流離の翻訳者 青春のノスタルジア -8ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

今から20年ほど前になるが「昭和歌謡を彷彿とさせる」という曲が流行った。「青春アミーゴ」(修二と彰)という曲である。どういうわけかここ数日、この曲が繰り返し頭の中で流れている。

 

ドラマ「野ブタ。をプロデュース」の主題歌だが、ドラマの方は堀北真希が主演だったことくらいを覚えている程度であまり記憶に残っていない。

 

 

今から20年前の2005年、週末になると一人でよく飲みに行った。居酒屋→スナックと梯子してよく歌った。仕事の方もそれなりに楽しく、40代半ばで体力もあった。また、保有していた株が上がって結構金もあった時期だった。

 

 

もう20年も経つのかと思うと時の流れにぞっとする。「2005年に何があった?」とAIに尋ねると以下の答えが返ってきた。

 

1.愛知県で「愛・地球博」が開催されました。これは国際博覧会で、持続可能な未来をテーマにしたイベントでした。

2.JR福知山線脱線事故が発生しました。この事故では多くの犠牲者が出た大惨事となりました。

3.宇宙飛行士の野口聡一さんがスペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙へ飛び立ちました

4.小泉純一郎首相が行った郵政民営化とその後の総選挙がありました。この選挙では自民党が大勝を収めました。

5.ライブドアによるメディア買収騒動がありました。堀江貴文社長が中心となり、大きな注目を集めました。

 

「他には?」と尋ねた結果が以下である。

6.トヨタのハイブリッド車「プリウス」が大人気に:トヨタのプリウスが世界的な人気を集め、環境に配慮した車として注目されました。

7.村上ファンド事件村上世彰氏が率いる投資ファンドが、阪神電鉄の株式を大量取得し、企業統治のあり方について議論が巻き起こりました。

8.阪神タイガースがセントラル・リーグ優勝:プロ野球の阪神タイガースがセ・リーグで優勝し、ファンに大きな喜びをもたらしました。等々

 

最後に「その年流行った『青春アミーゴ』についてどう思う?」と尋ねてみた。

 

回答は以下の通りである。

 

「青春アミーゴ」は、2005年の音楽シーンで特に際立った存在でした。修二と彰(亀梨和也さんと山下智久さん)が歌うこの曲は、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」の主題歌としてリリースされ、多くのファンの心を掴みました。

 

この曲は昭和歌謡のメロディを彷彿とさせる独特の旋律が特徴で、歌詞も友情や青春をテーマにした感動的な内容です。リズム感のあるサウンドとキャッチーなメロディが相まって、多くの人々に愛され、長く記憶に残る曲となりました。

 

また、二人のパフォーマンスも非常に魅力的で、ダンスや歌唱の見事なコラボレーションが楽曲の人気をさらに高めました。「青春アミーゴ」は今でもカラオケで歌われる定番の一曲であり、多くの人々にとって青春時代の思い出を蘇らせる特別な曲です。

 

 

オリジナルと女性ボーカルのカバーを以下に掲載する。女性ボーカルの声が気に入っている。

 

 

 

久しぶりに雪が舞う中の通勤となった。こんな日が年に2~3回はある。雪は夜半も続くようだ。明日の朝が思いやられる。

 

 

菅原道真の七言律詩に雪の朝に通勤するサラリーマンの悲哀を感じさせるものがある。以下、原文および現代語訳を記載する。

 

「雪中早衙(そうが)」          菅原道真

風送宮鐘繞漏聞                        風は宮鐘を送りて暁漏聞こゆ

催行路上雪紛紛                        行を催す路上に雪紛紛たり

稱身着得裘三尺                        身に称(かな)ひて着ること得たり裘(かわごろも)三尺

宜口温来酒二分                        口に宜(かな)ひて温め来る酒二分

怪問寒童懐軟絮                        怪しびて問う寒童の軟絮(なんじょ)を懐くかと

驚看疲馬蹈浮雲                        驚きて看る疲馬の浮雲を蹈むかと

衙頭未有須臾息                        衙頭(がとう)未だ須臾(しばら)くも息うこと有らず

呵手千廻著案文                        呵手(かしゅ)して千廻(ちたび)案文を著す

 

