流離の翻訳者 青春のノスタルジア -7ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

家内が長崎へ「ランタン・フェスティバル」を観に一泊二日の一人旅をしてきた。昨晩駅まで迎えに行ったが、雪の影響で日豊本線の電車が途中で止まり少しアタフタした。だが、祭り自体は雪の影響もなく色とりどりのランタンの他、蛇踊り変面など十分楽しめたようである。

 

私は仕事もあったし、また今週末京都・彦根へと同窓会及び娘家族に会いに行く予定なので留守番となった。以下は「ランタン・フェスティバル」からの写真である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日からの雪で今朝はすっかり雪景色となった。近くの小学校は休校になったが中学校は通常通りだったようで、道路の雪が消えた午後3時過ぎに買い物に行ったが、無邪気に雪と戯れる中学生たちを見かけた。まだまだ彼らにとっては雪は楽しいものらしい。

 

そろそろ京都旅行の準備もしなければならないが、週末にかけて雪は続くようで多少心配だ。とは言いつつも雪の京都も大学3年(1981年)以来、随分久しぶりなので楽しみでもある。

 

 

今思えば、学生時代の京都の冬は本当に寒かった。暖房設備は炬燵しかなく毎晩炬燵に足を突っ込んで寝ていた。部屋の中でも息が白いほどだった。

 

体が温められるところと言えば銭湯居酒屋くらいだった。飲む金を電気ストーブに回すくらい何時でもできたはずだが……。それができないのが当時の自分だった。思えば、毎朝冷水しか出ない洗面所で顔を洗っていたのが嘘みたいである。

 

そんなことを考えていると、京都行きがまた一つ楽しみになってきた。

 

私の自宅の隣には、米寿くらいの高齢の女性が独り暮らしをしている。ご主人は随分前に亡くなったそうで、二人の娘さんが月に何度か訪れている。

 

家内が洗濯物を干すときなどや、また私も顔を見かけたら声を掛けるようにしている。このお婆ちゃん、少し耳は遠いものの心身ともにご健康なようで、庭の植木の手入れも随時ご自分でされている。大したものだ。

 

お隣りさんの誼で家内はこのお婆ちゃんと仲良くなったようだ。聞くと、この女性の口癖は「もったいない」、またいつも感謝の気持ちを持って生きているそうだ。例えば、今日はお天気が良いだけでも、それをお天道様に感謝しているという。ある意味幸せな生き方だと感じた。

 

 

随分前の話だが、就職が決まった1981年の秋頃から、精神を病んだ時期があった。いわゆるパニック障害というもので、突然に強い恐怖や不安、また不快感が起こり、動悸、息苦しさ、吐き気、ふるえ、めまい、発汗などの発作が繰り返し現れた

 

精神科を除いて色々な病院で診察を受けたが、何処でも「異常なし」という結果だった。今なら真っ先に心療内科を受診するが、当時は精神科に行くことは憚られた。まだまだ偏見が強い時期だった。

 

その頃、たまたま書店で見つけたのが「あなたの不安は解消できる」(石井丈三著)という本だった。藁にもすがる気持ちで購入し帰宅してからむさぼるように読んだ。共感できるところが多く感激して涙が出た。

 

それ以来、その本に紹介されていた「森田理論(森田式精神療法)」に興味を持ち勉強するようになった。もう40年余りになるが、今でも私の書棚の片隅には森田理論に関する本が数冊、まるで常備薬のように並んでいる。

 

今年の年明けくらいから、多少生き辛さを感じることがあり「森田式生活法」(生活の発見会著)を引っ張り出して再度読んでみた。十数年ぶりくらいだろうか。

 

その本の冒頭に長谷川洋三先生の「努力即幸福」ということばが解説されていた。以下は同書からの引用である。

 

