映画『母』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年9月17日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、16:40~ 鑑賞。

「母」

作品データ
製作年 1963年
製作国 日本
上映時間 101分

日本初公開 1963年11月8日

「母」⑵

“核”と“女性”をテーマに映画を撮り続けてきた新藤兼人(1912~2012)監督の至極の社会ドラマ。原爆の被害を受け荒廃した広島を舞台に、逆境の中から愛に目覚め、新たなる生命を育んでいく一人の女の生き方を乾いたタッチで描く。出演は乙羽信子、杉村春子、殿山泰司、高橋幸治、頭師佳孝、小川眞由美。

ストーリー
吉田民子(乙羽信子)は32歳。最初の夫は戦死、極道者の2度目の夫とも別れ、8歳の息子の利夫(頭師佳孝)を連れて家を飛び出した。しかし、民子が愛情を一心に注ぐ利夫を病魔が襲う。脳腫瘍と診断され、手術をしなければ盲目になるという。途方に暮れた民子は母の芳枝(杉村春子)に手術代を無心したが、芳枝は「治らないとわかっている病気に金を使うのは無駄だ」と取り合わず、果ては「もう一度結婚して男から金を出して貰え」と言うのだった。民子は母の言うなりに田島(殿山泰司)という韓国人の印刷屋と3度目の結婚をした。田島は利夫の手術代を出してくれ、「おれと一緒にいつまで辛棒してくれ」と民子を労(いたわ)った。民子も「この人とはどうしても上手(うま)くやらなければ」と自分を励ましていた。完全に治癒したと思われた利夫の病気が又再発した。「再手術は危ない、あと3、4か月の寿命だ」と宣告された民子に、田島は「一日でも長く生かしてやりたい、出来るだけ治療してやろう」と言う。民子は初めて田島に深く心を打たれた。どんな人間でも生きる権利がある。残り少ない日を人間らしく生かしたいと、利夫をオート三輪に乗せて盲学校に通わせた。利夫がオルガンを欲しいと言い出した。困り果てた民子に、弟の春雄(高橋幸治)は1万5000円借りてきて利夫の望みを叶えた。それは幼い日、姉・民子に我がままを言った自分の借りを返したにすぎなかった。そんな春雄もバーのマダム(小川眞由美)をめぐる三角関係のもつれから刃傷事件を起こし、あえない最期を遂げた。そして、まもなく追うように利夫も死んだ。虚脱した民子を田島は思わず抱きしめた。彼は泣いていた。その時民子は又新しい生命を宿していた。「わたし田島の子を産みたい、私の中には利夫も田島も入っている。何も出来ないけど、一人の命を産むことは出来るわ」。それは美しい母性の顔であった―。