映画『エンテベ空港の7日間』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年10月23日(木)TOHOシネマズシャンテ(東京都千代田区有楽町1-2-2、JR有楽町駅・日比谷口徒歩5分)で、11:50~ 鑑賞。

Entebbe_poster7 Days in Entebbe

作品データ
原題 Entebbe / 7 Days in Entebbe
製作年 2018年
製作国 イギリス/アメリカ
配給 キノフィルムズ
上映時間 107分


「エンテベ空港の7日間」

『エンテベの勝利』(1976年)、『特攻サンダーボルト作戦』(77年)、『サンダーボルト救出作戦』(77年)と、これまでに3度映画化された歴史的なハイジャック事件を、『エリート・スクワッド』のジョゼ・パジーリャ監督が史実を再検証して新たな視点で描いた実録ポリティカルサスペンス。7日間にわたった人質解放交渉と奇跡の救出劇として知られる“サンダーボルト作戦”の全貌を、ハイジャック犯とイスラエル政府それぞれの内部での葛藤と思惑が複雑に交錯する人間ドラマとともに描き出す。W主演となるハイジャック犯役を、『ラッシュ/プライドと友情』のダニエル・ブリュールと、『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイクが演じる。

ストーリー
<1日目/1976年6月27日、日曜日>
イスラエル・テルアビブ発パリ行きのエールフランス139便が、経由地のアテネを飛び立つ。だが、高度に達した直後、その飛行機は重武装した4人のテロリストにハイジャックされる。犯人のうち2名は、パレスチナ解放人民戦線・外部司令部(通称:PFLP-EO)のパレスチナ人メンバー。残り2名は、パレスチナの大義に同調するドイツ極左の過激派グループ“革命細胞”(通称RZ)のメンバー、ヴィルフリード・ボーゼ(ダニエル・ブリュール)と、ブリギッテ・クールマン(ロザムンド・パイク)だった。ボーゼは早々と、操縦室を制圧。機長以外は操縦室を出るよう命令するものの、航空機関士のジャック・ルモワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)は拒絶する。恐怖に怯える乗客たち全員のIDとパスポートを犯人たちが没収するなか、飛行機は南へ方向転換。リビアのベンガジで燃料を補給し、体調不良を訴える自称・妊婦の乗客1人を解放したのち、ウガンダのエンテベ空港へと向かう。
事件の一報がイスラエルの首相イツハク・ラビン(リオル・アシュケナージ)に届いたのは、国防費を巡って国防大臣シモン・ペレス(エディ・マーサン)と攻防を続けていた閣議の最中だった。そっと手渡された1枚のメモの裏に、質問を書き留めるラビン。やがて、乗客239人のうち83人がイスラエル人だと判明する。

<半年前>
ドイツ、フランクフルト。ボーゼがブリギッテとフアン・パブロ(フアン・パブロ・ラバ)に、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のファイズ・ジャベール(オマー・バーデゥニ)を紹介。ハイジャックについての話し合いがもたれた。支持を失い、構成員の多くが獄中にいる彼らは、事件を起こして若者へのアピールを図るとともに、同胞の釈放を求めようとしたのだ。その後、イエメンのPFLP訓練所でウルリケ・マインホフの自殺を知らされたボーゼは、彼女のためにも活動を続けると返答。ウガンダの“異常者”イディ・アミン(ノンソー・アノジー)に命を預けることにフアンは反対するが、ウルリケに罪悪感を抱くブリギッテは、彼の言葉に耳を貸そうとしなかった。

<2日目/1976年6月28日、月曜日>
イスラエルから4000kmも離れた、エンテベ空港へ降り立つ一行。アミン大統領の出迎えを受けた後、空港ビルの旧ターミナルに監禁される。空港で待っていたワディ・ハダド(イハーブ・バウス)は「交渉は任せろ」とボーゼらに言い残し、アミンと去っていく。劣悪な環境下に置かれた乗客の体調を憂慮するルモワーヌは、ボーゼに直訴。ボーゼは環境の改善を約束するとともに、「いずれ俺が正しいと分かる」と答えるのだった。その夜、ドイツ人の人質女性が錯乱状態になる。鎮めようと外へ連れ出したボーゼは、彼女がナチ強制収容所にいたことをその腕からみてとるのだった。
イスラエルでは、ハダドの犯行だろうと断定するペレスに、ラビンが現地への出兵方法を考えるよう指示を出す。

