英語遊歩道(その50)-「花冷え」の回想-パワハラとの戦い | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

桜は開花したが、昨日から最高気温が10℃程度と寒くなった。いわゆる「花冷え」である。これが最後の寒さだろう。

 

今から2年前のちょうどこの時期、3泊4日で東京を独り旅した。大学時代の友人や安田火災の同期、システム部の先輩方と旧交を温めた。「井の頭公園」で見た桜を思い出すが、その日もこんな花冷えのする日だった。

 

3日連続の飲み会では昔話に花が咲いた。武蔵野市関前にあった安田火災の独身寮の跡地や、当時通った喫茶店を訪ねた。1年ほど住んだ国立駅の北口(国分寺市光町)の旧居にも行ってみた。そのアパートは35年の歳月を経てもなお健在だった。

 

国立駅南口の喫茶「ロージナ茶房」は若干改築されていたが、相変わらず繁盛していた。時代が昭和から平成に変わる中、東京暮らしに疲弊して寮を出た最後の1年、一橋大学の構内を散策しては自分の将来について考えた。

 

もしタイムマシンでその頃に飛んで行けるなら、当時の自分に

The future will take care of itself.(未来はそれなりに何とかなるものだ)

とアドバイスしてやりたい。

 

 

そうは書いたものの、想像を超える未来が待ち受けていることもある。2年間(実質1年半)勤務した外国人技能実習生の監理団体では、思わぬ経験をした――

 

エンジニアリング会社の翻訳部門を廃止し、ある技能実習生の監理団体に転職したのが2021年1月、新型コロナウイルスのパンデミックの真っ最中だった。理事長のもと、事務局長という立場で理事会の開催や従業員の管理を担当した。理事長という校長のもとでの教頭のような仕事である。

 

しかし、その団体にはパワハラという問題が内在していた。パワハラは、入管(出入国在留管理庁)のOBである外部監査人から外国人従業員に対するものだった。この外部監査人と何度か話をしたが、外国人(特にベトナム人や中国人)に対する偏見(蔑視)が強い男だった。典型的なゼノフォビア(xenophobia)である。

 

パワハラが原因で女性従業員が泣くこともあった。顧問弁護士に相談し、従業員へのヒアリングを実施した。その結果、明らかに当該外部監査人によるパワハラが発生していることが確認された。弁護士を通じて外部監査人に報告書を通知した。

 

しかし、先方はパワハラの存在を否認し、弁護士を立てて抗議してきた。結局、弁護士間の協議により示談が成立し、当団体が示談金を支払い外部監査人との契約を解除した。また、以前からこの外部監査人と緊密な関係にあった理事長も退任した。これに関連した調整や手続きに追われ、精神的に疲れる日々が続いた。

 

2021年7月、新しい理事長が就任した。そのもとで、ボロボロだった就業規則を働き方改革に合致した形へ改訂し、家族手当や通勤手当、出張手当の改訂、給与規程の新設などの業務に取り組んだ。こうした作業が2022年5月頃まで続いた。

 

新型コロナウイルス禍による入国制限が緩和される中、外国人技能実習生の新規入国が少しずつ再開された。入国後研修期間中の技能実習生のための宿舎を確保するなど、雑務も増えてきた。精神的なストレスがピークに達し、「もう一度翻訳がやりたいなぁ~」と思うようになった。

 

 

心療内科を受診したのが2022年6月。「社交不安障害(SAD)」と診断された。とりあえず2022年6月末から半年間休職したが、定年が間近に迫っていたこともあり、2022年12月末で外国人技能実習生の監理団体を退職した。

 

2022年7月から2024年1月までの1年半は「傷病手当金」を受給した。その後、「失業手当」を受けながらハローワークで見つけたのが現在の翻訳業務である。今は、やはり英語関係の業務に戻れて良かったと思っている。

 

 

やはり、今思えば

The future will take care of itself.(未来はそれなりに何とかなるものだ)

は正解だったのかもしれない。