「死を考え学ぶ会」というのを、5〜6年前に数年間主宰していた。お寺を借りて。
チベット死者の書にのっとって死を擬似体験してみたり、ホームレスの方をたくさん看取った方を呼んで話を聞いたり、ヨシタケシンスケの死についての絵本を読んで感想を語り合ったり、私も自分の死別体験を語ったりした。
そもそも、実父が死んだ十数年前。
東日本大地震のまだ前。
死について語れる「場」など、どこにもなかった。
死はなるべく語ってはいけないもので、触れてもいけないものだった。
だが私は、実父を自宅で、モルヒネの座薬を自分で入れながら看取り、「死にたくない」という父を前にしてなすすべがなく、キューブラーロスここに来てくれ!と心の中で叫んだ。
私は無力だった。
その時、私は、死について語れる場を痛切に痛切に痛切に求めていたのに、当時の日本にはそういう場がほとんどなかった。
父もそのような場で死の予行練習をしていたら、こんなにパニックにならなかったのではなかろうかと思ったし、なにより私がそういう場を求めていた。
それから私は、日本にわずかにあったグリーフワークの場を探しては勉強に行き、同時に、ファシリテーションと対話を学び始めた。
日本に死を語る場がないなら、私がつくろうと。
肩書きや立場を超えて、さまざまな人が平場で死を語る場を作りたい。
そうやってさまざなことを勉強して始めたのが「死を考え学ぶ会」だった。
自助グループ的な場だったので、場所代と茶菓代だけで運営していた。
死について語りたい人は誰でもふらりと来ていいように。
ただし、興味本位の人に来られてはまずいから、あまりオープンにはしていなかった。
そのうち、私自身が、死を考えるより、よりよく生きることを考えたいと思い始め、その会は自然消滅していった。
父の死からもう11年以上経つのか。
父の死がなかったら、私は場づくりも対話もやらずに、今もただフリーライターをやっていただけなんだろうなと。
死の意味を知りたくて、この頃から神秘主義も学び始め、瞑想も本格的に始めた。
そうやって、人生というのは、いろいろなものに導かれて流れていく。
精神科医の斎藤学氏と共著。
『ヘンでいい。』(大月書店)
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