<3日目/1976年6月29日、火曜日>
エンテベ空港では、人質がイスラエル人と非イスラエル人に選別される。イスラエル人を一部屋に集め、爆発物で取り囲むためだ。横暴な“仕分け”に混乱する人質と、「俺はナチじゃない」と憤るボーゼ。そんなボーゼを尻目にブリギッテは、「抵抗すれば撃つ」と機関銃を手に人質を威嚇する。だが、非情に徹するブリギッテもまた、人知れず葛藤と闘っていた。
イスラエルでは、特殊部隊司令部の動きが活発化。しかし首相官邸では、ハイジャック犯との交渉を検討するラビンと、「囚人52名の釈放要求など呑むわけにはいかない」と反発するペレスとの溝は深まるばかりだった。ペレスはアミンが乗っているベンツのリムジンと特殊部隊を輸送機で送り、アミンの振りをして敵に奇襲をかける作戦を進めていく。

<4日目/1976年6月30日、水曜日>
前日にイスラエルの将軍から電話を受けたアミンの提案で、人質の一部、48人が解放される。カメラの前では笑みを湛えて人質を送り出す一方、アミンは残された人質の前で、イスラエル政府が交渉に応じなければ子どもを殺していくと恫喝する。交渉の期限は、翌日に迫っていた。

<5日目/1976年7月1日、木曜日>
朝。水が出なくてトイレが使えないことから、ボーゼの監視下でルモワーヌが給水設備を修理する。「パレスチナ人のためなら人質を殺してもいいのか?」 ルモワーヌの言葉に、ボーゼの心は揺れ動く。
テロリストと交渉しない方針を示してきたイスラエル政府も、態度を軟化。人質家族の姿を目の当たりにしたラビンが、交渉に応じると表明したのだ。イスラエル政府の方針転換を受け、犯人たちは期限を日曜に延長する。だが、その夜、勝利に浮かれるボーゼに対して、ジャベールは厳しい言葉を浴びせていく。同じ頃、ペレスたちは救出作戦の最終確認に入っていた。

<6日目/1976年7月2日、金曜日>
交渉に応じてきたイスラエル政府への善意の証として、人質のフランス人全員が解放されることに。だが、エールフランスの乗員たちは残ることを決意する。帰国する人質に、ルモワーヌは妻への手紙を託す。
指揮官のヨナタン・ネタニヤフ中佐(アンヘル・ボナニ)のもと、救出作戦の演習を行なうイスラエル特殊部隊。夜の闇に紛れて新ターミナルの滑走路に着陸、アミンとその護衛を装ったリムジンで旧ターミナルへ行き、敵を壊滅して人質を輸送機に乗せて戻る作戦だ。承認を待つ隊員のなかには、ダンサーの恋人と暮らすジーヴ・ヒルシュ(ベン・シュネッツァー)の姿もあった。

<7日目/1976年7月3日、土曜日>
イスラエル特殊部隊が、エンテベ空港へと出動。政府が人質救出作戦を承認し、機上の部隊に<サンダーボルト作戦>遂行の命が下る。
空港の新ターミナルでは、憔悴したブリギッテがフアンに電話をかけていた。「これが終わったら、故郷をみつけましょう。どこか平和な場所を」 けれどその声は、最愛の人に届くはずもなかった…。

