成功哲学みたいなものと無縁に生きてきたが、人生で初めてそういうものと触れ、違和感を禁じ得ない。苦笑
そもそも、何をもって成功とするのか。
一番になることか、金持ちになることか。
悪いが、こっちはそういうことにまったく興味がない。
なんか違うなーと思ったことは幾つかあるが、
例えばそのうちのひとつが、付き合う人を選ぶみたいなことがあるわけだが、そういうのもなんだかいやだなーと。
私はなるべく先入観を排除して、いろんな人と関わりたいと思って生きている。
友人には、30年引きこもっている男性もいるし、獄中経験のある人もいるし、LGBTの人も障害を持っている人も、芸術家もサイキックな人も占い師も、専門職も、スナックをやっているママも、ビジネスで成功している人も、サラリーマンも、ダンサーも、レゲエも全身入れ墨も、魔法使いも宇宙人も(マジ。笑)ありとあらゆる人がいる。
いろんな人がいるからこそ豊かであり、自分とは異なるさまざまな人と関わることで、自分の意識も広がってくる。
なんか損得勘定で人と関わるの、いやだよねー。
自分さえ、こうありたいというのが明確であれば、人がどうあろうとも関係ない。
それから最近出会ったなかで、「生んでくれたお母さんありがとう!」とか絶叫しているのも見てしまい、超違和感というか。
私は虐待された人たちをたくさん見てきたので、、、、
親に感謝するみたいなワークを取り入れたWSにうっかり参加してしまい、その場で席を蹴って退席したことがあったけど。
いろんな人がいるわけだから、そういうワークをやらせること自体が暴力になるという自覚がないのだろうか。
なんか、みんな同じようなことを言っているような気がするのだが、、
言葉を大切にするとか、習慣を変えるとか
何人かから同じことを聞いた。
私はそっちの世界の人間じゃないんだなーと、今更ながらに、つくづく。
私たち神秘主義者は、そもそも、いい悪い、善悪優劣はないというのが基盤なので。
二元論を超えていくというか、
なんでもありというか。
ただいろんな経験をしたくて地球に来ているというか。
あるいは、私は
「べてるの家」みたいなところからも影響をうけていて。
べてるの家というのは、統合失調症の人たちが当事者同士で生活したり、ビジネスをしたりしているところで。
今までは、そういう人たちを矯正して治療してよくして普通に近づけようという発想だったと思うけど、
べてるの家や、それに関わっている人たちは、妄想や病気は個性だと言い、病気に一番詳しいのは当事者だから、治療者は当事者に学ばなければならないという考え方で、日本各地や世界からもべてるに学ぼうという人たちが押し寄せて、べてるの拠点である北海道浦河は、べてるのおかげで地域活性化になったという。ww
べてるの家の人たちの口癖は、「問題だらけだけど、それで順調」w
「安心して絶望できる人生」という言葉も好きだな。
しかし、成功哲学とかやっている人たちは、たぶん、べてるの家のことなんて知らないし興味もないんだろうな。
文化圏の違いに、頭がくらくらしてくる。
いやはや、こういう多種多様な世界観が共存しているからこそ、地球は面白いのかもしれない。
地球を卒業する前に、もう少しいろいろ見ておこう。
本文とは関係ないけど
広島空港で食べたお好み焼き。
精神科医の斎藤学氏と共著。
『ヘンでいい。』(大月書店)
アマゾンから購入できます。