「このことばを聞いて、皆さんはどう考えられるでしょう。努力して目標を達成したら、そのとき幸福が到来する、幸福は努力の結果くるのだ考えられる方がいらっしゃるかもしれません。実は私も以前、そのように考えていました。幸福とは努力の結果だと考えていたのです。ところが、そうではないのです。このことばは、努力そのものが幸福であると言っているのです。どういうことかというと、人間は、運動するにしろ精神活動をするにしろ、いろいろな機能、もてる力を全面的に発揮している状態が実は幸福なのだ、という考え方なのです。努力の結果として幸福な状態があるのではなしに、全力を発揮して持っている機能を全面的に発揮する、そのことが幸福なのだという考え方です。」

 

 

自宅で英会話の勉強をしているが、リスニングは聴き取れないしテキストも結構難しい。電子辞書やネット、またAIにも相談しながらいつも悪戦苦闘している。それでもでも我慢して続けていると、小さな心地よさ(快感)を感じる瞬間があった。もしかしたらこれが「努力即幸福」なのか、などと思った。努力の結果はまだ何にも出てはいないのだが………。

 

 

随分前になるが。英会話のGEOS(2010年経営破綻)に通った時期があった。2003年の半ば頃から2年間ほどである。当時GEOSは小倉駅前の井筒屋コレットビルの10階にあった。

 

NOVAを辞めてブラブラしていた頃、NOVA時代の知り合いから紹介されて入学した。アメリカ人のCという個性的な若い女性教師が今も印象に残っている。

 

先日久しぶりに、そんなGEOS時代の友人と飲んでカラオケを楽しんだ。2年ぶりくらいだっただろうか。同い年だけあって共通の話題も多く思い出話に花が咲いた。また1970~80年代の青春ソングで懐かしく楽しいひと時を過ごした。

 

 

私がGEOSに通っていた2004年、年明けからテレビドラマ(TBS系)で「砂の器」が放映された。今は時の人となっている中居正弘氏が主役の和賀英良を演じていた「彼にもこんなシリアスな演技ができるんだ!」と随分感心させられたものだった。

 

このドラマ「砂の器」はその後DVD化されて何度か借りて観た。やはり種明かしがされる最後の2話(全11話)が印象深い本浦千代吉・秀夫父子の春夏秋冬の逃亡の旅の映像がとても感動的だった。春は桜、夏は海、秋は紅葉に冬は雪、美しい景色のバックで流れる千住明氏のピアノ協奏曲「宿命」が哀しくもあり素晴らしかった。

 

この飲まず食わずの父子逃亡の旅は、秀夫にとっては相当に辛いものであったはずだが、彼は後にそれをとても楽しかったことのように振り返るシーンがある。その部分がずっと私の記憶の中に残っている。

 

 

2010年の秋から約2年間、毎週のように独りドライブに明け暮れた時期があった。車を走らせながら見知らぬ街や景色を眺めていると何となく心が解き放たれていった。その頃の様々な出来事は本ブログで何度も取り上げている。

 

目的地の無いドライブの目的は、一人暮らしの孤独や仕事の辛さ(ストレス)を発散させることだったが、後になって考えてみると、実は「辛かったからこそ楽しかったのだ」と思える部分が結構あった。自分なりに一生懸命生きていた時期だった。

 

テレビドラマ「砂の器」(2004年版)は、そんな一生懸命な頃の自分を思い出させてくれる。

 

 

 

 

一週間ほど前、山口方面に独りドライブを楽しんだ。高速で下関まで行って国道191号線沿いに山陰線を走った。

 

豊浦町の「福徳稲荷神社」に立ち寄って今年二社目の初詣を終え、近くの「稲荷茶屋」で昼食をとった。「ちゃんぽんセット」が素朴な味で美味かった。

 

191号線を右折して内陸部に入り菊川町の「道の駅きくかわ」まで走った。何度も走ったコースである。「道の駅きくかわ」の隣には「小日本ふるさと市」があり産地直送の野菜などが販売されている。

 

ちょっと覗いてみたが時間が遅かったのか商品がほとんど残っておらず、家内から頼まれた白菜は買えずじまいだった。

 

