、国家機密を漏洩させる恐れがない限り、ポーランドから合法的に出国することができた。彼女は夫と別れ、ヴィクトルとパリの屋根裏部屋で、同棲生活を始める。ヴィクトルのプロデュースでレコードデビューを果たし、ようやく幸せをつかんだかに見えたズーラだったが、やがて次第にパリの華やかだがどこか浮ついた日々に馴染めず、次第に心を閉ざしていく。
そんな中、何も言わず突然、ポーランドへ帰ってしまうズーラ。ヴィクトルが舞踊団に電話をかけても、「行方不明」だと言われてしまう。ヴィクトルは彼女を追って、パリのポーランド領事の助言を無視して故国へと帰る。
1959年、ヴィクトルは祖国ポーランドを裏切ってスパイ活動を行なった容疑で「寛大」にも懲役15年の刑を受け刑務所にいた。そこでズーラとの再会が成る。彼の手は拷問により痛めつけられており、音楽家としての道は閉ざされていた。ズーラは彼を助け出すと約束する。
1964年、釈放されたヴィクトルは、クラブでカチマレクと歌手を続けるズーラと再会する。彼女はヴィクトルを早期に釈放させるためにカチマルクと結婚し、また男児を出産していた。歌手のズーラは、今や人気を失い、酔っ払い同然の生活に押し流されるばかり…。
やがて憔悴しきったヴィクトルとズーラは、廃墟となったカトリックの教会で、立会人のいない二人だけの結婚式を挙げる。そして、二人は錠剤(睡眠薬?)を飲んだ後に外へ出、大木の傍らの長椅子に隣り合わせに座って、ぼんやりと周りの広大な麦畑を眺め続ける。ズーラが「向こう側へ行きましょう。もっと景色が綺麗なはず…」(英語:Let’s go to the other side.The view will be better there.)と言うと、2人は立ち上がって画面上から去る(フレームアウト)―。

▼予告編



音譜 “Dwa Serduszka” (Two Hearts) :
[「ドゥヴァ・セルドゥシュカ(Dwa Serduszka)」(=「2つの心」)は、「オヨヨーイ」というリフレインが印象的な愛の民謡。劇中で、純粋な民謡として、あるいはジャズ・バージョンなど形を変えて何度も登場するが、それは主人公二人の関係性の変化のメタファーにもなっている。]



▼ Movie Clip - Dancing
(パリのクラブのカウンターで「ロック・アラウンド・ザ・クロック」に合わせて彼女が踊り狂うシーンの躍動感は圧倒的!)


私感
んーん、素晴らしく、いい映画でした!
冷戦下の1949年から1964年の間、国家・政治に翻弄されながら愛を求めていく音楽家の恋人たち。国家、音楽、思想、そして愛。まさしく“心と五感を刺激する極上のラブストーリー”である。
ヴィクトルを演じたトマシュ・コット(Tomasz Kot、1977~)もよかったが、ズーラを演じたヨアンナ・クーリク(Joanna Kulig、1982~)が群を抜いて何とも魅力的!アメリカの有力誌『ヴァラエティ(Variety)』による「若き日のジャンヌ・モローのような魅力で、揺れ動く感情を表現するヨアンナ・クーリク!」という批評も、ムベナルカナ、というところ!(cf. 本ブログ〈May 21, 2019〉
本作の場合、光と影のコントラストが強調された、深いノワールな哀調をたたえたモノクロの画面が素晴らしいが、逢瀬を重ねるごとに、光の中でズーラ⇒クーリクは官能的な魅力~ファム・ファタールの一面を覗かせながら~を生き生きと浮かび上がらせる。

全体として繊細で憂愁に満ちた物語の中、時に登場人物が音楽と相互にリンクしつつ、生き生きと躍動する様が何とも心地よい。ここでは、愛と喪失について、ヴィクトルとズーラが別れ別れになることについて、言葉で語られないことのすべてが、二人に次ぐ、言わば「三人目の主人公」である音楽によって表現される。ヴィクトル⇒コットが亡命先のパリのジャズ・クラブで披露する演奏(吹き替え:マルチン・マセツキ〈Marcin Masecki、1982~、ポーランドの作曲家・ピアニスト〉)の数々は、短いながらも本作のハイライトの一つと言ってもいいほどの確かな存在感で迫ってくる。1950年代のムードを保ちながら驚くほど現代的に響くリアリティーのあるジャズ・サウンド~祖国ポーランドの伝統音楽のリズムやメロディーを使って巧みにアレンジした最先端の音楽スタイル~の魅力が光り輝く!
2019年10月4日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、18:35~鑑賞。

「蜜蜂と遠雷」

作品データ
製作年 2019年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 119分


直木賞と本屋大賞をダブル受賞した恩田陸の同名小説を実写映画化。若手ピアニストの登竜門とされる国際ピアノコンクールを舞台に、亜夜、明石、マサル、塵という才能溢れる4人の男女の挑戦と成長を描くキャスト陣は、亜夜役に『勝手にふるえてろ』の松岡茉優、明石役に『孤狼の血』の松坂桃李、マサル役に『レディ・プレイヤー1』の森崎ウィン、そして謎の少年・塵役にオーディションで抜擢された新人の鈴鹿央士。劇中の実際のピアノ演奏では、河村尚子、福間洸太朗、金子三勇士、藤田真央という世界で活躍する一流のピアニストが亜夜、明石、マサル、塵、それぞれの演奏部分を担当している。監督・脚本は『愚行録』の石川慶。

ストーリー
3年に一度開催され、若手ピアニストの登竜門として世界から注目を集める芳ヶ江国際ピアノコンクール。かつて天才少女と言われ、その将来を嘱望されるも、7年前の母親の死をきっかけに表舞台から消えていた栄伝亜夜(えいでん・あや、松岡茉優)は、再起を懸け、自分の音を探しに、コンクールに挑む。そこで亜夜が出会った3人の“コンテスタント”(contestant=コンクールに参加している人)。音大出身だが岩手の楽器店で働くかたわら、夢を諦めず、“生活者の音楽”を掲げ、年齢制限ギリギリで最後のコンクールに挑むサラリーマン奏者、高島明石(たかしま・あかし、松坂桃李)。幼少の頃、亜夜と共にピアノを学び、現在は名門ジュリアード音楽院に在学し、人気実力を兼ね備えた優勝候補最右翼のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)。そして、今は亡き“ピアノの神様”ユウジ・フォン=ホフマンの推薦状を持ち、コンクールに波乱を巻き起こす謎めいた無名の少年、風間塵(かざま・じん、鈴鹿央士)。国際コンクールの熾烈な戦いを通し、ライバルたちと互いに刺激しあい、悩みながらも、亜夜はかつての自分の音楽と向き合うことになる。果たして彼女は、まだ音楽の神様に愛されているのか。そして、最後に勝つのは誰か?

