流離の翻訳者 青春のノスタルジア -8ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

大晦日の今日は昨日に比べて少し暖かく穏やかな年の瀬となった。午前中に買い出しを終えて昼食は簡単なもので済ませた。今、家内が台所でお節料理を作っている。

 

 

書斎で今年最後の新聞を読みながら、今年最後のブログに何を書こうか考えていた。先日、大学時代の友人から白居易「香鑪峯下新卜山居草堂初成偶題東壁」「本歌取り」した漢詩が送られてきた。そこで「これだっ!」と思いついた。

 

生成AI「本歌取り」させたらどうなるだろうか?題材でふと思いついたのが柳宗元「江雪」である。この格調高い詩を生成AIにより現代風にアレンジさせてみよう。

 

(本歌)

「江雪」                                  柳宗元

千山鳥飛絶                              千山 鳥飛ぶこと絶え

万逕人蹤滅                              万逕(ばんけい) 人蹤(じんしょう)滅(めっ)す

孤舟蓑笠翁                              孤舟(こしゅう) 蓑笠(さりゅう)の翁

独釣寒江雪                              独り 寒江の雪に釣る

 

 

(拙・現代語訳)

全ての山々から鳥の飛ぶ姿は消え失せ、あらゆる道から人の足跡も無くなった。雪の降る中、一隻の小舟に蓑笠を着けた老翁が、ただ独り寒々とした川に釣り糸を垂れている。

 

 

生成AICopilot「上記の漢詩を本歌取りして現代風にアレンジしなさい。但し、出来上がりは七言絶句とし漢字で韻を踏むこと」と命令してみた。以下が少し手直しを入れた結果である。

 

(本歌取りの結果)

「デジタル時代の孤独」       Copilot&流離の翻訳者(共作)

千山鳥語声已絶              千山の鳥声語 已(すで)に絶え

城市噪音漸消退                      城市の騒音 漸(ようや)く消退す

繁街足音全消失                      繁街の足音 全て消失し

独翁静夜釣数据                      独翁静夜に 数据(データ)を釣る

 

(現代語訳)

山々からは鳥の鳴く声が途絶え、都市の騒音も消え去った。また繁華街から人の足音も消え失せた。孤独な老翁が静寂の川辺に佇み、スマホ片手にデジタルの雪を眺めている。独り静寂の中でデータの海に釣り糸を垂れながら。

 

今年も残すところ3日、随分と押し迫ってきた。家内がクリスマスの飾りを片付けて正月飾りに入れ替えた。我が家も新年を迎える準備が整いつつある。

 

 

BSで「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズが連日放送されている。観るのは今回で3度目くらいだが、心温まる物語にいつも涙が溢れる。またキャスティングが実に素晴らしい。

 

第一作は、東京タワーが建設中の1958年(昭和33年)の東京の下町が舞台である。私が生まれた年で、家庭にテレビが来たり力道山が活躍したりと日本が活気に溢れていた時代だ。この映画が公開されたのが2005年11月。当時、会社で法務や人材開発を担当していた。結構仕事が面白かった時期だった。

 

第二作「ALWAYS続・三丁目の夕日」の舞台は、前作の終了から4か月後の1959年(昭和34年)の春。こちらも素晴らしい作品で、第一作よりも泣けるシーンが多い。この公開が2007年11月。一念発起して会社を辞め、翻訳者を目指していた頃だ。

 

 

これらの映画を観ていつも思い出すのが、自分が実際に暮らした1980年代の東京である。当時はまだ人情が溢れる「古き良き東京」があちこちに残っていた。まだバブル・エコノミーの前だ。

 

よく遊んだのは吉祥寺・三鷹・武蔵境など中央線沿線である。武蔵野市の会社の独身寮に住んでいた頃で、週末には吉祥寺のデパートで買い物をしたり、三鷹や武蔵境で飲んだり遊んだり。当時吉祥寺には「キンテツウラ」と呼ばれる歓楽街もあった。今思えば何もかもが夢のようである。

 

時々、千葉・柏に住んでいた叔父が上野や浅草など「古い東京」を案内してくれた。連れていかれた浅草の「神谷バー」でちょっと甘い「電気ブラン」で悪酔いしたこともあった。

 

ある年の年末年始、休日の関係で帰省せず東京で年を越したことがあった。年の瀬に行った吉祥寺の市場の賑わいに対して、寮にぽつんと一人居残る強烈な孤独感を味わったこともあった。

 

 

