映画『裸の島』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年8月31日(土)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、20:00~ 鑑賞。

「裸の島」⑷「裸の島」⑵

作品データ
英題 The Naked Island
仏題 L'ile nue
製作年 1960年
製作国 日本
上映時間 96分(モノクロ、シネマスコープ)

公開 1960年11月23日

「裸の島」⑴
「裸の島」⑸
「裸の島」⑹
「裸の島」⑶

近代映画協会製作・配給。監督・脚本・製作は新藤兼人(1912~2012)。経営危機にあった近代映画協会の解散記念作品として、キャスト4人(エキストラ含まず)・スタッフ11人で瀬戸内海にある宿禰島(すくねじま)佐木島(さぎしま)でロケを敢行、撮影期間1か月、500万円の低予算で製作された。台詞を排し~歌声・笑い声・泣き声など、また「波の音」/「水の音」/「雨の音」/「舟の櫓を漕ぐ音」/「足音」などは聞こえるが~映像だけで全編を構成した実験的な作品で、孤島の過酷な環境で力強く“自給自足”の生活を送る貧しい4人家族(夫婦と息子2人)の姿を描く映画詩。新藤映画で多数コンビを組んだ乙羽信子(1924~94)と殿山泰司(1915~89)が出演。第2回(1961年)モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞し、ベルリン映画祭や英国アカデミー賞などでも高い評価を受け、世界62か国で上映された。興行的にも成功し、近代映画協会は解散を免れた。なお、乙羽信子と新藤兼人が亡くなった際には、遺骨の一部が宿禰島に散骨された。

 「裸の島」⑺
(舞台となった宿禰島。佐木島の北にある周囲約400m/敷地面積約0.74haの小島。お椀状の島で、中央の高さが約20mある。)

ストーリー
「耕して天に至る 乾いた土 限られた土地」―瀬戸内海の一孤島(宿禰島)。電気・ガス・水道がない周囲約400メートルの小島。そこに千太(殿山泰司)と、トヨ(乙羽信子)夫婦、息子の太郎(田中伸二)と次郎(堀本正紀)の4人家族が暮らしている。平地がほとんどない島の頂上辺りのわずかな平地に小屋を建て、ヤギやアヒルと共に住む。急斜面の乾燥した土地に田畑を作り~春はムギを穫(と)り、夏はサツマイモを穫る~自給自足の生活を営む。何よりも水がないため、畑へやる水も飲む水も、遥か向こうに見える隣りの大きな島から櫓漕ぎ舟(伝馬舟)でタゴ(担桶)に入れて運ばなければならない。夫婦の仕事の大半は、この水を運ぶ労力に費やされた。
朝早く水を汲みに舟を出す両親・夫婦。子供たちはヤギとアヒルに餌をやり、湯を沸かし、食卓の準備をし、親の帰りを待つ。天秤棒に吊らされた2つのタゴを担ぎ、急斜面を1歩1歩登り、小屋にたどり着く両親。そして、皆揃ったところでの朝食…。
長男の太郎は、小学2年生で、食事が終わると急斜面を走り降り、隣島の小学校へと向かう。彼を舟で送る母親はその時も、水汲み⇒水運びは欠かさない。島に残った父親は、畑への水遣り。未就学の次男の次郎は、海で魚捕り。母が島に戻ってきた。天秤棒でバランスを取りながら畑まで水を運ぶ。ザッザッザッ。乾いた土を踏みしめる音が響く。足元は砂埃が立ち、夏の乾燥の厳しさを物語っている…。
ある日、トヨは誤って片方のタゴをひっくり返してしまう。水を零(こぼ)して呆然とするトヨに、千太は平手打ちを食らわせる。それほど水は、家族にとって貴重なものだった。日が暮れようとしている。トヨは隣島に舟で太郎を迎えに行き、水汲みも欠かさない。島では、次郎が家畜を小屋に入れ、ドラム缶に湯を沸かし、風呂の準備をする。千太は帰ってきた舟を掃除する。五右衛門風呂に入る子供たち。次は父の千太。皆で夕食を済ませた後、千太は石臼で豆を挽き、トヨは海を眺めながら、ゆっくりと風呂へ。こうして孤島の一日は過ぎていく…。
一日一日の積み重ねが一年に。秋には隣島で祭りが行なわれ、冬は土を耕し、種を蒔く。春には麦を収穫し、地主に収め、また暑い夏がやってくる。
そんな日常の中で、少しの贅沢もある。子供たちが海で一匹の大きな鯛を釣り上げた。家族4人が揃って笑顔を見せる。両親は洗濯仕立ての余所行きに着替え、家族全員で巡航船に乗って尾道の市街へ行き、鯛を売って普段では手に入らない日用品を買い、またカレーライスを食べることもできた。ロープウェイに乗り、自分たちの住む島を見る。キラキラ輝く美しい海が見えた…。
それは、暑い日だった。次郎が小屋を飛び出す。水を汲みに出た両親を迎えに磯に立ち、必死に大きく手を振る。海上で次郎のただならぬ様子に気づいた千太とトヨは、舟を漕ぐスピードを上げ駆けつける。小屋には高熱で倒れ込み、ぐったりと意識のない太郎の姿があった。トヨは太郎を布団に寝かせ、頭を濡れタオルで冷やす。千太は舟で隣島まで医者を呼びに行くが、ようやく医者を連れて戻った時、太郎はすでに息を引き取っていた。夜空には、隣島の花火大会の花火が上がっている。孤島からも綺麗に見えていた―。
翌朝、太郎の通学先の教師および同級生たち、そして僧侶が船でやってきた。太郎の埋葬・葬儀のためだ。毎日、天秤棒で水の入ったタゴを運んでいる夫婦が、今日は息子の棺を担いでいる。島の上の眺めの良い場所に、穴を掘り、棺を収める。僧侶がお経を上げ、子供たちがお花を捧げる。最後に、棺の上に木を乗せ、火を放つ。子供たちを乗せた船が島から遠ざかる。孤島の頂上からは煙が上がっている…。
太郎を失っても、日常の生活は続く。夫婦はいつもと同じように隣島まで水を汲みに行き、急斜面を登り、畑に水を撒く。しかし突然、トヨは自ら水の入ったタゴをひっくり返し、水をぶちまける。そして、まるで狂ったように、畑の作物を引き抜き、大地に突っ伏して声を上げ号泣する。(水汲みで家を留守にしなければ、子供の急変に気づき、死の危険が迫った子供の傍らに居てやることができたのに…!!)
以前、水運びに失敗したトヨの頬を平手打ちした千太も、今回はしばらく黙ってトヨを見守った後、また何事もなかったかのように水遣りに戻る。前と同じように、直接水が苗に当たらないように、やさしく、一つ一つ、水を上げていく。ほどなくトヨは、落ち着きを取り戻し、畑への水遣り(農作業)を再開する…。

何があっても、この孤島の土の上に生きていかねばならないのだ。灼けつく大地へへばりついたようなこの家族は、泣いても叫んでも、今日も明日も、自然が息づく世界と格闘/共生していく―。

Full Movie



音符 波 テーマ曲 [作曲:林光(はやし・ひかる、1931~2012)] :
(コーラス付のエンディング曲。なお、オープニング曲はコーラスなしのバージョン)