
作品データ :
製作年 1969年
製作国 日本
上映時間 127分
日本初公開 1969年2月1日
住井すゑ(1902~97)のライフワークともいえる同名長編小説を映画化した社会ドラマ。被差別部落に生きる人々の苦闘の歴史を日常の生活に焦点を当てつつ力強く描く。監督は『ひめゆりの塔』の今井正(1912~91)。出演は北林谷栄、伊藤雄之助、長山藍子、小沢昭一、田武 謙三ほか。

ストーリー :
明治末年。小森村は奈良盆地の一隅にある貧しい被差別部落だった。村の人々は、充分な田畑など望みようもなく、草履づくりでその日暮らしの世過ぎを続けていた。日露戦争で父を亡くした畑中誠太郎(高宮克弥)、孝二(大川淳)の兄弟は小学生だったが、伸び伸びと育っていた。しかし、被差別部落民に対する社会的偏見は根強く、明治4(1871)年に公布された解放令(太政官布告「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」)も名ばかりで、就職、結婚も思うようにいかず、小学生段階でも苛(いじ)めや喧嘩が絶えないのが現実だった。誠太郎と孝二がそんな世間の冷たい目の中で健気(けなげ)な明るさを失わなかったのは、文盲であっても自然の理に通じた心(しん)の強い祖母ぬい(北林谷栄)や、日々の小さな幸せに感謝する心優しい母ふで(長山藍子)のお蔭だった。
ある日、6年生の誠太郎は地主の子で同級生の佐山仙吉(森本隆)と、「エッタ、くうさい、くうさい…」の差別的な言葉を浴びせられて喧嘩沙汰を引き起こす。事情を解せぬ~差別の現実に丸で想像力が働かぬ~青島先生(塩崎純男)は誠太郎を一方的に断罪し、罰としてバケツを持たせて廊下に立たせる。孝二から事態を知らされた、祖母ぬいは学校へ乗り込んで、誠太郎が受けた理不尽な仕打ちに対し、校長(田武謙三)を相手に食い下がる。「校長先生、わいは小森の畑中だっせ、うちの孫がどないな悪さしましたんや…」、「わいら生まれてこの方、世間の人からエッタ、エッタ言うて人間扱いされんと来ましたんや。せやけど、わしらかて人間や。手も2本、足も2本ありますがな。指かて、見ておくなはれ。せやけど、世間の人はわいらのことをエッタ、エッタ言うて、けだもんみたいに言いますや。なんぼ自分で直そ思うてもエッタは直せまへん。校長先生、どねーしたらエッタが直るんか教えとくなはれ!」
低学年だった孝二も学年が上がるにつれ、差別の現実を知るようになる。まもなく誠太郎は尋常科を卒業し、何でもやると言って大阪へ奉公に出る。
孝二が6年生になったある日、小森部落が火事になった。在所の消防団は小森であるがゆえに取り合わず、瞬く間に大火事を招いてしまう。火事の原因は、永井藤作(伊藤雄之助)の息子・武(根尾一郎)が空腹の弟のために豆を炊こうとしたことにあった。武はその夜、自殺する。悲しみに暮れる藤作は、武の死体を抱きながら、小森に必要な消防ポンプを買うことを決意する。
大正元(1912)年9月13日、明治天皇大葬[崩御:明治45(1912)年7月30日]の日の夜。小学校では、校長以下全教員および全校児童が東京に向かって“黙祷”を捧げる。その最中、孝二が秘かに好意を寄せている同じクラスの杉本まちえ(蒲原まゆみ)が、密かに隣り合わせに並ぶ孝二の手を握ってきた。天にも飛び上がらんばかりに喜ぶ孝二。しかし後日、まちえは残酷な言葉を投げつける。「うちな、あんたらの手、夜になると蛇みたいに冷とうなると聞いたんや。そやさかい、畑中さんの手、試したんや。堪忍な、堪忍してな…」 友達から「エッタの手は冷たい」と聞かされた彼女は、実に好奇心のまにまに孝二の手を握ったのだ。
奈良盆地に春が訪れた頃、藤作の努力で、小森村は消防ポンプを購入する。そして、消防ポンプの水で提灯落としを競う村対抗の行事で、加勢した藤作の活躍もあり、小森村は見事に第1位に。しかし、これを受け入れることができない他村の参加者と乱闘になり、優勝旗は無体にも焼かれてしまう。それを見ていた小森村の人々、そして孝二もまた、今改めて部落差別⇒人間差別に対する怒り~「人間は平等や!」「正義は力や!」の思い~を燃やすのだった―。
【ラストシーン~モノクロからカラーへ転換~】 小森村の人々は、提灯落とし競争の現場を立ち去り、真っ赤な夕日が野山を茜色に染める中、ぞろぞろと列をなして足音もしめやかに帰途に就く。そこに、次のような「全国水平社」設立のテロップが白文字で流れる。
「この日から間もなく
各地の未解放部落の
人々は人間は平等で
あるという自覚の
もとに立ち上がり
ながい封建的な差別と
その差別からの貧困を
うち破るために団結し
遂に全国水平社を
結成した」
▼ 第一部 Full Movie(上映時間:0:00/2:07:25) :