家内とともに今年も暖かい年末年始が迎えられそうだが、二度と帰り来ない1980年代の古き良き東京を懐かしく思い起こした年の瀬となった。

 

 

 

 

冬休みに入って日中に子どもたちを見かけることが多くなった。どの子も何処か楽しそうに見える。これもクリスマスや年末・年始の風物詩である。

 

以前は100枚近く書いていた年賀状も今は40枚ほどになった。中学からの友人が1人、高校からの友人が2人、大学からの友人が9人、東京勤務時代の友人・知人が11人、福岡勤務時代の友人・知人が5人、北九州勤務時代の友人・知人などが5人、その他親戚などである。

 

友人・知人の中には「年賀状じまい」をする人も多く、年賀状の数は年々減少している。確かに面倒臭くも感じるのだが、とりあえず、元気で字が書けるうちは続けていこうと考えている。

 

 

以下は、有名な松尾芭蕉の『奥の細道』の序文である。クリスマスの夜、過去の年賀状を紐解きながら、何故かそんな文面がふと頭をよぎった。

 

(原文)

月日は百代(はくだい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

 

予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋、江上の破屋(はおく)に蜘蛛の巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて、取るものも手につかず。

 

もゝ引の破れをつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸(きゅう)すゆるより、松島の月先づ心にかかりて、住める方は人にゆづり、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、

 

「草の戸も住みかはる代ぞひなの家」

 

面八句(おもてはっく)を庵の柱にかけおく。

 

(拙・現代語訳)

時の流れは永遠の旅人であり、過ぎ去る年もまた旅人である。船の上で一生を送り、馬の口を引いて老いを迎える人々は、毎日を旅として暮らし、旅を住まいとしている。昔の人々も多くが旅の途中で亡くなっている。

 

私もいつの年からか、風に誘われる浮雲のように旅への思いが止まず、海辺をさまよっていた。去年の秋には、川辺の壊れた家で蜘蛛の巣を払いながら年を越した。そして春になると、霞が立つ空の下で白河の関を越えようと思い立ち、心が落ち着かなくなった。道祖神に招かれて、何も手につかない状態になった。

 

股引の破れを繕い、笠の紐を付け替えた。そして、三里の灸を据える代わりにまず心に浮かんだのは松島の月である。住んでいた家は人に譲り、杉風の別荘に移る際に、

 

「草の戸も住む人が変わればひな祭りの家となる」

 

という句を庵の柱に掛けておいた。

 

(拙・和文英訳)

Time is like an eternal traveler, and the passing years are also travelers. Those who spend their lives on a boat or guide a horse into old age live each day as a journey and make the journey their home. Many ancient people have also died while traveling.

 

I too, from some year onward, have been like a drifting cloud, always longing to travel, and have wandered along the seashore. Last autumn, I swept away spider webs in a broken house by the river and saw the year come to an end. As spring arrived with its misty skies, I felt the urge to cross the Shirakawa barrier, and my heart grew restless. Invited by the gods of the road, I couldn’t focus on anything.

 

I mended the tear in my trousers and replaced the strap of my hat. Rather than thinking of the usual remedy of three-league moxa, my thoughts turned to the moon over Matsushima. I gave my house to someone else and moved to Sanpu's cottage.

 

"Even a humble grass hut becomes a doll's house when new people live in it."

 

With these thoughts, I placed the front eight verses on the pillar of the hermitage.

 

 

今年も、年賀状作りがどうにか終わった。毎年のことだがもう30年くらい惰性で続いている。とは言え、一人一人に対する言葉を考えながら今年一年を振り返る良い機会になっている。

 

 

今年は、GoogleDEEP LなどのAI翻訳ソフトを業務で普通に用いるようになった年でもあった。

 

今から10年以上前の翻訳ソフトの翻訳結果はひどいものだったちんぷんかんぷん、でたらめな英語で使いものにならなかった。相当な校正が必要であり、人手で一から翻訳し直した方が早いということも多々あった。

 

 

それがここ数年で飛躍的に改善された。AIによるものである。また、コストは基本的に掛からない。翻訳者になりたての頃、10万近くかけて購入したLegal Transerというソフトがあったが、大して使いものにはならなかった。それからすれば夢みたいな話である。

 

これらのAI翻訳ソフトによる翻訳結果は70~80%程度はでき上がっている日本語の独特な言い回しや、代名詞の使い方などに注意をしてチェック(校正)すれば、ほぼ使える英文になる翻訳に掛かる時間は10分の1以下に短縮された

