流離の翻訳者 青春のノスタルジア -10ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

朝方冷えるようになって、夏蒲団に薄い毛布を重ねて寝ている。とは言っても、昼間の日差しは強く汗ばむくらいだ。もうしばらくは半袖で過ごせそうな感じである。

 

先日、高校時代の友人夫妻と会食をした。高校1年からはや50年の親交になる。そのときに我々の結婚(入籍)の祝い「わたせせいぞう」の絵をいただいた。なかなかお洒落なものだ。

 

リビングに飾ろうと思ったが適当なスペースがなく、玄関を入った正面の壁に掛けることにした。現在絵にスポットライトを当てるべく電気工事を依頼している。

 

 

家内とは7年の付き合いの後に今年の7月7日(七夕)に入籍した。彼女は中国語が専門の翻・通訳者である。また、中国人に日本語も教えている。私が地場の翻訳会社に勤務していたときに登録されていた翻・通訳者である。

 

彼女との出会いは2009年12月、翻訳会社主催の忘年会が最初だった。当時は私も一登録翻訳者だった。愛想が良い彼女に私が感じた第一印象は「翻訳者にこんな感じのいい人もいるんだ!」だった。あれから15年、彼女に対するイメージも随分変わってきた。それは向こうも同じようなものだろう。

 

 

高校時代の友人たちとの親交も50年と書いたが、一口に50年といっても随分の長さだ。私の場合、北九州(19年)⇒京都(4年)⇒東京(8年)⇒福岡・博多(8年)⇒北九州(現在27年目)と居所も変わっている。現在北九州で46年目を生きているので、人生の70%以上が北九州ということになる。

 

 

今朝の新聞を見ていいると50年という単語が出てきた。昨日、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞したが、前回の佐藤栄作元首相(1901-1975)から50年ぶりとのことである。随分と歴史も流れたものだ。

 

そんな奇妙な符合を感じた秋晴れの日だった。

 

 

新総理、石破茂氏の座右の銘鷙鳥不群(しちょうふぐん)」(鷙鳥は群れず)だという。その意味は「鷲や鷹などの猛禽類(鷙鳥)は、雀などの小鳥や渡り鳥のように多数で群れることはせずに単独で行動する」というもので、第二次伊藤博文内閣の外務大臣、陸奥宗光(むつ・むねみつ)が自らの著書の中で用いた言葉らしい。

 

よく知られた故事成句「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」に近いものがある。これは、燕や雀のような小さな鳥には、鴻(おおとり)や鵠(こうのとり)のような大きな鳥の志すところは理解できない、すなわち小人物には大人物の考えや志はわからない、という意味である。

 

毎日ウォーキングをするにしても、コツコツと英会話の勉強をするにしても、周りが何と言おうが、ただ直向き(ひたむき)に淡々と自分のために実行していきたいものだが、なかなかそれが難しい。

 

 

上記「鷙鳥不群」に通じるところがあるかも知れないが、随分昔にベストセラーになった『極上の孤独』(下重暁子著・幻冬舎新書)に以下の文面があった。著者のアナウンサーやキャスターの経験からか、非常に読みやすい日本語で書かれていて、とくに山口百恵と安室奈美恵を対比させた件など「なるほど…!」と感心させられるところもあった。

 

 

一人の時間を孤独だと捉えず、自分と対面する時間だと思えば、汲めども尽きぬ、ほんとうの自分を知ることになる。自分はどう考えているのか、何がしたくて何をすべきか、何を選べばいいか、生き方が自ずと見えてくる。孤独ほど贅沢な愉悦はない。誰にも邪魔されない自由もある。群れず、媚びず、自分の姿勢を貫く。すると、内側から品も滲み出てくる。そんな成熟した人間だけが到達出来る境地が「孤独」である。

 

(拙・和文英訳)

If you don't think of your time alone as loneliness, but as a time to face yourself, you will come to know your true self, which is never-ending. You will naturally find out how you think, what you want to do, what you should do, what choices you should make, and how to live your life. There is no more luxurious pleasure than solitude. There is also the freedom to not be disturbed by anyone. Don't join the crowd, don't flatter, and stick to your own attitude. Then, elegance will begin to exude from within. “Solitude” is a state that only such mature people can reach.

