映画『流血の記録 砂川』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年9月17日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、15:20~ 鑑賞。

「砂川」⑴

作品データ
製作年 1956年
製作国 日本
上映時間 56分

日本初公開 1957年1月29日

「砂川」⑶
「砂川」⑵

亀井文夫監督(1908~87)による、『砂川の人々― 基地反対斗争の記録』(1955年)→『砂川の人々 麦死なず』(1955年)に続く“砂川闘争”記録映画の第3作。米軍の立川基地拡張計画をめぐり、東京都北多摩地区砂川町の人々が闘いぬいた反対闘争の記録。前2作を利用して昨年(1955年)の闘争の経過を紹介、さらに今年(1956年)の闘争の現実を追う。「土地にクイは打たれても、心にクイは打たれない」を合言葉に、住民が応援の労組や学生たちと一体になって警官隊と対決、勝利を勝ちとるまで。日本人が日本人の血を流した胸えぐる悲劇の真相を描破している

ストーリー
日米行政協定による一片の命令で、砂川の人々は祖先代々の土地を追われることになった。農民たちの必死の抵抗も警官隊の出動で破られ第一次測量を許す。そして1956年10月、砂川の町には全国から応援に集まってきた数千の労働組合員や全学連の学生たちの姿が見られた。強制測量が始まり、数日間は小競合いが続く。ついに10月12日、53名の測量隊が現われ、1300名の武装警官が出動。ピケ隊はもみくちゃにされ、両者278名の負傷者が出る。翌13日、5000人の労組員と全学連が動員され、闘争は最高潮に達する。警官隊は細雨を衝いてピケ隊スクラム陣の中に躍り込む。警棒の突撃、乱打と鉄カブトの頭突き。殴り合い、突き倒し、砂川の町は地獄の様相を呈するのだった。重軽傷者はピケ隊側844名、警官隊側80名に及んだ。世論は警官隊の暴行と政府の無策に憤慨、14日夜、政府は突然ラジオで今年度の測量中止を発表。歓喜と興奮に沸き返る地元では、勝利のデモが繰り広げられた。15日、砂川基地反対闘争の勝利への国民総決起大会が開かれ、病院から負傷者も駆けつけて歓びの言葉を述べた―。

▼本編映像 :



▼ cf. 「砂川の記憶―57年目の証言―」[第100回 多摩探検隊(2012年8月配信)] :