普通人の映画体験―虚心な出会い -7ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年9月24日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、16:20~ 鑑賞。

「アンデスの花嫁」⑴

作品データ
英題 Bride of the Andes
製作年 1966年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 103分

日本初公開 1966年9月23日

「アンデスの花嫁」⑵
「アンデスの花嫁」⑶
「アンデスの花嫁」⑷

南米ペルー・アンデスでオールロケを敢行した、『ブワナ・トシの歌』の羽仁進監督(1928~)によるセミドキュメンタリー・タッチの野心作。写真だけの見合いでペルーへと嫁いできた日本人女性が、現地の人々の生活のなかに根を下ろし、次第に雄大なアンデスの未来に同化していく姿を描く。キャストについては、プロの俳優が左幸子(1930~2001)と高橋幸治(1935~)のみで、他はすべて現地人が起用されている。

ストーリー
タミ子(左幸子)は先夫の幼い息子を連れて、アンデスの高地に暮らす上田太郎(アンセルモ福田)のところへ、写真だけの見合いで嫁いできた。そして、近くにインカの古城が聳え、中世風の石を積み上げた段々畠の遺跡のある小さなインディオ集落~ケチュア語を話すインカの末裔であるインディオたち~の中で、タミ子の新しい生活が始まる。太郎の父は、不毛の地を開拓して南米の農業に貢献した日本人の一人だった。だが、太郎は名門の子孫キスキス(ドン・マテオ)と共に、父とは別な方法を考えていた。アンデスの山奥に埋蔵されているはずのインカ帝国の財宝を発掘し、それで再びインディオの文明を栄えさせようというのだ。タミ子はそんなことよりも、もっと地道な方法を尽くした。貧しい土地のために多収穫をもたらす種を近くの日本人開拓者集落からもらってきて、せっせと働くのだった。その集落には佐々木(高橋幸治)という若い男がいて、タミ子には親切にしてくれた。ある日、太郎が財宝探しに出たまま長い間行方不明になった。タミ子はその間に太郎の子を生む。そして半年過ぎた頃、今では雑貨屋をやって、村では貴重な存在になったタミ子のところへ太郎が帰ってきた。財宝のある場所を見つけたのだ。やがて発掘隊が編成され、財宝は掘り出された。だが、太郎は2000年前の古い遺跡が崩れた時、その下敷きとなり命を落としてしまう。タミ子はその悲しみの中で太郎の遺志を守り、インディオの繁栄のために尽くそうと誓った。タミ子は財宝をペルー国家に収め、多額の賞金を受け取る。その金で、いろいろなことができるとタミ子の胸は弾んだ。良質の種を手に入れることや、待望の水を引くこと…。佐々木は今やタミ子が、インディオの未来を拓く女に変貌していることに驚きの目を見張った。そして、アンデスの未来は明るく輝いていると思うのだった―。
2019年9月20日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、19:05~鑑賞。

「人間失格」

作品データ
製作年 2019年
製作国 日本
配給 松竹/アスミック・エース
上映時間 120分


文豪・太宰治(1909~48)の不世出の傑作『人間失格』誕生に迫るオリジナル作品。写真家で『ヘルタースケルター』『Diner ダイナー』の蜷川実花がメガホンを取り、酒と女に溺れながらも圧倒的な魅力を持つ人気作家・太宰治の生涯と、太宰をめぐる正妻と2人の愛人との恋模様を極彩色の映像美で描く。太宰には『信長協奏曲』『銀魂』の小栗旬が扮し、役作りのため大幅な減量を行なった。太宰の正妻を宮沢りえ、愛人を沢尻エリカと二階堂ふみが演じる。そのほか坂口安吾役の藤原竜也、三島由紀夫役の高良健吾、成田凌、千葉雄大、瀬戸康史らが集う。

ストーリー
複数の女性と浮き名を流し、自殺未遂を繰り返す太宰治(小栗旬)。その破天荒で自堕落な私生活は文壇から疎まれる一方、ベストセラーを連発して時のスター作家となる。やがて身重の妻・津島美知子(宮沢りえ)と二人の子どもがいながら、同時に二人の愛人、作家志望の太田静子(沢尻エリカ)と未亡人の山崎富栄(二階堂ふみ)との関係にも溺れていく。身体は結核に蝕(むしば)まれ、酒と女に溺れる自堕落な生活を続ける太宰は、夫の才能を信じる美知子に叱咤され、遂に自分にしか書けない、「人間に失格した男」の物語に取りかかるのだったが…。

▼予告編

2019年9月20日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、15:30~鑑賞。

「アド・アストラ」

作品データ
原題 AD ASTRA
[タイトルの“ad astra”(アド・アストラ)は、「to the stars」(星に向かって)を意味するラテン語。]
製作年 2019年
製作国 アメリカ
配給 20世紀フォックス映画
上映時間 123分


ブラッド・ピット率いる製作会社「PLAN B」が手掛け、ピット自身が主演を果たすスペース・アドベンチャー。父に憧れ宇宙飛行士になった主人公が、太陽系の彼方に消えたと思われていた父の謎を追う姿を、静謐な映像美で描く。監督は『エヴァの告白』のジェームズ・グレイ。主人公の父役にトミー・リー・ジョーンズほかリヴ・タイラー、ルース・ネッガ、ドナルド・サザーランドらが共演。

本作の筋は、父を探索する旅の展開を含む古代ギリシアの叙事詩「オデュッセイア」と、その影響を受けた『2001年宇宙の旅』(1968年)や『地獄の黙示録』(1979年)の流れを汲む。さらに、衛星軌道上での重大事故で幕を開ける『ゼロ・グラビティ』(2013年)、地球を救うミッションに旅立つ『サンシャイン 2057』(2007年)、引退した高齢宇宙飛行士が駆り出される『スペース・カウボーイ』(2000年)、海王星で消息を絶った宇宙船の救助に向かう『イベント・ホライゾン』(1997年)、宇宙空間に隔てられた親子がメッセージを伝えようとする『インターステラー』(2014年)等々、宇宙を舞台にしたハードSF映画を想起させる要素が満載。

ストーリー
時は近い未来。宇宙飛行士ロイ・マクブライド(ブラッド・ピット)は、地球外知的生命体の探求に人生を捧げた科学者の父クリフォード(トミー・リー・ジョーンズ)を見て育ち、自身も宇宙飛行士の道を選ぶ。
しかし、父は探索に出発してから16年後、太陽系の遥か彼方~地球から43億キロ離れた海王星付近~で消息を絶ってしまう。
時が流れ、エリート宇宙飛行士として活躍するロイに、軍上層部から「君の父親は生きている」という驚くべき事実がもたらされる。さらに、父が進めていた初の太陽系外有人探査計画、通称「リマ計画(Lima Project)」が、太陽系を滅ぼしかねない危険なものであることが分かり、ロイは軍の依頼を受けて父を捜しに壮大な宇宙空間へと旅立つ。
父の“謎”を追いかけて、使命に全身全霊をかけた息子が見たものとは─?