 

 

クーラーを入れないと少し蒸し暑い、入れるとやや肌寒い、といった時期である。まだ半袖だが、来週にはそろそろ長袖を出さなければ、と思う。

 

 

週3日の法務事務所での勤務が定着し、土日月は三連休、日曜は英会話という生活パターンが定着してきた。

 

英会話のテキストは春・夏・秋・冬の4冊に分かれており、各50レッスンあるので合計200レッスンになる。これを毎日、1~2レッスンでも予・復習すれば随分力が着くと思うがなかなか思うに任せない。平日の夜はアルコールの誘惑に負けることが多い。

 

9月に始めたウォーキングと同じで良い習慣はなかなか身に着かない。それに対して悪い習慣は簡単に身に着く。実に困ったものである。

 

 

先週のレッスンでaffordという動詞が出てきた。受験英語ではcan’t afford to ~「~する余裕がない」をバカの一つ覚えのように暗記していたが、この単語、もう少し深い意味がある。

 

英英辞典を引いてみる。

 

Afford:

If you say that you cannot afford to do something or allow it to happen, you mean that you must not do it or must prevent it from happening because it would be harmful or embarrassing to you.

 

動詞affordを使ってcannot afford to do something(何かをする余裕がない)、またはcannot afford to allow it to happen(それが起こるのを許す余裕がない)と言う場合、それをするとあなたにとって有害または恥ずかしいことになるので、それをしてはならない、またはそれが起こるのを防がなければならないことを意味する。

 

英会話のテキストはこの解釈に立脚して構成されていた。以下例文を挙げる。

 

1) We can’t afford to make big changes now. We’ll miss the deadline.

今、大きな変更を行う余裕はない。期限に間に合わなくなってしまう。

 

2) We can’t afford to take our time with the layouts.

レイアウトに時間をかける余裕はない。

 

3) We can’t afford another day. We’re a week behind schedule as it is.

もう1日も余裕はない。既に予定より1週間も遅れている。

 

4) We can’t afford employees’ tardiness in such a busy season.

このような繁忙期に従業員の遅刻は許されない。

 

5) Israel cannot afford to stand against the entire world and be denounced as the aggressor. (Morsh Dayan)

イスラエルは全世界に敵対して、侵略者として非難されるわけにはいかない。

 

 

彼岸が過ぎ9月も終わりに差し掛かったが残暑が厳しい。朝晩はだいぶしのぎ易くなったが日中は30℃を超える暑さが続いている。

 

とは言いながらも、いつの間にかセミの声はツクツクボウシに変わり、その声もほとんど聞こえなくなった今日この頃である。秋が少しずつ深まっている。

 

 

先週の英会話の授業でsee, hear, notice, look, watch, feelなどの「知覚動詞」(Verbs of Perception)が出てきた。

 

1) I watched him cross the street.

彼が通りを渡るのを見た(一部始終を見た)

 

2) I watched him crossing the street.

彼が通りを渡るのを見た(一時的にチラッと見た)

 

文法的には1)cross原形不定詞(bare infinitive)2)crossing動名詞(gerund)である。

 

1)の場合、動作の一部始終を見たわけだから、以下のような表現も可能である。

 

3) I watched him cross the street and get into a car.

彼が通りを渡って車に乗り込むのを見た

 

従って2)を使って以下のように表現するには少々無理がある。

4) I watched him crossing the street and getting into a car.(×)

 

 

では、1)2)受動態にするとどうなるか?こうなると受験英語の世界である。

 

1)’ He was watched to cross the street.

 

2)’ He was watched crossing the street.

 

 

では、動詞が以下のような場合はどんなニュアンスの違いがあるのだろう。

 

5) I saw a man wear a black tie at the station.

駅である男性が黒いネクタイを締めるのを見た

 

6) I saw a man wearing a black tie at the station.

駅で黒いネクタイを締めている男性を見た

 

7) I saw an old woman sit on the chair by the table.

老婦人がテーブルのそばの椅子に座るのを見た

 

8) I saw an old woman sitting on the chair by the table. 