▼予告編

2019年10月1日(火)新宿武蔵野館(東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F、JR新宿駅中央東口から徒歩2分)で、21:15~鑑賞。

「ブラインドスポッティング」⑴

作品データ
原題 BLINDSPOTTING
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 REGENTS
上映時間 95分


Blindspotting

カリフォルニア州オークランドを舞台に、幼なじみの、白人と黒人の青年2人の姿を通して、人種の違う者や貧富の差がある者が混在することによって起こる問題を軽妙な筆致で描く社会派ドラマ。青年たちを演じるのは、実生活でも友人同士であるダヴィード・ディグスとラファエル・カザルで、本作の脚本も担当した。監督は長編デビューのカルロス・ロペス・エストラーダ。

「ブラインドスポッティング」⑵

ストーリー
黒人のコリン(ダヴィード・ディグス)と白人で問題児のマイルズ(ラファエル・カザル)は、オークランドで一緒に育った親友どうし。地元の引越し業者で働く2人だったが、コリンは1年間の保護観察期間の終了が目前で、残りの3日間を何としてでも無事に乗り切らねばならなかった。しかし、マイルズに相棒のそんな事情を気遣う素振りは微塵も見られなかった。そんな中、コリンは帰宅途中に、突然車の前に現われた黒人男性が白人警官に追われ、背後から撃たれるのを目撃してしまう…。この事件をきっかけに、コリンとマイルズは互いのアイデンティティーや、急激に高級化する地元の変化などの現実を突きつけられ、次第に2人の関係が試されることとなる。コリンは残り3日間耐えれば晴れて自由の身として新しい人生をやり直せるのだが、かねてからトラブルメーカーだったマイルズの予期できぬ行動がそのチャンスを脅かし、2人の間にあった見えない壁が浮き彫りになっていく…。

▼予告編

2019年10月1日(火)シネマカリテ(東京都新宿区新宿3-37-12 新宿NOWAビルB1F、JR新宿駅東南口および中央東口より徒歩2分)で、18:45~鑑賞。

「パリに見出されたピアニスト」

作品データ
原題 Au bout des doigts
英題 In Your Hands
製作年 2018年
製作国 フランス/ベルギー
配給 東京テアトル
上映時間 105分


夢を持たずに生きてきた貧しい家庭の不良少年が、その類いまれな才能をプロの音楽家に見出され、コンクール目指して過酷なレッスンに打ち込み成長していく音楽青春ドラマ。主演は『アスファルト』のジュール・ベンシェトリ、共演に『神々と男たち』のランベール・ウィルソン、『イングリッシュ・ペイシェント』のクリスティン・スコット・トーマス。監督は長編3作目のルドヴィク・バーナード。バッハ、ショパンをはじめとしたクラシックの名曲の数々が全編で使用されている。

ストーリー
(せわ)しなく人が行き交う、パリの主要ターミナル、北駅。耳を澄ますと、喧騒の中に美しいピアノの音色が聴こえる。“ご自由に演奏を!” そう書かれた誰でも自由に弾ける1台のピアノに向かうのは、おおよそピアニストとは思えない、ラフな格好をした一人の青年だった。
彼の名はマチュー・マリンスキー(ジュール・ベンシェトリ)。パリ郊外の団地で母親と妹、弟と暮らしている。決して裕福とは言えない家庭で育ったマチューは、幼い頃にふとしたきっかけでピアノと出会い、表向きはクラシックを否定しながら、誰にも内緒で練習し続けていた。クラシックは時代遅れだと思い、ラップを聴いている地元の仲間にバレたら、とんだお笑い種(ぐさ)だろうが…。
ある日、マチューが駅でピアノを弾いていると、その演奏を聴いて足を止めた男が一人。パリの名門音楽学校コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)でディレクターを務めるピエール・ゲイトナー(ランベール・ウィルソン)だった。マチューの才能に強く惹かれたピエールは、声をかけ名刺を渡すが、マチューは逃げるように去ってしまう。
その夜、仲間と盗みに入った家でグランドピアノを見つけたマチューは弾きたい衝動を抑えきれず、警察に捕まってしまう。実刑を免れないと言われたマチューに手を差し伸べたのは、ピエールだった。コンセルヴァトワールでの清掃の公益奉仕を条件に釈放されたマチューは、ピエールからもう一つ条件を言い渡される。それは、“女伯爵”との異名を持つピアノ教師エリザベス(クリスティン・スコット・トーマス)のレッスンを受けること。ピエールはマチューをピアニストに育て上げる夢を持ったのだった。
望まないレッスンに、マチューは乗り気ではなく、反抗的な態度を示すことも度々。エリザベスも匙を投げかけたが、ピエールの進退を賭しての熱意に動かされてレッスンを続けていく。
やがて、ピエールは国際ピアノコンクールの学院代表にマチューを選ぶ。課題曲はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」。コンクールまで4か月。3人の人生をかけた戦いが、いま、始まった…。
周囲の学生との格差や環境の壁にぶつかり、もがきながら、本気でピアノと向き合い自身も成長していくマチュー。そして、彼に夢を託した二人の大人たちもまた、図らずもマチューに影響を受け変化していく。マチューが拓く未来には、一体、何が待ち受けているのだろうか―。

▼予告編




Full Movie

2019年10月1日(火)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、14:15~鑑賞。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」

作品データ
原題 C'era una volta il West
英題 Once Upon a Time in the West
製作年 1968年
製作国 イタリア/アメリカ
上映時間 165分

<141分短縮版>日本初公開 1969年10月31日
<165分オリジナル版>日本初公開 2019年9月27日

「ウエスタン」⑴
「ウエスタン」⑵
「ウエスタン」⑸

マカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)で知られるイタリアの巨匠セルジオ・レオーネ(Sergio Leone、1929~89)が1968年に手がけた西部劇巨編。『荒野の用心棒』(64年)、『夕陽のガンマン』(65年)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(66年)で3年連続イタリア年間興行収入ナンバーワンを記録したレオーネが、方向性を大きく変え、自らの作家性を前面に打ち出した野心作。若き日のベルナルド・ベルトルッチ(『ラストエンペラー』監督)とダリオ・アルジェント(『サスぺリア』監督)を共同原案に抜擢したレオーネは、ルキノ・ヴィスコンティ監督『山猫』(63年)を下敷きに、女性主人公ジルの目を通し、西部開拓時代の黄昏期と共に滅びゆくガンマンたちの落日を、スタイリッシュかつ重厚壮麗なバロック的演出を駆使して描き、それまでのマカロニ・ウエスタンともハリウッド製西部劇とも似て非なる、異形の大作として完成させた。そして、エンニオ・モリコーネ作曲・指揮による名曲の数々が、この一大叙事詩を感動的に彩った。出演は『山猫』のクラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale、1938~)、『十二人の怒れる男』のヘンリー・フォンダ(Henry Fonda、1905~82)、『荒野の七人』のチャールズ・ブロンソン(Charles Bronson、1921~2003)、『墓石と決闘』のジェイソン・ロバーズ(Jason Robards、1922~2000)。

1969年の初公開時、欧州各国では高い評価を得たが、アメリカでは理解されずにオリジナル版から20分短縮されて興行的にも惨敗。日本では米公開版をさらにカットした2時間21分の短縮版が『ウエスタン』の邦題で公開され、アメリカ同様に批評家から無視された。しかし、70年代以降、海外ではその評価は年々高まり、スタンリー・キューブリック、ヴィム・ヴェンダース、ジョン・ブアマン、ジョージ・ルーカス、マーティン・スコセッシ、ジョン・カーペンターといった名監督たちが挙って讃え、1973年、NYの「フィルムコメント」誌は「『2001年宇宙の旅』と並ぶ60年代の偉大なる革新的/神話的作品の一本」と記した。2012年、英国の「サイト&サウンド」誌が実施した世界の現役映画監督358人から募った【映画史上最も偉大な作品】アンケートでは44位につけ、西部劇ジャンルに限れば『捜索者』『リオ・ブラボー』、自身の『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』『ワイルドバンチ』など名だたる傑作を抑え、本作がトップに輝いた。
短縮版の日本初公開から50年を経た、レオーネ生誕90年・没後30年にもあたる今年2019年、原題の英訳『Once Upon a Time in the West』をそのまま訳した『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』に邦題を改め、2時間45分のオリジナル版が日本初公開される。