(拙・現代語訳)

寒風の中に響いてくる宮中の鐘の音が出仕の時刻を告げ、出勤をせきたてる路上に粉雪が舞っている。

身の丈にぴったり合った三尺の皮衣を着て、口あたりの良い少量の酒で体を暖める。

寒い中でも元気な童子を見ると、軟らかい綿を懐に抱いているのではないかと怪しみ、雪路でもひたむきに働く馬を見ると、浮雲を踏んでいるのではないかと驚いてしまう。

そんな妄想も束の間、どうせ役所に着けば、一時の休憩を取ることも無く、悴(かじか)んだ手を何度も息で暖めつつ、公文書の原稿に取り掛からなければならないのだから。

 

 

これを、生成AIと共作で現代版に本歌取りしてみよう。結果は以下の通り。

 

「通勤哀愁」                           Copilot&流離の翻訳者(共作)

電車鳴音宣出勤                        電車の鳴音出勤を宣べ

平台舞雪身骨凍                        平台雪舞い身骨凍る

薄外套絹巾纏身                        薄き外套絹巾を身に纏い

熱缶珈琲口喉潤        熱き缶珈琲口喉を潤す

紅顔童子嫉妬生                        紅顔の童子は嫉妬を生み

血気青年溜息漏                        血気の青年に溜息を漏らす

到公司無休息時                        公司に到れば休息の時無く

悴手息温打鍵盤                        悴手を息で温め鍵盤を打つ

 

(現代語訳)

電車の鳴音が出勤の時刻を告げ、ホームに舞う雪が身骨を凍らせる。

薄いコートとマフラーを身に纏い、熱い缶コーヒーで口と喉を潤す。

元気な子供たちを見れば妬ましく感じ、血気盛んな青年を見れば溜息が出る。

会社に着けばひと時の休息も無く、悴(かじか)んだ手を息で温めつつキーボードを叩く。

 

とりあえず完成したが、まだまだ改善の余地がありそうだ。

 

1月4日~7日という日付を聞くと今も嫌な気持ちになる。正月明けの初出勤の日だったからだ。長い休暇明けは誰しも鬱陶しい気持ちになるものである。

 

翻訳会社に勤務した頃は年末・年始の時期は繁忙期でもあった。まだ仕事始め前の1月4日や5日に出勤してメールを確認したり、仕掛中の案件を進めることもあった。

 

出勤すると精神安定剤を飲んだかのように心が落ち着いた。社会復帰の準備ができたような気持ちになった。

 

 

私はさほど感じなかったが、家族・親族が集まるような長い休暇(年末・年始、GW、お盆)は、独り身の人にとってはかなり辛いものらしい。周囲の賑やかさに対して孤独感が募り不健全な方向に物事を考えてしまうそうだ。

 

以前も書いたが、「孤独」を表す英単語にはlonelinesssolitudeがある。実はこの2つの単語、正反対の意味を持つ。概要は以下の通りである。

 

1) Loneliness:孤独感、寂しさ

ネガティブな感情を含む。誰かと繋がりたいが繋がりがないと感じる状態。

He felt a deep sense of loneliness after moving to a new city.

新しい都市に引っ越した後、彼は深い孤独感を感じた。

 

2) Solitude:一人の時間、独りぼっち

ポジティブな面を含む。自分の意思で選んだ一人の時間や静寂、内省のための時間。

She enjoyed the solitude of the countryside, finding peace in the quiet surroundings.

