流離の翻訳者 青春のノスタルジア -9ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

先週のニュースによれば、今年の漢字に「金」が選ばれたことが京都の清水寺で発表されたそうだ。「金」が選ばれたのは2021年以来で今回で5回目パリ・オリンピックで日本選手が獲得した金メダル「佐渡金山」が世界文化遺産に登録されたこと、また日本の政治家による裏金作りなどが反映されているらしい。

 

因みに昨年2023年の漢字は「税」。それより以前は以下の表の通りである。

 

 

 

また、同じニュースの中で“word of the year for 2024”(今年の単語)が取り上げられていた。今年の単語は、“Polarization”(二極化)だったそうだ。「二極化」とは、物事や人が全く異なる意見を持つ2つの陣営に分かれる現象を意味する。世界におけるアメリカと中国の対立や、アメリカにおける民主党と共和党の対立などが反映されているらしい。

 

(拙・和文英訳)

According to the news last week, it was announced at Kiyomizu-dera Temple in Kyoto that “gold" (kin) was chosen as the kanji for 2024. This is the 5th time since 2021 that “gold" was chosen. It seems to reflect the gold medals won by Japanese athletes at the Paris Olympics, the registration of “Sado Gold Mine" as a World Cultural Heritage, and the backdoor money secretly created by Japanese politicians.

 

Incidentally, the kanji for last year, 2023, was "tax" (zei). Before that, it was as shown in the table below.

 

The same news also featured the “word of the year for 2024." The word of the year for 2024 was “polarization." “Polarization" indicates the phenomenon in which things or people are divided into two sides that have completely different opinions. It seems to reflect the conflict between the United States and China in the world, and the conflict between the Democratic Party and Republican Party in the United States.

 

先日のニュースで「柿すだれ」が取り上げられていた。「柿すだれ」とは、田舎の民家の軒先などに干し柿を作るために柿を簾のように吊るす風景をいう。以前は晩秋によく見られた光景だったが、これも温暖化の影響で2週間余り先送りされたようである。

 

干し柿に使われる渋柿は、もともと甘柿よりも糖度が高いのだが、干すことでシブオールと呼ばれる渋味のタンニンが水溶性から不溶性に変化(脱渋反応)し渋味が消える水分が抜けた干し柿の糖度は甘柿の4倍ほどだと言われている。

 

干し柿の表面の白い粉はブドウ糖、果糖、蔗糖などの糖分が結晶化したもので、中国では柿霜(しそう)と呼ばれ、生薬として用いられている。柿には高い薬効があることから、「柿が赤くなれば医者が青くなる」という諺まであるほどだ。

 

柿の歴史は古く、『古事記』『日本書紀』では「柿」が地名や人名として使われている。例えば、有名な万葉歌人の柿本人麻呂は家に柿の木があったことから「柿本」と名乗ったと言われている。

 

また、平安時代中期に編纂された『延喜式』では、熟した柿や干し柿が儀式や祭りの供物や天皇への菓子として使われていた。このことから、柿が古くから宮廷で栽培されていたことが窺われる。

 

(拙・和文英訳)

The other day, the news featured "Kakisudare" (persimmon blinds). “Kakisudare” means a scene of persimmons being hung like blinds on the eves of rural houses to make dried persimmons. Previously, this scene was often seen in late autumn, but due to the global warming, it seems to have been postponed by about two weeks recently.

 

Bitter (Astringent) persimmons are used for making dried persimmons, but they originally have a higher sugar content than sweet persimmons. When they are dried, the astringent tannin called shibuol changes from water-soluble to insoluble (a de-astringent reaction), making the astringent taste disappear. It is said that the sugar content of dried persimmons after the moisture has been removed is about four times that of sweet persimmons.

 

The white powder on the surface of dried persimmons is crystallized sugars such as glucose, fructose, and sucrose, and is called shiso (persimmon frost), and is considered a herbal medicine in China. A Chinese proverb says that as persimmons have high medicinal properties, “when persimmons turn red, doctors turn blue.”