ストーリー
大陸横断鉄道敷設によって新たな文明の波が押し寄せていた西部開拓期。ニューオーリンズから西部に嫁いできた元・高級娼婦のジル(クラウディア・カルディナーレ)は、何者かに家族全員を殺され、広大な荒地の相続人となる。莫大な価値を秘めたその土地の利権をめぐり、ジルは鉄道会社に雇われた殺し屋フランク(ヘンリー・フォンダ)、家族殺しの容疑者である強盗団のボス、シャイアン(ジェイソン・ロバーズ)、ハーモニカを奏でる正体不明のガンマン(チャールズ・ブロンソン)たちの熾烈な争いに巻き込まれていく…。

「ウエスタン」⑷
「ウエスタン」⑶

▼予告編



▼本編映像 /音楽: Ennio Morricone
[エンニオ・モリコーネ(1928~)は、小学校時代の同級生、セルジオ・レオーネが監督したマカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』の作曲を担当、そのテーマ曲「さすらいの口笛」が全世界で大ヒットし、一躍名を上げる。以後レオーネとのコンビ作『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』、本作、『夕陽のギャングたち』(71年)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84年)まで6作品を担当した。クエンティン・タランティーノ監督『ヘイトフル・エイト』(2015年)で、第88回アカデミー賞作曲賞を受賞。1960年代から現在までに430本を超える映画/TVの作曲を手がけている。池田満寿夫監督『エーゲ海に捧ぐ』(79年)では初めて日本映画の音楽を担当。2004年6月、2005年10月には東京と大阪で来日コンサートを開催。]


Opening sequence



Finale

2019年9月26日(木)TOHOシネマズシャンテ(東京都千代田区有楽町1-2-2、JR有楽町駅・日比谷口徒歩5分)で、17:15~ 鑑賞。

「プライベート・ウォー」⑴

作品データ
原題 A PRIVATE WAR
製作年 2018年
製作国 イギリス/アメリカ
配給 ポニーキャニオン
上映時間 110分


「プライベート・ウォー」⑵

『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイクが2012年に取材中のシリアで命を落としたベテラン戦場記者メリー・コルヴィン(Marie Colvin、1956/01/12~2012/02/22)を演じる伝記映画。黒の眼帯をトレードマークに、数々の危険な紛争地帯に飛び込み、命がけの取材活動を続けた伝説の女性記者の壮絶なジャーナリスト人生を、PTSD(心的外傷後ストレス障害)にも苦しんでいた彼女の知られざる素顔とともに描き出していく。共演は『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』のジェイミー・ドーナン、『ラブリーボーン』のスタンリー・トゥッチ。監督は『カルテル・ランド』『ラッカは静かに虐殺されている』など骨太なドキュメンタリー作品で高い評価を受け、本作が劇映画デビューとなるマシュー・ハイネマン。

ダイヤグリーン Marie Colvin BIOGRAPHY本作公式サイト/ABOUT THE MOVIE/BIOGRAPHY) :
1956年1月12日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドに生まれる。
1978年、人類学の学士号を取得し、エール大学を卒業。
1979年、ジャーナリストを目指し、UPI通信社に入社。夜勤の警察番記者から、ニューヨーク、ワシントン勤務となる。
1984年、UPI通信社のフランス・パリ局長に任命される。
1986年、イギリスのサンデー・タイムズ社に移籍。リビア・アラブ共和国の最高指導者・カダフィ大佐の取材に成功。その後も、ロンドンに拠点を置きながら、レバノン内戦や第1次湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争など、世界中の戦場や紛争地などの危険な取材を重ねる。
2000年、外国人記者協会 ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー受賞。国際女性メディア財団
ジャーナリズムの勇気賞受賞。
2001年4月16日、スリランカ内戦を反政府組織“タミル・イーラム解放の虎”(LTTE)側からの取材中、同国軍が放ったロケット砲弾(RPG)によって、左目を失明。この事故により、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負いながらも現場に復帰。これを機につけるようになった“黒い眼帯”は、彼女のトレードマークとなる。英国プレス賞 海外記者賞受賞。
2002年、2番目の夫だったボリビア人記者が自らの命を絶つ。
2009年、英国プレス賞 海外記者賞、2度目の受賞。
2011年、チュニジア、エジプト、リビアにおいて、大規模反政府デモ「アラブの春」を報道する際、再びカダフィ大佐を取材。
2012年2月22日、シリア内戦が起きていたシリア・ホムスで反政府勢力を取材。ババアム地区に駐留し、衛星電話を介してBBC、チャンネル4、CNNおよびITNニュースに出演。その際、「今日、幼い子どもが死ぬ現場に居合わせました。爆弾の金属片が当たった本当に恐ろしい状況でした。彼は小さなお腹を波打たせながら、死んでいきました」という現状を伝える。その数時間後、政府軍の砲弾を受けて死亡。享年56。
2012年3月12日、ニューヨークのオイスター湾にて、葬儀が行われる。彼女は火葬され、灰の半分はロングアイランド沖に、残りの半分は最後の住居近くにあったテムズ川にまかれた。その後、サンデー・タイムズ社はメリー最後の記事を、無料でオンライン公開。そこで彼女はホムスについて、次のように書いている。「ここは、砲弾と銃撃戦の音がこだまする冷気と飢えの街だ。人々のくちびるは、こう問いかけている。“私たちは世界から見捨てられてしまったのか?”」
2012年7月18日、ヴァニティ・フェア誌にマリエ・ブレンナーによるメリーに関する記事「Marie Colvin’s Private War」が掲載。アンナ・ポリトコフスカヤ賞受賞。英国プレス賞 海外記者賞、3度目の受賞。その後も、彼女の功績を称え、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校にて、メリー・コルヴィンセンターを設立。また、ロングアイランドコミュニティー財団を通じて、メリー・コルヴィン記念基金を設立。
2016年7月、メリーの家族を代表する弁護士が、シリア政府が彼女の暗殺を直接命令したという証拠を得たと主張し、民事訴訟を提起。
2018年11月、映画『プライベート・ウォー』全米公開。
2019年1月、シリア政府がメリー暗殺の罪を認め、彼女の家族に約3億ドルの損害賠償が支払われることに。