▼予告編



▼本作で初の宇宙飛行士役に挑んだブラッド・ピット(Brad Pitt、1963~)の来日記者会見 :
[2019年9月20日より本作の日米同時公開を前に、9月12日に日本科学未来館(東京都江東区)で、本作の製作・主演を務めたブラッド・ピットが来日記者会見に臨んだ。アジアで本作の記者会見が開催されたのは日本が唯一。そのため、この日はアジア各国からも記者が集結する貴重な会見となった。メディアからの質疑応答の後、特別ゲストとして元宇宙飛行士の毛利衛山崎直子を迎えてのトークもあり、ピット自身が「ちょっと質問してもいい?宇宙から見た地球の感想は?」「もう一度宇宙に行きたい?」と、“本物”の2人に興味津々で質問し、会場を盛り上げていた。]
2019年9月17日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、18:50~ 鑑賞。

「あかね雲」

作品データ
製作年 1967年
製作国 日本
配給 松竹
上映時間 107分

日本初公開 1967年9月30日

「あかね雲」⑵

水上勉(1919~2004)の同名小説を、『湖の琴』の鈴木尚之(1929~2005)が脚色し、『処刑の島』の篠田正浩(1931~)がメガホンを取った。篠田が妻の岩下志麻(1941~)とともに設立した独立プロダクション表現社の第1回作品。撮影は『恋のメキシカンロック 恋と夢と冒険』の小杉正雄。能登の海を背景に、薄幸の運命に流されながらも必死に生きる土地の女と、軍隊を脱走し逃亡中の男との間に悲劇的な愛の炎が燃え盛る…。出演は岩下志麻、山﨑努、佐藤慶、小川眞由美、野々村潔。

ストーリー
1937(昭和12)年頃の石川県輪島。二木まつの(岩下志麻)は、病身の父と貧しい家計を助けるため、商人宿の女中に出た。ある日、狐独なまつのの相談相手となっている女給の律子(小川眞由美)が、景気のいい山代温泉へ行こうと彼女を誘った。まつのは迷ったが、ちょうど缶詰会社の外交員の小杉稲介(山﨑努)を知り、彼が山代で働き口を見つけてくれたことから、山代行きを決心した。山代に向かう列車の中で、まつのは西空に燃えるような茜雲(あかねぐも)を見た。温泉町に着いたまつのは、律子の心配をよそに、小杉を信用して仲居になったが、化粧をして見違えるほど美しくなった彼女は、たちまち酒席の人気者になった。大陸での戦線は拡大する一方で、南京陥落の報が伝わってくる頃、まつのにも水商売の女がたどる運命が待っていた。小杉が世話になっているという中年の久能川(花柳喜章)が最初の男だった。それは小杉が勧めたことで、まつのは小杉と寝るのなら嫌ではなかったのだが、つい久能川がくれる百円に負けたのだ。その心の中(うち)を聞いた小杉は、あてどもなく町をさまよった。その日も、西空には絵具を溶かしたような茜雲が浮かんでいた。その経緯(いきさつ)を知った律子は、自分は娼婦のような生活をしていても、まつのにはそんなことをさせたくないと思っていたから、まつのを叱り、小杉を罵倒した。しかし、まつのは彼を悪人とは、どうしても思えなかった。彼女は金沢の小杉の下宿を訪ねた。二人はいつか堅く抱きあったが、小杉は何故かまつのを振り払った。山代に戻ったまつのは、憲兵少尉・猪股久八郎(佐藤慶)の訪問を受け、その時初めて小杉が脱走兵であることを知った。国民の志気に影響すると秘密裏に捜査していた猪股は、まつのの水揚げの顚末を知り、小杉を人身売買の罪に問い、公開捜査に踏み切った。まつのは山代を追われ、郷里に帰ったが、まもなく身の隠し場所の無くなった小杉から手紙が来た。至急会いたいというのだ。まつのは小杉の潜む福浦港に向かう。漁師町でのうらぶれた宿での二人の再会も束の間だった。まつのの後をつけていた鴨下刑事(野々村潔)によって、小杉はあっけなく捕まってしまった。茫然自失するまつのの目に映ったものは、かつて何度か見た、水平線の彼方に太陽が沈んだ後の、暮れなずむ海の色と、血のような茜雲だった―。
2019年9月17日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、16:40~ 鑑賞。

「母」

作品データ
製作年 1963年
製作国 日本
上映時間 101分

日本初公開 1963年11月8日

「母」⑵

“核”と“女性”をテーマに映画を撮り続けてきた新藤兼人(1912~2012)監督の至極の社会ドラマ。原爆の被害を受け荒廃した広島を舞台に、逆境の中から愛に目覚め、新たなる生命を育んでいく一人の女の生き方を乾いたタッチで描く。出演は乙羽信子、杉村春子、殿山泰司、高橋幸治、頭師佳孝、小川眞由美。

ストーリー
吉田民子(乙羽信子)は32歳。最初の夫は戦死、極道者の2度目の夫とも別れ、8歳の息子の利夫(頭師佳孝)を連れて家を飛び出した。しかし、民子が愛情を一心に注ぐ利夫を病魔が襲う。脳腫瘍と診断され、手術をしなければ盲目になるという。途方に暮れた民子は母の芳枝(杉村春子)に手術代を無心したが、芳枝は「治らないとわかっている病気に金を使うのは無駄だ」と取り合わず、果ては「もう一度結婚して男から金を出して貰え」と言うのだった。民子は母の言うなりに田島(殿山泰司)という韓国人の印刷屋と3度目の結婚をした。田島は利夫の手術代を出してくれ、「おれと一緒にいつまで辛棒してくれ」と民子を労(いたわ)った。民子も「この人とはどうしても上手(うま)くやらなければ」と自分を励ましていた。完全に治癒したと思われた利夫の病気が又再発した。「再手術は危ない、あと3、4か月の寿命だ」と宣告された民子に、田島は「一日でも長く生かしてやりたい、出来るだけ治療してやろう」と言う。民子は初めて田島に深く心を打たれた。どんな人間でも生きる権利がある。残り少ない日を人間らしく生かしたいと、利夫をオート三輪に乗せて盲学校に通わせた。利夫がオルガンを欲しいと言い出した。困り果てた民子に、弟の春雄(高橋幸治)は1万5000円借りてきて利夫の望みを叶えた。それは幼い日、姉・民子に我がままを言った自分の借りを返したにすぎなかった。そんな春雄もバーのマダム(小川眞由美)をめぐる三角関係のもつれから刃傷事件を起こし、あえない最期を遂げた。そして、まもなく追うように利夫も死んだ。虚脱した民子を田島は思わず抱きしめた。彼は泣いていた。その時民子は又新しい生命を宿していた。「わたし田島の子を産みたい、私の中には利夫も田島も入っている。何も出来ないけど、一人の命を産むことは出来るわ」。それは美しい母性の顔であった―。
2019年9月17日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、15:20~ 鑑賞。

「砂川」⑴

作品データ
製作年 1956年
製作国 日本
上映時間 56分

日本初公開 1957年1月29日

「砂川」⑶
「砂川」⑵

亀井文夫監督(1908~87)による、『砂川の人々― 基地反対斗争の記録』(1955年)→『砂川の人々 麦死なず』(1955年)に続く“砂川闘争”記録映画の第3作。米軍の立川基地拡張計画をめぐり、東京都北多摩地区砂川町の人々が闘いぬいた反対闘争の記録。前2作を利用して昨年(1955年)の闘争の経過を紹介、さらに今年(1956年)の闘争の現実を追う。「土地にクイは打たれても、心にクイは打たれない」を合言葉に、住民が応援の労組や学生たちと一体になって警官隊と対決、勝利を勝ちとるまで。日本人が日本人の血を流した胸えぐる悲劇の真相を描破している

