2019年9月10日(火)有楽町スバル座
(東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビル2階、JR有楽町駅・日比谷口正面) ~同館「プレ ファイナルイベント」(特別企画上映:9月7日-12日)
本ブログ〈September 05, 2019〉 ~で、17:30~鑑賞。
作品データ :
原題 Lawrence of Arabia 製作年 1962年 製作国 イギリス 配給 コロムビア(オリジナル版) ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(完全版) 上映時間 207分(オリジナル版) 227分(完全版〈前篇139分+後篇88分〉) 英国公開 1962年12月10日
日本公開 1963年2月14日(オリジナル版)、1995年3月4日(完全版)、2008年12月20日(完全版・ニュープリント版)
トーマス・エドワード・ロレンス(Thomas Edward Lawrence、1888~1935)の回想録“Seven Pillars of Wisdom”(「私家版」1926年)
(柏倉俊三訳『知恵の七柱』平凡社東洋文庫、全3巻、1969~71年) を、ロバート・ボルトとマイケル・ウィルソンが脚色し、
『大いなる遺産』『戦場にかける橋』のデヴィッド・リーン が監督を務めた70ミリスペクタクル歴史劇。
第1次世界大戦時にイギリス陸軍将校として、「オスマン帝国」支配下のアラブ独立闘争(アラブ反乱)を指導したT・E・ロレンスの孤高の戦い、その栄光と挫折~ロレンスの交通事故死で幕が開く衝撃的な冒頭から(倒叙法) 、彼が失意の内にアラビアを離れる悲痛な終局まで~を雄大なスケールで映し出す 。撮影はフレデリック・A・ヤング、音楽はモーリス・ジャール。主演は舞台俳優で、1960年の『海賊船』で映画デビューしたピーター・オトゥール。共演に『戦艦デファイアント号の反乱』のアレック・ギネス、『バラバ』のアンソニー・クイン、『ピラミッド』のジャック・ホーキンス、『カサブランカ』のクロード・レインズ、オマー・シャリフ、ホセ・フェラー、アーサー・ケネディ、アンソニー・クェイル、など。製作はサム・スピーゲル。第35回アカデミー賞で10部門にノミネートされ、作品賞・監督賞・撮影賞・編集賞・美術賞・作曲賞・録音賞の7部門でオスカーに輝いた。初公開から20年以上を経た1988年にオリジナルより約20分長い完全版が製作され、日本では95年に劇場公開。2008年にはデヴィッド・リーン生誕100周年、コロンビア映画創立85周年を記念してニュープリント版がリバイバル公開された。
本作のロケーション撮影は、1961年に開始。映画会社が当初立てたスケジュールは5か月だったが、実際の撮影には2年3か月も要した。ロケ地は、ヨルダン、スペイン、モロッコ、英国ロンドン、英国サリー州、米国カリフォルニア州などに渡っている。ヨルダンではフセイン国王が全面的に撮影協力し、本物の武器を無料で貸し出し、3万人の砂漠パトロール隊と1万5000人の実在のアラブ遊牧民(ベドウィン)がアラブとオスマン帝国(トルコ)の兵士のエキストラになった。
ストーリー :
第一次大戦下のアラビア半島。アラブ人たちは「オスマン帝国」の臣民として服従を余儀なくされていた。アラブ人の不満を知ったイギリス軍の一見“風変わり”な情報将校トーマス・E・ロレンス(
ピーター・オトゥール )は、オスマン帝国を弱体化させるため、アラブの諸部族を団結させて反乱を起こさせようと画策する。やがて、ファイサル王子(
アレック・ギネス )率いるアラブ反乱軍を先導し、軍港アカバの攻略(1917年7月6日)など次々に殊勲を打ち立て、母国の英雄となったロレンス。彼はファイサルや盟友アリ(
オマー・シャリフ )と共に、戦後のアラブ独立国の樹立を夢見るようになる。ところが1916年5月、まだ中近東で本格的な戦いが始まってもいないうちに、英仏両国間にアラブの領土を山分けする秘密協定(
