【鎌倉殿の13人ゆかりの地】
大河ドラマでは活躍がほとんどなかった【源義経】
【鎌倉殿の13人】はあくまでドロドロした政治劇?
人間模様が中心だったので源義経の活躍はあまり出てきませんでしたが
この時代のことは疎いさるるなんですが歴史ヒストリアに挑戦!
でもけっこう、歴史ヒストリアしとるんやで(*'ω'*)
源義経の供養塔
義経が背比べした石&水を飲んだところ&義経堂
弁慶が村娘と一夜を共に過ごした場所
弁慶のお母さんのお墓は安産祈願の場所
源義経と武蔵坊弁慶が上陸した場所
源義経と武蔵坊弁慶が逃亡途中に隠れたところ
義経を守った狐が祀られている神社
武蔵坊弁慶が修行し、後白河法皇が宿泊した書写山
一の谷の戦いゆかりの地
兵庫県:神戸市【須磨寺(敦盛の首塚・敦盛の首を洗った池・義経の腰掛けた木・弁慶の鐘)】
源義経が愛した女性
天才戦術家の源義経の有名な戦いといえば
① 一ノ谷(兵庫県神戸市)の戦い
兵庫県:神戸市【須磨寺(敦盛の首塚・敦盛の首を洗った池・義経の腰掛けた木・弁慶の鐘)】
② 屋島(香川県屋島)の戦い
③ 壇ノ浦(山口県下関市)の戦い
この3つが有名ですが
屋島の戦いのために大阪から四国に上陸したのが
徳島県小松島市でした。
20隻の船で大阪から出港し
暴風雨に乗じてわずか6時間で阿波の国の勝浦(小松島市)に上陸。
義経は熊山城と桜間城を撃破し一夜のうちに屋島に進出!
この時代の帆船をよく知らないけど
大阪から徳島まで兵員や物資を輸送することができたんやね
上陸作戦てノルマンディー上陸作戦とか
めちゃくちゃ物資とか兵站確保が大変な気もするけど
伝説もちょっと入ってるかも?
なんや調べてみたら
敵側の平氏は海軍が強かったみたいで逆に
源氏は海軍力が脆弱だったらしい。
だから上陸、戦略的迂回行動をもって地上戦を挑んだんやね
なるほどな~まだまだここらの歴史に疎いな~。
義経は上陸地点で家来たちを集結させ
白旗(源氏のシンボル)をかかげて士気を高めました。
白旗を掲げたのがこの山
【日本一の義経騎馬隊】の標識の奥に階段が
同行したお嫁ちゃんは難色を示し
すぐ目の前の公衆トイレで用を足していました。
うーん、確かにどれぐらい登るかわからへんしな~。
次の日(当時)は試合やし
あんまり足に負担はかけたくないんやけどな
すぐ横に石階段あったわ(笑)
そないに登らんでよかったわ♪
さっきの階段と距離は変わらんけどワイルドな道やった。
源義経の銅像はすぐわかりました☆
後で知ったんやけど
日本一の大きさの義経の銅像らしい!
ちょっと離れた道路からだとちょっとだけ銅像が見えます。
ちょっとだけ。(苦笑)
ここで旗を掲げて
兵の志気を高めて一気に屋島まで進撃したんやね
ちなみに【義経ロード】と称して
10キロぐらいの観光コースが設定されてましたが今回は断念。
でもあとで調べたら別にいかなくてもよかったかも?
あの扇を弓矢で撃ち落とす
【平家物語】の名場面って屋島の戦いやったんやね
とある夕刻、平家方から女官が乗った小舟が現れ
竿の先の扇の的を射させようとした。(挑発?戦いの中でも雅を忘れない?)
外せば源氏の名折れになると義経は手だれの武士を探し
畠山重忠に命じるも重忠は辞退し、代わりに那須十郎を推薦しました。
十郎も傷が癒えずと辞退、弟の那須与一を推薦。
与一はやむなくこれを引き受け海に馬を乗り入れると神仏の加護を唱え鏑矢を放つ!
矢は見事に扇の柄を射抜き
矢は海に落ち
扇は空を舞い上がる。
しばらく春風に一もみ二もみされ
そして海に落ちる
美しい夕日を後ろに
赤い日輪の扇は白波を浮きつ沈みつ漂い
沖の平氏は船端を叩いて感嘆し、陸の源氏は箙を叩いて驚嘆したそうです。
これを見ていた平氏の武士が舞い始めた。(なんで?)
義経は踊ってる武士も射るように命じ
与一はこの武者も射抜いて射殺してしまいました。
いや~
雅(みやび)ぢゃないっすなぁ。
天才軍略家にとって
様式美より算術的思考がすべてなのかな?
しっかし
誘導装置のない弓矢、さらに洋上で揺れる目標物
距離にもよるやろうけど
アメリカ軍も裸足で逃げ出す命中率やな!(驚)
やっぱり伝説?物語?
そういや
ファイナルファンタジーの強力な武器で
【よいちのゆみ】ってあったね。
それって那須与一の【よいち】やったんやね。
小学生の頃はわからなかったよ。
源義経と武蔵坊弁慶が上陸した場所
ここって地理的に
屋島の戦いの後に上陸したんやろか
なんて考えたりする
そういう歴史ヒストリアの楽しみ方なんです。
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