ストーリー
日米行政協定による一片の命令で、砂川の人々は祖先代々の土地を追われることになった。農民たちの必死の抵抗も警官隊の出動で破られ第一次測量を許す。そして1956年10月、砂川の町には全国から応援に集まってきた数千の労働組合員や全学連の学生たちの姿が見られた。強制測量が始まり、数日間は小競合いが続く。ついに10月12日、53名の測量隊が現われ、1300名の武装警官が出動。ピケ隊はもみくちゃにされ、両者278名の負傷者が出る。翌13日、5000人の労組員と全学連が動員され、闘争は最高潮に達する。警官隊は細雨を衝いてピケ隊スクラム陣の中に躍り込む。警棒の突撃、乱打と鉄カブトの頭突き。殴り合い、突き倒し、砂川の町は地獄の様相を呈するのだった。重軽傷者はピケ隊側844名、警官隊側80名に及んだ。世論は警官隊の暴行と政府の無策に憤慨、14日夜、政府は突然ラジオで今年度の測量中止を発表。歓喜と興奮に沸き返る地元では、勝利のデモが繰り広げられた。15日、砂川基地反対闘争の勝利への国民総決起大会が開かれ、病院から負傷者も駆けつけて歓びの言葉を述べた―。

▼本編映像 :



▼ cf. 「砂川の記憶―57年目の証言―」[第100回 多摩探検隊(2012年8月配信)] :

2019年9月24日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、13:10~ 鑑賞。

「橋のない川 第二部」⑴

作品データ
製作年 1970年
製作国 日本
上映時間 140分

日本初公開 1970年4月25日

「橋のない川 第二部」⑶
「橋のない川 第二部」⑵

1969年作品『橋のない川』(本ブログ〈September 21, 2019〉)との2部構成。その後編。第一次世界大戦前後という大きな歴史のうねりの中、被差別部落に生きる人々が「全国水平社」を結成するまでの長く苦しい闘いの過程を、二人の貧しい兄弟(誠太郎・孝二)の成長に合わせて描く。監督は前作に引き続き今井正。出演は伊藤雄之助、北林谷栄、長山藍子、原田大二郎、加藤嘉ほか。

ストーリー
畑中孝二(山本聡)は夢を見た。少年時代の夢だった。川の対岸を杉本まちえ(津田京子)が歩いている。彼は無我夢中で、何度も「まちえさーん!」と呼んだ。しかし、まちえには遂に聞こえなかった。二人を遮っている川には、橋がなかったのだ…。
孝二は既に18歳。高等科を優等で卒業したものの度重なる就職差別の後、今は故郷の小森で靴職人になっていた。被差別部落出身者には、職業選択の自由はなかった。
永井藤作(伊藤雄之助)の娘お夏(夏圭子)は、大阪に身売りしていたが、村の若者・杉本清一(住吉正博)と世を儚(はかん)んでの心中自殺を遂げる。妹しげみ(原田あけみ)は、お夏の前借の肩代わりと口減らしのために自ら身売りを望んだ。ここにも部落問題の悲劇があった。
孝二とまちえは、ある日柏木先生(寺田路恵)のとりなしで卒業後初めて再会した。まちえは小森で教師となっていた。二人は長い差別の歴史と厳しい現実に怒りを増すのみだった。また、同じ靴職人となっている孝二の同級生たちは、《部落改善運動》※を唱える安養寺の住職・村上秀賢(今福正雄)に結婚差別の現状をぶちまけた。

※ 《部落改善運動》は、いわゆる部落解放運動(=部落差別の撤廃を目的とする社会運動)の初期形態である。近代日本の社会的状況下、1890年代になって部落の有力者や官憲・地方行政家らによって主導された。それは、部落差別の原因と責任を部落の側に求め、部落民が働き富を蓄え、環境を整備し清潔にし、教育・教養を高め、品行を善くする等の〈改善〉努力により差別の克服を図ろうとするもの。その後、この運動は〈一般民〉と被差別部落との〈融和〉を広く社会に訴え、部落外の人々の同情と理解を求める《融和運動》へと進む。そこでは結局、一般国民以上に天皇への忠誠を誓う部落民が模範とされ、国粋主義者や富裕層の力を借りることで部落民の地位向上の実現が志向された。これに対し、部落民自身の団結と決起により部落差別を徹底的に糾弾することによって、部落を完全解放しようとしたのが、1922年3月に結成された「全国水平社」であり、今日の「部落解放同盟」に至る解放運動にほかならなかった(1946年に全国水平社の伝統を継承した「部落解放全国委員会」が結成され→1955年に部落解放同盟と改称)。

一方、大阪の米問屋で懸命に奉公中の兄・誠太郎(丸山持久)。主人の安井徳三郎(加藤嘉)は、誠太郎のことを気に入っていたが、娘あさ子(小林令子)が誠太郎との結婚を切望していることを知るやいなや態度を急変、彼に暇を出し、あさ子の髪まで切り、二人の仲を引き裂いてしまう。
時はシベリア出兵~ロシアへの内政干渉~の時代(1918~22年)、軍国主義への道をひたすら突き進む日本。諸物価は高騰し、米価の高騰はまさに天井知らずの様相を呈していた。米問屋は政府と結託して買占めを始め、さらに村の者(部落民)に売る米は一切ないと突っぱねる。
そして遂に、1918年7月に富山を皮切りに始まった米騒動(「米よこせ」運動)が、ここ小森村にも波及する。その先頭に藤作がいた。だが、司直の手は藤作に伸びた。官憲に追われながら東京から帰郷した、秀賢住職の息子・秀昭(原田大二郎)は、孝二ら有志多数と共に、藤作の奪還に向かう。この間、右翼の「国忠会」暴力団が「思い知れ/米騒動の仇だ」、「米騒動の張本人/部落を討つ」と称して、村に暴れこみ、さんざっぱら村内を荒らし回った。慌てて引き返したものの、暴力の爪痕を前に、歯軋(はぎし)りして悔しがる秀昭たち。そこに秀昭を逮捕すべく刑事が姿を見せる。しかし、村の人々は人垣を固くして秀昭を隠し通し、刑事を寄せつけなかった。
大正11(1922)年、秀賢の提唱する《部落改善運動》は融和団体「大日本平等会」へ合流していく。だが、同年2月21日、その発会式(場所:大阪市中央公会堂〈通称:中之島公会堂〉)に参加していた被差別部落の多くの人々は、“一般国民の部落民に対する同情・融和を呼びかける”同会の本質を見破っていた。秀昭を始め、真の部落解放を願う人々によって、「部落民の自発的運動」の必要性を訴えるビラが、大量にばら撒かれる。それらは、あと10日後に迫った「全國水平社」創立大会開催を案内するビラだった。飛び交う怒号!紛糾する会場!大日本平等会発会式は、まさに全国水平社創立の宣伝の場と化す。秀昭たちを捕らえようとした巡査は、群衆に阻止された。孝二と秀昭は、抱き合って喜び合う。部落差別の撤廃と全ての人間の解放を目指す「全國水平社(ぜんこくすいへいしゃ)」[略称:水平社/全水(ぜんすい)]創立への第一歩は、かくして始まったのだった―。

