死は終わりでも敗北でもない | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

ふ義理の家族に不幸が続いたため、

愛媛県松山(義理の家族の家がある)と東京を

行ったり来たりしていた。

 

家族の不幸が続いてはいるが、

いまは「死」に直面しても

あまり動じなくなった。

 

なぜなら、この十数年間

私はずっと「死」に対峙してきたから。

 

自分が「死」について何を考えたかは、

書き出すとものすごく長くなってしまうので、

それはいずれすべてを電子書籍なりなんなりに

まとめてみたいと思っている。

 

が、

今はそのさわりだけを

少し書いてみたいと思う。

 

 

実父がなくなったのは

もう12年前になるのか…

 

実家から電話がかかってきたのが、

ちょうど12年前の1月だった。

 

私は原家族と折り合いが悪く

(中学生くらいからほとんど会話してない)

交流がなかった。

 

それが、

12年前の1月に

弟から泣きながら電話がかかってきた。

「お父さんがあと数週間の命だと言われた」と。

 

弟はギタリストだ。

大学院を出たあと、南米にギター留学をして

ずっと南米にいて帰ってから

ギターを教えたりコンサートをして生きてきた。

(実はそこそこ有名なギタリスト。汗)

 

留学の費用も帰国してからの生活費も

すべて親に出してもらい、

防音装置付きの家まで建ててもらった。

 

(私は親からまったく援助を受けなかったけど。苦笑)

 

だから弟は会社とかで働いたことが一度もない。

ギターのこと以外、何も知らない。

 

やむなく実家に行ったら、

父も母も弟も3人で泣いてるだけ。

 

馬鹿か!お前らは!

と私は思ったね。

 

翌日すぐに私は主治医のところに話を聞きに行き、

父を即刻、大学病院に入院させた。

胆管が詰まっていて、

その日の内に手術しないと死んでいた。

 

しかし、胆管の詰まりを解消しただけで、

ガンが治ったわけではない。

ガンは全身に広がっている。

抗がん剤治療をしたら数ヶ月の命。

抗がん剤治療をしなければ数週間の命と告げられた。

 

だが父親は手術が成功したから

助かると勘違いしてしまった。

 

また、医療のことなどまったくわからない母親と弟も

それだけでほっとしている。

 

その大学病院は数百人待っているような病院で

(今、病院はほとんどそうで、だから在宅医療に切り替えさせようとしている)

治る見込みのない末期の患者は

病院側がなんとかして追い出そうとする。

 

そこから、病院と私との攻防戦が始まるんだが、

それはともかく。

 

何としても助かりたいという父親。

 

今まで、私のことを相手にしなかったくせに、

母と弟がまったく助けにならないと知り、

私にしか頼らない父親。

(おいおい、今更?)

 

プライドを傷つけられた弟が

私の邪魔をして、

私の家まで押しかけてくる。

 

(そんなことやっている場合か?)

 

いやはや、

父の死に際して原家族の今までの問題が

すべて吹き出した感じだった。

 

弟や母親は助けにならない。

 

だが、私は

父の最期を父のやりたいようにさせてやりたい。

(それをことごとく邪魔されたけどね…汗)

 

父はとにかく生きたいと言う。

助かりたいと言う。

そのためにはどんな治療でも受けると言う。

 

私はオルタナティブメディスンを取材し勉強してきた人間だ。

 

それまで父はそういうものを頭ごなしに否定してきたくせに、

今となってやってみたいと言う。

 

なので私が

枇杷の葉療法だとか丸山ワクチンだとか

父の気がすむようにやればいいと思って探してきたら

 

弟が

「お姉ちゃんはお父さんにオウムみたいなことをやろうとしてるのか!」と

私の家まで怒鳴り込んでくる。

 

じゃあ、お前が助けろよ。

って感じで。

 

 

私はただただ父親に寄り添った。

 

本当の気持ちを言えるのが、最期には私しかいなくて

「何もしてあげなかったのに、こんなによくしてくれて」と泣いたけど

そんなことはどうでもよかった。

 

私が不思議だったのは、

なぜ父はそんなに死を回避しようとしたのか。

なぜそんなに死と闘おうとしたのか。

私にはそれがわからなかった。

 

父は「死は敗北だ」と言うのだ。

 

死は敗北なのだろうか?

