『デリカシーの正体って何だろう①』はコチラ
デリカシーの辞書的な意味としては「感受性の豊かさ」や「繊細さ」となります。
・・・ちょっとぼやっとします。
感受性とは何か・・・というところから考えねばならなくなります。
私は感受性とは相手(他)の感性を受け止め自らを変化させる「性質」ではないかと考えます。
「力」とか「能力」ではなく、あえて「性質」と書きました。
そもそも人間も含めて全ての生物はそれを最初から持っていると考えるからです。
生物は外部環境の変化を受けて、それに合わせて個体の形状のみならず生活スタイルや繁殖方法も含めて進化させてきました。
つまり・・・外部環境の変化を「感じる」アンテナを持っているわけです。
我々人間は、感受性を「相手の心を汲み取れたり、相手の感情を感じ取れる力」のような感覚で使いますが、
しかし、上記のような行為自体はよくよく考えると「努力」や「優しさ」「心遣い」「気配り」「配慮」「思慮」のようなものが必要です。
その力は自然体で育成されるものではないと思うのです。
なぜなら、自然体だけなら、私たちは常に「自己中」です。
だから、相手の心を汲もうとしたり、少しでも相手の気持ちに寄り添おうとしたり、相手の感じていることを共感しようとする行為は私は非常に能動的で積極的な行為だと思います。
芳村思風先生に言わせると、感受性ではなく求感性(ぐかんせい)を養えと・・・
感受性は受動的なものだけれど、求感性は能動的な能力だという事です。
相手の立場に立ってその人の気持ちを考えてみる、感じようとしてみる
それは、中心を自分から外してみない限り考える事も、感じる事もできません。
生物の特性が本来自己中心的にしか思考出来ないとすれば、これは非常に積極的かつ努力の要る行為です。
だとすれば、その努力を排除した自己中であることがデリカシーのない行為につながるのでしょうか・・・
「自己中心的」の反対で使われるのは「他者中心的」
「自己中」というとネガティブなイメージですが、
自己中心的思考(行動)というのはその字の通り自分を中心として物事を考える思考・行動です。
そして他者中心的思考(行動)は他者を中心に据える思考や行動となります。
両方おそらく大事です。
一番まずいのは自己中心的にも他者中心的にも考えれず、常に物事を評論としてか語れない「客観視」に偏る事の方がよくないと思うのです。
例えば、「私はこうしたい・私はこう考える」という自分を主体において意見を述べたり行動する事はとても大切です。
同時に「あの人の事を思うとこうするべきかな」と他人を主体において推測してあげる力も大切です。
ただ、両方とも行き過ぎるとマズイです。
他人に配慮するあまり、ひと様優先が度を超すことも良くありませんし、
常に自分中心でしか思考できず他人の気持ちに気付けない事も良くありません。
脳生理学や進化論の話から進めていくとすごく長くなるので割愛しますが、
我々人間は、とても傷つきやすく繊細な生きものです。
自分もそうであるように、他人もとても傷つきやすく繊細です。
繊細になってしまったゆえんは、持ち合わせる感情が他の生物に比べて人間だけ非常に多い事にも関係しているような気がします。
客観視が強すぎると自分が傷ついたことや自分の繊細さに蓋をします。
だから、他人の傷や繊細さにも気づいてあげる事が出来なくなります。
つまり、一般的な言葉で言えば感受性微弱。芳村思風先生の言葉を勝手にアレンジすると求感性微弱。
自己中心的過ぎると自分中心でしか物事を見れず、他人を傷つけます。
他者中心的過ぎても結果的に自分と他人を傷つけます。
なぜなら、結局全てを他人中心に思考する・行動するという行き過ぎた他者中は、元を正せばおそらく「嫌われたくない」という自己中な心によって作られると思うからです。
という事で、今現在の私の結論としては「デリカシーがない」とは「他者愛のない自己中な行為」かなと思います。
なので、デリカシーの源泉とは他者愛(他者中になることではなく)かなと・・・
私にとっての他者愛の有形化は「(他者に対する)関心のもち方」です。
「持ち方」と書いたのには理由があって、「関心」というのもやはり理屈で持てるものじゃないです。
「持たなきゃいけない」と理屈や理性で持った関心なんて結局のところ上っ面だけの薄っぺらいものでしかありません。
義務でお客様情報を書く営業マンと、書きたくて書く営業マンの違いみたいなものです。
つまり「関心」が「欲求化する」ことが大事かなと思います。
「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれがしたい」「これがしたい」という欲求が自然に込みあがるように
「関心」も欲求化する事が最も「自然体」で持てる最終形態のような気がします。
込みあがる抑えがたき「欲求」として「関心を持たずにはいられない」ような、
その心を一言で表現するのは難しく非常にありきたりな言葉になりますが、
そんな「優しさ」を持てる人間になりたい・・・と切に願います。
知らず知らずのうちに、私が私の周りいて下さる多くの方々を傷つけない為に・・・
ただ・・・どれだけ強く決意したとしても、私はきっと知らず知らずのうちにであっても人を傷つけしまう事が、これから先も続くだろうと思うのです。
だけど、そんな不完全な自分だからこそせめて、こうなりたいと願い続けたいと思います。