 

Persimmons have a long history. In the Kojiki and Nihon Shoki, the word "kaki" (persimmon) is used as a place name and person’s name. For example, it is said that the Man'yoshu famous poet Kakinomoto no Hitomaro called himself "Kakinomoto" because he had a persimmon tree in his house.

 

Furthermore, the Engishiki, compiled in the middle Heian period, ripened persimmons and dried persimmons were used as offerings in ceremonies and festivals, and as sweets for the emperor. It is presumed that persimmons would have been cultivated at the imperial court since ancient times.

 

家内がクリスマス・デコレーションの準備を終えて、家の中に赤・緑・金色が多くなった。先週、弟夫婦との忘年会・カラオケを終え、カレンダーやダイアリーも揃えたし、そろそろ年賀状作りの時期である。面倒臭くも感じるが、気が付けば惰性で30年以上も続けている。

 

 

先日の英会話の授業で気にかかる表現が出てきた。「should+have+過去分詞」と言う形である。この形は「~すべきだった(のにしなかった)」、否定形の場合は「~すべきでなかった(のにしてしまった)」をバカの一つ覚えのように暗記していた。

 

A) How did your math test go yesterday?

B) It was a nightmare. I should have studied factorization harder.

A) 昨日の数学のテスト、どうだった?

B) 悪夢みたいだったよ。因数分解をもっとしっかり勉強してたら良かった。

 

C) I saw your girlfriend looking lonely in the classroom. Did something happen?

D) I scolded her because she broke a promise. But shouldn't I have done so?

C) 教室で君の彼女が寂しそうにしているのを見たよ。何かあったの?

D) 彼女が約束を破ったから叱ったんだ。でも、そうすべきじゃなかったのかな?

 

 

英会話のテキストにあったのは、「should+have+過去分詞」「過去の事柄に対する当然の推量」(「英文法解説」p.303参照)を表す場合である。

 

E) How is the car repair I ordered last week going?

F) We should have finished it by next Monday.

E) 先週頼んだ車の修理はどうなってる?

F) 来週の月曜日までには終わるはずです。(終わらない可能性もある

※未来のことにshouldを使うことに何となく違和感を感じる(?)

 

 

これが「will+have+過去分詞」になると少しニュアンスが異なるらしい。

G) How is the car repair I ordered last week going?

H) We will have finished it by next Monday.

G) 先週頼んだ車の修理はどうなってる?

H) 来週の月曜日までには終わる予定です。(終わらない可能性は少ない

 

「英文法解説」p.246にこんなことが書いてあった。未来完了のwill have ~edは重い感じのする形である。そのため口語では避けられる傾向があるらしい。例えば、

1) I will have finished the work before you return.

の代わりに以下の形を使う。

 

1)’ I’ll be through with the work before you return.

1)’’ I’ll have the work finished before you return.

 

I) How is the car repair I ordered last week going?

J) We’ll be through with it by next Monday.

K) We’ll have it finished by next Monday.

I) 先週頼んだ車の修理はどうなってる?

J) 来週の月曜日までに終わります。

K) 来週の月曜日までに終わります。

昨日のニュースによれば、アフリカのコンゴ民主共和国の南西部で、インフルエンザに似た症状の原因不明の病気が拡がっているらしい。患者は10月下旬から確認され、少なくとも79人が死亡したそうだ。呼吸器感染症の可能性が高いらしい。

 

 

先日、どこかの民放が「妖怪で町おこし」というテーマで兵庫県のある町を取り上げていた。その映像の中で懐かしい妖怪(?)を見た。「アマビエ」である。コロナ禍の最中、かなり注目されグッズなどにもなったあの「疫病退散の神」である。

 

彼は何処へ行ったのか?流行とは、ある意味恐ろしいものである。その当時(2020年7月)、アマビエなど「疫病退散の神々」について調べたことがある。以下に概略を記載する。

 

 