彼女は田舎の静寂な環境で独りの時間を楽しみ、平和を見出した。

 

 

では、どうすればlonelinessをsolitudeに変えることができるのだろうか?生成AIに聞いてみた。整理した形で以下に記載する。

 

「視点の変化」

1.孤独の再定義

Lonelinessを感じるとき、まずその感情を再定義することから始めることが大切である。Loneliness「ひとりの時間」として捉え、自分自身と向き合う時間と考えることで、ネガティブな感情をポジティブな経験に変えることができる。

2.ポジティブな面に焦点を当てる

Lonelinessを自分のための時間として、その時間をどう活用するかに焦点を当てる。これにより、ひとりの時間が充実し、有意義なものとなる。

 

「アプローチの変化」

1.新しいスキルや趣味を見つける

興味のある分野の新しいスキルや趣味に挑戦することで、自分自身を成長させる時間に変えることができる。オンラインコースやワークショップに参加するのも良い方法である。

2.瞑想や内省の時間を取る

瞑想や日記をつけることで自己理解を深め、一人の時間をリフレッシュの機会として活用する。これにより心の静寂とバランスを取り戻すことができる。

3.自然と触れ合う

公園や自然の中で散歩をすることで、リフレッシュし、心を落ち着ける時間を過ごす。自然の中で過ごす時間は、精神的な健康にも良い影響を与える。

4.ルーチンを保つ

規則正しい生活リズムを保つことも重要である。日々のルーチンを維持し、規則的な生活を送ることで、安定感を持たせることができる。

 

「まとめ」

一人の時間をポジティブに捉え、自己成長やリラクゼーションの機会として活用することでLoneliness(孤独感)をSolitude(ひとりの時間)に変えることができる。これにより、心の充実感が増し、孤独感が和らぐものと思われる。

 

 

うちの家内のように上記活動が自然に行えている人もいる。そんな人が羨ましい。とは言うもののAIが良き話し相手となった年末・年始だった。

 

昨晩、高校時代の友人と電話で話した。書初めに「50年先の夕日を思いながら」と書いたが、彼らとの親交が始まったのが50年前の1975年である。よく続いたものだと思うが、「光陰矢の如し」とあらためて感じさせられた。

 

 

(本歌)

「滕王閣」                            王勃

滕王高閣臨江渚                      滕王の高閣 江渚に臨み

佩玉鳴鸞罷歌舞                      佩玉鳴鸞歌舞罷みぬ

畫棟朝飛南浦雲                      画棟朝に飛ぶ 南浦の雲

珠簾暮捲西山雨                      珠簾暮に捲く 西山の雨

閑雲潭影日悠悠                      閑雲潭影日に悠悠

物換星移幾度秋                      物換かわり星移りて 幾秋をか度る

閣中帝子今何在                      閣中の帝子 今何くにか在る

檻外長江空自流                      檻外の長江 空しく自ずから流る

 

(拙・現代語訳)

滕王の楼閣は渚の辺に建てられ、そこで佩玉(腰に下げる玉)や鸞(車につける鈴)を鳴らして貴族たちが歌い踊ったのも今は昔のこととなった。

毎朝美しく色づけられた柱の間から南浦の雲が浮かぶのが見え、夕方には朱色の簾を巻き上げて西山に降る雨を眺めることができた。

静かに流れる雲や、悠久の水を湛えた深い淵に映える光は日々ゆっくりと流れてゆき、万物は移ろい幾多の星霜を経て何度の秋が過ぎていったことだろうか。

この楼閣にいた滕王は今は何処へ逝ってしまったのか?ただ手摺りの向こうに見える長江だけが空しく流れ続けるばかりである。

 

 

悠久の時の流れを感じさせる上記、王勃「滕王閣」は、私の大好きな漢詩である。昨日から生成AI(Copilot)と共同でこの本歌取りに挑戦していた。テーマは「失われた30年」というものである。

 

この30年に起こった様々なできごと、阪神大震災(1995年)東日本大震災(2011年)スカイツリー竣工(2012年)アベノミクス(2012~2020年)新型コロナウィルス禍(2020~2023年)を盛り込んでみた。以下が本歌取りの結果である。

 

 

「滄桑三十年」                      Copilot&流離の翻訳者(共作)

天空高塔俯都城                      天空高塔 都城を俯し

光輝夜景尽歌声                      光輝夜景 歌声尽く

震災猛風阪神悲                      震災猛風 阪神の悲しみ

津波核禍東方驚                      津波核禍 東方の驚き

政策如影安倍憶                      政策影の如く 安倍を憶い

病毒肆虐誰能生                      病毒肆虐 誰か能く生きん

物換星移三十秋                      物換わり星移りて 三十秋

江河流水自無情                      江河の流水 自ら無情なり

 