 

 

さらに、最近「生成AI」を使い始めた。MicrosoftのCopilotというものである。Copilotとは「副操縦士」という意味だが、このソフト恐ろしいパワーを持っている。

 

翻訳について言えば、より具体的な要求をすることができる。例えば「子供でもわかるような簡単な英語に翻訳しろ!」とか、「社長のスピーチのような洗練された英語に翻訳しろ!」などなど。Copilotはこれらを一瞬にして片づけてしまう。恐ろしいパワーだ。

 

また翻訳だけではない。Copilotは、語学はもちろんのこと、数学、物理、化学、文学、歴史などどんな質問にも答えられる。例えば、身近な英語について、こんな質問をしてみた。

 

(質問)「must(義務)やmust not(禁止)の過去形は何故無いのか?そうであれば、どう表現すれば良いか?」

 

(Copilotによる解答)

“must"(義務)や“must not"(禁止)の過去形がない理由は、これらが法助動詞(modal verbs)であり、時制を直接持たないためです。法助動詞は現在や未来の状況を表現するのに特化しており、過去の義務や禁止を表すためには他の表現を使用します。

 

過去の義務を表現する場合:

had to を使います。これは“must" の過去形として機能します。

例: I had to finish my homework.(宿題を終えなければならなかった)

 

過去の禁止を表現する場合:

was not allowed toまたはwere not allowed toを使います。これは“must not"の過去形として機能します。

例: They were not allowed to enter the room.(彼らは部屋に入ることが許されなかった)

 

このように、“must"や“must not"の過去の状況を表現するためには、適切な動詞フレーズを使用することが必要です。

 

いよいよ恐ろしい時代になった。CopilotがPilotになる日も近いだろう。英語を勉強する意味を何処に求めたら良いのか?

 

 

今年は年末にかけて「忠臣蔵(赤穂事件)」をテーマとした昔の映画やTVドラマ、特番が多いようである。赤穂浪士による「討ち入り」が行われたのは、元禄15年12月14日西暦では1703年1月30日にあたる。討入りの日にも雪が降ったことだろう。

 

そんな忠臣蔵に彩られた年末を過ごす中、今年もまた一つ歳を重ねてしまった。

 

 

ところで「天使の梯子」という言葉を聞いたことがあるだろうか?最近、仕事から車で帰る途中、規模は小さいものの、この「天使の梯子」をしばしば見かけるようになった。

 

「天使の梯子」とは、曇った冬の夕方などによくできる雲の穴をいう。その穴から薄明るい夕方の日差しが降り注ぐのが、まるで天使が地上に降りてくるように見えるからそう呼ばれるらしい。

 

明らかにキリスト教圏で生まれた言葉で、とてもロマンチックな表現ではあるが、残念ながら俳句の季語にはなっていない。何故ならどの季節でも見ることができるからである。

 

 

数年ほど前に、翻訳の先輩から「連句」をやらないかと誘われ、家内とともに歳時記などを買って俳句を勉強した時期があった。「連句」とは、五・七・五⇒七・七⇒五・七・五⇒七・七・・・と順番に句を繋げてゆくものでなかなか風流な遊びである。

 

結局、1年半余り続いたが、途中で立ち消えになってしまった。「天使の梯子」を見ていて、そんな俳句を捻っていた頃を思い出した。

 

(拙・和文英訳)

It seems that this year, as we approach the end of the year, there are many old movies, TV dramas, and special programs focused on “Chushingura (Ako Incident)." The “raid" by the Ako warriors took place on December 14, 15th year of the Genroku Era. In the Gregorian calendar, this corresponds to January 30, 1703. Snow must have fallen on the day of the raid.

 

As I spend the end of the year colored by Chushingura, I have turned another year older this year.

 

 

By the way, have you ever heard of the term “Angel's Ladder"? Recently, on my way home from work, I have often seen this “Angel's Ladder", although it is small in scale.

 

“Angel's Ladder" refers to a hole in the clouds that often appears on cloudy winter evenings. It is called as such because the pale evening sunlight showering down to the ground from the hole looks like as if angels were coming down to the earth. It is clearly a word that is originated in Christian countries and is a very romantic expression, but regrettably it has not become a seasonal word in haiku, which is because we can see the “Angel’s Ladder” in every season.

 

 

A few years ago, a senior translator asked me to join a “Renku” (linked verse) circle, so my wife and I bought saijiki (almanacs) and other books and studied haiku.