テーブルのそばの椅子に座っている老婦人を見た

 

6),8)の文は、もはやSVOCではなくSVOである。この場合のwearing,sitting onは動名詞ではなく現在分詞形容詞となる。

 

 

「クールビズ」が始まったのは2005年小泉純一郎内閣の時だそうでもう20年近くになる。昨今は季節にかかわらずノーネクタイがファッションとなっているようでネクタイ業者にとっては痛手だろう。

 

我々が就職活動を行った頃は、リクルート・スーツと言えば紺ネクタイは赤と相場が決まっていたが、あれから40年以上が経過、今は随分ファッショナブルに変わっているだろう。また解禁日も随分早くなっており今の学生は何かと大変そうだ。

 

 

英会話の授業で「ネクタイの色」が与えるイメージについての文面が出てきた。日本とは随分異なる気がする。欧米ではほんとに以下のようなイメージなんだろうか?

 

A Conversation between A (College student) and B (Counselor)

 

A:   This is the fourth interview I’ve failed. I just don’t know what I’m doing wrong.

B:   You know, it’s not just what you do. What you wear can make a difference, even at a subconscious level. What did you wear for your last interview?

A:   The navy suit you recommended.

B:   Good. How about the tie?

A:   A purple one.

B:   Ah. Well, that could be part of the problem. Purple can be perceived as gaudy and arrogant. You’d be much better off with a color like blue.

A:   Blue?

B:   Yes. It’s seen as confident but also humble. Blue is strongly associated with creativity too.

A:   I see.

B:   And definitely avoid light-colored ties like beige or cream. They’re often regarded as too formal or old-fashioned and wouldn’t suit your age at all.

 

 

日米の逆方向の金利政策の中で円・ドル相場は若干円安に振れたようである。果たして今後の日本の株式はどう動くのか?FRBBOJなど金融当局が発する一言にも相場は反応する。この辺りのメカニズムは全く見えない。

 

 

翻訳者になった2008年以降の手帳は何となく保存してきた。フリーランスだった2008年~2010年は几帳面にも30分単位で行動記録を残している。まるで生きている証しを残しているようだ。よほど先行きが不安だったのか。この辺りが過去の手帳を捨てられない理由にもなっている。

 

 

英会話の授業で「get+目的語+不定詞/形容詞/過去分詞/現在分詞」という便利な形を習った。やはり英会話のテキストは普通の文法書とは切り口が異なる。辞書に近い感じがする。

 

上記の形は「have+目的語+動詞の原形」とか「have+目的語+過去分詞」の形で補足的にgetでも使えるのような感じで習ってきたように思う。あくまでgetはおまけである。

 

テキストは“Using get to show inability”(getを使って「できない」ということを表す)となっており、会話では否定文で使われることが多いようである。

 

以下、英文例を挙げておく。

 

1) get+目的語+不定詞

I can’t get the window to open.

(窓が開かない)

 

2) get+目的語+形容詞

I can’t seem to get the oven hot enough.

(オーブンが十分熱くなりそうにない)

 

3) get+目的語+過去分詞

I tried to get the air conditioner started, but the remote seems to be broken.

(エアコンをつけようとしたが、リモコンが壊れているようだ)

 

4) get+目的語+現在分詞

I’m not sure how to get the pool filter going.

(プール・フィルターの動かし方がわからない)

 

5) get+目的語+動詞の原形(原形不定詞)

We can’t get the front door open.

(玄関のドアが開きそうにない)

 

5)について<不可>とする文法書もあるようである。

 

「英語の迷い道」シリーズを始めたのが2023年5月だった。1年4か月で200話を綴ったことになる。3~4日に1話を綴った勘定だ。今後は新たに「英語遊歩道」と題して、日常生活で感じたことなどを、英語の話題を交えながら綴ってゆくこととする。

 

 

ここ一週間余り、仕事が退けてから夕食前に約1時間ウォーキングするようになった。さすがに運動不足や体力の衰えを感じたからである。歩数にして7000歩程度。結構しんどいが何とか続いている。

 

少し古い日記帳を紐解いてみた。かつてウォーキングに励んだのは2009年7月~8月の時期である。ほぼ毎日1~2時間、朝・夕と家の近くウォーキングしていた。これが10月の初めまで続いた。体重は10キロ近く減って健康体になった。もう15年も経つのか。

 

不思議な話だが、こういう時期に限って写真が残っていない。残っていれば目標になるものを……。日記を見ると昼間は翻訳案件を片付けながら文法書を読んでいたようである。その合間にオートテニスに行ったりスパに行ったり。それなりに充実していたようだ。

 

果たして何を思いながら歩いたのが。今は思い出せない。ただ、歩き始めて2週間くらいで身体が軽くなってきた。次第に歩くのが楽しくなっていった。

 