ストーリー
エール大学を卒業後、UPI通信を経て、英国サンデー・タイムズ紙の特派員として活躍する、アメリカ人ジャーナリスト、メリー・コルヴィン(ロザムンド・パイク)。
2001年、スリランカ。ジャーナリスト入国禁止を無視し、バンニ地域に乗り込んだ彼女は、シンハラ軍と“タミル・イーラム解放のトラ”との銃撃戦に巻き込まれて被弾。その際、左目の視力を失ってしまう。
2003年、イラク。共同墓地の手がかりを追っていた彼女は、バグダッドで出会ったフリーのカメラマン、ポール・コンロイ(ジェイミー・ドーナン)を雇い、同行させる。そして、12年前にサダム・フセイン政権によって殺害されたクウェート人の遺体を見つけるため、地元の作業員を集め、ブルドーザーを使って、塹壕を掘り起こす。その後、遺体は見つかり、メリーはスクープを手にするものの、悲鳴を上げ、祈り続ける遺族の姿を目の当たりにしたことで、ただならぬ喪失感に襲われる。
このような最前線での体験は、ロンドンに戻ったメリーにPTSD(心的外傷後ストレス障害)として襲いかかる。地元の病院で治療を受けることに同意する彼女だったが、入院中でも自分を突き動かしてきた現場に復帰したい思いに駆られていく。そして、世の人々の関心を世界の紛争地帯に向けたいという彼女の想いは、さらに強まっていった。
2009年、アフガニスタン。地元市民やアメリカの救援部隊に対するタリバンの攻撃を報じたメリーは、ロンドンに戻り、パーティーで出会った風変わりなビジネスマン、トニー・ショウ(スタンリー・トゥッチ)と出会い、二人は瞬く間に恋に落ちる。
2011年、リビア。メリーにとって、トニーと平凡な日常を送る人生は、紛争地帯に戻った時には消え去っていた。その後、国内では反政府デモ“アラブの春”が最高潮に達し、カダフィ政権を崩壊させる勢いとなっていく。一方、仲間のジャーナリストが爆撃で死亡し、メリーは自身の死についても深く考えることになる。深い絶望に打ちひしがれながらも、彼女はカダフィ大佐の単独インタビューに成功。だが、精神はさらに蝕(むしば)まれていくことになる。
2012年、シリア。過酷な状況で包囲されている2万8千人の市民の現状を伝えるため、ポールとともに、ホムスに乗り込んでいたメリー。こうして、チャンネル4、BBC、CNNが同時ライブ中継を行なうという、彼女の記者人生において、最も危険で過酷なレポートが始まった…。

▼予告編




Rosamund Pike & Jamie Dornan Talk Character's Physicality in 'A Private War'

2019年9月26日(木)ヒューマントラストシネマ有楽町(東京都千代田区有楽町2-7-1 有楽町イトシア・イトシアプラザ4F、アクセス:JR山手線・有楽町駅中央口から徒歩1分)で、15:25~ 鑑賞。

「帰ってきたムッソリーニ」⑴
「帰ってきたムッソリーニ」⑵

作品データ
原題 SONO TORNATO
英題 I'm Back
製作年 2018年
製作国 イタリア
配給 ファインフィルムズ
上映時間 96分


同名で映画化されて大ヒットしたドイツのベストセラー小説『帰ってきたヒトラー』(ティムール・ヴェルメシュ著)を基に、舞台をドイツからイタリアに置き換え、現代に甦(よみがえ)った独裁者ムッソリーニが巻き起こすドタバタ騒動を描いたブラック・コメディー。監督はイタリアのヒットメーカー、ルカ・ミニエーロで、本作が日本公開初となる。ムッソリーニを『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』のマッシモ・ポポリツィオ、彼と一緒に行動する映像作家をフランク・マターノが演じる。「イタリア映画祭2019」(2019年4月27日~5月4日=東京・有楽町朝日ホール/5月18~19日=大阪・ABCホール)上映作品。

「帰ってきたムッソリーニ」⑶

ストーリー
イタリアの政治家にして独裁者ベニート・ムッソリーニ(マッシモ・ポポリツィオ)。銃殺刑となったはずの1945年4月28日から、70余年後の同日、あの軍服姿でローマに突然現われた!売れない映像作家カナレッティ(フランク・マターノ)は、そのムッソリーニを偶然カメラに収めたことから、一発逆転をかけて、ムッソリーニ~カナレッティが思い込むところの、ムッソリーニに酷似した人物~が国民へのインタビューをこなすドキュメンタリー映画の制作を思い立つ。二人でイタリア全土を旅しながら撮影を敢行。ムッソリーニが生きた時代から街は大きく変わり、褐色の肌の人が市内を闊歩し、同性カップルもいる。ムッソリーニをそっくりさん(コスプレ好きの芸人)だと思った道行く若者から屈託なくスマホを向けられるや、彼は戸惑いながらも撮影に応じ、またムッソリーニ自身が市民の中に飛び込んで、不満はないか?と質問を投げかけると移民問題や政府に期待していない生の声が溢れ出てくる。その様子が動画サイトに投稿されると、再生回数はどんどん増えネットで大きく拡散されていく。この人気にテレビ局の編集局長カティア(ステファニア・ロッカ)は、彼の出演するテレビ番組「ムッソリーニ・ショー」を制作・放送する。ムッソリーニのカリスマ的トークが人々の心を掴み、高視聴率を叩き出すと、テレビ局の関係者は浮かれて大喜び。ついにカナレッティも成功を掴(つか)み取る。番組で得た国民からの人気に、確かな手応えを感じたかつての“ドゥーチェ(Duce)”(統領/統帥)。ムッソリーニは再びイタリアを征服し、自らの手で支配しようと野望を抱く。果たして彼は、現代で再び権力を握ることができるのか。彼が権力を握ると、どんな世界がやってくるのか…?

「帰ってきたムッソリーニ」⑷

▼予告編



ルカ・ミニエーロ監督(Luca Miniero、1967~)インタビュー映像



私感
本作は2015年のドイツのブラック・コメディー映画『帰ってきたヒトラー』のリメイク版である。これは、ドイツ版/ヒトラー版がイタリア版/ムッソリーニ版に置換された映画である。

原作:ティムール・ヴェルメシュ(Timur Vermes、1967~)“Er ist wieder da”(2012)(森内薫訳『帰ってきたヒトラー』河出書房新社、2014年)→
『帰ってきたヒトラー』(原題:Er ist wieder da、監督:デヴィット・ヴェント、ドイツ公開:2015年10月8日、日本公開:2016年6月17日 本ブログ〈July 05, 2016〉)→
『帰ってきたムッソリーニ』(原題:Sono tornato、監督:ルカ・ミニエーロ、イタリア公開:2018年2月1日、日本公開:2019年9月20日)
(以下、映画『帰ってきたムッソリーニ』はイタリア版、『帰ってきたヒトラー』はドイツ版、と略記)

私はイタリア版を鑑賞中、幾度となく、これはドイツ版の完全なパクリじゃないか、との思いに捉えられた。ヒトラーの代わりにムッソリーニが現代に再臨して、新聞販売店で一夜を過ごし、ドキュメンタリー映像作家と国中を撮影で回り、テレビ出演で大人気となり、その後にかつて犬を殺した映像が出回って非難の的になるも復権を果たすというストーリー展開は、原作→ドイツ版と同じである。
シニカルで、シリアスなコメディーだったとはいえ、私が既に物語の大筋を知悉していたこと、おまけにムッソリーニを演じたマッシモ・ポポリツィオ(Massimo Popolizio、1961~)が私好みの男優ではなかった点もあり(ちなみに、私はドイツ版でアドルフ・ヒトラーを演じた オリヴァー・マスッチ〈Oliver Masucci、1968~〉も好きなタイプの男優ではない)、イタリア版に対する私の鑑賞態度は総じて、ドイツ版に対するそれに比べて、集中力を欠き、映画の細部への目が雑になり、ややもすると眠気が頭に貼りつき、妙に落ち着かないこと頻(しき)りだった。