サイクス=ピコ協定 )※が結ばれていた。後日、この密約の存在を知らされて、母国の利益とアラブの夢との板挟みになり、大いに悩み苦しむロレンス。かてて加えて、シリアの首都ダマスカス占領時(1918年10月1日~)に明らかとなったアラブ人首長(部族長)たちの無知蒙昧さと野蛮さ!そこではアラブ部族の合同評議会が創設され、アラブの自由と統一が志向されたが、部族間の対立が根深く、議論による意思決定が間もなく頓挫、結局のところ合同評議会は体を成さず瓦解した。絶望したロレンスは「砂漠など二度と見たくない。神にかけてだ」と言い、そのまま母国へ帰還してしまうのだった―。
(ロレンスは帰国後にロンドンに戻り、外務省や植民地省でアラブ処遇問題の解決に努めた。その後、イギリス陸軍戦車隊、航空隊を経て1935年に除隊するも、まもなく同年5月13日に、イングランド南部ドーセット州の自宅近くで、ブラフ・シューペリア社製のオートバイ~愛車「ジョージ」号~を運転中、自転車に乗っていた2人の少年を避けようとして事故を起こして意識不明の重体になり、6日後の5月19日に死去。46歳だった。ちなみに、ロレンスは少年期に自転車を、アラブでラクダを、アラブから帰国後にオートバイを、それぞれ愛好し乗りこなしていた―。)
※
サイクス=ピコ協定 (Sykes-Picot agreement):イギリスとフランス、ロシアによる「オスマン帝国」解体に関する秘密協定
(イギリスの中東専門家M.サイクスとフランスの外交官G.ピコが原案作成) 。第一次世界大戦中の1916年5月16日に締結。1917年にロシア革命が起こると、同年11月にボリシェヴィキ政権によって旧ロシア帝国の同協定の秘密外交が明らかにされ、アラブの政治的緊張を高めることになった。ロシア帝国の解体後、イギリスとフランスは秘密協定に沿って、敗北したオスマン帝国領土の大部分を2か国で分割統治した。イギリスは現在のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、イラクを、フランスはレバノンとシリアを委任統治した。第二次世界大戦でイギリスとフランスは国力を消耗した結果、東地中海地域での委任統治を終了。現在の東地中海地域の国は、第二次世界大戦終了までに独立したが、委任統治時代の国境線はその後も維持された。
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Trailer VIDEO VIDEO ▼
名シーン (1) :
[エジプト・カイロの英陸軍司令部の一室で、ドライデン(英外務省アラブ局の諜報顧問、演:
クロード・レインズ )がタバコを口にしたので、ロレンス(
ピーター・オトゥール )はマッチを擦る。そして、ロレンスがマッチの火を息で吹き消した後に、砂漠に太陽が昇り…]
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名シーン (2) :
[砂漠の地平線の向こうに現われた黒い点がだんだん大きくなってくる⇒砂漠の民ベドウィンの族長アリ(
オマー・シャリフ )が駱駝を駆って遙か彼方から蜃気楼とともに揺れつつ、ひたひたとロレンスと、ガイドを務めるタファス(
ジア・モヘディン )の方へ近づいてくる…]
VIDEO ▼
名(クライマックス)シーン (3) -
アカバ(Aqaba)攻略戦 :
[ロレンスとアラブ軍は、1917年5月9日に紅海沿岸の町ワジュフ(Wajh)を出発、アラビア内地の砂漠を迂回すること約600マイル(約965km)、地獄の進軍を経て7月6日にオスマン帝国軍が占拠する港湾都市アカバを奇襲攻撃。ロレンス率いる決死隊一行は、当初アラブ人の勇者50名ばかりだったが、途中ハウェイタット族の首長アウダ・アブ・タイ(
アンソニー・クイン )の協力を得て最終的に軍勢約1000名に膨れ上がっていた
(ちなみに、原作『知恵の七柱』では、アカバ攻撃隊が約2500名の大集団と化す!) 。アラブの騎馬兵と駱駝騎兵による電撃的な波状攻撃で、アカバはあっけなく陥落した。ロレンスの軍略が見抜いた通り、アカバのオスマン帝国軍は全て洋上からの侵攻に備えた配置(e.g. 砲台はアカバ湾〈紅海〉に向く)となっており、内陸側の防備はほとんど整備されていなかった。ロレンスが文字どおり「アラビアのロレンス」となった《アカバの戦い》で、死者はオスマン帝国軍が300名を数え、アラブ軍は2名にとどまった。]
