心が自由ということ
シリーズ人生が輝く心の整え方目次●はじめに●心の整え方の基本 【心の仕組み・改善方法】●明るい気持ちを取り戻す【心の仕組み・改善方法】●豊かな人生にする 【心の仕組み・改善方法】●関連情報・コラム心明流三毒(暴欲、嫌怖、固念)について次の記事から、心の整え方を説明していきます。その中の説明には、「欲を持つな」「嫌ったり、怖れたりするな」「信念を持つな」といった窮屈な印象をもったり、「自分ではなくなるのでは?」と違和感を感じるものがあるかもしれません。ですが、意図するのは逆で、心の自由度を上あげて、周囲の人や環境と調和して、のびのびと生きやすい心の状態を作ろうというものです。そして、本当の意味の「やりたいことをやる」「がんばらない」を実践できる心の状態になります。今回の記事では、自由でのびのびと生きやすい心の状態がどういうものかを説明します。ここにも、多くの人が勘違があると思います。世界も自分も変化していく「生きづらさ」というのは、自分の置かれた人間関係や環境にうまく適応できずに、嫌悪や不安などの不快を感じている状態です。それを考察するのに、仏教の世界観が参考になります。仏教の世界観は以下のようになります。 固定された自分というものは無くて(無我)、経験や環境との関係性()の中で自分ができる。 経験も環境も常に変わっていく(諸行無常)から、自分も変わっていく。環境も自分も柔軟に変わっていくのが自然な姿だと言っています。本来、人は自由に変われて(無我)、環境と調和できるのに、それを邪魔をして「生きづらく」させるのが 三毒です。 固念が、変化を難しくさせます。 暴欲が、調和を壊す衝動に駆り立てます、 嫌怖が、選択肢を狭めたり、何かと戦わせます。「自分でなくなるのでは?」という心配(嫌怖)は、「自分は、xxな人」という固念がそう思わせているだけで、諸行無常な世界との調和を難しくする勘違いです。心の自由とは?「心の自由」というのは、置かれた環境に適した選択を自由にできるということです。三毒が無い時、つまり扁桃体が鎮まっている時は、無意識でその選択ができるので、自由を実感できます。「どうしても、xxがしたい」とわがままを通すのは一見自由に見えますが、三毒に選択肢を狭められた不自由な状態で、自縄自縛(じじょうじばく)とも言います。三毒があるときは、三毒に選ばされている状態で、”深刻”、”警戒”、”かたくな”、”執着”、”がんこ”、”融通がきかない”という状態になります。偏桃体も活性化しますから、不快にもなり窮屈さを感じ、体も緊張しています。三毒が無いときは、つまり偏桃体が鎮まていると、前頭前野が環境との調和を取ってくれて、”楽観”、”信頼”、”寛容・寛大”、”柔軟”、”臨機応変”、"英断"という状態になります。リラックスして、平穏さを感じます。前頭前野は環境と調和がとれるように仕向けてくれるので、私たちは「"やりたいこと"をやっていると"うまくいく"」と感じられるようになります。そして、実際に" うまくいく"ことが増えますから、「ついている」と感じられるようになります。「やりたいことやる」「がんばらない」暴欲にかられた「やりたいこと」をしたら、不幸になります。アルコール中毒などの依存症の人を考えると分かります。「がんばらない」は怠惰に過ごすことではありません。本来の人は、三毒が無ければ、好奇心や意欲が湧いて、何かをしたくなる動物です。「がんばらない」の本質は、何かに取り組む時の動機が”危機感”や”問題意識”( 嫌怖)ではなく、好奇心や自分の快適さへの素直な欲求ということです。三毒が消えれば、「やりたいことをやる」「がんばらない」は自然とできるようになります。前頭前野がそう仕向けてくれるからです。三毒に仕向けられた、「やりたいことをやる」「がんばらない」を実践すると環境と調和しませんから、揉め事が増えたり自分が苦しくなります。私は、三毒を解消せずに「やりたいことをやる」「がんばらない」を実践しても、良いことは無いと考えています。このシリーズが目指す心の状態このシリーズでは、以下のような心の状態を目指します。 欲を抑圧するのではなく、欲を選択できる心の状態にする 好き嫌いや不安を無くすのではなく、選択肢を狭めない適切な状態にする。 信念を捨てるのではなく、柔軟に修正できて、より良い考えに変えられる心の状態にする。 環境に適切に対応できる柔軟な自分、無我な自分を実現する心の状態にする。これらが、心を自由にする秘訣だと思います。●リブログ歓迎します。ご自由に使ってください。●感想や質問のコメントをいただけたら、 できるだけお返事します。