では、私にとってイタリア版は観るに値しない作品なのか。それ独自の価値はないのか。実は、“換骨奪胎”とまでは言わないまでも、イタリア版にはドイツ版にはない、注目すべき工夫が施されている。イタリア版の監督(兼脚本)ルカ・ミニエーロは、こう語っている。
≪『帰ってきたムッソリーニ』はムッソリーニやファシズムを語る映画ではない。私はファシズムを絶対の「悪」だと思っているのでそれを描くつもりはなかった。これは今日のイタリアを描いた映画だ。ムッソリーニの復活によって我々の戸惑いが示され、恐れと願望が浮き彫りになる。原作小説を映画の脚本に書き換えるにあたり、何よりも重視したのは決してムッソリーニを裁いたり、改めて彼がしたことを審理したりしないということだ。裁きはすでに歴史が下している。我々は設定を変えたり、何かを教えたり、危険なことを知らせたりせずに、今日のイタリア人がどう反応するのかを見たかった。そして、そうすることで多くのことを発見した。イタリア人はドイツ人と違い、自分たちのかつての独裁者をきちんと受け止めてこなかった。まるで彼の危険性を甘くみているかのように、歴史の教訓を忘れてしまったかのようだ。…≫[映画パンフ『帰ってきたムッソリーニ』(発行:ファインフィルムズ、発行日:2019年9月20日、定価:700円〈税込〉)12頁]

ミニエーロ監督が「今日のイタリア/イタリア人」を描くに際して、特に興味を持って取り組んだのがドキュメンタリー部分である。本物のインタビューのように、生の市民・住民のただ中にムッソリーニ役のポポリツィオが割って入って質問すると、彼ら各自の率直な思いが返ってくる。「政治って何?」と話すヌードモデルのマリカを始めとして、カメラの前のイタリア人たちはほとんど政治に関心がなく、外国人を嫌う。「イタリアは若者でなく、老人のための国」、「移民は殺すべきだ」、「革命が必要」、「コネがなければだめ」と口々に不満を口にする。市民一人一人は自分が撮影されて、映画に名前入りで出演するということもあり、突っかかることはほとんどなく、ユーモアも混ぜて答えてくれる。監督はムッソリーニ⇒ポポリツィオが殴られたりはしないかと、万が一に備えて2人のボディーガードを配置して、自らは少し離れたところから望遠カメラで撮影したが、不測の事態が起こるようなことはなかった―。

私の場合ふと、自らの歴史的・思想的な構えが軋(きし)みだし、劇中のムッソリーニの言葉が正しく思えてしまう時がある。彼は現代イタリアの諸問題~政治や政治への不信、移民、グローバリゼーション、貧困等々~をテレビ番組において徹底的にファシズム的に告発する。子供も若者も老人も貧困にさらされているのに、みんな携帯・スマホばかり見て周囲を見ない。乗っている船が沈むのに気がつかない。責任を取る人間はいないのか―。
彼は「この国の問題は忘却だ」と断言する。このセリフは創作ながら、彼の無数の、根拠なく内容のない確信的なスローガンと同様、何か分かりやすく聞こえるがゆえに、異様なまでの説得力を持つ。問題なのは忘却それ自体ではなく、何が忘却されるのか、なのだが、それにしても本作が、私たち一般市民の、【かつてのファシズム以上に文化を均質化する、テレビを代表とするメディアの危険性のもと】 一見政治性のないように見える慣れ親しんだ日常的行為が、恐るべき政治を招来する可能性があるという警告を発していること、これは間違いないところであり、監督の鋭い現実感覚のなせる業と言っていいだろう。

そもそもドイツ版の原題は「彼が戻ってきた」(Er is wieder da)で、イタリア版のそれは「私は戻ってきた」(Sono tornato)。つまり、イタリア版の場合、明らかにムッソリーニをして主体として存立せしめる。そこでは、ムッソリーニ/ファシズム自体が描き出されるのではなく、ムッソリーニ自身が見つめた現代のイタリア/イタリア人が描き込まれるとともに、そのムッソリーニの言動を通して現代イタリア/イタリア人をその一環とする、現代世界/現代人の今日的な生の姿をも映し出す。

本作イタリア版は今の日本国/日本人のシチュエーション/ありさまに仮借なく突き刺さってやまない映画である。あの大東亜戦争/太平洋戦争/アジア・太平洋戦争という実に無謀で救い難い非人間的な戦争に突入しながら、その責任主体さえ戦後70余年経っても、いまだに確定できないこの奇妙な国家・社会は、イタリア以上に、はなはだ危なっかしいのだ…。

アップ cf. ドイツ版→イタリア版→日本版?
 メラメラ 《日独伊防共協定》
[1936年11月25日、日本政府(廣田弘毅内閣)とヒトラーのナチス・ドイツの間で、“日独防共協定”(正文では、共産「インターナショナル」ニ対スル協定/Abkommen gegen die Kommunistische Internationale)が締結された。翌37年11月6日、ムッソリーニのイタリアがこれに加わり、(日本の第1次近衛文麿内閣のもと)“日独伊防共協定”が成立した。]
日独伊防共協定⑴
日独伊防共協定⑶
日独伊防共協定⑵
(「仲よし三国」-1938年の日本のプロパガンダ葉書はドイツ、イタリアとの日独伊防共協定を宣伝している)

 爆弾 《日独伊三国同盟》
[“日独伊三国同盟”は第二次世界大戦のさなか、1940年9月 27日にベルリンで調印された、日本(第2次近衛文麿内閣)、ドイツ(ヒトラー)、イタリア(ムッソリーニ)3国間の条約(正式名称:「日本國、獨逸國及伊太利國閒三國條約」)に基づく軍事同盟。]
日独伊三国同盟⑴

日独伊三国同盟⑵
日独伊三国同盟⑶
(「日独伊三国同盟」成立を記念してベルリンの日本大使館に掲げられた三国の国旗〈1940年9月〉)

メモ ちなみに、日独伊防共協定→日独伊三国同盟の締結に関わって「中心的」役割を果たした、前掲の政治家~statesman or politician ?~が迎えた末路について一言したい。

・フューラー(Führer/総統)アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は、ベルリンの総統官邸地下壕内で、愛人エヴァ・ブラウンと、1945年4月29日午前2時頃(or 4月28日深夜?)に結婚式を挙げ、それから40時間以内の4月30日午後3時30分頃に〈夫婦〉心中した(ヒトラー:56歳没、エヴァ:33歳没)。エヴァは青酸カリのカプセルを嚥下して服毒自殺、ヒトラーは銃弾の貫通痕から青酸カリのカプセルを噛んだ直後、右の蟀谷(こめかみ)を拳銃で撃ち抜いて死亡(と推察されている)。

・ドゥーチェ(Duce/統領)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)は、愛人クラーラ・ペタッチ(Clara Petacci、愛称:クラレッタ〈Claretta〉)と共に、イタリア・パルチザン(レジスタンス)によって、1945年4月28日の午後4時10分、北イタリアのコモ湖付近の一集落で即時処刑(銃殺)され、翌29日には(他の何人かのファシスト重要幹部の遺体と一緒に)ミラノのロレート広場でガソリンスタンドの桁から逆さ吊りにされ、群衆の前に晒(さら)された(ムッソリーニ:61歳没、クラレッタ:33歳没)。

近衛文麿は、太平洋戦争後の戦犯者(戦争犯罪容疑者)に指名され、巣鴨プリズンに出頭を命じられた最終期限日の1945年12月16日未明に、青酸カリを服毒して自殺(54歳没)。

廣田弘毅は、極東国際軍事裁判で死刑判決を受け、1948(昭和23)年12月23日の午前零時21分、巣鴨プリズン内で絞首刑を執行された(70歳没)(cf.本ブログ〈September 06, 2019〉)。なお、彼の妻・静子は東京裁判が始まった15日後、1946年5月18日に服毒自殺(1885~1946)。
2019年9月26日(木)角川シネマ有楽町(東京都千代田区有楽町1-11-1 読売会館8F、JR有楽町駅・国際フォーラム口前ビックカメラ上)~<没後50年特別企画>「市川雷蔵祭」(8月23日-9月26日)~で、13:30~ 鑑賞。