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名シーン (4) -
ヒジャーズ鉄道(Hejaz railway)襲撃・爆破 :
[ヒジャーズ鉄道はオスマン帝国によって1900~08年に建設された、シリアのダマスカスと、アラビア半島のイスラーム教第2の聖地メディナ(マディーナ)を結ぶ鉄道(総延長1308km、軌間1050mm)。第一次大戦時にオスマン帝国軍の重要な兵站・物資供給ルートとみなされ、ロレンス率いるアラブ・ゲリラ部隊に何度も破壊されて廃線となり、その路線のほとんどが以後再建されることはなかった。]
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名テーマ曲 [作曲:モーリス・ジャール(Maurice Jarre、1924~2009)] :
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私感 :
本作は映画史上に残る名作、である。
4時間近くの大作ながら、さしたる冗長さはなく、夜となく昼となく表情を変える砂漠(黄色い海)の絵画的な美しさとスケール感が素晴らしい。フレディ・ヤング(Freddie Young、1902~98)の撮影による圧倒的な映像美!そして、人間ロレンスの包蔵するエネルギーがアラブ人たちを扇動していく一大叙事詩とモーリス・ジャールの壮麗な音楽が相俟って屈指の名作に仕立て上げられている―。
※1962年の公開以来、『アラビアのロレンス』を高く評価する人は、世界中に数多い。賞賛の評言は各人各様であるが、中には、あるブロガーによる、次のような飛び切り熱い評言も見られる(『アラビアのロレンス』(1962)/2011-02-10 )。 ≪「アラビアのロレンス」を観るといつも思う。映画とはこういうものだ、映画とはこうあるべきものなのだと。本当に映画らしい映画、生粋の正真正銘の映画。大作という名にふさわしい映画。これは紛うことなき映画の金字塔であり、オールタイム・ベストから決して外れない一作だと。/映画がその特性をいかんなく発揮し、映画であるからこそ描き出すことの出来る壮大なスケール感をなんの惜しみもなく表現し、存分に、たっぷりと味あわせてくれる作品。『アラビアのロレンス』を観ると、映画を観た幸せ、満足感、体も意識もとっぷりと満たされる。真の名作のみが持つ威光につつまれる恍惚感を体中で感じる。この映画はそういった作品なのだ。これぞ映画、これぞ本物の映画、これこそが映画のあるべき姿、何度観ても、何度でもそう思ってしまう作品だ。≫ しかし、
偽らざる本音を言えば、私個人にとって本作は何度鑑賞しても、鑑賞後に何ともスッキリせず、まとまらない印象が残る作品でもある 。
私は本作を、1963年2月にオリジナル版に初めて出会って以来、映画館で都合6回~64-66年(?)にオリジナル版2回、約30年ぶりの95-98年(?)に完全版2回、そして約20年ぶりの今回~鑑賞した。そして、その都度、映画を熱心に見入り見終わった途端、私は決まって頭に思い浮かべるのだ。
私にとって本作は、全体として何か内容的に物足りなく、混じり気のない感動で胸が一杯になるような作品ではない …と。
本作の監督であるデヴィッド・リーン(David Lean、1908~91)は、文芸映画から超大作までこなすイギリス映画界を代表する職人的巨匠として有名である。
彼は1957年に『
戦場にかける橋 』を発表し、第30回アカデミー賞監督賞を受賞(他に作品賞・監督賞・脚色賞・主演男優賞(受賞者:アレック・ギネス)・撮影賞・作曲賞・編集賞)。その5年後の62年には本作『アラビアのロレンス』で2度目の第35回アカデミー賞監督賞を受賞。そして、3年後の65年にはソ連の作家、ボリス・パステルナーク(Boris Pasternak、1890~1960)の同名小説の映画化作品『