映画は、秀昭が日本最初の人権宣言といわれる、以下の「水平社宣言」※全文を朗誦するなか、終幕を迎える。
全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。
 長い間虐(いじ)められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによつてなされた吾等(われら)の爲めの運動が、何等(なんら)の有難い効果を齎(もた)らさなかつた事實は、夫等(それら)のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて每(つね)に人間を冒瀆されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたわ)かの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際(このさい)吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧(むし)ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者(かつごうしゃ)であり、實行者であつた。陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剝ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臓を裂く代價(だいか)として、暖い人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享(う)けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印(らくいん)を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠(けいかん)を祝福される時が來たのだ。
 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行爲によつて、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いた)はる事が何(な)んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃(がんぐらいさん)するものである。
 水平社は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光あれ。≫

※「水平社宣言」は1922(大正11)年3月3日、全国の被差別部落から約3000人が参集した「全國水平社」創立大会(場所:京都市公会堂〈通称:岡崎公会堂〉)で採択された。起草者は全国水平社設立の中心人物・西光万吉(さいこう・まんきち、1895~1970)で、本作の登場人物・村上秀昭のモデルとされる。

第二部 Full Movie(上映時間:0:00/2:20:38) :



▼ cf. 「人間は勦(いた)わるべきものではなく尊敬すべきもの 全国水平社の創立と宣言に学ぶ」 :

2019年9月17日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、12:50~ 鑑賞。

「橋のない川」⑴

作品データ
製作年 1969年
製作国 日本
上映時間 127分

日本初公開 1969年2月1日

住井すゑ(1902~97)のライフワークともいえる同名長編小説を映画化した社会ドラマ。被差別部落に生きる人々の苦闘の歴史を日常の生活に焦点を当てつつ力強く描く。監督は『ひめゆりの塔』の今井正(1912~91)。出演は北林谷栄、伊藤雄之助、長山藍子、小沢昭一、田武 謙三ほか。

「橋のない川」⑵

ストーリー
明治末年。小森村は奈良盆地の一隅にある貧しい被差別部落だった。村の人々は、充分な田畑など望みようもなく、草履づくりでその日暮らしの世過ぎを続けていた。日露戦争で父を亡くした畑中誠太郎(高宮克弥)、孝二(大川淳)の兄弟は小学生だったが、伸び伸びと育っていた。しかし、被差別部落民に対する社会的偏見は根強く、明治4(1871)年に公布された解放令(太政官布告「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」)も名ばかりで、就職、結婚も思うようにいかず、小学生段階でも苛(いじ)めや喧嘩が絶えないのが現実だった。誠太郎と孝二がそんな世間の冷たい目の中で健気(けなげ)な明るさを失わなかったのは、文盲であっても自然の理に通じた心(しん)の強い祖母ぬい(北林谷栄)や、日々の小さな幸せに感謝する心優しい母ふで(長山藍子)のお蔭だった。
ある日、6年生の誠太郎は地主の子で同級生の佐山仙吉(森本隆)と、「エッタ、くうさい、くうさい…」の差別的な言葉を浴びせられて喧嘩沙汰を引き起こす。事情を解せぬ~差別の現実に丸で想像力が働かぬ~青島先生(塩崎純男)は誠太郎を一方的に断罪し、罰としてバケツを持たせて廊下に立たせる。孝二から事態を知らされた、祖母ぬいは学校へ乗り込んで、誠太郎が受けた理不尽な仕打ちに対し、校長(田武謙三)を相手に食い下がる。「校長先生、わいは小森の畑中だっせ、うちの孫がどないな悪さしましたんや…」、「わいら生まれてこの方、世間の人からエッタ、エッタ言うて人間扱いされんと来ましたんや。せやけど、わしらかて人間や。手も2本、足も2本ありますがな。指かて、見ておくなはれ。せやけど、世間の人はわいらのことをエッタ、エッタ言うて、けだもんみたいに言いますや。なんぼ自分で直そ思うてもエッタは直せまへん。校長先生、どねーしたらエッタが直るんか教えとくなはれ!
低学年だった孝二も学年が上がるにつれ、差別の現実を知るようになる。まもなく誠太郎は尋常科を卒業し、何でもやると言って大阪へ奉公に出る。
孝二が6年生になったある日、小森部落が火事になった。在所の消防団は小森であるがゆえに取り合わず、瞬く間に大火事を招いてしまう。火事の原因は、永井藤作(伊藤雄之助)の息子・武(根尾一郎)が空腹の弟のために豆を炊こうとしたことにあった。武はその夜、自殺する。悲しみに暮れる藤作は、武の死体を抱きながら、小森に必要な消防ポンプを買うことを決意する。
大正元(1912)年9月13日、明治天皇大葬[崩御:明治45(1912)年7月30日]の日の夜。小学校では、校長以下全教員および全校児童が東京に向かって“黙祷”を捧げる。その最中、孝二が秘かに好意を寄せている同じクラスの杉本まちえ(蒲原まゆみ)が、密かに隣り合わせに並ぶ孝二の手を握ってきた。天にも飛び上がらんばかりに喜ぶ孝二。しかし後日、まちえは残酷な言葉を投げつける。「うちな、あんたらの手、夜になると蛇みたいに冷とうなると聞いたんや。そやさかい、畑中さんの手、試したんや。堪忍な、堪忍してな…」 友達から「エッタの手は冷たい」と聞かされた彼女は、実に好奇心のまにまに孝二の手を握ったのだ。
奈良盆地に春が訪れた頃、藤作の努力で、小森村は消防ポンプを購入する。そして、消防ポンプの水で提灯落としを競う村対抗の行事で、加勢した藤作の活躍もあり、小森村は見事に第1位に。しかし、これを受け入れることができない他村の参加者と乱闘になり、優勝旗は無体にも焼かれてしまう。それを見ていた小森村の人々、そして孝二もまた、今改めて部落差別⇒人間差別に対する怒り~「人間は平等や!」「正義は力や!」の思い~を燃やすのだった―。

ラストシーン~モノクロからカラーへ転換~】 小森村の人々は、提灯落とし競争の現場を立ち去り、真っ赤な夕日が野山を茜色に染める中、ぞろぞろと列をなして足音もしめやかに帰途に就く。そこに、次のような「全国水平社」設立のテロップが白文字で流れる。
「この日から間もなく
各地の未解放部落の
人々は人間は平等で
あるという自覚の
もとに立ち上がり
ながい封建的な差別と
その差別からの貧困を
うち破るために団結し
遂に全国水平社
結成した」

第一部 Full Movie(上映時間:0:00/2:07:25) :

2019年9月13日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、18:55~鑑賞。

「記憶にございません!」

作品データ
製作年 2019年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 127分


三谷幸喜の長編映画監督8作目となるオリジナル作品。『ラヂオの時間』(1997年)、『THE有頂天ホテル』(2006年)、『ステキな金縛り』(2011年)の流れを組む、現代を舞台としたシチュエーション・コメディー。「史上最悪のダメ総理」「金と権力に目がない悪徳政治家」と呼ばれる内閣総理大臣が記憶喪失になり、「善良で純朴な普通の“おじさん”」になってしまうという物語。主演は中井貴一、共演にディーン・フジオカ、石田ゆり子、草刈正雄、佐藤浩市。

ストーリー
病院のベッドで目が覚めた男(中井貴一)。自分が誰だか、ここがどこだか分からない。一切の記憶がない。
こっそり病院を抜け出し、ふと見たテレビのニュースに自分が映っていた。演説中に投石を受け、病院に運ばれている首相。そう、なんと、自分はこの国の最高権力者・黒田啓介だったのだ。そして、石を投げつけられるほどに…すさまじく国民に嫌われている!!!
部下らしき男が迎えにきて、官邸に連れて行かれる。「あなたは、第127代内閣総理大臣。国民からは史上最悪のダメ総理と呼ばれています。総理の記憶喪失は、トップシークレット、我々だけの秘密です」。真実を知るのは、秘書官3名のみ。
進めようとしていた政策はもちろん、大臣の顔と名前、国会議事堂の本会議場の場所、自分の家族である妻や息子の名前すら思い出せなくなっている総理。記憶にない件でタブロイド紙のフリーライターにゆすられ、記憶にない愛人にホテルで迫られる。どうやら妻も他の男といい関係(不倫)にあるようだし、一人息子は非行に走っている気配。
そして、よりによってこんな時に、米国大統領が来訪!
他国首脳、政界のライバル、官邸スタッフ、マスコミ、家族、国民を巻き込んで、記憶を失った男が、捨て身であらゆるしがらみから解放されて、自らの夢と理想を取り戻す!果たして、その先に待っていたものとは…!?