 

Renku (linked verse) is a very elegant pastime in which we string together verses in the following order: 5-7-5 ⇒ 7-7 ⇒ 5-7-5 ⇒ 7-7...

 

It lasted for over one and half years, but then we gave up on the halfway. “Angel's Ladder" reminded me of the time when we were making efforts to work out a haiku.

 

 

先週のニュースによれば、今年の漢字に「金」が選ばれたことが京都の清水寺で発表されたそうだ。「金」が選ばれたのは2021年以来で今回で5回目パリ・オリンピックで日本選手が獲得した金メダル「佐渡金山」が世界文化遺産に登録されたこと、また日本の政治家による裏金作りなどが反映されているらしい。

 

因みに昨年2023年の漢字は「税」。それより以前は以下の表の通りである。

 

 

 

また、同じニュースの中で“word of the year for 2024”(今年の単語)が取り上げられていた。今年の単語は、“Polarization”(二極化)だったそうだ。「二極化」とは、物事や人が全く異なる意見を持つ2つの陣営に分かれる現象を意味する。世界におけるアメリカと中国の対立や、アメリカにおける民主党と共和党の対立などが反映されているらしい。

 

(拙・和文英訳)

According to the news last week, it was announced at Kiyomizu-dera Temple in Kyoto that “gold" (kin) was chosen as the kanji for 2024. This is the 5th time since 2021 that “gold" was chosen. It seems to reflect the gold medals won by Japanese athletes at the Paris Olympics, the registration of “Sado Gold Mine" as a World Cultural Heritage, and the backdoor money secretly created by Japanese politicians.

 

Incidentally, the kanji for last year, 2023, was "tax" (zei). Before that, it was as shown in the table below.

 

The same news also featured the “word of the year for 2024." The word of the year for 2024 was “polarization." “Polarization" indicates the phenomenon in which things or people are divided into two sides that have completely different opinions. It seems to reflect the conflict between the United States and China in the world, and the conflict between the Democratic Party and Republican Party in the United States.

 

先日のニュースで「柿すだれ」が取り上げられていた。「柿すだれ」とは、田舎の民家の軒先などに干し柿を作るために柿を簾のように吊るす風景をいう。以前は晩秋によく見られた光景だったが、これも温暖化の影響で2週間余り先送りされたようである。

 

干し柿に使われる渋柿は、もともと甘柿よりも糖度が高いのだが、干すことでシブオールと呼ばれる渋味のタンニンが水溶性から不溶性に変化(脱渋反応)し渋味が消える水分が抜けた干し柿の糖度は甘柿の4倍ほどだと言われている。

 

干し柿の表面の白い粉はブドウ糖、果糖、蔗糖などの糖分が結晶化したもので、中国では柿霜(しそう)と呼ばれ、生薬として用いられている。柿には高い薬効があることから、「柿が赤くなれば医者が青くなる」という諺まであるほどだ。

 

柿の歴史は古く、『古事記』『日本書紀』では「柿」が地名や人名として使われている。例えば、有名な万葉歌人の柿本人麻呂は家に柿の木があったことから「柿本」と名乗ったと言われている。

 

また、平安時代中期に編纂された『延喜式』では、熟した柿や干し柿が儀式や祭りの供物や天皇への菓子として使われていた。このことから、柿が古くから宮廷で栽培されていたことが窺われる。

 

(拙・和文英訳)

The other day, the news featured "Kakisudare" (persimmon blinds). “Kakisudare” means a scene of persimmons being hung like blinds on the eves of rural houses to make dried persimmons. Previously, this scene was often seen in late autumn, but due to the global warming, it seems to have been postponed by about two weeks recently.

 

Bitter (Astringent) persimmons are used for making dried persimmons, but they originally have a higher sugar content than sweet persimmons. When they are dried, the astringent tannin called shibuol changes from water-soluble to insoluble (a de-astringent reaction), making the astringent taste disappear. It is said that the sugar content of dried persimmons after the moisture has been removed is about four times that of sweet persimmons.

 

The white powder on the surface of dried persimmons is crystallized sugars such as glucose, fructose, and sucrose, and is called shiso (persimmon frost), and is considered a herbal medicine in China. A Chinese proverb says that as persimmons have high medicinal properties, “when persimmons turn red, doctors turn blue.”

 

Persimmons have a long history. In the Kojiki and Nihon Shoki, the word "kaki" (persimmon) is used as a place name and person’s name. For example, it is said that the Man'yoshu famous poet Kakinomoto no Hitomaro called himself "Kakinomoto" because he had a persimmon tree in his house.