「炎上」⑴

作品データ
英題 Conflagration/The Flame of Torment
製作年 1958年
製作国 日本
配給 大映
上映時間 99分

日本初公開 1958年8月19日

「炎上」⑷

1950年7月2日未明に実際に起きた「金閣寺放火事件」に材を取った三島由紀夫の長編小説『金閣寺』(1956年)を、『ビルマの竪琴』の市川崑監督が映画化したモノクロ文芸作品。「驟閣(金閣)」という美に憑かれた男を描く異色作。複雑な家庭環境で育ち、吃音症に悩まされる青年が「驟閣寺(金閣寺)」の徒弟として暮らしながら、心中の葛藤の末に遂に国宝の舎利殿[驟閣(金閣)]に放火する…。脚色は和田夏十と『四季の愛欲』の長谷部慶次が共同で当たり、撮影はモノクロームの芸術的映像美に定評のある宮川一夫が担当。主演は大映の時代劇俳優・市川雷蔵。デビューから4年目、48本目の映画となる雷蔵の初の現代劇主演作で、丸坊主の見習い僧/重度の吃音の持ち主/国宝の放火犯という難役を好演したことで数々の主演男優賞を受賞するなど俳優として高い評価を受けた。『大番(完結篇)』の仲代達矢、『若い獣』の新珠三千代、『女殺し油地獄』の中村鴈治郎、それに浦路洋子・中村玉緒・北林谷栄・信欣三らが出演している。なお、当時の「金閣寺」側が映画化に反対していたため、劇中では寺の名称が「驟閣寺(しゅうかくじ)」に変更されている他、登場人物の名やあらすじの一部が原作と異なるものとなっている。
公開時の惹句は、「汚れた母、信頼を裏切った師、何が彼に放火させたのか、信じるものを失った青年の怒りと反抗!」、「三島、崑、雷蔵この異色トリオが放つ、本年度ベストワンを約束された文芸巨篇」、「金色の国宝に放火してまで、若い魂が反逆し続けたものは…」、「誰も知らない!誰も解ってくれない!何故おれが国宝に火をつけたかを…」である。

「炎上」 (2)「炎上」⑶

ストーリー
京都西陣警察署の取調室。「驟閣寺」の学僧、21歳の溝口吾市(市川雷蔵)は、驟閣寺を放火した疑いにより調書を取られるが、一言も発せず刑事らを手こずらせていた。彼は小刀とカルチモンを所持し、胸には自殺しようとした刀傷があった。身も心も茫然とした様子の溝口は、当の放火に至るまでの経緯を回想する…

溝口は父・承道(浜村純)の死後、その遺書を携えて京都の驟閣寺を訪れた。1944(昭和19)年春のまだ肌寒い朝のこと。彼は舞鶴市の成生岬の小寺の僧侶だった父から口癖のように、この世で最も美しいものは「驟閣」であると教えこまれ、驟閣に信仰に近いまでの憧憬の念を抱いていた。そして、父の修業時代の友人で、この寺の住職を務める田山道詮老師(中村鴈治郎)の好意により、徒弟として住むことになった。美しい驟閣で生活できることが彼の心に何よりの光明を射し込んだ。
驟閣寺の副司(信欣三)は、溝口に対して事ごとに冷たく当たった。溝口が吃音者だと分かると「なんや吃りか」と馬鹿にする。これを庇(かば)ってくれるのは、同じく徒弟の鶴川(舟木洋一)だった。彼は溝口の吃音を全く気にしない優しい友人であり、溝口の心の陰画を陽画に変えてしまう存在でもあった。
1945年夏、古い都にも戦争の影響が見られるようになった。そんな一日、溝口の母あき(北林谷栄)がモンペ履きのうらぶれた姿で、息子に会いたさ一杯で驟閣寺にやってきた。だが、彼は何故か、この母の訪問を喜ばず、驟閣に近づこうとする母を突き飛ばすのだった。
1947年、戦争の悪夢から覚めた驟閣には、進駐軍の将兵を始め観光客が潮(うしお)のように押し寄せた。驟閣寺は一変する。静かな信仰の場から、単なる観光地に成り下がってしまった。寺の経済は潤い、老師の生活も変わった。この変転を溝口だけが悲しく見つめるのだったが、老師は素知らぬ顔であった。彼はますます、驟閣に対する愛着を強め、内面的になっていく。ある日、米兵と怒鳴り合っている派手な娼婦が驟閣の中に入ろうとするのを見た彼は、思わず彼女を「驟閣の美を汚す」者として振り倒してしまう。
1950年、「小谷大学」に通っていた溝口は、ひどい内翻足(ないほんそく)を誇示して超然としている学生の戸苅(仲代達矢)を知った。戸刈は女を扱うことにかけては詐欺師的な巧みさを持ち、障害を逆手に取って高慢な令嬢(浦路洋子)を籠絡し、美人の花の師匠(新珠三千代)も手なずけるような男であった。世の中がどんなに変わろうと驟閣寺は変わらないと言う溝口に、戸刈は永遠なものなどありはしないと反論する。
溝口の母は、生活苦から驟閣寺に炊事係として住み込むことになった。彼は母の住み込みに極力反対する。かつて中学生の彼は、父が肺病で療養中、母が親戚の男と関係している現場を目撃してしまった。この汚れた母を美しい驟閣に近づけることは、彼には到底できなかったのだ。意外なことを息子の口から知らされ、あきは貝のように黙ってうなだれてしまう。
溝口の友人である鶴川が母親の危篤で東京へ帰ってしまい、そのまま「帰らぬ人」となった。「事故」ということだった。唯一の友を喪って気落ちする溝口は、戸刈の下宿を訪ねるようになった。彼の吹く尺八の美しい音色に聴き入ったり、彼の父親の形見だという1本の尺八を貰(もら)ったりした。ある時、祇園の若い芸妓を囲っている老師の私生活を暴露する戸刈は、老師の性根を試すため老師の嫌がることをわざとやってみろと溝口をけしかける。
ある夜、学校をサボっていることを母親にうるさく説教されて外に飛び出した溝口は、夜の新京極の繁華街で偶然、芸妓を伴った老師と行き会う。尾行されたと誤解した老師は、棒を呑んだように突っ立った溝口に、「馬鹿者ッ」と鋭い一喝を与え立ち去っていく。溝口の心は大きく揺らいだ。戸刈の言ったことは真実だった。彼の心の一角がガラガラと崩れていく。
溝口は老師の反省を求めようと、買い求めた芸妓の写真を朝刊紙に挟んで老師に渡してみた。しかし、何の応答もなく、ただ写真だけが無言のうちに溝口の机の抽斗に返されていた。彼は老師と直に対話を試みるが、老師は芸妓のことも、「知っておるのがどうした」と開き直る。そして、寺に修行に来た当初は父の縁故で老師に引き立てられ、ゆくゆくは後継者にと目されていた溝口だったが、ついに老師自らの口から、「今はもう、その心積もりはない」とはっきり宣告されたのだった。
その夜、溝口は小刀とカルモチンを買い、戸刈から金を借りるや寺から家出した。故郷の舞鶴に向かい、成生岬から日本海の荒れ模様の海を見つめる。彼の瞼に、妻に裏切られ淋しく死んでいった愛する父の荼毘(だび)の青白い炎が浮かんでくる…。一人で宿屋にずっとい続ける溝口は、挙動不審の廉(かど)で警察に保護され、やがて警官に連れられて驟閣寺に戻された。
そんな息子を、母あきは泣きじゃくりながら、「親不孝者、恩知らず」と詰(なじ)る。息子が驟閣寺住職になることに強い期待を抱いていた母は、可愛さ余って憎さ百倍か、無念さを吐き捨てるかのように言う。自分ももう寺に居られない、お前のことも野垂れ死にしようがどうなろうと知らない、お前なんか産むんじゃなかった、と。そして、「もうこんなことを繰り返すことがあれば寺には置けない」と断言する老師の冷たい態度は、溝口の心を強く刺した。彼は信頼していた老師から、今や完全に見捨てられた自分を見出し、絶望のどん底に突き落とされた。
その日が来た。溝口は「驟閣を焼かねばならぬ」という想念の啓示に打たれていた。彼は五番町の遊郭に行く。遊女(中村玉緒)に何もせず話だけし、驟閣がもし焼けたらビックリするかと彼は訊いた。呑気な女は軽く受け流し、カレンダーの英語は吃(ども)らない溝口の声音を褒めたりした。溝口が寺に帰ると、高僧で父の友人でもある桑井善海(香川良介)が来訪していた。溝口は善海和尚に、「私の本心を見抜いてください」と詰め寄るが、「見抜く必要はない。何も考えんのが一番いいのだ」と諭される。
溝口は夜の、黒々と聳え立つ驟閣を振り仰いだ。涙がとめどなく頬を伝ってくる。誰も自分を分かってくれないのが悲しかった。やがて、「俺のすることはたった一つ残っているだけや」と誰に言うともなく呟く。
深夜、皆が寝静まった驟閣寺は物音一つしない。漆黒の闇の中にマッチの小さな焔に浮き彫りされて溝口の顔が現われた。彼は震える手で三たびマッチを擦る。白煙が立ちのぼり、メラメラと炎が燃え上がる。彼は煙に咽(むせ)びながら、汗だくで裏山の方へ駆け上り、虚脱したように夜空に舞う火の粉を凝視した。美しくそそり立つ驟閣が夜空を焦がして炎上する。その美しさに、彼は魂を奪われた…。