▼予告編

2019年9月10日(火)有楽町スバル座(東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビル2階、JR有楽町駅・日比谷口正面)~同館「プレ ファイナルイベント」(特別企画上映:9月7日-12日)本ブログ〈September 05, 2019〉~で、17:30~鑑賞。

Lawrence of Arabia

作品データ
原題 Lawrence of Arabia
製作年 1962年
製作国 イギリス
配給 コロムビア(オリジナル版) ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(完全版)
上映時間 207分(オリジナル版) 227分(完全版〈前篇139分+後篇88分〉)

英国公開 1962年12月10日
日本公開 1963年2月14日(オリジナル版)、1995年3月4日(完全版)、2008年12月20日(完全版・ニュープリント版)

「アラビアのロレンス」⑵
「アラビアのロレンス」

トーマス・エドワード・ロレンス(Thomas Edward Lawrence、1888~1935)の回想録“Seven Pillars of Wisdom”(「私家版」1926年)(柏倉俊三訳『知恵の七柱』平凡社東洋文庫、全3巻、1969~71年)を、ロバート・ボルトとマイケル・ウィルソンが脚色し、『大いなる遺産』『戦場にかける橋』のデヴィッド・リーンが監督を務めた70ミリスペクタクル歴史劇。第1次世界大戦時にイギリス陸軍将校として、「オスマン帝国」支配下のアラブ独立闘争(アラブ反乱)を指導したT・E・ロレンスの孤高の戦い、その栄光と挫折~ロレンスの交通事故死で幕が開く衝撃的な冒頭から(倒叙法)、彼が失意の内にアラビアを離れる悲痛な終局まで~を雄大なスケールで映し出す。撮影はフレデリック・A・ヤング、音楽はモーリス・ジャール。主演は舞台俳優で、1960年の『海賊船』で映画デビューしたピーター・オトゥール。共演に『戦艦デファイアント号の反乱』のアレック・ギネス、『バラバ』のアンソニー・クイン、『ピラミッド』のジャック・ホーキンス、『カサブランカ』のクロード・レインズ、オマー・シャリフ、ホセ・フェラー、アーサー・ケネディ、アンソニー・クェイル、など。製作はサム・スピーゲル。第35回アカデミー賞で10部門にノミネートされ、作品賞・監督賞・撮影賞・編集賞・美術賞・作曲賞・録音賞の7部門でオスカーに輝いた。初公開から20年以上を経た1988年にオリジナルより約20分長い完全版が製作され、日本では95年に劇場公開。2008年にはデヴィッド・リーン生誕100周年、コロンビア映画創立85周年を記念してニュープリント版がリバイバル公開された。

本作のロケーション撮影は、1961年に開始。映画会社が当初立てたスケジュールは5か月だったが、実際の撮影には2年3か月も要した。ロケ地は、ヨルダン、スペイン、モロッコ、英国ロンドン、英国サリー州、米国カリフォルニア州などに渡っている。ヨルダンではフセイン国王が全面的に撮影協力し、本物の武器を無料で貸し出し、3万人の砂漠パトロール隊と1万5000人の実在のアラブ遊牧民(ベドウィン)がアラブとオスマン帝国(トルコ)の兵士のエキストラになった。

ストーリー
第一次大戦下のアラビア半島。アラブ人たちは「オスマン帝国」の臣民として服従を余儀なくされていた。アラブ人の不満を知ったイギリス軍の一見“風変わり”な情報将校トーマス・E・ロレンス(ピーター・オトゥール)は、オスマン帝国を弱体化させるため、アラブの諸部族を団結させて反乱を起こさせようと画策する。やがて、ファイサル王子(アレック・ギネス)率いるアラブ反乱軍を先導し、軍港アカバの攻略(1917年7月6日)など次々に殊勲を打ち立て、母国の英雄となったロレンス。彼はファイサルや盟友アリ(オマー・シャリフ)と共に、戦後のアラブ独立国の樹立を夢見るようになる。ところが1916年5月、まだ中近東で本格的な戦いが始まってもいないうちに、英仏両国間にアラブの領土を山分けする秘密協定(サイクス=ピコ協定)※が結ばれていた。後日、この密約の存在を知らされて、母国の利益とアラブの夢との板挟みになり、大いに悩み苦しむロレンス。かてて加えて、シリアの首都ダマスカス占領時(1918年10月1日~)に明らかとなったアラブ人首長(部族長)たちの無知蒙昧さと野蛮さ!そこではアラブ部族の合同評議会が創設され、アラブの自由と統一が志向されたが、部族間の対立が根深く、議論による意思決定が間もなく頓挫、結局のところ合同評議会は体を成さず瓦解した。絶望したロレンスは「砂漠など二度と見たくない。神にかけてだ」と言い、そのまま母国へ帰還してしまうのだった―。

(ロレンスは帰国後にロンドンに戻り、外務省や植民地省でアラブ処遇問題の解決に努めた。その後、イギリス陸軍戦車隊、航空隊を経て1935年に除隊するも、まもなく同年5月13日に、イングランド南部ドーセット州の自宅近くで、ブラフ・シューペリア社製のオートバイ~愛車「ジョージ」号~を運転中、自転車に乗っていた2人の少年を避けようとして事故を起こして意識不明の重体になり、6日後の5月19日に死去。46歳だった。ちなみに、ロレンスは少年期に自転車を、アラブでラクダを、アラブから帰国後にオートバイを、それぞれ愛好し乗りこなしていた―。)

サイクス=ピコ協定(Sykes-Picot agreement):イギリスとフランス、ロシアによる「オスマン帝国」解体に関する秘密協定(イギリスの中東専門家M.サイクスとフランスの外交官G.ピコが原案作成)。第一次世界大戦中の1916年5月16日に締結。1917年にロシア革命が起こると、同年11月にボリシェヴィキ政権によって旧ロシア帝国の同協定の秘密外交が明らかにされ、アラブの政治的緊張を高めることになった。ロシア帝国の解体後、イギリスとフランスは秘密協定に沿って、敗北したオスマン帝国領土の大部分を2か国で分割統治した。イギリスは現在のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、イラクを、フランスはレバノンとシリアを委任統治した。第二次世界大戦でイギリスとフランスは国力を消耗した結果、東地中海地域での委任統治を終了。現在の東地中海地域の国は、第二次世界大戦終了までに独立したが、委任統治時代の国境線はその後も維持された。