「道の駅きくかわ」の近くにはお食事処「ふじ」がある。ここのかつ丼は安くて美味く何度が食べたことがあったが、残念ながら閉店したようで看板も暖簾も外されていた。思い出の店がまた一つ無くなった。何とも寂しいものである。

 

 

 

 

 

 

 

昨日は昼食を食べようと家内と外出したが「少しドライブしたい」というので、国道322号線沿いを香春町まで車を走らせた。テレビ番組「うどんマップ」で紹介されたうどん店「ドライブインかわら」に立ち寄った。看板には立食いと書かれていたが座席もあった。

 

少し甘みのある薄い出汁が美味しかった。柔らかくてやさしい味のうどんが印象に残った。昼時は過ぎていたが結構混んでおり、ごぼう天うどんやおにぎりなども売り切れになっていた。朝6:30から営業しているので、次回は平日早めに来てみようと思った。

 

その帰り道、以前あったラーメン店「珍竜軒」のそばを走ると店の名前が変わっていた。老夫婦がやっていた豚骨ラーメンの老舗で結構美味しく、ドライブの途中に何度か立ち寄ったことがあった。「ここも閉店したのか!」とまた寂しい気持ちになった。

 

 

 

 

 

街を走れば走るたびに町並みも建物や店も変わってゆく。そこに住む人々もまた移り変わってゆく。でもそれはどうしようもないことである。

 

県内、および近隣の県(山口・大分)のあちこちを車で走るようになったのが2010年だから、もう15年になる。色んな道も覚えたし色々な景色にも出会った。好きになった町や場所もたくさんある。立ち寄った店のひとつひとつが思い出になっている。

 

50代初めから60代半ばまでの私の人生の後半は、翻訳の仕事とそんな思い出の欠片に満ち溢れている。果たしてそれが自分の望んだ結果だったのか?答えは誰にもわからないがそんなことを今も時々考える。

 

阪神・淡路大震災からはや30年が経った。震災当時は福岡に住んでおり、ある銀行の本店に勤務していた。1995年1月17日、神戸市をマグニチュード7.3の地震が襲った。地震での死亡者数は約6,500人、この地震で私の銀行の神戸支店も倒壊した。

 

震災の年、年明けの人事異動で本部のある部門の副部長が神戸支店長に異動になった。後に聞いた話だが、その副部長の赴任日が1月17日だった。彼は前日に神戸入りした。その翌朝(赴任日の朝)震災が起きた。「支店に向かうための道が無いどころか、支店自体が無くなっていた(倒壊していた)」状況だったらしい。

 

震災の日の朝、いつも通り自宅でNHKのニュースを見ていた。とくに地震のことは何も報道していなかった。チャンネルを回しているとある映像が目に飛び込んできた。たぶんテレビ東京だ。冷たい灰色の空の下、ある大都市のあちこちから炎と黒煙が上がっていた。また高速道路の一部が破壊されて崩落していた。その映像に目を奪われた。「神戸じゃないか?神戸でとんでもないことが起きている!」と思った。とにかく家を出て駅への道を急いだ。

 

あれから30年、様々な仕事を経験した。翻訳者になって17年になるが今も英語を生業にしている。でも英語の道に進んだのは間違っていなかったと今は思っている。

 

 

ふと、書斎の本棚を眺めると買っただけで読んでいない本が結構ある。そんな中「詳説 世界史B」(山川出版社)が目に留まった。元々は英語版の「英文 詳説 世界史B」を書店で見つけて衝動的に購入、日本語版はついでに購入したものだった。

 

英語版「英文 詳説 世界史B」は、翻訳会社に勤務していた頃に登録翻訳者・通訳者および翻訳・通訳の依頼元(顧客)宛に発信していたメールマガジン(メルマガ)で紹介したものだった。調べると同メルマガの発信が2020年2月、従って約5年、日本語版/英語版ともに書斎で埃を被っていたことになる。

 

