ひきこもりの友人の美しい世界観 | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

私には、長年引きこもっている男性の友人がいる。
まぁ、本人は自分で引きこもっていると言っているだけで、働いて収入も得てるんだけどね。
 
で、引きこもりだというと、周囲がいろいろなことを言い始める。
「引きこもっていていいよ」とか、引きこもっていないで、こうしろとか、ああしろとか。
もしくは、かわいそうな人だ的な感じで、ケアしようとし始めたり。
 
そういうのを見聞するたびに、ちょーいらいらして、うるせーなーーーー!お前ら黙ってろーーー!!!と叫びたくなる。
 
自分の中にある「引きこもりはこういうものだ」という自分の先入観(自分のメガネ)越しに、上から目線で言っているだけで、その人がなぜそうしているのかを理解しようとも、聞こうともしない。
そういう人がほとんど。
 
自分のなかにある尺度をぐいぐいぐいぐい押し付けようとする。
他者に対して日常茶飯事的に。
 
いろんな人がいろんなことを言うたびに、彼はますます混乱して、引きこもりたくなるだろう。
 
っていうか、引きこもろうが、引きこもるまいがそんなの人生においてどうでもいいことで。
彼をよくしてやろうというのが、あんた何様的な傲慢さを感じてしまい。
 
引きこもってたって、引きこもってなくたって、そんなのどうでもよくって、彼の世界観がすごく豊かで美しくて繊細で面白くて、それが聴きたくてついつい、いつも誘い出す。
 
自分のレッテルや見せかけの何かではなく、その下にある本当の思いや言葉や普段表現することのないものを聴きあいたい。
 
そのつながりこそが、大事な何かをこの世界にもたらすような気がしていて。
 
その思いだけから、場を作り続けている。