▼予告編



Deaths, Guns and Shootouts



▼ Featurette



ジョゼ・パジーリャ監督(José Padilha、1967~) インタビューCinemarche-「弱き者の言葉にも耳を傾ける意義はある」-2019/10/05) :
──本作『エンテベ空港の7日間』の冒頭から、ダンスシーンで始まることに度肝を抜かれました。
ジョゼ・パジーリャ監督(以下、ジョゼ):世界的に知られるイスラエルのカンパニー、パットシェバ舞踏団の演目エハッド・ミ・ヨデアです。この踊りを注意深く見ると非常に自虐的な動きがみられます。/ダンスシーンを用いることで、今イスラエルとパレスチナの抗争はお互いに傷つけ合っている。比喩的な形で冒頭にもってくることで、それを示したかったのです。

──ダンスシーンの構想はいつ思いついたんですか?
ジョゼ:実は最初からダンスシーンを生かしたものではなく、映画撮影の終盤になって必要にかられて出てきたアイディアだったのです。/計画された予算内で映画を撮る時間と、資金が底をついてしまった。何か別のアイディアがないかというなかで生まれました。/具体的な襲撃のアクションシーンを大掛かりに撮影するのではなく、比喩的な対立の構図を考えたところ、ポイントとなる配役のひとりにダンサーという役柄を入れることで、予算節約の手段ではあるのだけれど、象徴的であり、必要性があって生まれたアイデアとなったかと今でも考えています。

──ヒッチコック監督の映画『知りすぎていた男』(1956)で、盛り上がりを見せたオーケストラのクライマックスのように、ダンスはサスペンスを盛り上げるのに不可欠であったように思います。
ジョゼ:ダンスを比喩としてもちいたけれど、効果ということを考えると、いくつもの多面的な効果があります。/まず1つは、先ほども触れた、葛藤、紛争という互いが痛みを持っているという構図を表す効果。/そしてもう1つですが、実は第二次世界大戦の時、英国がドイツの爆撃を受けてチャーチル大統領が人々に決断を求められたのです。その時に、戦時下における生活の見直し、劇場を閉鎖するべきではないかという話が持ち上がりました。ですがチャーチル大統領は、こう言ったそうです。「もし、劇場を閉鎖しなければならないのなら、戦争をする理由がない」と。
イスラエルでは兵役が男女に課せられていることなど、軍事的な面がメンタルにおいても市民生活の一部となっています。何かによって軍事的な部分が中断してしまったら、全てが終わってしまう。/空港に襲撃したショットと並行して交互に見せたのは、ダンスのシーンには、軍のアクション・シーンと同等の映像にしても力があると感じたからなのです。

──43年前のハイジャック事件に興味を持ったきっかけは何ですか?
ジョゼ:43年経った今でも、イスラエルとパレスチナの紛争は未だに続いており、平和的解決にいたっていません。/特にイスラエルは、ガザ地区でのパレスチナ難民の扱いなどについて、国際的な批判を浴びています。一方のパレスチナの政府も平和にむけての解決策を提示できていません。/なぜ、こんなに長引いているか。2国間の問題ではなく、アメリカをはじめとする世界全体の、いわば国際社会の問題ともいえるのです。/あのハイジャック事件以降、それぞれの国の情勢は変化しているのですが、抗争状態にあることは変わっていません。それを捉えたかったのです。

──本作の経緯のなかで、執筆を担当したグレゴリー・パークとはどのように脚本を形作っていったのでしょうか?
ジョゼ:イギリスの映画会社によってこの映画のプロジェクトが発足し、グレゴリー・バークに脚本の依頼がありました。のちに私のもとに監督の依頼がきて、グレゴリーらグループに参画して作り上げていきました。

──映画のストーリーは、「人質とハイジャック犯の関係」と「イスラエル政府内部のペレスとラビンの討論」という二つの視点を軸に進んでいきます。こういったアイディアもグループ内の話し合いのなかで作られていったのですか?
ジョゼ:最初は大規模なアクションシーンがありました。イスラエルの政府のことや人質の立場からのシーンも描かれていました。その後、先ほど述べた理由からダンスのシーンが加わりました。それに関しては私のアイディアです。