COVID-19の感染拡大を受けて、所謂「疫病退散の神々」が脚光を浴びている。昨今よく耳にするアマビエ(熊本)や、メジャーなところでは須佐之男命(すさのおのみこと/日本神話)、その他神社姫(長崎・佐賀)クタベ(富山)岐の神(くなどのかみ/徳島他)などがある。

 

海外に目を向けると鐘馗(しょうき/中国・道教)セクメト女神(エジプト/神話)などがあるが、鐘馗(大臣)日本でも疱瘡(ほうそう)除けや学業成就の神として端午の節句に人形を飾るなどの風習が残っており、能楽の演目や旧日本陸軍の弐式戦闘機の愛称にもなっている。

 

 

「アマビエ」を説明した英文を見つけたので、若干改訂したものを以下に掲載し和訳を試みる。

 

AMABIE is a reportedly auspicious yokai (legendary creature) that first appeared in the archives of the former Higo Province in 1846. The article described in the archives is as follows. A government official was investigating a mysterious green light in the water. When he arrived at the spot of the light, a glowing-green creature with fishy scales, long hair, three fin-like legs and a beak emerged from the sea. The mysterious mermaid-like (or merman-like) creature introduced itself as AMABIE, and made two predictions: a rich harvest would bless the province for the next six years, and a pandemic would devastate the whole country. Further, AMABIE instructed the government official, in order to stave off the spread of the pandemic, to make someone draw an image of AMABIE and to show the image to as many people as possible.

 

アマビエは、弘化3年(1846年)肥後国の古文書に初めて登場する縁起のよい妖怪と伝えられている。古文書には、以下のような記述がある。役人が水中の不思議な緑色の光を調査していた。光の場所に到着すると、緑色に光る、魚のような鱗と長い髪、鰭(ひれ)のような3本の足とくちばしを持つ生き物が海から現れた。人魚(または半魚人)のようなその不思議な生き物は、自分はアマビエであると名乗った。また、今後6年間は国内に豊作が続くことと、疫病が国中を襲うことの2つの予言をした。さらにアマビエは、疫病の蔓延を防ぐためには、誰かにアマビエの絵を描かせて、それをできるだけ多くの人に見せるようにと役人に指示した。

 

 

 

 

 

 

先日「白昼の死角」テレビドラマ版のDVDが届き一通り観終わった。ドラマは9話で編成されておりDVDは3枚組である。

 

 

TV版は第二次大戦の戦場のシーンから始まる。敗残兵の鶴岡七郎(渡瀬恒彦)は米軍の捕虜となり屈辱的な経験を経て命からがら復員し、隅田光一(山本圭)に出会う。

 

隅田は東大法学部開闢(かいびゃく)以来の秀才であり、鶴岡の他、木島良助(小倉一郎)、九鬼善治(岸部シロー)と組んで東大生による金融会社「太陽クラブ」を設立する。

 

映画版では、その冒頭で隅田光一(岸田森)が狂って焼身自殺を遂げるシーンから物語が始まるが、TV版は冷徹な隅田光一(山本圭)に関する映像を結構な時間含んでいる。

 

個々の詐欺事件に関しては、映画版、TV版ともに中身は同じような感じだが、どちらかと言えば映画版の方が完成度が高いようだ。これはやはりキャスティングの違いによるものと思われる。

 

 

ラストも映画版とTV版では異なる。映画版は、全ての罪を認めた鶴岡七郎(夏八木勲)が保釈中に替え玉による焼身自殺を捏造し自らの過去を消し去って船で海外へ逃亡するシーンで終わるが、TV版では、全ての罪を認め末期の肺結核に冒された鶴岡七郎(渡瀬恒彦)が病院のベッドの上で初めて真の涙を流すシーンで終わる。ちょっと寂しい終わり方だ。

 

全般的に、TV版の鶴岡七郎が映画版より人間的に優しいように思われた。これも渡瀬恒彦と夏八木勲のキャラクターの違いによるものかも知れない。

 

 