国宝放火犯として検挙された溝口は、実地検証で刑事らに伴われて驟閣寺の放火現場を訪れる。そこで彼が見出したものは、驟閣の見るも無惨な焼け跡だけだった。彼は驟閣寺の池の水に、美しかった在りし日の驟閣の幻影を見て、耐えがたい苦痛に満ちた表情で目を閉じた。彼の心に決定的な絶望がもたらされた。
1年の刑が決まった溝口は手錠を嵌(は)められたまま刑事らに連行され、東京行きの汽車に乗った。その2か月前、彼の母は鉄道自殺していた。汽車の中で黙って何かを一心に思い詰めた様子の彼は、1人の刑事に伴われてトイレに行く途中、突然、列車の連結部から自らの体を車外へ投げ出した。自動車で駆けつけた刑事らが、筵(むしろ)をかけられて線路脇に置かれた彼の遺体の方に歩いていく―。

うずまき cf. 鹿苑寺金閣
金閣寺は正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)といい、相国寺(しょうこくじ=京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺院)の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である。全3層のうち上部2層の周囲に金箔を貼った楼閣建築である舎利殿が「金閣」として特に有名なため、鹿苑寺は一般的に(通称)金閣寺と呼ばれている。
国宝保存法(1929年7月1日施行)により国宝に指定されていた金閣(舎利殿)は、1950(昭和25)年7月2日未明、同寺の見習い僧侶で大谷大学学生の林承賢(はやし・しょうけん、京都府舞鶴市出身、1929年3月19日生まれ、当時21歳)の放火により全焼。放火犯の林は、犯行直後に金閣寺の裏山(大文字山)で自殺を図ったが救命処置により一命を取り留める→50年12月28日に京都地方裁判所で懲役7年の判決を受け刑に服する→55年10月に恩赦で出所し56年3月7日に肺結核で26歳の生涯を終える。彼の母親・志満子は、50年7月3日夕刻、西陣警察署による事情聴取を受けたその帰りに、息子の行為の責めを負って、山陰本線の列車から保津峡で投身自殺した。
焼失した鹿苑寺金閣は、政府や京都府からの補助金、経済界や全国各地からの寄付金など約3000万円(当時)を集めて、1952年着工→1955年竣工(同年10月10日落慶法要)で再建を果たしている。3層(初層・中層・上層)の楼閣である金閣の、再建後と焼失直前の姿形を比較するとき、前者は後者の建物の構造・意匠を基本的に踏襲しているものの、後者が上層(第3層)のみに金箔が残り、中層(第2層)には全く金箔が残っていなかったのに対して、前者では上層のみならず中層の外面も全面金箔貼りにしていることが顕著な相違点である。この再建金閣は爾後、さらに1986年2月から翌87年10月にかけて、金箔を厚いもの~通常(約0.1µm)の5倍の厚さ(約0.45-0.55µm)の「五倍箔」~に張り替える修復工事を進めることで、文字通り金色に光る豪華にして典雅な創建時本来の姿を蘇らせるにいたった。3層楼の金閣は、初層が寝殿造り風、中層が書院造り風、上層が禅宗仏殿造り風の、それぞれに異なる様式を採用した特異な建築であり、そのようなものとして公家文化・武家文化・仏教文化が調和し、和様・天竺様・唐様の当時の全ての手法を駆使した“室町時代”楼閣建築の代表的な存在にほかならない。1994(平成6)年12月、金閣を含む鹿苑寺(庭園全体)は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財(京都市・宇治市・大津市)」[Historic Monuments of Ancient Kyoto(Kyoto, Uji and Otsu Cities)、cf. 公式サイト:世界遺産センター(The World Heritage Centre)]の構成資産(清水寺、平等院、延暦寺など17社寺・城郭)に登録された。

カメラ 焼失前の金閣(1893年) :
焼失前の金閣(1893年)

カメラ 焼失直後の、骨組みだけを残して全焼した金閣(1950年7月2日) :
焼失直後の金閣(1950年7月2日)

カメラ 広い苑池【鏡湖池(きょうこち)】に臨む、現在の金閣
金閣と鏡湖池⑵
金閣と鏡湖池
2019年9月26日(木)角川シネマ有楽町(東京都千代田区有楽町1-11-1 読売会館8F、JR有楽町駅・国際フォーラム口前ビックカメラ上)~<没後50年特別企画>「市川雷蔵祭」(8月23日-9月26日)~で、10:30~ 鑑賞。

「破戒」⑴

作品データ
製作年 1962年
製作国 日本
配給 大映
上映時間 118分

日本初公開 1962年4月6日

「破戒」⑶
「破戒」⑷
「破戒」⑵

島崎藤村(1872~1943)不朽の名作『破戒』(1906年)を、和田夏十(1920~83)が脚色し、市川崑(1915~2008)が映画化。被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを感動的なタッチで描くヒューマンドラマ/社会派ドラマ。陰影の深い美しいカメラワークを宮川一夫(1908~99)、風格ある音楽を芥川也寸志(1925~89)が担当。主人公の青年教師役を、市川崑と『炎上』『ぼんち』に続いてタッグを組んだ市川雷蔵(1931~69)が繊細に演じる。中村鴈治郎(1902~83)、杉村春子(1906~97)、加藤嘉(1913~88)、船越英二(1923~2007)、三國連太郎(1923~2013)、岸田今日子(1930~2006)、長門裕之(1934~2011)ら豪華共演陣に加え、原作者の「藤村」と役名の「お志保」をそのまま芸名とした藤村志保(1939~)が鮮烈なデビューを飾る。

