「ALWAYS三丁目の夕日」の三部作でよく泣いた年末が過ぎ、穏やかな新年を迎えました。拙ブログの読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。
第一作のラストで、故郷の青森に帰省する六子が乗る列車を、鈴木オート一家が三輪トラックで土手を併走して見送るシーンがあります。列車が走り去った後、則文、トモエの夫婦と一平の三人は車を降り土手から夕日を見上げます。
トモエの「きれいね」という言葉に、一平が「10年先も20年先も50年先も夕日はいつだってきれいだよ」と答えて映画は終わります。この言葉がとても印象に残りました。
この映画の影響か、「人生とは何なのか」とか「幸せとは何なのか」とか自らに問い直した年末・年始となりました。
結局、今思うのは、残り少ない人生、少しでも自分が家族や友人たち、また社会のために役に立てるように、健康に留意しつつしっかり生きて行かなければならない、と感じたことでした。
今年の書初めは、今から50年先の夕日を思いながら、2012年に取り上げた漢詩を選びました。当時の孤独感をよく表しているように感じられます。
「登幽州台歌」 陳子昂(ちんすごう)
前不見古人 前に古人を見ず
後不見来人 後に来者を見ず
念天地之悠悠 天地の悠悠たるを念(おも)い
独愴然而悌下 独り愴然として悌(なみだ)下る
(拙・現代語訳)
私より以前に生きた人に会うことはできず、私の後に生まれてくる人に会うこともできない。幽州台に登れば、唯一天地だけがどこまでも果てしないことを感じ、結局自分が独りであることに心が痛み、涙が溢れてくるのである。
(拙・和文英訳)
“Poem on Climbing Youzhou Heights”
Neither can we see those who lived in the past,
Nor can we meet those who will live in the future.
View from the heights makes me feel the vast eternity of heaven and earth,
Which fills my heart with deep sorrow, reducing me to a flood of tears.
本年が皆様にとって幸多き年となりますようお祈り申し上げます。
2025年1月2日
流離の翻訳者