自分はずっと異端だった。だからこそ、感じることやわかることがある。 | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

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生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

とある経営コンサルタントの学びの場に、
去年の秋から参加している。
 

その方をよく知らないまま参加して、
いまだにその方の本すら読んでいない状況滝汗
 

参加したのは直感。
(私はほぼ直感だけで生きている。
そして、論理的に考えて行動するより、
この直感に従ったほうがたいていうまくいく)
 

直感以外の理由としては、
いままでと異なる文化圏の人と
関わってみたかったという理由もあった。
 

ホリスティック医学やスピリチュアルや
セラピーや有機農業や市民運動や対話や
ファシリテーションなどは、
長年関わってきて、
どこに行っても知り合いと出会ってしまい、
知り合いと出会わないところに行きたかった。
 

で、去年から参加してみて、
なかなかいいなーと。
 

自分とは異なる視点の中にいると意識が広がる。

同じような人とばかりいると、視野狭窄になる。

 

で、今日。
 

その学びの場に、ある方が講師に来た。
 

私はその人のことをまったく知らなかったのだが、
その学びの場に来ている人達はみんな知っている、
この界隈の人にとっては著名な人らしかった。
 

で、その講師の方が映像を流して見せて、
隣の人と思ったことをディスカッションしろという。
 

その映像が、感動的なていで、やたらポジティブで、
テンションが高くて、みんな同じように元気に叫び、

元気に振る舞う、スゲェ元気のいい朝礼とかやっている。
 

見ている人はみんな感動している様子。
 

書かないまでも、私の日頃の投稿を読んでいる人は、わかるでしょ?

私が、そういうのを一番苦手とすることを。
 

しかし、それを、感動している様子の人と、
感想を話さなきゃいかんわけよ。
 

しかし、私もおとなになったなー。

違和感を感じたということをそのまま話した。
 

打ち上げで、主宰の経営コンサルタントの方が来て
「どうでしたか?」と聞かれた時も、
「私には合わなかった」とはっきり答えた。
 

ほぼ全員が感動している感じの中で、
自分ひとりだけが同じように感じていない。

それを、以前の私は、ずっと生きづらいと感じてたんだ。
 

合わす気もない。

だけど、自分の意見や気持ちを超出しづらい雰囲気。
 

つまり、異端。

マイノリティ。
 

LGBTの人なんかも、
ずっと、そんな感じだったんじゃないのかな。
 

私はLGBTとは違うけど、
自分の視点や感じ方は、
メジャーの人達とはいつも違っていた。
 

小学校、中学校、高校、大学、社会に出てからもずっと。
 

そもそも、小学校5年生で遠藤周作の『沈黙』を読んで、
助けない神に激怒し、

小学時代から「神はいるのか。神がいるなら何故助けないのか」と考え始め、
 

神が助けないなら自分が助けると

中学生で暴力教師反対運動を1人でやって

授業もテストもボイコットして

学校からも家庭からもスポイルされ、
 

親鸞系の女子高に入り、

部落差別や在日問題の本を読みまくり、
 

つかこうへいと出会ってアングラ演劇にのめりこみ、

大学で既存の表現方法とまったく異なる表現をした

シュールレアリズムを卒論に選び、

現代詩を書いた。
(小さな賞もとり、「三田詩人」に詩を発表していた。)
 

現代詩を書いていた流れでコピーライターになったが、

自分の言葉を切り売りしている気分になって
ウツになって書けなくなり、

プロデューサーなどをやっていたけど、
広告業界があわなくてフリーライターに。
 

その後、DVや児童虐待などなどのサバイバーの人達と関わり、
お金がなくても生きていける世界を作りたいと、
有機農法の畑を始めたり、
コミュニティ通貨研究会を立ち上げたり、

行き場のない人が対等に語り合える自助グループをやったり。

対話やファシリテーションの勉強をしたり。

死について学ぶ場を作ったり、

障害者自立生活運動や

フェミニズムに関わったりしながら今に至る。
 

そんな私が、ポジティブでハイテンションな何かが
合うわけがないのであって、、、
 

っていうか、

そういうものを否定してきたカウンターカルチャーや、
芸術や文化や思想の影響を受けて、今の自分があるわけだし、

そんな今の自分が大好きだ。
 

しかし、ある時までは

そんな自分に生きづらさを感じていたのかもしれない

と、今日、ふと思った。
 

異端の自分を貫いて生きてきたし、

それを今も捨てる気はないが
 

たぶん、もしかしたら、気負いはあったのかもしれないし、

そのメジャーな生き方を強いられているような苦痛や、怒りを感じていたのかもしれない。

まぁ、今日も少なからず感じたわけだが。
 

みんなが、それがいい!おー!と

なっていると、

そこに入れないと感じるものたちはどうなるのか。
 

その人達を矯正して、そっちに向かわせるのがいいことなのか。
 

なんか、違う。

少なくとも、私は嫌だ。
 

学校や社会で、元気や笑顔になれない人を

無理矢理、笑顔や元気にするより、
その背後に何があるかに耳を傾けるほうが重要なのではないか?
 

もし、家庭やどこかで児童虐待や性虐待にあっていたら?
 

そういう子供達に、できない笑顔や元気を強いていたら、
この子達はますます孤立していくだろう。
 

一番や夢を目指すのも大事だが、

私は、そこからこぼれ落ちていきそうな人のところまで、
降りて行きたい。
 

今回私は、「合わない」とはっきり表明できた自分にOKを出そう。
 

そういうノリを否定しない。

そういう選択肢があってもいいだろう。
 

だが、私は、
 

サブカルチャー的なものや、

王道な生き方とは異なる人達や

マージナルな存在や異端で異形な人々をも包摂しうる

豊かさや多様性とはなんなのかを

私なりのやり方で考えていく。
 

他の人のマネをする必要はない。

 



本文とは関係ないけど、

飛行機から見た雲海。

 

 

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