(現代語訳)

「滄桑三十年」

スカイツリーから東京の街を見下ろせば、光り輝く夜景に歌声が響き渡る。

震災は猛烈な風のように襲い阪神に悲しみをもたらし、津波と原発禍が東日本を震撼させた。

政策は影のようにアベノミクスを想起させ、コロナウィルスが蔓延する巷で誰もが恐れ慄いた。

時が経ち、三十回の秋が過ぎ去ったが、川の流れは変わることなく無情に続いていく。

 

 

なお、タイトルの「滄桑三十年」「滄桑」は中国の古典詩に由来する言葉で「海が桑畑に変わる」という意味である。つまり、非常に長い年月が経過し、世の中が大きく変わることを示している。

 

「ALWAYS三丁目の夕日」の三部作でよく泣いた年末が過ぎ、穏やかな新年を迎えました。拙ブログの読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

 

 

第一作のラストで、故郷の青森に帰省する六子が乗る列車を、鈴木オート一家が三輪トラックで土手を併走して見送るシーンがあります。列車が走り去った後、則文、トモエの夫婦と一平の三人は車を降り土手から夕日を見上げます。

 

トモエの「きれいね」という言葉に、一平が「10年先も20年先も50年先も夕日はいつだってきれいだよ」と答えて映画は終わります。この言葉がとても印象に残りました。

 

 

この映画の影響か、「人生とは何なのか」とか「幸せとは何なのか」とか自らに問い直した年末・年始となりました。

 

結局、今思うのは、残り少ない人生、少しでも自分が家族や友人たち、また社会のために役に立てるように、健康に留意しつつしっかり生きて行かなければならない、と感じたことでした。

 

 

 

今年の書初めは、今から50年先の夕日を思いながら、2012年に取り上げた漢詩を選びました。当時の孤独感をよく表しているように感じられます。

 

 

「登幽州台歌」                陳子昂(ちんすごう)

 

前不見古人                       前に古人を見ず

後不見来人                       後に来者を見ず

念天地之悠悠                    天地の悠悠たるを念(おも)い

独愴然而悌下                    独り愴然として悌(なみだ)下る

 

(拙・現代語訳)

私より以前に生きた人に会うことはできず、私の後に生まれてくる人に会うこともできない。幽州台に登れば、唯一天地だけがどこまでも果てしないことを感じ、結局自分が独りであることに心が痛み、涙が溢れてくるのである。

 

(拙・和文英訳)

“Poem on Climbing Youzhou Heights”

 

Neither can we see those who lived in the past,

Nor can we meet those who will live in the future.

View from the heights makes me feel the vast eternity of heaven and earth,

Which fills my heart with deep sorrow, reducing me to a flood of tears.

 

 

本年が皆様にとって幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

 

2025年1月2日

 

流離の翻訳者

 

大晦日の今日は昨日に比べて少し暖かく穏やかな年の瀬となった。午前中に買い出しを終えて昼食は簡単なもので済ませた。今、家内が台所でお節料理を作っている。

 

 

書斎で今年最後の新聞を読みながら、今年最後のブログに何を書こうか考えていた。先日、大学時代の友人から白居易「香鑪峯下新卜山居草堂初成偶題東壁」「本歌取り」した漢詩が送られてきた。そこで「これだっ!」と思いついた。

 

生成AI「本歌取り」させたらどうなるだろうか?題材でふと思いついたのが柳宗元「江雪」である。この格調高い詩を生成AIにより現代風にアレンジさせてみよう。

 

(本歌)

「江雪」                                  柳宗元

千山鳥飛絶                              千山 鳥飛ぶこと絶え

万逕人蹤滅                              万逕(ばんけい) 人蹤(じんしょう)滅(めっ)す

孤舟蓑笠翁                              孤舟(こしゅう) 蓑笠(さりゅう)の翁

独釣寒江雪                              独り 寒江の雪に釣る

 

 

(拙・現代語訳)

全ての山々から鳥の飛ぶ姿は消え失せ、あらゆる道から人の足跡も無くなった。雪の降る中、一隻の小舟に蓑笠を着けた老翁が、ただ独り寒々とした川に釣り糸を垂れている。

 