一説に「良い習慣を身につけるには3週間かかる」というが、私の場合は当たっているかも知れない。「とりあえず3週間続けよう」と楽に考えることが肝要なようだ。

 

ネットを検索していて以下の記述を見つけたので紹介しておく。

 

なぜ、1週間でも半年でもなく3週間かというと、脳の仕組みが変わるのに必要な期間がちょうど3週間だからです。新しい行動や習慣を始めると、脳内のシナプス結合が変化し、それに伴って神経回路が強化されます。このプロセスを神経可塑性と呼びます。初めての行動や情報に対して神経回路が新しく形成されることで、脳の「GPS機能」はそれを重要な情報として認識しやすくなります。また、習慣の定着には反復が必要です。3週間あれば、行動や習慣を十分な回数繰り返すことで神経回路が十分に安定化し、「RAS」(脳幹網様体賦活系)がその情報を無意識に認識できるようになります。

この過程において、行動が無意識的かつ自動的に行われるようになり、それが習慣の定着につながります。つまり、3週間続けることで、神経可塑性と反復の相互作用によって神経回路が変わります。脳が変わるのです。ですから、3週間さえ続ければあなたの脳はその習慣を一生続ける脳に変わるといってもいいでしょう。

 

(拙・和文英訳)

The reason why 3 weeks instead of 1 week or 6 months is because exactly 3 weeks is the period of time required for the brain to change its mechanisms. When we initiate a new behavior or habit, the synaptic connections in the brain change and the neural circuitry strengthens accordingly. This process is called neuroplasticity. As new neural circuits are formed for a new behavior or information for the first time, the brain's “GPS function” is more likely to recognize it as important information. In addition, repetition is necessary for the habit to take hold; in 3 weeks, the behavior or habit can be repeated a sufficient number of times to sufficiently stabilize the neural circuitry so that the “RAS” (brainstem reticular activating system) can recognize the information subconsciously.

In this process, the behavior becomes unconscious and automatic, which leads to the establishment of the habit. In other words, after 3 weeks, the interaction between neuroplasticity and repetition changes the neural circuitry. It changes your brain. So it is safe to say that as long as you continue for 3 weeks, your brain will change into a brain that will continue the habit for the rest of your life.

 

 

気が付けば「英語の迷い道」の投稿も、はや200記事を数えることになった。結構続いたものだ。次回あたり新しいタイトルを考えることにしよう。

 

 

9月で思い出すのは2010年の猛暑である。当時、ある大学(九州工業大学)の近くで一人暮らしを始めて一月くらい経った頃だった。近くの学生街は、薄暗くなっても学生たちの姿が見られた。

 

今は閉店になったが、定食を出す喫茶店(名前が思い出せない)がありよく通った。「エッグカレー」というメニューがあり、小さな目玉焼きが三つカレーの上に乗っていた。結構お気に入りのメニューだった。

 

会社(と言っても当時はフル・パートという立場だが)が休みの土日は、晴雨にかかわらず県内、隣県へと車を走らせた。翻訳のストレスの解消もあったが、寂しさを紛らわすための一人ドライブだった。

 

見知らぬ街の見知らぬ店に入って食事をとった。笑顔の家族連れなどを見ていると、何となくいたたまれない気持ちになった。心の奥から寂しかったようだ。

 

 

その年の彼岸、小石原焼の「民陶むら祭」に出かけた。まだ残暑が厳しかったが結構な人出だった。小石原焼の窯元を訪ねたのはそのときが2度目だった。色々な窯元を巡り焼き物を眺めていると、寂しい気持ちは何処かに消えていった。

 

気に入ったものをいくつか買い求めて帰途に着いた時、秋風の中で残暑が少し鎮まったような気がした。

 

あれから14年、そのときに買った臙脂の器は今も我が家の台所で調味料(塩)入れとなって重宝している。

 

久しぶりに朝から近くのスーパーにお使いに行った。新米を抱えた客が多い。価格は5キロで3,000円を超える。米不足で約1.5倍の値上がりだ。「卵が落ち着いてきたら今度は米か!」とうんざりする。昨今の物価上昇は著しい。

 

気候の方は、残暑がぶり返して蒸し暑い日が続いている。台風に変わった熱帯低気圧の影響らしい。暑さはまだしばらく続きそうな感じだ。

 