もっとも印象的なのはTV版のエンディングである。主題歌「欲望の街」東大・安田講堂の現在(1979年)の映像から始まる。そして予備校「代々木ゼミナール」の学生たちが煙草を吸いながらふざけ合っている様子へと移る。さらに大学野球や大学ラグビーに歓声を上げるスタディアムへと映像は移ってゆく。まさに平和と繁栄を謳歌している学生たちの姿である。

 

映像は突然白黒の写真へと入れ替わる。学徒動員で行進する学生たち、軍需工場で働く学生たち、また軍事教練の映像が映し出される。こちらは、戦時下の不自由な中、お国のために働いている学生たちの姿である。

 

映像は再び現代(1979年)へ。ジャンボジェット機(ボーイング747)の停まる空港の様子、6車線くらいの道路や首都高速を流れる車の様子が映し出される。それが再び、原爆投下の写真、空襲で焼け野原となった東京の写真へと移ってゆく。

 

そして聖徳太子がデザインされた旧・一万円札など紙幣の映像へと移り、最後は夕映えの中に黒く聳える西新宿の高層ビル群がエンディングである。当時の高層ビルは西新宿だけでまだ数えるほどしかないが、この映像が長く私の心に焼き付いている。

 

 

昨日の日経新聞の1面に、ソニーグループがKADOKAWAの買収に向けた協議に入ったという記事が出ていた。これを受けてKADOKAWAの株価は昨日ストップ高となったようである。

 

KADOKAWAと言えば、私が高校のころの角川文庫/角川映画を思い出す。角川書店が文芸路線から大衆路線に転換したのは1975年で、私が高校2年の時である。

 

当時の代表的な作家は横溝正史(1902-1981)森村誠一(1933-2023)高木彬光(1920-1995)などである。横溝正史の「犬神家の一族」森村誠一の「野生の証明」など映画化されて一世を風靡したものもあった。

 

 

そんな中、私が愛してやまないものが高木彬光の「白昼の死角」という作品である。原作が1960年で映画化が1979年、同年テレビドラマ化もされている。

 

舞台は、第二次大戦直後の東京。戦争帰りの東大法学部の学生らを中心とする学生金融会社「太陽クラブ」の残党である天才的詐欺師、鶴岡七郎が、当時整備されていなかった法律の盲点(死角)を突いて手形詐欺などを働き、企業から大金を巻き上げていく実に痛快なストーリーである。

 

キャッチフレーズは「狼は生きろ。豚は死ね!」。映画版の主役は夏八木勲(1939-2013)、テレビドラマ版の主役は渡瀬恒彦(1944-2017)。BGMはダウン・タウン・ブギウギ・バンド(宇崎竜童)の「欲望の街」

 

映画版のDVDは10年以上前に購入して何度も観ている。実に素晴らしい作品である。待ちに待ったテレビドラマ版DVDが昨今発売された。取るものも取りあえず注文し、今は到着を心待ちにしているところである。

 

 

 

11月も半ばを過ぎたが今一つ寒くならない。紅葉は最低気温が8℃を下回ると進み、約3週間で綺麗に色づくといわれているが、この調子だと見頃は早くても月末頃になるだろう。

 

 

大学時代の友人と小倉で会ったのが9月中旬、それと前後して2か月あまり彼とのメールのやり取りが続いている。最初は我々が高校・予備校時代の北九州の思い出話が中心だった。当時の出来事や街の風景を思い出しながら懐かしくメールを交わしていた。

 

 

それが、彼が高校のころからの自叙伝を書き始めてから話題が妙な方向に展開してきた。私自身本ブログで、中学3年のころから高校・予備校そして大学入学までの自叙伝を書いているが、それは受験勉強の思い出や親友たちとの交流の軌跡が中心だった。

 

だが、彼の自叙伝はそれとは大きく異なる。受験の話はそこそこに、彼と女性とのラブ・ストーリー(愛の遍歴)が中心となっている。長い間大学の教官をやっているだけあって、性愛だけでなく食事などの生活シーンの表現も実に巧みだ。また、まるで論文を書くように冷徹に論理を展開している。

 

 