 

生成AICopilot「上記の漢詩を本歌取りして現代風にアレンジしなさい。但し、出来上がりは七言絶句とし漢字で韻を踏むこと」と命令してみた。以下が少し手直しを入れた結果である。

 

(本歌取りの結果)

「デジタル時代の孤独」       Copilot&流離の翻訳者(共作)

千山鳥語声已絶              千山の鳥声語 已(すで)に絶え

城市噪音漸消退                      城市の騒音 漸(ようや)く消退す

繁街足音全消失                      繁街の足音 全て消失し

独翁静夜釣数据                      独翁静夜に 数据(データ)を釣る

 

(現代語訳)

山々からは鳥の鳴く声が途絶え、都市の騒音も消え去った。また繁華街から人の足音も消え失せた。孤独な老翁が静寂の川辺に佇み、スマホ片手にデジタルの雪を眺めている。独り静寂の中でデータの海に釣り糸を垂れながら。

 

今年も残すところ3日、随分と押し迫ってきた。家内がクリスマスの飾りを片付けて正月飾りに入れ替えた。我が家も新年を迎える準備が整いつつある。

 

 

BSで「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズが連日放送されている。観るのは今回で3度目くらいだが、心温まる物語にいつも涙が溢れる。またキャスティングが実に素晴らしい。

 

第一作は、東京タワーが建設中の1958年(昭和33年)の東京の下町が舞台である。私が生まれた年で、家庭にテレビが来たり力道山が活躍したりと日本が活気に溢れていた時代だ。この映画が公開されたのが2005年11月。当時、会社で法務や人材開発を担当していた。結構仕事が面白かった時期だった。

 

第二作「ALWAYS続・三丁目の夕日」の舞台は、前作の終了から4か月後の1959年(昭和34年)の春。こちらも素晴らしい作品で、第一作よりも泣けるシーンが多い。この公開が2007年11月。一念発起して会社を辞め、翻訳者を目指していた頃だ。

 

 

これらの映画を観ていつも思い出すのが、自分が実際に暮らした1980年代の東京である。当時はまだ人情が溢れる「古き良き東京」があちこちに残っていた。まだバブル・エコノミーの前だ。

 

よく遊んだのは吉祥寺・三鷹・武蔵境など中央線沿線である。武蔵野市の会社の独身寮に住んでいた頃で、週末には吉祥寺のデパートで買い物をしたり、三鷹や武蔵境で飲んだり遊んだり。当時吉祥寺には「キンテツウラ」と呼ばれる歓楽街もあった。今思えば何もかもが夢のようである。

 

時々、千葉・柏に住んでいた叔父が上野や浅草など「古い東京」を案内してくれた。連れていかれた浅草の「神谷バー」でちょっと甘い「電気ブラン」で悪酔いしたこともあった。

 

ある年の年末年始、休日の関係で帰省せず東京で年を越したことがあった。年の瀬に行った吉祥寺の市場の賑わいに対して、寮にぽつんと一人居残る強烈な孤独感を味わったこともあった。

 

 

家内とともに今年も暖かい年末年始が迎えられそうだが、二度と帰り来ない1980年代の古き良き東京を懐かしく思い起こした年の瀬となった。

 

 

 

 

冬休みに入って日中に子どもたちを見かけることが多くなった。どの子も何処か楽しそうに見える。これもクリスマスや年末・年始の風物詩である。

 

以前は100枚近く書いていた年賀状も今は40枚ほどになった。中学からの友人が1人、高校からの友人が2人、大学からの友人が9人、東京勤務時代の友人・知人が11人、福岡勤務時代の友人・知人が5人、北九州勤務時代の友人・知人などが5人、その他親戚などである。

 

友人・知人の中には「年賀状じまい」をする人も多く、年賀状の数は年々減少している。確かに面倒臭くも感じるのだが、とりあえず、元気で字が書けるうちは続けていこうと考えている。

 

 

以下は、有名な松尾芭蕉の『奥の細道』の序文である。クリスマスの夜、過去の年賀状を紐解きながら、何故かそんな文面がふと頭をよぎった。

 