 

福岡の筥崎宮(はこざきぐう)では、明日から一週間、放生会(ほうじょうえ(や))が開催されるようだ。博多三大祭りの一つに数えられるもので「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」祭りらしい。

 

放生会では「ちゃんぽん」と呼ばれる縁起物が有名だ。息を吹き込むと音が鳴るガラスでできた玩具で、江戸時代末期に放生会で売り出されたものだ。大正時代には一旦姿を消すが、現在のチャンポンは昭和46年(1971年)に復活したものらしい。

 

 

福岡の神社 日本三大八幡 筥崎宮【公式】 (hakozakigu.or.jp)

 

 

現在の法務事務所での翻訳業務の中で、少しずつ課題らしきものが見えてきた。それは過去の翻訳資産をどう管理するか?、またそれらをどう今後の翻訳業務に生かしてゆくか?ということである。

 

すなわち、いかに過去の翻訳結果を参照しながら、効率的に現在の翻訳業務を片付けてゆくか?ということである。

 

現在の翻訳資産は、顧客ごとに紙およびデータ(Word、Excel、PDFなど)で保存されている。キーは顧客名である。

 

顧客ごとに、インデックス(資料目次)、上申書(Statement)、裁判関連文書(調書判決、判決書、略式命令、起訴状など)、サポートレター、宣誓供述書(Affidavit)、住民票、戸籍抄本、給与明細、源泉申告書などのデータがあるが、これをどういう体系で分類し整理するかである。

 

今思うのは、まず次のような手順で作業を進める必要があるのではないか?

 

①現行の管理方法(保存方法)を矛盾点などを含めて把握する。

②管理対象(保存すべきファイル)を明確にする。中間ファイル(半製品)など保存不要なファイルは削除するなどして、管理対象範囲を可能な限り狭める。

③管理対象ファイルの数量や現行のファイル名、検索の容易性、また移行の負荷などを考慮して、管理方法を検討し、管理キー、ファイル名の標準化、フォルダー体系、保存期間などを定める。

④現行の管理対象ファイルのバックアップを取得してから移行作業を開始する。

 

まあ、そんな感じか。結構、遠大な作業になると予測されるが、何事も「千里の道も一歩から」だ。

 

A journey of a thousand miles begins with a single step.

 

 

「暑さ寒さも彼岸まで」(No heat or cold lasts over the equinoxes.)というが、ここ2・3日暑さがぶり返してきた。風がなく気温がやたら高く少し動いただけで汗まみれになる。もうしばらく我慢するしかなさそうだ。

 

そんな中、今朝のニュースで豊前市のある地域で早やヒガンバナが咲いている映像を見た。緑の中の赤い花が不思議と秋風の涼しさを連想させる

 

 

2012年から2014年の頃、毎週のように福岡方面に車を走らせた時期があった。国道211号線直方(のおがた)まで行って県道21号線に入る。遠賀町鞍手町宮若市を通って犬鳴峠のトンネルを抜けて久山町に入る。そこから福岡市内へと車を走らせた。

 

今思い出すのは宮若市久山町でよく見かけたヒガンバナである。初秋の静かな田園地帯のあちこちに群生して咲く鮮やかなヒガンバナに何を思ったのか。記憶は時の彼方である。

 

 

ヒガンバナ(曼殊沙華)について、以前少しだけ調べたことがある。

 

ヒガンバナは別名、曼殊沙華(まんじゅしゃげ(か))と呼ばれる。サンスクリット語mañjūsakaを漢字で音写したもので「天界に咲く想像上の花」を意味する。

 

日本では田畑の周辺や川岸、また墓地などに群生しているのがよく見られるが、その毒性から害虫や害獣を避けるために人為的に植えられたものと考えられている。また死人花(しびとばな)狐花(きつねばな)幽霊花(ゆうれいばな)など異名が多いのも特徴である。

 

学名をLycoris radiata、英語ではcluster amaryllis(群生するアマリリス)とかred spider lily(赤い蜘蛛の百合)と訳される。

 

Red spider lilies burn as I pass through the quiet streets under the strong autumn sun.

「曼珠沙華一むら燃えて秋陽(あきび)つよし そこ過ぎてゐるしづかなる径(みち)」

※訳者不詳。一むらは一叢(群)の意味。(木下利玄『心の花』1925年より)