昨日、久しぶりに映画に行きました。
2014年からスタートした米国版ゴジラシリーズでもあるモンスターズ・ヴァースの(おそらく)最終作品でもある『ゴジラ×コング新たなる帝国』です!
仕事を早めに切り上げたものの、結果的にナイター上映にしか時間が合わずで21時からの上映回となりました。
行きたがるかどうかわからなかったのですが、父に声をかけたところ一緒に行きたいと言ってくれたので親子で鑑賞。
『人生で初めてみた映画がゴジラvsキングコングで、人生の最後に観るのが同じって面白いなぁ』
と、父がなかなかこちらが反応に困るようなことを言いながらも、終始うれしそうだったので良かったです。
父の病気がわかったのが昨年6月、その際に先生から「まずは目標は1年」と言われていたので、
様々なことが最後になっていくことは頭では理解していたつもりですが、
その「最後」がひとつずつ終わっていくのを痛感する度になんともいえない気持ちになりました。
今まで一緒にしてきた仕事
お客様の記念日への出席
お客様との旅行
お客様との会食や忘年会・新年会
その他諸々・・・・
ただ、今までの最後になったものはすべて仕事におけることで
どちらかというと親子関係というよりは、私と父はもう随分と長いこと仕事関係が中心でした。
そんな中で唯一親子として(例え険悪な時期があっても(笑))継続してきた行事がゴジラ映画の鑑賞でした。
なので今となっては私にとっては映画以上の存在価値があったゴジラシリーズに感謝です!
子供の頃は家族全員で、
しかし小学校になるあたりで一番ゴジラに興味のなかった母が離脱し
その次は妹がゴジラに興味のなくなる年齢くらいで離脱
最終的に私と父だけが残った感じです。
親子として続けてきた唯一の行事が最後になるのかと思うと、
今まで何度か訪れた「最後」とはちょっと違う感情で
かなり寂しく悲しかったです。
ただ、映画は素晴らしいく面白い内容で(笑)、二人で大盛り上がりで帰ることができましたし、とても喜んでくれました。(ゴジラに興味ない方でもオススメです!!)
きっと私はこれからもゴジラシリーズがある度に観に行くでしょうし、その時は今日の父の言葉を思い出すんだろうなぁと思います。
言志四録の「学は一生の大事」を表す有名な言葉ですが
少にして学べば、即ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。
この「老いて学べば、即ち死して朽ちず」の部分をどう解釈するのかの長い旅がはじまりそうです。
有名な解釈としては「老年になっても学んでおけば、ますます見識も高くなり、社会に役立つこととなり、死んでからもその名は残る。」ですが、祖母が亡くなった2012年を境に父がこの最後の部分に対する解釈を変えました。
これは10年以上父と仕事をしてきた私だけが知っている変化かもしれません。
きっとそれは、体験した人間にしかわからないものがあったのだと思います。
私はまだこれらの言葉の後半よりも前半が気になります。
少にして学ぶことと、壮にして学ぶこと、老いて学ぶこと、この「学ぶべきこと」の内容は当然ながら変わる訳で
少で学んでいることを壮で続けていても学んでいることにはならないんじゃないかと・・・
自分がこの言志四録の後半部分が気になり始める生き方をしていけたら
自然に気になり始める頃が来るのだと思います。
なのでその時は「死して朽ちず」の「朽ちず」とは一体どういうことなのかを問いかけていきたいと思います。