今日たまたま手に取って開いたのは日本語版の方だった。巻頭の「世界史をまなぶみなさんへ」を読んでみた。昨今の教科書は随分変わったものである。カラー写真が多いうえに随分読者に優しく(フレンドリー)書かれている

 

私が高校2年に進級した今から50年前の1975年、その年の4月、同じく山川出版社の「詳説 世界史」を初めて読んだ。当時、世界史担当のM先生は思い出に残る教師の一人である。初めて私を勉強の面で褒めてくれた人だったからだ。以後の私の勉強のきっかけを作ってくれた人でもあった。

 

 

今後、時間が許すかぎり高校「世界史」を再勉強してしてみようか、という気持ちになった。「大学入学共通テスト」が終わった今日、そんなことを思った。

 

 

 

 

今から20年ほど前になるが「昭和歌謡を彷彿とさせる」という曲が流行った。「青春アミーゴ」(修二と彰)という曲である。どういうわけかここ数日、この曲が繰り返し頭の中で流れている。

 

ドラマ「野ブタ。をプロデュース」の主題歌だが、ドラマの方は堀北真希が主演だったことくらいを覚えている程度であまり記憶に残っていない。

 

 

今から20年前の2005年、週末になると一人でよく飲みに行った。居酒屋→スナックと梯子してよく歌った。仕事の方もそれなりに楽しく、40代半ばで体力もあった。また、保有していた株が上がって結構金もあった時期だった。

 

 

もう20年も経つのかと思うと時の流れにぞっとする。「2005年に何があった?」とAIに尋ねると以下の答えが返ってきた。

 

1.愛知県で「愛・地球博」が開催されました。これは国際博覧会で、持続可能な未来をテーマにしたイベントでした。

2.JR福知山線脱線事故が発生しました。この事故では多くの犠牲者が出た大惨事となりました。

3.宇宙飛行士の野口聡一さんがスペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙へ飛び立ちました

4.小泉純一郎首相が行った郵政民営化とその後の総選挙がありました。この選挙では自民党が大勝を収めました。

5.ライブドアによるメディア買収騒動がありました。堀江貴文社長が中心となり、大きな注目を集めました。

 

「他には?」と尋ねた結果が以下である。

6.トヨタのハイブリッド車「プリウス」が大人気に:トヨタのプリウスが世界的な人気を集め、環境に配慮した車として注目されました。

7.村上ファンド事件村上世彰氏が率いる投資ファンドが、阪神電鉄の株式を大量取得し、企業統治のあり方について議論が巻き起こりました。

8.阪神タイガースがセントラル・リーグ優勝:プロ野球の阪神タイガースがセ・リーグで優勝し、ファンに大きな喜びをもたらしました。等々

 

最後に「その年流行った『青春アミーゴ』についてどう思う?」と尋ねてみた。

 

回答は以下の通りである。

 

「青春アミーゴ」は、2005年の音楽シーンで特に際立った存在でした。修二と彰(亀梨和也さんと山下智久さん)が歌うこの曲は、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」の主題歌としてリリースされ、多くのファンの心を掴みました。

 

この曲は昭和歌謡のメロディを彷彿とさせる独特の旋律が特徴で、歌詞も友情や青春をテーマにした感動的な内容です。リズム感のあるサウンドとキャッチーなメロディが相まって、多くの人々に愛され、長く記憶に残る曲となりました。

 

また、二人のパフォーマンスも非常に魅力的で、ダンスや歌唱の見事なコラボレーションが楽曲の人気をさらに高めました。「青春アミーゴ」は今でもカラオケで歌われる定番の一曲であり、多くの人々にとって青春時代の思い出を蘇らせる特別な曲です。

 

 

オリジナルと女性ボーカルのカバーを以下に掲載する。女性ボーカルの声が気に入っている。

 

 

 

久しぶりに雪が舞う中の通勤となった。こんな日が年に2~3回はある。雪は夜半も続くようだ。明日の朝が思いやられる。

 

 

