【鎌倉殿の13人ゆかりの地めぐり】
最終回、良かったですね。
冒頭に徳川家康が出てきてビックリ!
へー徳川家康も【吾妻鑑】の愛読者やったんやね
たしか黒田官兵衛も北条氏から仲介のお礼に吾妻鑑の原本?
もらったんじゃなかたっけ????
黒田官兵衛の死後、黒田長政から将軍・徳川秀忠に献上されたんやね。
なんか歴史が繋がっていくね~!
おそらくは今回が
【鎌倉殿の13人ゆかり地】最後の歴史ヒストリア!
静御前のゆかりの地です。
源義経の妾(愛人?側室?)
【静御前】
出生地は京都府京丹後市網野町磯地区で
禅師(僧侶でも高貴)の娘として・・・・ん?僧侶だけど子供?
尼と違うからいいのか????わからへんね。
とWikipediaにはあったけど
禅師って日本では僧侶とは限らん意味らしい・・・・難しい。
んで白拍子でもあって・・・・白拍子って踊る人やね
なんせ静御前のお母さんは【禅師+白拍子】のハイブリッドってことでOK?
7歳の頃に父を亡くした静御前(幼名:静尾)は母に連れられ京都へ
京都で白拍子として有名になって
源義経にホレられて妾(愛人)になります。
iPhoneのマップ機能の【静御前生誕の地の碑】は
信用してはなりませぬ。(笑)
ひょっとしたらこの小屋の中にあるのかと
すき間から覗いてみたよ。
インターネットで調べれば
正しい情報を得られますのでお気をつけ下さいませ。
そんなに迷わないと思いますよ。
まずは静御前を祀る【静神社】に行ってみよう。
日本史最大の恋物語
たいてい歴史の恋物語って悲恋なんよね・・・・。
源平合戦後、兄の源頼朝と対立した源義経が京都を脱出
静御前も九州へ向かう源義経に同行しますが、その途中に船で遭難。(涙)
ちなみに出港した港が兵庫県尼崎市の大物だったはず。
この遭難で九州に逃亡することができなくなり奈良県の吉野へ逃亡。
源義経とはぐれた?あえて別行動をとった?
静御前は鎌倉幕府に捕縛されてしまい鎌倉幕府に護送されてしまい
そして源義経とは二度と会えなかったのです・・・・。(悲)
次は静御前の生誕地へ!
海に向かって歩いて行くという感じがする。
つげ義春的な雰囲気を感じる。
鎌倉に送られた静御前は源義経について詮議を受け
おまけに愛する人の敵である源頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられる。
残酷なことをさせるよねぇ・・・・。
義経を慕う歌を唄って頼朝を激怒させるが妻の北条政子が
「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けたそうで
静御前は鎌倉に護送された時点で死を覚悟していたのかもしれませんね。
ここまっすぐ行くの!?
さらに悲劇を静御前を襲います。
鎌倉に護送された時、静御前は義経の子を妊娠していて
源頼朝は「女子なら助けるが、男子なら殺すように」と命じる。
そして・・・・静御前は男子を産んで・・・・。
安達清常が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。
さらにさらに残酷なことに抵抗する静御前から
静御前の母親が赤ちゃんを取り上げ(!!)安達清常に赤ちゃんを手渡し
赤ちゃんは由比ヶ浜に沈められました・・・・。
結局、静御前と母親は殺されず
京都に帰されたそうですが心中はどうだったのでしょうか。
それを憐れんだ北条政子とその娘の大姫が多くの財産を持たせたたそうですが
その後の静御前の消息は不明・・・・様々な説があります。
【静御前の死については諸々の伝承】
・自殺説(姫川(北海道乙部町)への投身、由比ヶ浜への入水など)
・旅先での客死説(終焉の地についてはたくさんある!)
・確か母親の故郷の香川県に願勝寺に墓があるらしい。
・兵庫県淡路市に隠れ住んでいた説もある。
細い小道を抜けると
一気にこの風景が飛び込んできた!
案内板ではこの場所に戻ってきて
余生を過ごしたことになっていました。
このロケーションにも
静御前ゆかりの地がありました。
【鎌倉殿の13人】を観ていなければ
静御前という存在も知らず、大河ドラマが面白くなければ
このような歴史ヒストリアもしなかったでしょう
この日に見た風景、感じた心情だとか大切な思い出になりました。
お嫁さん(当時は彼女さん)が考えてくれた旅行プラン
ありがとう~♪(*'ω'*)ラブ☆彡
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