 

Furthermore, the Engishiki, compiled in the middle Heian period, ripened persimmons and dried persimmons were used as offerings in ceremonies and festivals, and as sweets for the emperor. It is presumed that persimmons would have been cultivated at the imperial court since ancient times.

 

家内がクリスマス・デコレーションの準備を終えて、家の中に赤・緑・金色が多くなった。先週、弟夫婦との忘年会・カラオケを終え、カレンダーやダイアリーも揃えたし、そろそろ年賀状作りの時期である。面倒臭くも感じるが、気が付けば惰性で30年以上も続けている。

 

 

先日の英会話の授業で気にかかる表現が出てきた。「should+have+過去分詞」と言う形である。この形は「~すべきだった(のにしなかった)」、否定形の場合は「~すべきでなかった(のにしてしまった)」をバカの一つ覚えのように暗記していた。

 

A) How did your math test go yesterday?

B) It was a nightmare. I should have studied factorization harder.

A) 昨日の数学のテスト、どうだった?

B) 悪夢みたいだったよ。因数分解をもっとしっかり勉強してたら良かった。

 

C) I saw your girlfriend looking lonely in the classroom. Did something happen?

D) I scolded her because she broke a promise. But shouldn't I have done so?

C) 教室で君の彼女が寂しそうにしているのを見たよ。何かあったの?

D) 彼女が約束を破ったから叱ったんだ。でも、そうすべきじゃなかったのかな?

 

 

英会話のテキストにあったのは、「should+have+過去分詞」「過去の事柄に対する当然の推量」(「英文法解説」p.303参照)を表す場合である。

 

E) How is the car repair I ordered last week going?

F) We should have finished it by next Monday.

E) 先週頼んだ車の修理はどうなってる?

F) 来週の月曜日までには終わるはずです。(終わらない可能性もある

※未来のことにshouldを使うことに何となく違和感を感じる(?)

 

 

これが「will+have+過去分詞」になると少しニュアンスが異なるらしい。

G) How is the car repair I ordered last week going?

H) We will have finished it by next Monday.

G) 先週頼んだ車の修理はどうなってる?

H) 来週の月曜日までには終わる予定です。(終わらない可能性は少ない

 

「英文法解説」p.246にこんなことが書いてあった。未来完了のwill have ~edは重い感じのする形である。そのため口語では避けられる傾向があるらしい。例えば、

1) I will have finished the work before you return.

の代わりに以下の形を使う。

 

1)’ I’ll be through with the work before you return.

1)’’ I’ll have the work finished before you return.

 

I) How is the car repair I ordered last week going?

J) We’ll be through with it by next Monday.

K) We’ll have it finished by next Monday.

I) 先週頼んだ車の修理はどうなってる?

J) 来週の月曜日までに終わります。

K) 来週の月曜日までに終わります。

昨日のニュースによれば、アフリカのコンゴ民主共和国の南西部で、インフルエンザに似た症状の原因不明の病気が拡がっているらしい。患者は10月下旬から確認され、少なくとも79人が死亡したそうだ。呼吸器感染症の可能性が高いらしい。

 

 

先日、どこかの民放が「妖怪で町おこし」というテーマで兵庫県のある町を取り上げていた。その映像の中で懐かしい妖怪(?)を見た。「アマビエ」である。コロナ禍の最中、かなり注目されグッズなどにもなったあの「疫病退散の神」である。

 

彼は何処へ行ったのか?流行とは、ある意味恐ろしいものである。その当時(2020年7月)、アマビエなど「疫病退散の神々」について調べたことがある。以下に概略を記載する。

 

 

COVID-19の感染拡大を受けて、所謂「疫病退散の神々」が脚光を浴びている。昨今よく耳にするアマビエ(熊本)や、メジャーなところでは須佐之男命(すさのおのみこと/日本神話)、その他神社姫(長崎・佐賀)クタベ(富山)岐の神(くなどのかみ/徳島他)などがある。

 

海外に目を向けると鐘馗(しょうき/中国・道教)セクメト女神(エジプト/神話)などがあるが、鐘馗(大臣)日本でも疱瘡(ほうそう)除けや学業成就の神として端午の節句に人形を飾るなどの風習が残っており、能楽の演目や旧日本陸軍の弐式戦闘機の愛称にもなっている。

 

 

