映画『破戒』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年9月26日(木)角川シネマ有楽町(東京都千代田区有楽町1-11-1 読売会館8F、JR有楽町駅・国際フォーラム口前ビックカメラ上)~<没後50年特別企画>「市川雷蔵祭」(8月23日-9月26日)~で、10:30~ 鑑賞。

「破戒」⑴

作品データ
製作年 1962年
製作国 日本
配給 大映
上映時間 118分

日本初公開 1962年4月6日

「破戒」⑶
「破戒」⑷
「破戒」⑵

島崎藤村(1872~1943)不朽の名作『破戒』(1906年)を、和田夏十(1920~83)が脚色し、市川崑(1915~2008)が映画化。被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを感動的なタッチで描くヒューマンドラマ/社会派ドラマ。陰影の深い美しいカメラワークを宮川一夫(1908~99)、風格ある音楽を芥川也寸志(1925~89)が担当。主人公の青年教師役を、市川崑と『炎上』『ぼんち』に続いてタッグを組んだ市川雷蔵(1931~69)が繊細に演じる。中村鴈治郎(1902~83)、杉村春子(1906~97)、加藤嘉(1913~88)、船越英二(1923~2007)、三國連太郎(1923~2013)、岸田今日子(1930~2006)、長門裕之(1934~2011)ら豪華共演陣に加え、原作者の「藤村」と役名の「お志保」をそのまま芸名とした藤村志保(1939~)が鮮烈なデビューを飾る。

ストーリー
明治後期。信州飯山の小学校教員・瀬川丑松(せがわ・うしまつ、市川雷蔵)は、天の知らせか10年ぶりに父に会おうと信州烏帽子嶽山麓の番小屋に駆けつけたが、無念にも父の死に目に会えなかった。蒼白い顔で天を振り仰いだ丑松は、「阿爺(おやじ)さん、丑松は誓います。隠せという戒めを決して破りません。たとえ如何なる目を見ようと、如何なる人に邂逅おうと、決して身の素性を打ち明けません」と呻(うめ)くように言った。被差別部落出身の素性を隠して生きよ、という父の戒めを聞いて育ち、それを頑(かたく)なに守り通し成人した丑松だった―。
下宿の鷹匠館に帰り、物思いに沈む丑松を慰めに来たのは、小学校同僚の土屋銀之助(長門裕之)であった。だが、彼すら被差別部落民を蔑視するのを知った丑松は、やりきれなく淋しかった。
丑松は下宿を蓮華寺に変えた。蓮華寺には、住職(中村鴈治郎)の養女になっているお志保(藤村志保)という娘がいた。お志保は丑松と同じ小学校に務める士族上がりの老教師・風間敬之進(船越英二)の長女だった。住職は一見、檀家の信頼厚く見識高い人物ながら、その実、養女にまで淫(みだ)らなことを仕掛けてやまない好色家。住職夫人(杉村春子)は話好きで明朗な女性だが、住職の女狂いにはほとほと困り抜いていた。貧苦のため蓮華寺に預けられたお志保は、丑松と知り合うなか次第に恋慕の情を募らせていく。
丑松は「部落民解放」を叫ぶ猪子蓮太郎(いのこ・れんたろう、三國連太郎)に兄事していた。猪子は被差別部落に生まれながら、「我は穢多なり」と世に公言する思想家で、下層社会の現実を精力的に告発する姿は「新平民中の獅子」として世に知られていた。丑松は彼にならば自らの出生を打ち明けたいと思い、口まで出かかることもあるが、その思いは揺れ、日々は過ぎる。しかし、猪子から「君も一生卑怯者で通すつもりか」と問いつめられた時、つい「私は部落民でない」と言い切ってしまう。この二人の緊張を、猪子の妻(岸田今日子)は気遣わしげに見守っていた。
飯山の町会議員・高柳利三郎(潮万太郎)がある日、丑松を訪ね、自分の妻が被差別部落民だし、「お互いに協力し秘密を守ろう」と申し込む。「家内のことを世間の人にお話しくださらないように」、その代わり、私もあなたのことを言わないから…。それは「あなたの誤解」だと、丑松はひたすら身分を隠し通した。
しかし、丑松が被差別部落民であるとの噂がどこからともなく流れた。校長(宮口精二)の耳にも入ったが、銀之助自身はそれを強く否定する。何か激しく犯し難い世の圧力が次第に丑松の身に迫ってくる…。
敬之進は酒浸りの生活が祟(たた)って、校長から退職を迫られていた。彼は酒に酔い痴れるなか、自分を介抱してくれる丑松に向かって、お志保を嫁に貰ってくれと頼むのだった。
やがて友人の町会議員の応援演説に飯山に来た猪子は、高柳一派の暴漢の凶刃に倒れる。師ともいうべき猪子の変わり果てた姿に丑松の心は決まった。丑松は「進退伺」を手に、校長に自分が被差別部落民であると告白する。そして、教え子のいる教室に沈痛な思いで入った丑松は、「私は部落民です」と涙と共に告白し、あげくの果てに「許して下さい…」と土下座して謝り続けた。啜(すす)り泣きが教室に満ちた。驚いて駆けつけた銀之助は、丑松を助け起こした。
虚脱したような丑松は、雪の中に座り込み、冬空に語りかけるように呟いた。「オヤジさん、何もかも終わってしまいました。猪子先生を捨て、今日、父親を捨てた丑松は、これから一人ぽっちで破戒の懺悔の旅をさすらって行きます」
骨を抱いて帰る猪子の妻と共に、丑松は降りしきる雪の中を東京へ向かう。これを見送る児童たち。その後に、涙に濡れたお志保の顔があった―。

▼ cf. 『破戒』《1948年版》(監督:木下惠介)予告編 :
[島崎藤村の代表作『破戒』の映画化は当初、終戦直後の1946年に東宝で企画され、脚色:久板栄二郎、監督:阿部豊、主演:池部良(丑松役)、高峰秀子(お志保役)で、ロケーションまで行なわれた。しかし、1946~48年に“東宝争議”が発生し、製作が中断され、公開には至らなかった。その後48年に、松竹で木下惠介監督(1912~98)により久板栄二郎(1898~1976)の脚本がそのまま使用され、丑松役は池部良(1918~2010)だが、お志保役に木下の前監督作『肖像』で映画デビューした桂木洋子(1930~2007)を迎えて再映画化された。―この《1948年版》は私の未見の映画であるが、一説によれば、同作は原作とは異なり、“部落差別問題”に深入りはせずに、千曲川の美しい自然を背景に、主として“丑松とお志保の恋物語”を抒情的に綴っているとのこと。]

「破戒」⑸

▼ cf. <没後50年特別企画>「市川雷蔵祭」予告編 :