菅原道真の七言律詩に雪の朝に通勤するサラリーマンの悲哀を感じさせるものがある。以下、原文および現代語訳を記載する。

 

「雪中早衙(そうが)」          菅原道真

風送宮鐘繞漏聞                        風は宮鐘を送りて暁漏聞こゆ

催行路上雪紛紛                        行を催す路上に雪紛紛たり

稱身着得裘三尺                        身に称(かな)ひて着ること得たり裘(かわごろも)三尺

宜口温来酒二分                        口に宜(かな)ひて温め来る酒二分

怪問寒童懐軟絮                        怪しびて問う寒童の軟絮(なんじょ)を懐くかと

驚看疲馬蹈浮雲                        驚きて看る疲馬の浮雲を蹈むかと

衙頭未有須臾息                        衙頭(がとう)未だ須臾(しばら)くも息うこと有らず

呵手千廻著案文                        呵手(かしゅ)して千廻(ちたび)案文を著す

 

(拙・現代語訳)

寒風の中に響いてくる宮中の鐘の音が出仕の時刻を告げ、出勤をせきたてる路上に粉雪が舞っている。

身の丈にぴったり合った三尺の皮衣を着て、口あたりの良い少量の酒で体を暖める。

寒い中でも元気な童子を見ると、軟らかい綿を懐に抱いているのではないかと怪しみ、雪路でもひたむきに働く馬を見ると、浮雲を踏んでいるのではないかと驚いてしまう。

そんな妄想も束の間、どうせ役所に着けば、一時の休憩を取ることも無く、悴(かじか)んだ手を何度も息で暖めつつ、公文書の原稿に取り掛からなければならないのだから。

 

 

これを、生成AIと共作で現代版に本歌取りしてみよう。結果は以下の通り。

 

「通勤哀愁」                           Copilot&流離の翻訳者(共作)

電車鳴音宣出勤                        電車の鳴音出勤を宣べ

平台舞雪身骨凍                        平台雪舞い身骨凍る

薄外套絹巾纏身                        薄き外套絹巾を身に纏い

熱缶珈琲口喉潤        熱き缶珈琲口喉を潤す

紅顔童子嫉妬生                        紅顔の童子は嫉妬を生み

血気青年溜息漏                        血気の青年に溜息を漏らす

到公司無休息時                        公司に到れば休息の時無く

悴手息温打鍵盤                        悴手を息で温め鍵盤を打つ

 

(現代語訳)

電車の鳴音が出勤の時刻を告げ、ホームに舞う雪が身骨を凍らせる。

薄いコートとマフラーを身に纏い、熱い缶コーヒーで口と喉を潤す。

元気な子供たちを見れば妬ましく感じ、血気盛んな青年を見れば溜息が出る。

会社に着けばひと時の休息も無く、悴(かじか)んだ手を息で温めつつキーボードを叩く。

 

とりあえず完成したが、まだまだ改善の余地がありそうだ。

 

1月4日~7日という日付を聞くと今も嫌な気持ちになる。正月明けの初出勤の日だったからだ。長い休暇明けは誰しも鬱陶しい気持ちになるものである。

 

翻訳会社に勤務した頃は年末・年始の時期は繁忙期でもあった。まだ仕事始め前の1月4日や5日に出勤してメールを確認したり、仕掛中の案件を進めることもあった。

 

出勤すると精神安定剤を飲んだかのように心が落ち着いた。社会復帰の準備ができたような気持ちになった。

 

 

私はさほど感じなかったが、家族・親族が集まるような長い休暇(年末・年始、GW、お盆)は、独り身の人にとってはかなり辛いものらしい。周囲の賑やかさに対して孤独感が募り不健全な方向に物事を考えてしまうそうだ。

 

以前も書いたが、「孤独」を表す英単語にはlonelinesssolitudeがある。実はこの2つの単語、正反対の意味を持つ。概要は以下の通りである。

 

1) Loneliness:孤独感、寂しさ

ネガティブな感情を含む。誰かと繋がりたいが繋がりがないと感じる状態。

He felt a deep sense of loneliness after moving to a new city.