Trailer




名シーン (1) :
[エジプト・カイロの英陸軍司令部の一室で、ドライデン(英外務省アラブ局の諜報顧問、演:クロード・レインズ)がタバコを口にしたので、ロレンス(ピーター・オトゥール)はマッチを擦る。そして、ロレンスがマッチの火を息で吹き消した後に、砂漠に太陽が昇り…]


名シーン (2) :
[砂漠の地平線の向こうに現われた黒い点がだんだん大きくなってくる⇒砂漠の民ベドウィンの族長アリ(オマー・シャリフ)が駱駝を駆って遙か彼方から蜃気楼とともに揺れつつ、ひたひたとロレンスと、ガイドを務めるタファス(ジア・モヘディン)の方へ近づいてくる…]

「アラビアのロレンス」⑶

名(クライマックス)シーン(3) - アカバ(Aqaba)攻略戦
[ロレンスとアラブ軍は、1917年5月9日に紅海沿岸の町ワジュフ(Wajh)を出発、アラビア内地の砂漠を迂回すること約600マイル(約965km)、地獄の進軍を経て7月6日にオスマン帝国軍が占拠する港湾都市アカバを奇襲攻撃。ロレンス率いる決死隊一行は、当初アラブ人の勇者50名ばかりだったが、途中ハウェイタット族の首長アウダ・アブ・タイ(アンソニー・クイン)の協力を得て最終的に軍勢約1000名に膨れ上がっていた(ちなみに、原作『知恵の七柱』では、アカバ攻撃隊が約2500名の大集団と化す!)。アラブの騎馬兵と駱駝騎兵による電撃的な波状攻撃で、アカバはあっけなく陥落した。ロレンスの軍略が見抜いた通り、アカバのオスマン帝国軍は全て洋上からの侵攻に備えた配置(e.g. 砲台はアカバ湾〈紅海〉に向く)となっており、内陸側の防備はほとんど整備されていなかった。ロレンスが文字どおり「アラビアのロレンス」となった《アカバの戦い》で、死者はオスマン帝国軍が300名を数え、アラブ軍は2名にとどまった。]


名シーン (4) - ヒジャーズ鉄道(Hejaz railway)襲撃・爆破
[ヒジャーズ鉄道はオスマン帝国によって1900~08年に建設された、シリアのダマスカスと、アラビア半島のイスラーム教第2の聖地メディナ(マディーナ)を結ぶ鉄道(総延長1308km、軌間1050mm)。第一次大戦時にオスマン帝国軍の重要な兵站・物資供給ルートとみなされ、ロレンス率いるアラブ・ゲリラ部隊に何度も破壊されて廃線となり、その路線のほとんどが以後再建されることはなかった。]


音譜 名テーマ曲 [作曲:モーリス・ジャール(Maurice Jarre、1924~2009)] :



私感
本作は映画史上に残る名作、である。
4時間近くの大作ながら、さしたる冗長さはなく、夜となく昼となく表情を変える砂漠(黄色い海)の絵画的な美しさとスケール感が素晴らしい。フレディ・ヤング(Freddie Young、1902~98)の撮影による圧倒的な映像美!そして、人間ロレンスの包蔵するエネルギーがアラブ人たちを扇動していく一大叙事詩とモーリス・ジャールの壮麗な音楽が相俟って屈指の名作に仕立て上げられている―。

※1962年の公開以来、『アラビアのロレンス』を高く評価する人は、世界中に数多い。賞賛の評言は各人各様であるが、中には、あるブロガーによる、次のような飛び切り熱い評言も見られる(『アラビアのロレンス』(1962)/2011-02-10)。
≪「アラビアのロレンス」を観るといつも思う。映画とはこういうものだ、映画とはこうあるべきものなのだと。本当に映画らしい映画、生粋の正真正銘の映画。大作という名にふさわしい映画。これは紛うことなき映画の金字塔であり、オールタイム・ベストから決して外れない一作だと。/映画がその特性をいかんなく発揮し、映画であるからこそ描き出すことの出来る壮大なスケール感をなんの惜しみもなく表現し、存分に、たっぷりと味あわせてくれる作品。『アラビアのロレンス』を観ると、映画を観た幸せ、満足感、体も意識もとっぷりと満たされる。真の名作のみが持つ威光につつまれる恍惚感を体中で感じる。この映画はそういった作品なのだ。これぞ映画、これぞ本物の映画、これこそが映画のあるべき姿、何度観ても、何度でもそう思ってしまう作品だ。≫


しかし、偽らざる本音を言えば、私個人にとって本作は何度鑑賞しても、鑑賞後に何ともスッキリせず、まとまらない印象が残る作品でもある
私は本作を、1963年2月にオリジナル版に初めて出会って以来、映画館で都合6回~64-66年(?)にオリジナル版2回、約30年ぶりの95-98年(?)に完全版2回、そして約20年ぶりの今回~鑑賞した。そして、その都度、映画を熱心に見入り見終わった途端、私は決まって頭に思い浮かべるのだ。私にとって本作は、全体として何か内容的に物足りなく、混じり気のない感動で胸が一杯になるような作品ではない…と。

本作の監督であるデヴィッド・リーン(David Lean、1908~91)は、文芸映画から超大作までこなすイギリス映画界を代表する職人的巨匠として有名である。
彼は1957年に『戦場にかける橋』を発表し、第30回アカデミー賞監督賞を受賞(他に作品賞・監督賞・脚色賞・主演男優賞(受賞者:アレック・ギネス)・撮影賞・作曲賞・編集賞)。その5年後の62年には本作『アラビアのロレンス』で2度目の第35回アカデミー賞監督賞を受賞。そして、3年後の65年にはソ連の作家、ボリス・パステルナーク(Boris Pasternak、1890~1960)の同名小説の映画化作品『ドクトル・ジバゴ』で、第38回アカデミー賞5部門(脚色賞・撮影賞・作曲賞・美術賞・衣裳デザイン賞)の受賞に輝く。これら3作は世界中で大ヒットとなり、リーンの名声を絶大なものとした。
私はかつてD・リーン監督作品を愛好し、特に1960~80年代に、前掲3作と『旅情』(原題:Summertime、主演:キャサリン・ヘプバーン/ロッサノ・ブラッツィ、上映時間:100分、1955年)を映画館で、それぞれ数回は堪能した。そして何よりも、リーンが長年掘り下げてきた“人間と自然”、“西欧文明と異文化の相克”のテーマに個人的な興味を動かされ、その徹底した描写に奥深い感動を呼び起こされたものだった。