(原文)

月日は百代(はくだい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

 

予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋、江上の破屋(はおく)に蜘蛛の巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて、取るものも手につかず。

 

もゝ引の破れをつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸(きゅう)すゆるより、松島の月先づ心にかかりて、住める方は人にゆづり、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、

 

「草の戸も住みかはる代ぞひなの家」

 

面八句(おもてはっく)を庵の柱にかけおく。

 

(拙・現代語訳)

時の流れは永遠の旅人であり、過ぎ去る年もまた旅人である。船の上で一生を送り、馬の口を引いて老いを迎える人々は、毎日を旅として暮らし、旅を住まいとしている。昔の人々も多くが旅の途中で亡くなっている。

 

私もいつの年からか、風に誘われる浮雲のように旅への思いが止まず、海辺をさまよっていた。去年の秋には、川辺の壊れた家で蜘蛛の巣を払いながら年を越した。そして春になると、霞が立つ空の下で白河の関を越えようと思い立ち、心が落ち着かなくなった。道祖神に招かれて、何も手につかない状態になった。

 

股引の破れを繕い、笠の紐を付け替えた。そして、三里の灸を据える代わりにまず心に浮かんだのは松島の月である。住んでいた家は人に譲り、杉風の別荘に移る際に、

 

「草の戸も住む人が変わればひな祭りの家となる」

 

という句を庵の柱に掛けておいた。

 

(拙・和文英訳)

Time is like an eternal traveler, and the passing years are also travelers. Those who spend their lives on a boat or guide a horse into old age live each day as a journey and make the journey their home. Many ancient people have also died while traveling.

 

I too, from some year onward, have been like a drifting cloud, always longing to travel, and have wandered along the seashore. Last autumn, I swept away spider webs in a broken house by the river and saw the year come to an end. As spring arrived with its misty skies, I felt the urge to cross the Shirakawa barrier, and my heart grew restless. Invited by the gods of the road, I couldn’t focus on anything.

 

I mended the tear in my trousers and replaced the strap of my hat. Rather than thinking of the usual remedy of three-league moxa, my thoughts turned to the moon over Matsushima. I gave my house to someone else and moved to Sanpu's cottage.

 

"Even a humble grass hut becomes a doll's house when new people live in it."

 

With these thoughts, I placed the front eight verses on the pillar of the hermitage.

 

 

今年も、年賀状作りがどうにか終わった。毎年のことだがもう30年くらい惰性で続いている。とは言え、一人一人に対する言葉を考えながら今年一年を振り返る良い機会になっている。

 

 

今年は、GoogleDEEP LなどのAI翻訳ソフトを業務で普通に用いるようになった年でもあった。

 

今から10年以上前の翻訳ソフトの翻訳結果はひどいものだったちんぷんかんぷん、でたらめな英語で使いものにならなかった。相当な校正が必要であり、人手で一から翻訳し直した方が早いということも多々あった。

 

 

それがここ数年で飛躍的に改善された。AIによるものである。また、コストは基本的に掛からない。翻訳者になりたての頃、10万近くかけて購入したLegal Transerというソフトがあったが、大して使いものにはならなかった。それからすれば夢みたいな話である。

 

これらのAI翻訳ソフトによる翻訳結果は70~80%程度はでき上がっている日本語の独特な言い回しや、代名詞の使い方などに注意をしてチェック(校正)すれば、ほぼ使える英文になる翻訳に掛かる時間は10分の1以下に短縮された

 

 

さらに、最近「生成AI」を使い始めた。MicrosoftのCopilotというものである。Copilotとは「副操縦士」という意味だが、このソフト恐ろしいパワーを持っている。

 

翻訳について言えば、より具体的な要求をすることができる。例えば「子供でもわかるような簡単な英語に翻訳しろ!」とか、「社長のスピーチのような洗練された英語に翻訳しろ!」などなど。Copilotはこれらを一瞬にして片づけてしまう。恐ろしいパワーだ。

 

また翻訳だけではない。Copilotは、語学はもちろんのこと、数学、物理、化学、文学、歴史などどんな質問にも答えられる。例えば、身近な英語について、こんな質問をしてみた。