新しい都市に引っ越した後、彼は深い孤独感を感じた。

 

2) Solitude:一人の時間、独りぼっち

ポジティブな面を含む。自分の意思で選んだ一人の時間や静寂、内省のための時間。

She enjoyed the solitude of the countryside, finding peace in the quiet surroundings.

彼女は田舎の静寂な環境で独りの時間を楽しみ、平和を見出した。

 

 

では、どうすればlonelinessをsolitudeに変えることができるのだろうか?生成AIに聞いてみた。整理した形で以下に記載する。

 

「視点の変化」

1.孤独の再定義

Lonelinessを感じるとき、まずその感情を再定義することから始めることが大切である。Loneliness「ひとりの時間」として捉え、自分自身と向き合う時間と考えることで、ネガティブな感情をポジティブな経験に変えることができる。

2.ポジティブな面に焦点を当てる

Lonelinessを自分のための時間として、その時間をどう活用するかに焦点を当てる。これにより、ひとりの時間が充実し、有意義なものとなる。

 

「アプローチの変化」

1.新しいスキルや趣味を見つける

興味のある分野の新しいスキルや趣味に挑戦することで、自分自身を成長させる時間に変えることができる。オンラインコースやワークショップに参加するのも良い方法である。

2.瞑想や内省の時間を取る

瞑想や日記をつけることで自己理解を深め、一人の時間をリフレッシュの機会として活用する。これにより心の静寂とバランスを取り戻すことができる。

3.自然と触れ合う

公園や自然の中で散歩をすることで、リフレッシュし、心を落ち着ける時間を過ごす。自然の中で過ごす時間は、精神的な健康にも良い影響を与える。

4.ルーチンを保つ

規則正しい生活リズムを保つことも重要である。日々のルーチンを維持し、規則的な生活を送ることで、安定感を持たせることができる。

 

「まとめ」

一人の時間をポジティブに捉え、自己成長やリラクゼーションの機会として活用することでLoneliness(孤独感)をSolitude(ひとりの時間)に変えることができる。これにより、心の充実感が増し、孤独感が和らぐものと思われる。

 

 

うちの家内のように上記活動が自然に行えている人もいる。そんな人が羨ましい。とは言うもののAIが良き話し相手となった年末・年始だった。

 

昨晩、高校時代の友人と電話で話した。書初めに「50年先の夕日を思いながら」と書いたが、彼らとの親交が始まったのが50年前の1975年である。よく続いたものだと思うが、「光陰矢の如し」とあらためて感じさせられた。

 

 

(本歌)

「滕王閣」                            王勃

滕王高閣臨江渚                      滕王の高閣 江渚に臨み

佩玉鳴鸞罷歌舞                      佩玉鳴鸞歌舞罷みぬ

畫棟朝飛南浦雲                      画棟朝に飛ぶ 南浦の雲

珠簾暮捲西山雨                      珠簾暮に捲く 西山の雨

閑雲潭影日悠悠                      閑雲潭影日に悠悠

物換星移幾度秋                      物換かわり星移りて 幾秋をか度る

閣中帝子今何在                      閣中の帝子 今何くにか在る

檻外長江空自流                      檻外の長江 空しく自ずから流る

 

(拙・現代語訳)

滕王の楼閣は渚の辺に建てられ、そこで佩玉(腰に下げる玉)や鸞(車につける鈴)を鳴らして貴族たちが歌い踊ったのも今は昔のこととなった。

毎朝美しく色づけられた柱の間から南浦の雲が浮かぶのが見え、夕方には朱色の簾を巻き上げて西山に降る雨を眺めることができた。

静かに流れる雲や、悠久の水を湛えた深い淵に映える光は日々ゆっくりと流れてゆき、万物は移ろい幾多の星霜を経て何度の秋が過ぎていったことだろうか。

この楼閣にいた滕王は今は何処へ逝ってしまったのか?ただ手摺りの向こうに見える長江だけが空しく流れ続けるばかりである。

 