私の場合、同じリーン監督作であっても、本作よりも格段に『戦場にかける橋』と『ドクトル・ジバゴ』に思い入れが強い。この2作の物語内容と数々の映像は、今なお鮮やかに脳裏に蘇るほどに私自身の忘れがたい記憶となっている。
戦場にかける橋』(原題:The Bridge on the River Kwai、上映時間:162分、日本公開:1957年12月)は、第二次世界大戦の只中である1943年のタイ、ビルマ国境付近にある日本軍捕虜収容所を舞台に、捕虜となったイギリス・アメリカ軍兵士らと、彼らを強制的に「泰緬鉄道」建設に動員する日本人大佐(演:早川雪洲)との対立と交流を通じ極限状態下の人間の尊厳と誇り、戦争の惨(むご)さを表現した戦争映画。日・英・米の軍人気質の違い、戦争の狂気が見事に描かれた作品である。私が同作を初鑑賞したのは、在りし日の父親に同伴してのこと。鑑賞直後の彼~太平洋戦争に出征し何とか生き残って「戦争放棄」の日本を追求し続けたJiro~が、息子の私に向かって、しみじみとした口調で語ったものだった。「あー、いい映画だったな!何度でも観たい映画だよ。イギリスの俳優アレック・ギネス(ニコルソン大佐役)とジャック・ホーキンス(ウォーデン少佐役)、アメリカの俳優ウィリアム・ホールデン(シアーズ中佐役)もよかったが、早川雪洲(1886~1973)も日本軍人(斉藤大佐)を堂々と演じていた。さすがに国際的映画俳優だけある…」
ドクトル・ジバゴ』(原題:Doctor Zhivago、上映時間:197分、日本公開:1966年6月)は、20世紀前半のロシア革命前後の動乱期を背景に、ラーラ(演:ジュリー・クリスティ)とトーニャ(ジェラルディン・チャップリン)という二人の女性への愛で揺れ動く、純真な心を持つ詩人でもある医師ユーリー・ジバゴ(オマー・シャリフ)の波瀾に満ちた生涯を壮大なスケールで綴った大河ロマン。私が初鑑賞の際に全編を通して名状しがたい胸一杯の感動を味わうことができた作品である。私は66年7月頃だったか、私に勧められて同作を鑑賞した友人Nと、個人の精神的な自由に誠実に生きようとした知識人ジバゴの思想的姿勢について、また「戦争と革命の最中でも、人間は愛を失わない」との思想的テーマについて、激しく意見を戦わしあったことを今でも時々まざまざと懐かしく思い出す。Nは当時、「民青」の一員として日本共産党の同調者だった―。

▼ cf. 『戦場にかける橋Trailer→『ドクトル・ジバゴTrailer



音譜 cf. 『ドクトル・ジバゴ』の挿入曲「ラーラのテーマ(Lara's Theme)」 :
[同曲は『アラビアのロレンス』の前掲Main Themeと同様、モーリス・ジャール(Maurice Jarre)による作曲。どちらも今なお私が聞きほれる名曲ながら、比すれば“Lara's Theme”の方が五体に嫋々たる美しい余韻を残す度合いが一層大きい。]


私が「20世紀映画の金字塔」とも言われる本作に何かスッキリしないものを覚え続けるは、何故だろうか。この点、『戦場にかける橋』と『ドクトル・ジバゴ』の2作と比較対照するとき、事情が判明してくる。それは、突き詰めて言えば、キャスト陣の問題に関わっている。
私はまず、アレック・ギネス(Alec Guinness、1914~2000)というイギリスきっての名優に注目する。彼は本作で、アラブ反乱軍の指導者ファイサル王子(メッカのアミール〈太守〉で、後にヒジャーズ王国の国王になるフサイン・イブン・アリーの第3王子)を好演している。しかし「好」演とはいえ、もともと高い演技力の持ち主であるギネスならではの話で、その「味のある」演技も『戦場にかける橋』で日本軍の捕虜となったイギリス連隊長ニコルソン大佐~誇り高く、自らの信念を曲げない、部下からの信頼が厚い指揮官~を演じた場合と比較すると、だいぶ見劣りがし、私には無性に物足りなさが残る。一体に英国人俳優がアラブ的エスニシティーそのものを体現するのは至難の業なのだ。
また、アラブ人でエジプト出身の俳優であるオマー・シャリフ(Omar Sharif、1932~2015)の場合は、どうだろうか。彼は本作で、ハリト族の首長アリ(ハリト族は架空の部族で、「アリ・イブン・エル・カリッシュ〈Ali ibn el Kharish〉」も架空の人物)を演じ、ハリウッドデビュー。アカデミー賞助演男優賞の候補となって一躍国際的な名声を獲得した。だが、私自身は異国情緒に満ちたシャリフの精悍な顔立ちに目を向けはしても、アリ⇒シャリフが見せる平板なアラブ人像にはさしたる感興も湧かずじまい。私の場合、『ドクトル・ジバゴ』における、永遠のロシアを象徴する女性ラーラ(ジュリー・クリスティ)に愛を捧げ、哀愁が全身にみなぎり渡るジバゴ⇒シャリフにこそ、男性性と繊細さが同居するシャリフの面目躍如たるものを見出し、それこそグッと惹きつけられるのだ。
さらにイギリスの俳優ジャック・ホーキンス(Jack Hawkins、1910~73)の場合である。単刀直入に言って、本作で英陸軍カイロ司令部のアレンビー将軍を演じたホーキンスより、『戦場にかける橋』でイギリス軍特殊部隊のウォーデン少佐を演じたホーキンスが、クワイ河架橋爆破作戦を遂行する役どころの重みもあって、私には数段生き生きと魅力的に映り、確かな存在感のある刺激的な印象が際立つのだった。

そして、本作で何より問題なのは、無名の新人ながら華々しく主役に抜擢されたピーター・オトゥール(Peter O'Toole、1932~2013)のこと。
アイルランドの俳優オトゥールは、金髪碧眼~瞳は青緑色~が引き立つ、細身で長身の美男子である。そんな彼がアラブ独立に命を懸け、“砂漠の英雄”と謳われたT・E・ロレンスを演じるとは、これ如何に!?
私は(本作初鑑賞数年前の?)高校時代に、期するところがあって「第一次世界大戦史」を自学自習した。その際、前出のサイクス=ピコ協定と、さらにフサイン=マクマホン協定やバルフォア宣言と合わせ、いわゆる「イギリスの三枚舌外交」※を調べる中で、砂漠の反乱に身を投じ、異郷の「王」となった、トーマス・エドワード・ロレンスという男の存在を初めて知った。
第一次大戦の最中、アラブ人たちを率いて戦った異色のイギリス人とは、いかなる人間だったのか?逞しい体躯を持つ凛々しい勇者、天才的な知恵が備わる賢者、ヒューマニティー溢れる傑物、それとも…。私の若い想像力はあれこれと膨らむばかりだったが、そこに少なくとも優形の男だけが思い描かれていなかったことは確かである。
ところが、どうだろう、初鑑賞時の私が目にしたロレンス⇒オトゥールは、それこそ端整な面立ちの優男ではないか!?私は強い違和感に捉えられた。その後、何度鑑賞回数を重ねても、自らの予想と大幅に食い違ったロレンス=オトゥール像に引きずられっぱなしなのか、私の目に入るロレンス=オトゥールは何とも感情移入しにくいスッキリしない人物であり続けた。オトゥールが壮大な自然を背景にロレンスを“熱演”していること自体は間違いない。しかし私には、蟠(わだかま)りがどうにも吹っ切れないのだ。こんなヤワなオトゥール⇒ロレンスがどうしてトルコの圧政に抗して立ち上がったアラブ人を率い、荒涼たる砂漠を疾駆して迅雷の攻撃で敵を圧倒することができようか!?これでは、本作をもって過酷きまわりないアラビアの地で必死に戦う“稀代の英雄”の物語とするなら羊頭狗肉もいいところだろう…。