ドクトル・ジバゴ 』で、第38回アカデミー賞5部門(脚色賞・撮影賞・作曲賞・美術賞・衣裳デザイン賞)の受賞に輝く。これら3作は世界中で大ヒットとなり、リーンの名声を絶大なものとした。
私はかつてD・リーン監督作品を愛好し、特に1960~80年代に、前掲3作と『旅情』(原題:Summertime、主演:キャサリン・ヘプバーン/ロッサノ・ブラッツィ、上映時間:100分、1955年)を映画館で、それぞれ数回は堪能した。そして何よりも、リーンが長年掘り下げてきた“人間と自然”、“西欧文明と異文化の相克”のテーマに個人的な興味を動かされ、その徹底した描写に奥深い感動を呼び起こされたものだった。
私の場合、同じリーン監督作であっても、本作よりも格段に『戦場にかける橋』と『ドクトル・ジバゴ』に思い入れが強い。この2作の物語内容と数々の映像は、今なお鮮やかに脳裏に蘇るほどに私自身の忘れがたい記憶となっている。
『
戦場にかける橋 』(原題:The Bridge on the River Kwai、上映時間:162分、日本公開:1957年12月)は、第二次世界大戦の只中である1943年のタイ、ビルマ国境付近にある日本軍捕虜収容所を舞台に、捕虜となったイギリス・アメリカ軍兵士らと、彼らを強制的に「泰緬鉄道」建設に動員する日本人大佐(演:早川雪洲)との対立と交流を通じ極限状態下の人間の尊厳と誇り、戦争の惨
(むご) さを表現した戦争映画。日・英・米の軍人気質の違い、戦争の狂気が見事に描かれた作品である。私が同作を初鑑賞したのは、在りし日の父親に同伴してのこと。鑑賞直後の彼~太平洋戦争に出征し何とか生き残って「戦争放棄」の日本を追求し続けたJiro~が、息子の私に向かって、しみじみとした口調で語ったものだった。「あー、いい映画だったな!何度でも観たい映画だよ。イギリスの俳優
アレック・ギネス (ニコルソン大佐役)と
ジャック・ホーキンス (ウォーデン少佐役)、アメリカの俳優ウィリアム・ホールデン(シアーズ中佐役)もよかったが、早川雪洲(1886~1973)も日本軍人(斉藤大佐)を堂々と演じていた。さすがに国際的映画俳優だけある…」
『
ドクトル・ジバゴ 』(原題:Doctor Zhivago、上映時間:197分、日本公開:1966年6月)は、20世紀前半のロシア革命前後の動乱期を背景に、ラーラ(演:
ジュリー・クリスティ )とトーニャ(
ジェラルディン・チャップリン )という二人の女性への愛で揺れ動く、純真な心を持つ詩人でもある医師ユーリー・ジバゴ(
オマー・シャリフ )の波瀾に満ちた生涯を壮大なスケールで綴った大河ロマン。私が初鑑賞の際に全編を通して名状しがたい胸一杯の感動を味わうことができた作品である。私は66年7月頃だったか、私に勧められて同作を鑑賞した友人Nと、個人の精神的な自由に誠実に生きようとした知識人ジバゴの思想的姿勢について、また「戦争と革命の最中でも、人間は愛を失わない」との思想的テーマについて、激しく意見を戦わしあったことを今でも時々まざまざと懐かしく思い出す。Nは当時、「民青」の一員として日本共産党の同調者だった―。
▼ cf. 『
戦場にかける橋 』
Trailer →『
ドクトル・ジバゴ 』
Trailer :
VIDEO VIDEO ▼
cf. 『ドクトル・ジバゴ』の挿入曲「
ラーラのテーマ (Lara's Theme)」 :
[同曲は『アラビアのロレンス』の前掲Main Themeと同様、モーリス・ジャール(Maurice Jarre)による作曲。どちらも今なお私が聞きほれる名曲ながら、比すれば“Lara's Theme”の方が五体に嫋々たる美しい余韻を残す度合いが一層大きい。]
VIDEO 私が「20世紀映画の金字塔」とも言われる本作に何かスッキリしないものを覚え続けるは、何故だろうか 。この点、『
戦場にかける橋 』と『
ドクトル・ジバゴ 』の2作と比較対照するとき、事情が判明してくる。それは、突き詰めて言えば、キャスト陣の問題に関わっている。
私はまず、