どうも調子に乗ってきたらしく、自分の生涯を、実話とフィクションを交えながら描く一大官能小説を完成させる勢いである。読み手からすれば、複数の女性のファースト・ネームで頭が混乱する中、赴任地である京都⇒栃木(宇都宮⇔東京)⇒滋賀(大津⇔京都)と舞台は移るは、ついにアメリカへ飛ぶはで、とうとう若い白人女性まで登場してきた。

 

その性愛表現の描写は、まるで川上宗薫、宇野鴻一郎、富島武夫(と言って、さして読んだことはないのだが)のそれを彷彿とさせるほど精緻なものある。また、どこまでが実話でどこまでがフィクションなのかもわからなくなってきた

 

ただ、事ここに至っては、小説の結末まで知りたいのが人情である。彼はどのような形で、この小説を完結させるのか、また完結させたいのか。願わくは、いつの日かこの一大官能小説が(自費)出版されて、世間にその真価が問われることを期待するばかりである。

 

 

 

最近下駄箱の戸の閉まりが悪く、中を確認したら古い靴が山ほど詰まっていた。とは言っても大半は家内のもので私のものは数足なのだが。不要な靴を処分する中、東京で働いていた頃に買った黒革のショートブーツが出てきた。

 

今から40年ほど前、1984年頃に買ったものだ。靴の裏に“Pedala”という商標名が記載されていた。ネットで調べるとアシックス製のようである。当時の私の給与からすれば、かなり高かった記憶がある。

 

何故そんなに覚えているかというと、この靴、当時気になっていた女性との最初のデートに履いていったからである。あれからはや40年、今頃彼女は何処でどうしているのやら。

 

今回もこの靴を捨てることはできなかった。東京⇒福岡(博多)⇒北九州と40年間も私の人生に付き添ってきた一足の靴。それもまだまだ履けるものを、無下に「断捨離」というわけにもいかなかった。

 

 

「断捨離」とは、不要な物を「断ち」、「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、生活に調和をもたらそうとするヨーガの思想をいう。断捨離のそれぞれの文字には、断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)の意味がある。

 

・断行: 新たに入ってくる不要な物を

・捨行: 家にずっとある不要な物をてる

・離行: 物への執着心かられる

 

昨今のミニマリスト(モノを減らして必要最低限のもので暮らすライフスタイル)志向や、高齢化が進む中で遺品処分で家族に迷惑をかけたくないなどの考え方とも一致することから、幅広い世代でよく知られた言葉となっている。

 

では「断捨離」を英語ではどう表現するか?「モノを片づける」を意味する動詞を挙げてみる。Put ~ in order, clear away, clean up, tidy up, neaten, spruce up, declutter, ……。ネットで調べると「断捨離」にはdeclutterを使うことが多いようである。これを名詞形にしてdecluttering

 

∴断捨離=Decluttering

 

他にもminimalismdownsizingが使われる場合もあるようである。

 

I found a pair of black leather short boots while I was decluttering my shoe cupboard. I bought them when I was in my twenties and working in Tokyo. They brought back bittersweet memories from 40 years ago.

 

下駄箱を整理していたら、黒革のショートブーツが見つかった。20代の頃、東京で働いていた時に買ったものだ。40年前のほろ苦い思い出が甦ってきた。

 

昨今、テレビCMなどでちょっと不思議なメロディを耳にするようになった。大手の企業のCMのバックでこのメロディが流れている。その大手企業とは三井住友銀行アポロ石油である。

 

その曲とは「イエヴァン・ポルッカ」というものでフィンランド民謡である。この曲を以前ブログで取り上げたのが2013年の1月なのでもうひと昔も前のことである。何故、今更この曲がCMで取り上げられているのか。その理由はわからない。

 

「イエヴァン・ポルッカ」(“Ievan Polkka ”) | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

 

何となく気になって、この「イエヴァン・ポルッカ」について少し調べてみた。

 

