新興宗教皮肉りブラック・コメディ映画『教祖誕生』(1993年公開)レビュー | SayGo's 映画レビュー

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勝手に映画鑑賞して
ダラダラとレビューします。

本日鑑賞した映画は

有象無象の新興宗教に対する皮肉

ユーモアを交えながら描いたビートたけしの原作を映画化した

1993年公開作品

『教祖誕生』

公開日:1993年11月20日

上映時間:95分

 


青年 和夫は旅先である新興宗教の布教活動に遭遇する。

それはただの老人を教祖として祀り上げ

インチキの限りを尽くしお布施を集める真羅崇神朱雀教であった。

彼らに興味を持った和夫はその布教活動に同行をはじめ、

いつしか2代目教祖として祀り上げられていくのだが-



新興宗教という日本ではデリケートなテーマ

皮肉を込めたコメディに仕立て上げられたブラックコメディ

 

日本映画でこういった作品はあまり目にすることがなく、

またあったとしてもうまくいった作品に出合った記憶はないのですが、

社会風刺を効かせながら確実にコメディとして楽しませるこの作品は

最高の娯楽作品でした。

最近見た映画の中では最もオススメの一作です。


主人公 和夫という『宗教外の和夫の視点』から

真羅崇神朱雀教の実態と運営する人間の姿を語っていく前半と、

 

2代目教祖になった和夫という『宗教内の和夫の視点』から

真羅崇神朱雀教の内部派閥とその不和を語っていく後半

大きく分けて2部構成となっているわけですが、

まず前半は皮肉を効かせながら見事なまでのコメディを展開させていきます。

 

原作未読のため不確かではありますが、

やはり一番に感じてしまうのが芸人 ビートたけしのセンスです。

 

ただの老人を教祖として祭り上げ、インチキで布教活動を行う。

シチュエーションがまさにコントのようなもの。

着飾った老人の隣でビートたけし演じる司馬が

流暢に演説する姿は、どこか漫才を彷彿とさせます

もうインチキ臭ぷんぷんお話をあたかも真面目ですと言わんばかりに

司馬が語っていくわけですが、

『そんなわけないだろ!』というたけしのツッコミが聞こえてくるような気さえします。

 

布教活動そのものがコメディとしても皮肉としても作用しているのは

時に痛烈に物事を批判しながら笑いを忘れない

作品外に芸人としての文脈を持つビートたけしあるからこそ

強調されているものにも思えるので

彼以上にはまり役はいないでしょうね。

そして、このシーンはラストシーンと対になることで

一層その皮肉を増している構造になっているのが映画として計算されてもいます。

 


そこに関しては後に回すとして、

偶然そこに居合わせた萩原聖人演じる主人公 和夫が

彼らの布教活動に興味本位で同行し始めます。

 

『新興宗教ってどんなところなんだろう?』

 

少し話は変わりますが、マイナースポーツを題材にしたスポコンだったり、

あまり知られていない職業だったりをテーマにするコメディの場合、

大抵はそれに対して知識のない人物が出会い、学ぶシークエンスから入るわけです。

 

本作も同様、新興宗教に対して無知な 和夫の視点を通して

真羅崇神朱雀教という新興宗教を知っていくことができるので

非常に優しい作りとなっており、

また、題材そのものがデリケートなものでもあるので否応にも

興味をそそられる物語となっております。

 

「教祖は宗教の飾り」と言わんばかりの描写や

「なんでもいいんだよ、最後に神がそう言っているって書いておけばいいんだから」

というセリフなど、

コメディとしてデフォルメしながら説明されていく新興宗教の裏側は

非常にわかりやすく飲み込みやすい。

また、その皮肉は身に覚えがあればあるほど

妙なリアリティな説得力も存在しているのも魅力ですね。

 

前半、とにもかくにもコメディとして申し分ない完成度です。

インチキ宗教だからこそ陥った絶体絶命的なピンチが

結果、面白いほどうまく作用してしまう展開もさることながら、

カットの繋ぎ方、編集が物語の空白を補完しながら、

漫才やコントにおける『間』のような役割を果たし笑いを誘ってくる

演出、編集のテンポの良さが光ります。

 