アレック・ギネス (Alec Guinness、1914~2000)というイギリスきっての名優に注目する。彼は本作で、アラブ反乱軍の指導者ファイサル王子(メッカのアミール〈太守〉で、後にヒジャーズ王国の国王になるフサイン・イブン・アリーの第3王子)を好演している。しかし「好」演とはいえ、もともと高い演技力の持ち主であるギネスならではの話で、その「味のある」演技も『戦場にかける橋』で日本軍の捕虜となったイギリス連隊長ニコルソン大佐~誇り高く、自らの信念を曲げない、部下からの信頼が厚い指揮官~を演じた場合と比較すると、だいぶ見劣りがし、私には無性に物足りなさが残る。一体に英国人俳優がアラブ的エスニシティーそのものを体現するのは至難の業なのだ。
また、アラブ人でエジプト出身の俳優である
オマー・シャリフ (Omar Sharif、1932~2015)の場合は、どうだろうか。彼は本作で、ハリト族の首長アリ(ハリト族は架空の部族で、「アリ・イブン・エル・カリッシュ〈Ali ibn el Kharish〉」も架空の人物)を演じ、ハリウッドデビュー。アカデミー賞助演男優賞の候補となって一躍国際的な名声を獲得した。だが、私自身は異国情緒に満ちたシャリフの精悍な顔立ちに目を向けはしても、アリ⇒シャリフが見せる平板なアラブ人像にはさしたる感興も湧かずじまい。私の場合、『ドクトル・ジバゴ』における、永遠のロシアを象徴する女性ラーラ(
ジュリー・クリスティ )に愛を捧げ、哀愁が全身にみなぎり渡るジバゴ⇒シャリフにこそ、男性性と繊細さが同居するシャリフの面目躍如たるものを見出し、それこそグッと惹きつけられるのだ。
さらにイギリスの俳優
ジャック・ホーキンス (Jack Hawkins、1910~73)の場合である。単刀直入に言って、本作で英陸軍カイロ司令部のアレンビー将軍を演じたホーキンスより、『戦場にかける橋』でイギリス軍特殊部隊のウォーデン少佐を演じたホーキンスが、クワイ河架橋爆破作戦を遂行する役どころの重みもあって、私には数段生き生きと魅力的に映り、確かな存在感のある刺激的な印象が際立つのだった。
そして、本作で何より問題なのは、無名の新人ながら華々しく主役に抜擢された
ピーター・オトゥール (Peter O'Toole、1932~2013)のこと。
アイルランドの俳優オトゥールは、金髪碧眼~瞳は青緑色~が引き立つ、細身で長身の美男子である。そんな彼がアラブ独立に命を懸け、“砂漠の英雄”と謳われたT・E・ロレンスを演じるとは、これ如何に!?
私は(本作初鑑賞数年前の?)高校時代に、期するところがあって「第一次世界大戦史」を自学自習した。その際、前出のサイクス=ピコ協定と、さらにフサイン=マクマホン協定やバルフォア宣言と合わせ、いわゆる「
イギリスの三枚舌外交 」※を調べる中で、砂漠の反乱に身を投じ、異郷の「王」となった、トーマス・エドワード・ロレンスという男の存在を初めて知った。
第一次大戦の最中、アラブ人たちを率いて戦った異色のイギリス人とは、いかなる人間だったのか?逞しい体躯を持つ凛々しい勇者、天才的な知恵が備わる賢者、ヒューマニティー溢れる傑物、それとも…。私の若い想像力はあれこれと膨らむばかりだったが、そこに少なくとも優形の男だけが思い描かれていなかったことは確かである。
ところが、どうだろう、初鑑賞時の私が目にしたロレンス⇒オトゥールは、それこそ端整な面立ちの優男ではないか!?私は強い違和感に捉えられた。その後、何度鑑賞回数を重ねても、自らの予想と大幅に食い違ったロレンス=オトゥール像に引きずられっぱなしなのか、私の目に入るロレンス=オトゥールは何とも感情移入しにくいスッキリしない人物であり続けた。オトゥールが壮大な自然を背景にロレンスを“熱演”していること自体は間違いない。しかし私には、蟠
(わだかま) りがどうにも吹っ切れないのだ。こんなヤワなオトゥール⇒ロレンスがどうしてトルコの圧政に抗して立ち上がったアラブ人を率い、荒涼たる砂漠を疾駆して迅雷の攻撃で敵を圧倒することができようか!?これでは、本作をもって過酷きまわりないアラビアの地で必死に戦う“稀代の英雄”の物語とするなら羊頭狗肉もいいところだろう…。