元々の曲は1930年頃エイノ・ケットゥネン(Eino Kettunen)によって作詞されたもので、1995年にフィンランドのカルテット「ロイツマ(Loituma)」が歌ったものが世界的に知られている。このことから、この曲そのものを指して「ロイツマ」と呼ばれることもある。

 

英題は「Ieva's Polka」、日本語では「イエヴァのポルカ」「イエヴァ」とはこの歌に登場する少女の名前で、英語圏で言うところの「エヴァ(Eva)」にあたる。

 

2006年4~5月頃、この曲の一部に、アニメ「BLEACH」井上織姫ネギを振り回すアニメーションをつけたフラッシュ(通称「ロイツマ・ガール」)が登場し、そのシュールさと中毒性からネット上で世界的に流行したらしい。

 

本来の歌詞はフィンランド語サヴォ方言で歌われている。但しロイツマが歌っている歌詞は本来のものではなく、独自のアレンジがなされている。途中、ジャズのスキャットのような部分があり、その部分の歌い方は歌い手により異なる。

 

 

以下は、フィンランド民謡(日本語訳付き)初音ミク「イエヴァン・ポルッカ」である。

 

 

家内が中国語を教えていた生徒が帰省してきて我が家に挨拶に来たそうだ。彼女は「福耳」というお菓子をお土産に置いて行った。この「福耳」なかなか美味しい。貫(ぬき)という町にある和菓子屋「なか川」の名物である。わざわざ遠回りして買ってきてくれたらしい。

 

母が生前入居していたグループホームがにあった。1~2週間に1度は顔を見せに行っていた。「なか川」「福耳」を買って行ったり、家内が焼いたアップルケーキを持っていったり。母の日に薄手のカーディガンをプレゼントしたこともあった。そんな母が亡くなってから5年余りになる。

 

 

 

 

貫に以前はユニクロがあった。それが近くのショッピングセンターに移転して数年になる。ユニクロの跡地にはツルハという大手ドラッグストアが新装開店した。このツルハが周囲の商店に与えた影響は大きかった。

 

すぐ側のSという小規模なドラッグストアはあっという間に閉店した。Sの跡地には100均のセリアがオープンした。また、近くにあった老舗スーパーNも閉店に追い込まれた。この跡地が何になるかはまだ決まっていないようである。

 

 

 

 

このような町並みや店舗の変遷を見ていると、少し違うが経営学の「小売の輪の理論」(Wheel of Retailing Theory)を思い出す。これはマクネアによって提唱された小売業態の進展を説明する仮説をいう。 

 

1.新しい小売業態は、提供サービスを抑え、設備も簡素化するなど革新的なローコスト経営を通じ、既存小売業者よりさらに低価格を訴求する形で市場に登場する。この革新的な小売業者は、価格競争によって既存小売業者の顧客を奪って成長し、市場での地位を確立する。

 

1. New retail formats enter the market by offering lower prices than existing retailers through innovative low-cost management, such as limiting the services they provide and simplifying facilities. These innovative retailers grow by stealing customers from existing retailers through price competition, and establish their position in the market.

 

2.やがて、同様のシステムで同程度の低価格を実現した追随業者が続々と登場し、競争が激化していく。各々が低価格なので価格は競争の武器にならず、品揃えやサービス、設備の向上などを通じた競争が展開される。その結果、革新的な小売業者が登場した時の低コスト・低マージン経営は、高コスト・高マージン経営へと移行していく。これをトレーディング・アップ(格上げ)という。

 

2. Before long, other companies using similar systems to achieve such lower prices appear one after another, and competition intensifies. Since each company’s prices are low, price is not a competitive weapon, and competition unfolds through improvements in product lineup, service, and facilities. As a result, the low-cost, low-margin management that was in place when innovative retailers first appeared shifts to high-cost, high-margin management. This is called trading up.

 

3.徐々に価格が上昇していくところへ、次の新たな革新的小売業者が、低マージン、低価格の形態で市場に参入することで成功を勝ち取ることができる。

 

3. As prices slowly rise, the next innovative retailer can find success by entering the market with a lower-margin, lower-price model.