「アマビエ」を説明した英文を見つけたので、若干改訂したものを以下に掲載し和訳を試みる。

 

AMABIE is a reportedly auspicious yokai (legendary creature) that first appeared in the archives of the former Higo Province in 1846. The article described in the archives is as follows. A government official was investigating a mysterious green light in the water. When he arrived at the spot of the light, a glowing-green creature with fishy scales, long hair, three fin-like legs and a beak emerged from the sea. The mysterious mermaid-like (or merman-like) creature introduced itself as AMABIE, and made two predictions: a rich harvest would bless the province for the next six years, and a pandemic would devastate the whole country. Further, AMABIE instructed the government official, in order to stave off the spread of the pandemic, to make someone draw an image of AMABIE and to show the image to as many people as possible.

 

アマビエは、弘化3年(1846年)肥後国の古文書に初めて登場する縁起のよい妖怪と伝えられている。古文書には、以下のような記述がある。役人が水中の不思議な緑色の光を調査していた。光の場所に到着すると、緑色に光る、魚のような鱗と長い髪、鰭(ひれ)のような3本の足とくちばしを持つ生き物が海から現れた。人魚(または半魚人)のようなその不思議な生き物は、自分はアマビエであると名乗った。また、今後6年間は国内に豊作が続くことと、疫病が国中を襲うことの2つの予言をした。さらにアマビエは、疫病の蔓延を防ぐためには、誰かにアマビエの絵を描かせて、それをできるだけ多くの人に見せるようにと役人に指示した。

 

 

 

 

 

 

先日「白昼の死角」テレビドラマ版のDVDが届き一通り観終わった。ドラマは9話で編成されておりDVDは3枚組である。

 

 

TV版は第二次大戦の戦場のシーンから始まる。敗残兵の鶴岡七郎(渡瀬恒彦)は米軍の捕虜となり屈辱的な経験を経て命からがら復員し、隅田光一(山本圭)に出会う。

 

隅田は東大法学部開闢(かいびゃく)以来の秀才であり、鶴岡の他、木島良助(小倉一郎)、九鬼善治(岸部シロー)と組んで東大生による金融会社「太陽クラブ」を設立する。

 

映画版では、その冒頭で隅田光一(岸田森)が狂って焼身自殺を遂げるシーンから物語が始まるが、TV版は冷徹な隅田光一(山本圭)に関する映像を結構な時間含んでいる。

 

個々の詐欺事件に関しては、映画版、TV版ともに中身は同じような感じだが、どちらかと言えば映画版の方が完成度が高いようだ。これはやはりキャスティングの違いによるものと思われる。

 

 

ラストも映画版とTV版では異なる。映画版は、全ての罪を認めた鶴岡七郎(夏八木勲)が保釈中に替え玉による焼身自殺を捏造し自らの過去を消し去って船で海外へ逃亡するシーンで終わるが、TV版では、全ての罪を認め末期の肺結核に冒された鶴岡七郎(渡瀬恒彦)が病院のベッドの上で初めて真の涙を流すシーンで終わる。ちょっと寂しい終わり方だ。

 

全般的に、TV版の鶴岡七郎が映画版より人間的に優しいように思われた。これも渡瀬恒彦と夏八木勲のキャラクターの違いによるものかも知れない。

 

 

もっとも印象的なのはTV版のエンディングである。主題歌「欲望の街」東大・安田講堂の現在(1979年)の映像から始まる。そして予備校「代々木ゼミナール」の学生たちが煙草を吸いながらふざけ合っている様子へと移る。さらに大学野球や大学ラグビーに歓声を上げるスタディアムへと映像は移ってゆく。まさに平和と繁栄を謳歌している学生たちの姿である。

 

映像は突然白黒の写真へと入れ替わる。学徒動員で行進する学生たち、軍需工場で働く学生たち、また軍事教練の映像が映し出される。こちらは、戦時下の不自由な中、お国のために働いている学生たちの姿である。

 

映像は再び現代(1979年)へ。ジャンボジェット機(ボーイング747)の停まる空港の様子、6車線くらいの道路や首都高速を流れる車の様子が映し出される。それが再び、原爆投下の写真、空襲で焼け野原となった東京の写真へと移ってゆく。

 

そして聖徳太子がデザインされた旧・一万円札など紙幣の映像へと移り、最後は夕映えの中に黒く聳える西新宿の高層ビル群がエンディングである。当時の高層ビルは西新宿だけでまだ数えるほどしかないが、この映像が長く私の心に焼き付いている。