ストーリー
明治後期。信州飯山の小学校教員・瀬川丑松(せがわ・うしまつ、市川雷蔵)は、天の知らせか10年ぶりに父に会おうと信州烏帽子嶽山麓の番小屋に駆けつけたが、無念にも父の死に目に会えなかった。蒼白い顔で天を振り仰いだ丑松は、「阿爺(おやじ)さん、丑松は誓います。隠せという戒めを決して破りません。たとえ如何なる目を見ようと、如何なる人に邂逅おうと、決して身の素性を打ち明けません」と呻(うめ)くように言った。被差別部落出身の素性を隠して生きよ、という父の戒めを聞いて育ち、それを頑(かたく)なに守り通し成人した丑松だった―。
下宿の鷹匠館に帰り、物思いに沈む丑松を慰めに来たのは、小学校同僚の土屋銀之助(長門裕之)であった。だが、彼すら被差別部落民を蔑視するのを知った丑松は、やりきれなく淋しかった。
丑松は下宿を蓮華寺に変えた。蓮華寺には、住職(中村鴈治郎)の養女になっているお志保(藤村志保)という娘がいた。お志保は丑松と同じ小学校に務める士族上がりの老教師・風間敬之進(船越英二)の長女だった。住職は一見、檀家の信頼厚く見識高い人物ながら、その実、養女にまで淫(みだ)らなことを仕掛けてやまない好色家。住職夫人(杉村春子)は話好きで明朗な女性だが、住職の女狂いにはほとほと困り抜いていた。貧苦のため蓮華寺に預けられたお志保は、丑松と知り合うなか次第に恋慕の情を募らせていく。
丑松は「部落民解放」を叫ぶ猪子蓮太郎(いのこ・れんたろう、三國連太郎)に兄事していた。猪子は被差別部落に生まれながら、「我は穢多なり」と世に公言する思想家で、下層社会の現実を精力的に告発する姿は「新平民中の獅子」として世に知られていた。丑松は彼にならば自らの出生を打ち明けたいと思い、口まで出かかることもあるが、その思いは揺れ、日々は過ぎる。しかし、猪子から「君も一生卑怯者で通すつもりか」と問いつめられた時、つい「私は部落民でない」と言い切ってしまう。この二人の緊張を、猪子の妻(岸田今日子)は気遣わしげに見守っていた。
飯山の町会議員・高柳利三郎(潮万太郎)がある日、丑松を訪ね、自分の妻が被差別部落民だし、「お互いに協力し秘密を守ろう」と申し込む。「家内のことを世間の人にお話しくださらないように」、その代わり、私もあなたのことを言わないから…。それは「あなたの誤解」だと、丑松はひたすら身分を隠し通した。
しかし、丑松が被差別部落民であるとの噂がどこからともなく流れた。校長(宮口精二)の耳にも入ったが、銀之助自身はそれを強く否定する。何か激しく犯し難い世の圧力が次第に丑松の身に迫ってくる…。
敬之進は酒浸りの生活が祟(たた)って、校長から退職を迫られていた。彼は酒に酔い痴れるなか、自分を介抱してくれる丑松に向かって、お志保を嫁に貰ってくれと頼むのだった。
やがて友人の町会議員の応援演説に飯山に来た猪子は、高柳一派の暴漢の凶刃に倒れる。師ともいうべき猪子の変わり果てた姿に丑松の心は決まった。丑松は「進退伺」を手に、校長に自分が被差別部落民であると告白する。そして、教え子のいる教室に沈痛な思いで入った丑松は、「私は部落民です」と涙と共に告白し、あげくの果てに「許して下さい…」と土下座して謝り続けた。啜(すす)り泣きが教室に満ちた。驚いて駆けつけた銀之助は、丑松を助け起こした。
虚脱したような丑松は、雪の中に座り込み、冬空に語りかけるように呟いた。「オヤジさん、何もかも終わってしまいました。猪子先生を捨て、今日、父親を捨てた丑松は、これから一人ぽっちで破戒の懺悔の旅をさすらって行きます」
骨を抱いて帰る猪子の妻と共に、丑松は降りしきる雪の中を東京へ向かう。これを見送る児童たち。その後に、涙に濡れたお志保の顔があった―。

▼ cf. 『破戒』《1948年版》(監督:木下惠介)予告編 :
[島崎藤村の代表作『破戒』の映画化は当初、終戦直後の1946年に東宝で企画され、脚色:久板栄二郎、監督:阿部豊、主演:池部良(丑松役)、高峰秀子(お志保役)で、ロケーションまで行なわれた。しかし、1946~48年に“東宝争議”が発生し、製作が中断され、公開には至らなかった。その後48年に、松竹で木下惠介監督(1912~98)により久板栄二郎(1898~1976)の脚本がそのまま使用され、丑松役は池部良(1918~2010)だが、お志保役に木下の前監督作『肖像』で映画デビューした桂木洋子(1930~2007)を迎えて再映画化された。―この《1948年版》は私の未見の映画であるが、一説によれば、同作は原作とは異なり、“部落差別問題”に深入りはせずに、千曲川の美しい自然を背景に、主として“丑松とお志保の恋物語”を抒情的に綴っているとのこと。]

「破戒」⑸

▼ cf. <没後50年特別企画>「市川雷蔵祭」予告編 :

2019年9月24日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、19:00~ 鑑賞。

「沖縄列島」

作品データ
製作年 1969年
製作国 日本
配給 「沖縄列島」上映委員会
上映時間 91分

日本初公開 1969年4月11日

戦後23年、米軍基地に囲まれた沖縄の日常を捉えた長編記録映画。沖縄の日本返還前の日常に横たわる数多くの風景や人々の表情や声。この様々な現実の断片を寄せ集めてみると、沖縄列島全体が世界に不協和音を発していることに気づく。新人の東陽一(1934~)が脚本・監督を担当。

ストーリー
映画は、再生ガラス工場でガラス瓶が打ち砕かれるシーンから始まる。打ち砕かれるのはコーラの空き瓶。飛び散るガラスの破片、溶解炉の炎。「日本の政府とね、日本の国民はね、私たちをアメリカに売り払った…それは娘を売り払った親父と同じ…恥ずかしくないのか…」。
爆音の中の沖縄。頭上をベトナムと沖縄を結ぶ軍用機が去来し、既に日常的現実となっている。本土からの観光客を乗せて走る観光バスの向こうには、B52の黒い尾翼が屹立している。観光案内をしていたガイド嬢が突然、「沖縄を返せ」を歌いはじめた。観光客の間を縫って観光パンフレットを売る老婆。“ひめゆりの塔”に集う観光客。その丘の下「ひめゆり洞穴」の中では、249名の少女が沈黙の青春を送っている。銃弾を浴びた岩がそのまま残っている。ここを訪れる客は、ほとんどいない。戦後二十余年、“日本の沖縄”としての叫びが高まってきた。基地の町コザで、基地撤去反対のデモがあった。それは基地に寄りかかって生活する人々のデモだった。床屋志望の少女が尋ねた。「東京の理容学校では縮れ毛の刈り方を教えてくれるでしょうか」と。嘉手納の滑走路は、ケネディ空港に次ぐ規模を持つ。B52が石垣島の遥か上空を通過する。宮古や石垣の上を日常的に飛ぶ、まるで羽根が生えた巨大な鮫のごとき戦略爆撃機。ベトナムと沖縄列島を連結させている伊江島では、基地の中に小屋を建て、土地を奪い返すための闘争が続いている―。