※
フサイン=マクマホン協定 (Husayn-McMahon Agreement)は、イギリスのエジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとメッカの太守フサイン・イブン・アリーとの間で 1915年7月14日から16年3月30日の期間に取り交わされた10通の往復書簡での合意: 英国はオスマン帝国に対するアラブ反乱を条件に、第一次大戦後のアラブ王国の独立承認を約束する―。また、バルフォア宣言 (Balfour Declaration)は、第一次大戦中の1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡での声明: イギリス政府は「シオニズム」を支持し、パレスチナにおけるユダヤ人居住地(national home)建設を支援する―。 フサイン=マクマホン協定/サイクス=ピコ協定/バルフォア宣言というイギリスの第一次大戦における中東問題をめぐる外交政策は、基本的に(その文言上多様な解釈を許す面も見られるが)アラブ/フランス/ユダヤ(シオニスト)の3つの方向に、それぞれ都合のいい話をこしらえた、大国本位の“三枚舌外交”にほかならない。この悪名高いイギリスの一連の矛盾外交こそ、その後の今日まで続く中東の不安定状態~アラブ人とユダヤ人がパレスチナの領有を争って多くの難民を生み出している「パレスチナ問題」やトルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアの5か国に引き裂かれ、不自然な国境で分断されている「クルド人問題」など~をもたらした大きな原因の一つとなった。私がロレンス⇒オトゥールの全身が醸し出す雰囲気にしっくりと馴染めないのは、どういう加減なのだろうか ?1995~98年、本作の4、5回目(完全版)の鑑賞時だったか、ふと私の脳裏を掠めた思いがある。ロレンス=オトゥールは「同性愛(homosexuality)」感覚の持ち主ではなかろうか…。そして、今回(6回目)改めて観て、私はやっと事情が呑み込めるにいたった―。
実のところ、私は2013年12月にピーター・オトゥールが亡くなってまもなく、映画評論家某との話の中で、T・E・ロレンスがホモセクシャル(同性愛者)でSM嗜好もあったことがほぼ定説化している旨を初めて知らされた。イギリスがまだ同性愛を違法としていた時代に作られた『アラビアのロレンス』には、その露骨で“危険な”描写が避けられたものの、男同士の擬似恋愛めいた感情や少年愛など、同性愛の要素が巧妙に表現されている―。この某氏の言葉に、私は瞬間、なるほど、うんうんと頷
(うなず) いたのだった。
本作には、ロレンスのセクシャリティーを暗に匂わせる場面が多々見受けられる。私はまず、ロレンスが喫煙の際にマッチの火を親指と人差し指で消すマゾヒスティックなところが少しばかり気にかかった。次いで、ロレンスとハリト族のアリ首長(オマー・シャリフ)との関係、またロレンスと彼の従者になるアラブ人少年2人~ダウド(
ジョン・ダイメック )とファラジ(
マイケル・レイ )~との関係に、私の注意が向けられた。ここでのロレンスの性的指向には、ホモセクショナルな一面が窺
(うかが) えるのではないか…。もっとも見方によっては、そのアリ/ダウド/ファラジに対する関係場面は人間同士の、信頼性が高い友愛の情を示すものであり、そこに同性愛の傾向を見るのは勝手な深読みで下衆
(げす) の勘繰りと謗
(そし) られるやも知れず…。
そして、私は決定的な事態を暗示する場面に出会う。それは、オスマン帝国側が占拠するシリア南部のデラアに敵情視察で潜入したロレンスが、オスマン帝国軍守備隊の「不審者」狩りに遭い、連行された同軍司令部で拷問~鞭打ちと辱め~を受けるシーンである。
取調室における守備隊司令官のベイ(ホセ・フェラー)とロレンスの会話のやりとり
(cf. トッポの気まぐれ洋画劇場・第22回 アラビアのロレンス(後篇) ) :
ベイ:「お前の歳は?」
ロレンス:「27です」