──このハイジャック事件はすでに何度も映画化されていますが、今回同一の題材を扱う中で過去作を意識したり、気をつけたことはありますか?
ジョゼ:かつて作られた映画は、救出作戦を指揮したヨナタン・ネタニヤフ(1946~76/07/04-引用者)がヒーローとして描かれるものでした。そこには、彼をヒーローとして描くことでイメージが作られ、政治的に利用されてきたという現実があります。/現在のベンヤミン・ネタニヤフ首相は兄・ヨナタンを亡くしたからこそ政治家になったことや、イスラエルの右翼らによって、首相の兄が亡くなったことを軍事的に利用されている側面があります。/また当時のヨナタンは、実際のこの作戦では遅れて参加するなど、これまでの作品で描かれていた事実とは異なる面があります。/そこで、今回は当時のラビン首相とペレス国務大臣の確執に焦点をあてました。つまり、交渉するか否か、という点です。
一般的には、“テロリスト”とされた者たちと交渉をすると「弱腰」とみられ、市民からの人気が落ちてしまいます。/民衆からの人気取りを意識しつつも、パレスチナ側で交渉する直接の相手がいないなかで、交渉するのか、それとも交渉しないのか。本作における政府の描き方はこれまでになかったものだと言えます。

──ジョゼ監督は映画制作に際し、どのような取材をしましたか?また印象に残ったことはありますか?
ジョゼ:多くの人質、ヨナタンと一緒にいた多くの兵士、人質を誤って撃ってしまった兵士や作戦の指示を出した担当者、パイロット、ラビン首相の最側近、ラビン首相の息子にも話を聞きました。/とにかく多くの人に聞き取り取材を行い、できる限り正確な情報を集めました。/そのなかで兵士の一人だったメラット・マカルが、人質を助けた点においてこの作戦は成功し、祝う気持ちにもなった。しかし「司令官であるヨナタンを喪った」という事実は、心の傷として残っている、と言っていたのは印象に残っています。/またテロリストであるボーゼと、対話をもって関係性を築こうと試みた人質の方の取材では、非常に多くの共感を受け取りました。/ハイジャッカーではあるけれど彼らの心情を理解したい、対話をもちたいという気持ちは、まさに私の映画でしたかったことなのです。/ただ“テロリスト”といってしまうと、その者は非人間と化してしまう。映画監督して私がやるべきなのは「どういった経緯でテロリストになったのか」を描くことであり、“テロリスト”とされた者たちに声を与え、その心情を探りたかったんです。/しかし、そういった描き方は、多くの人に怒りをもたらした。だが私としては、そういったテロリストになっていく道筋を理解せずに、テロ行為を止めることができるのか、という気持ちがありました。

──“テロリスト”とされる者たちは“マイノリティ”だという監督の指摘もありましたが、主人公をドイツ人テロリストに設定したことと合わせてベルリン国際映画祭での反応についてお聞かせください。
ジョゼ:ベルリン国際映画祭ではスケジュールの関係で直接観客の声を聞くことができませんでしたが、映画はドイツにおいて興行的に成功しました。/また観客の意見というのは難しくて、そういった時に我々は観客を1つのなにか、単体のようなものと捉えがちです。観客の意見は複数あり、賞賛する声や一方で批判的な意見も存在するなど様々です。/この映画はタブーを扱っています。“テロリスト”とは、誰をさすのでしょうか?/アメリカでは、イスラム教徒の兵士でアフガニスタンにいれば“テロリスト”だといわれます。爆破事件に関わったらその者は“テロリスト”かもしれないですが、遠隔ドローンでの爆撃において、そのドローンを操作した人は果たして“テロリスト”といえるのでしょうか?/一体誰が、誰を、“テロリスト”だと名指しできる権利があるのか。そういった現代の社会でもタブーとなっている問題を扱いたかったのです。/もちろん、罪のない人を殺すのは間違っています。それでも、彼らの言葉を聞こうと思っています。

メラメラ cf. “Echad Mi Yodea” by Ohad Naharin performed by Batsheva - the Young Ensemble :