フサイン=マクマホン協定(Husayn-McMahon Agreement)は、イギリスのエジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとメッカの太守フサイン・イブン・アリーとの間で 1915年7月14日から16年3月30日の期間に取り交わされた10通の往復書簡での合意: 英国はオスマン帝国に対するアラブ反乱を条件に、第一次大戦後のアラブ王国の独立承認を約束する―。また、バルフォア宣言(Balfour Declaration)は、第一次大戦中の1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡での声明: イギリス政府は「シオニズム」を支持し、パレスチナにおけるユダヤ人居住地(national home)建設を支援する―。
フサイン=マクマホン協定/サイクス=ピコ協定/バルフォア宣言というイギリスの第一次大戦における中東問題をめぐる外交政策は、基本的に(その文言上多様な解釈を許す面も見られるが)アラブ/フランス/ユダヤ(シオニスト)の3つの方向に、それぞれ都合のいい話をこしらえた、大国本位の“三枚舌外交”にほかならない。この悪名高いイギリスの一連の矛盾外交こそ、その後の今日まで続く中東の不安定状態~アラブ人とユダヤ人がパレスチナの領有を争って多くの難民を生み出している「パレスチナ問題」やトルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアの5か国に引き裂かれ、不自然な国境で分断されている「クルド人問題」など~をもたらした大きな原因の一つとなった。


私がロレンス⇒オトゥールの全身が醸し出す雰囲気にしっくりと馴染めないのは、どういう加減なのだろうか?1995~98年、本作の4、5回目(完全版)の鑑賞時だったか、ふと私の脳裏を掠めた思いがある。ロレンス=オトゥールは「同性愛(homosexuality)」感覚の持ち主ではなかろうか…。そして、今回(6回目)改めて観て、私はやっと事情が呑み込めるにいたった―。

実のところ、私は2013年12月にピーター・オトゥールが亡くなってまもなく、映画評論家某との話の中で、T・E・ロレンスがホモセクシャル(同性愛者)でSM嗜好もあったことがほぼ定説化している旨を初めて知らされた。イギリスがまだ同性愛を違法としていた時代に作られた『アラビアのロレンス』には、その露骨で“危険な”描写が避けられたものの、男同士の擬似恋愛めいた感情や少年愛など、同性愛の要素が巧妙に表現されている―。この某氏の言葉に、私は瞬間、なるほど、うんうんと頷(うなず)いたのだった。

本作には、ロレンスのセクシャリティーを暗に匂わせる場面が多々見受けられる。私はまず、ロレンスが喫煙の際にマッチの火を親指と人差し指で消すマゾヒスティックなところが少しばかり気にかかった。次いで、ロレンスとハリト族のアリ首長(オマー・シャリフ)との関係、またロレンスと彼の従者になるアラブ人少年2人~ダウド(ジョン・ダイメック)とファラジ(マイケル・レイ)~との関係に、私の注意が向けられた。ここでのロレンスの性的指向には、ホモセクショナルな一面が窺(うかが)えるのではないか…。もっとも見方によっては、そのアリ/ダウド/ファラジに対する関係場面は人間同士の、信頼性が高い友愛の情を示すものであり、そこに同性愛の傾向を見るのは勝手な深読みで下衆(げす)の勘繰りと謗(そし)られるやも知れず…。
そして、私は決定的な事態を暗示する場面に出会う。それは、オスマン帝国側が占拠するシリア南部のデラアに敵情視察で潜入したロレンスが、オスマン帝国軍守備隊の「不審者」狩りに遭い、連行された同軍司令部で拷問~鞭打ちと辱め~を受けるシーンである。

取調室における守備隊司令官のベイ(ホセ・フェラー)とロレンスの会話のやりとり(cf. トッポの気まぐれ洋画劇場・第22回 アラビアのロレンス(後篇)
ベイ:「お前の歳は?」
ロレンス:「27です」
ベイ:「27にしては、老けて見えるし、世慣れている…服を脱げ!」
ロレンスは上半身裸になる。ベイはロレンスの胸を右手で触れて少し摘(つま)み、ニタリと笑う。
ベイ:「お前の肌は白いな。コーカサス人か?…この怪我は?」
ロレンス:「古傷です」
ベイ:「いや、最近の傷だ。お前は脱走兵だろ?」
ロレンス:「違う…」
ベイ:「ワシはここで長い。ここの任務は退屈だ。月の裏側でも、ここほど味気なく無かろう。ワシの話は分かるまい。部下は間抜け揃いだ。好男子とブタの区別も分からん…お前が脱走兵かどうかはどうでもいい、男は兵隊だとは限らん…」
この後、不快感を募らしたロレンスは、ベイ司令官を殴り倒し、彼の部下に取り押さえられる。起き上がったベイは、「鞭を打て」と部下に命令する。執拗な鞭打ちで、身も心もズタズタに引き裂かれていくロレンス。…やがて気を失った彼は、オスマン帝国兵士に担がれて、無造作に司令部の出口の泥道に放り出されてしまう。

この問題シーンでは、具体的な生々しい性的表現が駆使されているわけではない。しかし、ロレンスの肌の赤裸々な露出やオスマン帝国軍関係者の卑猥な表情は、何を物語るのか。何しろベイ司令官は、女装こそしていないが、助平根性丸出しで“男”~慰み者~を選別してやまない男色(男性同士の性愛=男性同性愛)の軍人にほかならなかった。とすれば、ロレンスはサディスティックな男色家の格好な餌食になり、夜伽の相手をさせられてしまったことになる。この、いわゆる「オカマを掘られる」という“屈辱”を受けるにいたった全体状況こそ、逆説的に言い換えれば、ロレンスその人こそマゾっ気のある男色家であることを暗に仄(ほの)めかしているのではないか。拷問~肉体的な凌辱~を受けているロレンスが見せる表情は、「苦悶」だろうか、それとも「悦楽」だろうか!?

私はかねてからロレンス⇒オトゥールの言動/物腰/仕草~話し方、歩き方、座り方など~を観察するほどに、心の片隅に引っかかるものがあり続けた。それはどうやら、本質的に彼の、いわゆる「おネエ系」的なものに感情移入できないがゆえの、私なりの割り切れない違和感だったように思わざるをえない…。

私はもともとLGBT/Sexual Minority~同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーなど~を扱う映画が今イチ苦手である。その旨は既述の通り(本ブログ〈March 05, 2019〉)。

本作は1950年代半ばから流行した「大型映画」の一つの到達点を示した傑作である。何人(なんぴと)といえども、本作を素直に見入るとき、アラビアの広漠たる熱砂の砂漠の美しさと残酷さに目を奪われ続けるだろう。また、駱駝や馬に跨(また)がったアラブ反乱軍が颯爽と行進し、砂塵を蹴立てて突進する雄姿に目を凝らし続けるだろう。そして、数奇な運命に翻弄された一人の冒険者の精神と気概と勇気に、真剣で好奇に充ちた目を向け続けるだろう…。
本作の主人公T.H.ロレンスとは、何者なのか。
彼は、オックスフォード大学時代から考古学的発掘に情熱を傾けた一介の青年考古学者だった。そして、1914年の「第一次世界大戦」開戦とともに情報将校として活躍した機知に富んだ戦略家だった。さらに最大限注意すべきことに、ハイパージェンダー感覚も動く男性同性愛者(gay/ゲイ)~or 奇行癖のある異常性向の持ち主?~だった…。
ロレンスその人は、「正義」のために命を投げ出すかと思えば、「狂気」の殺戮に手を染める…といった具合で、沸々(ふつふつ)と沸き立つ“自己の内乱状態” というものを自らの最大の起爆剤とする、とにかく常人とは桁違いの精神世界の住人にほかならなかった。

20世紀は“映画の時代”であったと後世に証明できうる数少ない本作は、ロレンスの自己内奥の咫尺(しせき)を弁ぜぬ闇の世界をさりげなく取り込む、深甚で難解な作品である。それは、世にも“奇怪”至極な映画以外の何物でもない―。

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