ベイ:「27にしては、老けて見えるし、世慣れている…服を脱げ!」
ロレンスは上半身裸になる。ベイはロレンスの胸を右手で触れて少し摘
(つま) み、ニタリと笑う。
ベイ:「お前の肌は白いな。コーカサス人か?…この怪我は?」
ロレンス:「古傷です」
ベイ:「いや、最近の傷だ。お前は脱走兵だろ?」
ロレンス:「違う…」
ベイ:「ワシはここで長い。ここの任務は退屈だ。月の裏側でも、ここほど味気なく無かろう。ワシの話は分かるまい。部下は間抜け揃いだ。好男子とブタの区別も分からん…お前が脱走兵かどうかはどうでもいい、男は兵隊だとは限らん…」
この後、不快感を募らしたロレンスは、ベイ司令官を殴り倒し、彼の部下に取り押さえられる。起き上がったベイは、「鞭を打て」と部下に命令する。執拗な鞭打ちで、身も心もズタズタに引き裂かれていくロレンス。…やがて気を失った彼は、オスマン帝国兵士に担がれて、無造作に司令部の出口の泥道に放り出されてしまう。
この問題シーンでは、具体的な生々しい性的表現が駆使されているわけではない。しかし、ロレンスの肌の赤裸々な露出やオスマン帝国軍関係者の卑猥な表情は、何を物語るのか。何しろベイ司令官は、女装こそしていないが、助平根性丸出しで“男”~慰み者~を選別してやまない男色(男性同士の性愛=男性同性愛)の軍人にほかならなかった。とすれば、ロレンスはサディスティックな男色家の格好な餌食になり、夜伽の相手をさせられてしまったことになる。この、いわゆる「オカマを掘られる」という“屈辱”を受けるにいたった全体状況こそ、逆説的に言い換えれば、ロレンスその人こそマゾっ気のある男色家であることを暗に仄
(ほの) めかしているのではないか。拷問~肉体的な凌辱~を受けているロレンスが見せる表情は、「苦悶」だろうか、それとも「悦楽」だろうか!?
私はかねてからロレンス⇒オトゥールの言動/物腰/仕草~話し方、歩き方、座り方など~を観察するほどに、心の片隅に引っかかるものがあり続けた。それはどうやら、本質的に彼の、いわゆる「おネエ系」的なものに感情移入できないがゆえの、私なりの割り切れない違和感だったように思わざるをえない…。
※
私はもともとLGBT/Sexual Minority~同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーなど~を扱う映画が今イチ苦手である 。その旨は既述の通り(
本ブログ〈March 05, 2019〉 )。
本作は1950年代半ばから流行した「大型映画」の一つの到達点を示した傑作である。何人
(なんぴと) といえども、本作を素直に見入るとき、アラビアの広漠たる熱砂の砂漠の美しさと残酷さに目を奪われ続けるだろう。また、駱駝や馬に跨
(また) がったアラブ反乱軍が颯爽と行進し、砂塵を蹴立てて突進する雄姿に目を凝らし続けるだろう。そして、数奇な運命に翻弄された一人の冒険者の精神と気概と勇気に、真剣で好奇に充ちた目を向け続けるだろう…。
本作の主人公T.H.ロレンスとは、何者なのか。
彼は、オックスフォード大学時代から考古学的発掘に情熱を傾けた一介の青年考古学者だった。そして、1914年の「第一次世界大戦」開戦とともに情報将校として活躍した機知に富んだ戦略家だった。さらに最大限注意すべきことに、ハイパージェンダー感覚も動く男性同性愛者(gay/ゲイ)~or 奇行癖のある異常性向の持ち主?~だった…。
ロレンスその人は、「正義」のために命を投げ出すかと思えば、「狂気」の殺戮に手を染める…といった具合で、沸々
(ふつふつ )と沸き立つ“自己の内乱状態” というものを自らの最大の起爆剤とする、とにかく常人とは桁違いの精神世界の住人にほかならなかった。
20世紀は“映画の時代”であったと後世に証明できうる数少ない本作は、ロレンスの自己内奥の咫尺
(しせき) を弁ぜぬ闇の世界をさりげなく取り込む、深甚で難解な作品である。それは、世にも“奇怪”至極な映画以外の何物でもない―。
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Full Movie :