 

高度成長期を駆け抜けて生きてきた父にとっては

成長することだけが善であり、

死は落ちて行くことに感じられたのかもしれない。

 

 

 

私は長年セラピーだとか瞑想だとかを取材し、

自らも学んで実践してきた。

 

瞑想とかを長年やっていると

生と死の境界自体が幻想なんじゃないかと思えてくる。

 

私の個人的な感覚では

こっちよりあっちの方が自由で解放されているような気が

ぶっちゃけしている。苦笑

 

自分がもし死期が近いと告知されたら、

死と闘おうとはしないで、

痛みだけは西洋医学でなんとかしながら

残りの人生を楽しみたいと思うだろう。

 

そういえば、

弟はモルヒネすらもやめさせようとしやがったな。

ま、今となってはどーでもいいけど。

 

また私は、

精神科医の斎藤学氏が主宰しているクリニックで

自殺未遂を繰り返している人をいっぱい見てきた。

死にたいという人をいっぱい見てきた。

 

一方で死にたい死にたいという人がいて、

もう一方で、どうしても死にたくないという人がいる。

(人はいつか死んでいくのに)

 

 

死ってなんだろう。

 

 

死にたくないと言っている父親の枕元で

私には何一つかける言葉がなかった。

 

セラピーやヒーリングを長年勉強してきたのに、

死にゆく人にかける言葉は見つからなかった。

 

キューブラーロスの本も読んでいたけど、

本で読んだ知識など役に立たなかった。

 

大学病院を暗に追い出されて、

最期は結局実家で看取った。

じわじわと死に近づいていくのを、

ずっと見ていた。

 

死と闘っている父を見ながら、

「キューブラーロス、ここに来てくれ!」と

心の中で何度叫んだことか。

 

欧米には、死に行く人の枕元で話を聞く

チャプレンという宗教者がいると知り、

日本にもそういう人がいればと思った。

 

父が死んだ後は、

そういう人を育てることも視野に入れつつ、

死について

いろんな人が平場で話せる場を作ろうと動き始めた。

 

父があんなにパニックになったのは、

それまで死のことなど考えたことがないのに、

急に死を突きつけられたからではないかと思ったからだ。

 

宗教者の人から

天国とか浄土とか極楽とか言われたって

ピンと来ない。

自分の頭と言葉で自分にとっての死とは何かを

若いうちから考えることができる場を作らないと。

 

でないと、

死は敗北にされてしまう…。

 

最後の最後に

敗北になる人生はまずいでしょう。

 

 

12年前は、

西洋医学も死を受け入れる治療ではなく、

死と戦う治療だったと思う。

 

この12年間で随分変わって来たと思うけど。

 

 

死を考える場を作るために、

私は場づくりのためのファシリテーションと

グリーフワークを学んだ。

 

同時に、

死というものはそもそも何なのかを知りたくて

神秘主義も学んだ。

 

この12年間で宗教者や医療従事者の方々とも

死について語る時間をたくさん持った。

 

棺桶に入ってみるワークショップに参加してみたりもした。

 

そして数年前には「死を考え学ぶ会」というのを

知人の僧侶と一緒に立ち上げ、

お寺を借りて、死について対話を重ねた。

 

チベットの「死者の書」をモチーフとして

死を体験するワークショップを主催したり。

 

ホームレスの方をたくさん看取った方を招いて話を伺い、

みんなで対話したり。

デスカフェ やったり。

 

思えば十数年間、そんなことばかりやって来たなぁ。

 

 

十数年間そんなことばかりやってきて、

 

次第に、

 

もう「死」ではなく、

生きることと生きる喜びを伝えたいと思い始めたのがつい最近で。

 

だから

なんというか

 

私にとってはもはや死は

生の延長線上に当たり前にあるものにしか思えなくて。

 

 

死者はおそらく

自分の死を嘆き悲しむのもありがたいけど、

生きている人は自分の命をフルに楽しんで生き抜いて欲しいと

願っていると確信している。

 

向こうに行った人は向こうでやることがあるだろうから、

こっちにいる間はこっちでできることを

フルにやればいいと私は感じている。

 

それが事実かどうかわからないけど、

そう思うことで自分がラクになる。

 

 

 

この重数年間、死のことを考え続けたおかげで

生きることがより自由になった。

 

 

死を想うことで、

生はより自由になる。

 

私はそれを確信している。