私がなぜ「死を考える」場を作ろうと思ったか。 | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

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生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

義父がちょうど二年前に亡くなった。

義父は酒好きで、お刺身と日本酒さえあればご機嫌だった。

 

だが、病気がちになったここ56年、義母が酒を飲ませなかった。

 

好きなものを我慢しても長生きするのが幸せなのかどうか。

 

 

また、実父が死ぬ前、一時的に退院した父は会社に行こうとした。

父は個人経営で夫婦だけだったけど、小さな会社をやっていて、自分の死を悟り、仕事の整理をしようとしたのだ。

 

また、父にとっては、仕事だけがすべてで、仕事だけが生きがいだった。

 

だが、実弟がそれを許さなかった。

 

 

病気だから仕事なんかしちゃダメだと。

 

病気ってさ、あと数週間で死ぬのがわかっているのに。

 

本当にやりたいことを、最期の最期にさせてもらえない人生ってなんだろう。

 

自分の正義で他者の人生をコントロールしてはならない。家族でも。

 

このことは、いずれきちんと言語化していかなければ。

 

 

11年前、実父の死を契機にして、死のことを考えたり語ったりする場を欲していた私は、そういう場を探し回ったが、当時はそういう場はほとんどなかった。

 

当時の日本社会では、死について語るのはタブーだったのだ。

 

医療も、死なせたら負け、とにかく生きさせるという考え方だった。

 

死を語れるのは、宗教者と葬儀屋だけだった。

 

シロウト(笑)は、死について自分の言葉を持ってなかった。

 

だから私は、自分の言葉と自分の頭で、平場でフラットなつながりの中で死について語る場をつくりたいと思った。

 

死を自分の言葉で考え語る場が日本にないなら、自分で作ろうと。

 

そのためにまずやったことが、場づくりのやり方を学ぶことだった。

 

死をテーマにして、自分の言葉を尊重され傾聴される安全な場を作るのは難しいに違いないと思ったから。

 

だから、まず、ファシリテーションを学んだ。

 

 

ファシリテーションとワークショップデザインを教えているところは当時少なく、日本にあるほとんどすべてのところは学びに行った。

 

また、グリーフワークを学べるところも少なく、これまた、ほとんどのところに学びに行った。

 

 

 

だから、日本でファシリテーションやグリーフワークをやっている第一人者みたいな人達とは、だいたい知り合い。

 

で、学んでいるうちに、お坊さんや医療従事者や葬儀関係の人やファシリテーターなどなどの方々とも知り合い、

 

数年前には僧侶の人と一緒に、お寺を借りて「死を考え学ぶ会」を始めた。

 

 

「死を考え学ぶ会」は今は休止中。

 

11年経ってそういう場も増えたし、私自身が、死ではなく生きる意味にフォーカスしたいと思い始めたから。

 

死や生をめぐる、いろいろな対話の場にも行き、自分でも場を作ってみてわかったのは、医療者も宗教者も死のことを全くわかってなかったということ。

 

 

ある若い女医さんが、

下記のように苦しそうに語ったのが印象的だった。

 

「私たちは死のことなんて、何ひとつまなんでないんです。

でも患者さんや患者さんのご家族は死を前にして、私たち医師に死のことを聞いてくる。

でも私はどうしていいかわからない」

 

 

実父の死と

それに伴う原家族の崩壊。

 

死についていろいろ考え、

場を作ったプロセスや

 

そこで考えたこと

感じたことについては、

電子書籍とかにまとめてみようかなと

思っている。