そこに最高の相性を見せるのが藤井尚之の劇伴

不穏にも間抜けにも聞こえる音楽は宗教に一層のきな臭さを与えています。

新興宗教というものを

物語、演出、編集、音楽の総合的な作用で

コントにも漫才にも見せること事がなによりもの皮肉となっており、

日本映画にあまりみないブラック・コメディが味わえます。

 

そんな娯楽性の高い前半ですが、ふと垣間見える

新興宗教の暴力描写が不穏さとサスペンスを匂わせていきます。

 

後半では『宗教を崇める者』『宗教を金儲けにする者』

価値観の対立に発展していくわけですが、

序盤からその気配を確実に漂わせていきます。

 

その中核を担うのはビートたけし演じる 司馬岸部一徳演じる 呉 ですね。

彼らは自分の行いにケチつける者、自分の思い通りにならないものを

暴力を持ってして排除していくわけですが、

宗教を汚されたのではなく、金儲けの邪魔をされていることに怒るわけです。

 

彼らの暴力は、人目のない場所や物陰や密室のみに限定して演出されていくわけですが、

それが『宗教のブランド価値を下げないよう排除する』に見えてくるのが面白い。

 

ビートたけしと岸部一徳の「上っ面のいい悪人」はすさまじく、最高です。

ビートたけしは煽り画が似合うななんて改めて思っちゃったりもしました。

 

そんな不穏な気配も漂わせながらあくまでアップテンポなコメディのまま、

主人公 和夫は二代目教祖として祀られることになっていきます。

 

『入ってきたばかりの青年を急に教祖に!なぜ!?』

 

あまりの物語飛躍に少々混乱こそしましたが、

これも要は『扱いやすい人間ならだれでもいい』という

司馬と呉の「金儲け先行の考え」だからこそのものなんですね。

 

しかし、彼らには誤算が生じていきます。

2代目教祖となった和夫はその真面目さゆえ、

本物の教祖となり民を救おうという想いに駆られていくわけです。

 

和夫は無駄と言われながら修業に励み、信者の信頼を高めだし、

司馬と呉はそれをセレモニーに仕立てさらに金儲けに走っていきます。

 

和夫は調子に乗るというより、本当の意味での教祖に近寄って行ってしまうのです。

結果、

『和夫を民を救う教祖として崇める者』

『和夫を金稼ぎの飾りとして祀る者』との間に亀裂が走りだしていきます。

 

最初はこそその亀裂は大きいものではないわけですが、

宗教を私物化し、一層の金儲けに走る司馬と呉が溝を深めていきます。

その果て、司馬と呉があまりに呆気なく無様に失脚する

サスペンスの結末がまたなんとも味わい深くて良かったですね。

 


ある男を頭に仕立てた人間たちが、

次第に男に翻弄され、破滅に陥っていくという部分において、

黒澤明監督の『影武者』を彷彿してしまったりもしました。

 

そんな内部抗争があったとも知らず、

ごく普通の青年であった 和夫を

多くの信者が教祖と祀というタイトル通りの教祖誕生クライマックス。

オープニングと顔つきを変え、絶大な力を獲得した和夫の姿、

その無な表情がどこか恐ろしさを残すのもまた面白いところでしたね。

 


ただ、ここで終わらせないのがこの作品の最大の魅力でしょう。

詳しくは書きませんがラストシーン、

オープニングと対になる形で幕を下ろされます。

物語としても非常に面白い結末となっていますが、

宗教というものに執着し、様々な形で救いを求める人間を描いているように思えました。

『全部インチキに決まってるだろうが!』という

ビートたけしのブラック・ユーモアが聞こえてきそうなこのラストシーンは

本当に切れ味も後味も最高のモノでした!

 

笑えて、ぞっとできる95分!

日本映画にあまりないブラック・コメディを

楽しんでみてはいかがでしょうか。