 

悠久の時の流れを感じさせる上記、王勃「滕王閣」は、私の大好きな漢詩である。昨日から生成AI(Copilot)と共同でこの本歌取りに挑戦していた。テーマは「失われた30年」というものである。

 

この30年に起こった様々なできごと、阪神大震災(1995年)東日本大震災(2011年)スカイツリー竣工(2012年)アベノミクス(2012~2020年)新型コロナウィルス禍(2020~2023年)を盛り込んでみた。以下が本歌取りの結果である。

 

 

「滄桑三十年」                      Copilot&流離の翻訳者(共作)

天空高塔俯都城                      天空高塔 都城を俯し

光輝夜景尽歌声                      光輝夜景 歌声尽く

震災猛風阪神悲                      震災猛風 阪神の悲しみ

津波核禍東方驚                      津波核禍 東方の驚き

政策如影安倍憶                      政策影の如く 安倍を憶い

病毒肆虐誰能生                      病毒肆虐 誰か能く生きん

物換星移三十秋                      物換わり星移りて 三十秋

江河流水自無情                      江河の流水 自ら無情なり

 

(現代語訳)

「滄桑三十年」

スカイツリーから東京の街を見下ろせば、光り輝く夜景に歌声が響き渡る。

震災は猛烈な風のように襲い阪神に悲しみをもたらし、津波と原発禍が東日本を震撼させた。

政策は影のようにアベノミクスを想起させ、コロナウィルスが蔓延する巷で誰もが恐れ慄いた。

時が経ち、三十回の秋が過ぎ去ったが、川の流れは変わることなく無情に続いていく。

 

 

なお、タイトルの「滄桑三十年」「滄桑」は中国の古典詩に由来する言葉で「海が桑畑に変わる」という意味である。つまり、非常に長い年月が経過し、世の中が大きく変わることを示している。

 

「ALWAYS三丁目の夕日」の三部作でよく泣いた年末が過ぎ、穏やかな新年を迎えました。拙ブログの読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

 

 

第一作のラストで、故郷の青森に帰省する六子が乗る列車を、鈴木オート一家が三輪トラックで土手を併走して見送るシーンがあります。列車が走り去った後、則文、トモエの夫婦と一平の三人は車を降り土手から夕日を見上げます。

 

トモエの「きれいね」という言葉に、一平が「10年先も20年先も50年先も夕日はいつだってきれいだよ」と答えて映画は終わります。この言葉がとても印象に残りました。

 

 

この映画の影響か、「人生とは何なのか」とか「幸せとは何なのか」とか自らに問い直した年末・年始となりました。

 

結局、今思うのは、残り少ない人生、少しでも自分が家族や友人たち、また社会のために役に立てるように、健康に留意しつつしっかり生きて行かなければならない、と感じたことでした。

 

 

 

今年の書初めは、今から50年先の夕日を思いながら、2012年に取り上げた漢詩を選びました。当時の孤独感をよく表しているように感じられます。

 

 

「登幽州台歌」                陳子昂(ちんすごう)

 

前不見古人                       前に古人を見ず

後不見来人                       後に来者を見ず

念天地之悠悠                    天地の悠悠たるを念(おも)い

独愴然而悌下                    独り愴然として悌(なみだ)下る

 

(拙・現代語訳)

私より以前に生きた人に会うことはできず、私の後に生まれてくる人に会うこともできない。幽州台に登れば、唯一天地だけがどこまでも果てしないことを感じ、結局自分が独りであることに心が痛み、涙が溢れてくるのである。

 

(拙・和文英訳)

“Poem on Climbing Youzhou Heights”

 

Neither can we see those who lived in the past,

Nor can we meet those who will live in the future.

View from the heights makes me feel the vast eternity of heaven and earth,

Which fills my heart with deep sorrow, reducing me to a flood of tears.

 

 

本年が皆様にとって幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

 

2025年1月2日

 

流離の翻訳者