 

(質問)「must(義務)やmust not(禁止)の過去形は何故無いのか?そうであれば、どう表現すれば良いか?」

 

(Copilotによる解答)

“must"(義務)や“must not"(禁止)の過去形がない理由は、これらが法助動詞(modal verbs)であり、時制を直接持たないためです。法助動詞は現在や未来の状況を表現するのに特化しており、過去の義務や禁止を表すためには他の表現を使用します。

 

過去の義務を表現する場合:

had to を使います。これは“must" の過去形として機能します。

例: I had to finish my homework.(宿題を終えなければならなかった)

 

過去の禁止を表現する場合:

was not allowed toまたはwere not allowed toを使います。これは“must not"の過去形として機能します。

例: They were not allowed to enter the room.(彼らは部屋に入ることが許されなかった)

 

このように、“must"や“must not"の過去の状況を表現するためには、適切な動詞フレーズを使用することが必要です。

 

いよいよ恐ろしい時代になった。CopilotがPilotになる日も近いだろう。英語を勉強する意味を何処に求めたら良いのか?

 

 

今年は年末にかけて「忠臣蔵(赤穂事件)」をテーマとした昔の映画やTVドラマ、特番が多いようである。赤穂浪士による「討ち入り」が行われたのは、元禄15年12月14日西暦では1703年1月30日にあたる。討入りの日にも雪が降ったことだろう。

 

そんな忠臣蔵に彩られた年末を過ごす中、今年もまた一つ歳を重ねてしまった。

 

 

ところで「天使の梯子」という言葉を聞いたことがあるだろうか?最近、仕事から車で帰る途中、規模は小さいものの、この「天使の梯子」をしばしば見かけるようになった。

 

「天使の梯子」とは、曇った冬の夕方などによくできる雲の穴をいう。その穴から薄明るい夕方の日差しが降り注ぐのが、まるで天使が地上に降りてくるように見えるからそう呼ばれるらしい。

 

明らかにキリスト教圏で生まれた言葉で、とてもロマンチックな表現ではあるが、残念ながら俳句の季語にはなっていない。何故ならどの季節でも見ることができるからである。

 

 

数年ほど前に、翻訳の先輩から「連句」をやらないかと誘われ、家内とともに歳時記などを買って俳句を勉強した時期があった。「連句」とは、五・七・五⇒七・七⇒五・七・五⇒七・七・・・と順番に句を繋げてゆくものでなかなか風流な遊びである。

 

結局、1年半余り続いたが、途中で立ち消えになってしまった。「天使の梯子」を見ていて、そんな俳句を捻っていた頃を思い出した。

 

(拙・和文英訳)

It seems that this year, as we approach the end of the year, there are many old movies, TV dramas, and special programs focused on “Chushingura (Ako Incident)." The “raid" by the Ako warriors took place on December 14, 15th year of the Genroku Era. In the Gregorian calendar, this corresponds to January 30, 1703. Snow must have fallen on the day of the raid.

 

As I spend the end of the year colored by Chushingura, I have turned another year older this year.

 

 

By the way, have you ever heard of the term “Angel's Ladder"? Recently, on my way home from work, I have often seen this “Angel's Ladder", although it is small in scale.

 

“Angel's Ladder" refers to a hole in the clouds that often appears on cloudy winter evenings. It is called as such because the pale evening sunlight showering down to the ground from the hole looks like as if angels were coming down to the earth. It is clearly a word that is originated in Christian countries and is a very romantic expression, but regrettably it has not become a seasonal word in haiku, which is because we can see the “Angel’s Ladder” in every season.

 

 

A few years ago, a senior translator asked me to join a “Renku” (linked verse) circle, so my wife and I bought saijiki (almanacs) and other books and studied haiku.

 

Renku (linked verse) is a very elegant pastime in which we string together verses in the following order: 5-7-5 ⇒ 7-7 ⇒ 5-7-5 ⇒ 7-7...

 

It lasted for over one and half years, but then we gave up on the halfway. “Angel's Ladder" reminded me of the time when we were making efforts to work out a haiku.