映画『沖縄列島』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年9月24日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、19:00~ 鑑賞。

「沖縄列島」

作品データ
製作年 1969年
製作国 日本
配給 「沖縄列島」上映委員会
上映時間 91分

日本初公開 1969年4月11日

戦後23年、米軍基地に囲まれた沖縄の日常を捉えた長編記録映画。沖縄の日本返還前の日常に横たわる数多くの風景や人々の表情や声。この様々な現実の断片を寄せ集めてみると、沖縄列島全体が世界に不協和音を発していることに気づく。新人の東陽一(1934~)が脚本・監督を担当。

ストーリー
映画は、再生ガラス工場でガラス瓶が打ち砕かれるシーンから始まる。打ち砕かれるのはコーラの空き瓶。飛び散るガラスの破片、溶解炉の炎。「日本の政府とね、日本の国民はね、私たちをアメリカに売り払った…それは娘を売り払った親父と同じ…恥ずかしくないのか…」。
爆音の中の沖縄。頭上をベトナムと沖縄を結ぶ軍用機が去来し、既に日常的現実となっている。本土からの観光客を乗せて走る観光バスの向こうには、B52の黒い尾翼が屹立している。観光案内をしていたガイド嬢が突然、「沖縄を返せ」を歌いはじめた。観光客の間を縫って観光パンフレットを売る老婆。“ひめゆりの塔”に集う観光客。その丘の下「ひめゆり洞穴」の中では、249名の少女が沈黙の青春を送っている。銃弾を浴びた岩がそのまま残っている。ここを訪れる客は、ほとんどいない。戦後二十余年、“日本の沖縄”としての叫びが高まってきた。基地の町コザで、基地撤去反対のデモがあった。それは基地に寄りかかって生活する人々のデモだった。床屋志望の少女が尋ねた。「東京の理容学校では縮れ毛の刈り方を教えてくれるでしょうか」と。嘉手納の滑走路は、ケネディ空港に次ぐ規模を持つ。B52が石垣島の遥か上空を通過する。宮古や石垣の上を日常的に飛ぶ、まるで羽根が生えた巨大な鮫のごとき戦略爆撃機。ベトナムと沖縄列島を連結させている伊江島では、基地の中に小屋を建て、土地を奪い返すための闘争が続いている―。