流離の翻訳者 青春のノスタルジア -11ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

台風一過。9月に入ると朝晩少しだけ涼しくなった。夕食後、家内と家の周りを散歩すると、鈴虫の鳴き声が聞こえるようになった。いつの間にか秋が始まっていた。

 

 

先日の英会話の授業でSeparable Phrasal Verbs(分離可能句動詞)というものを習った。分離可能句動詞とは、目的語が句動詞の間に入ることができる(前置詞・副詞を動詞と切り離して使える)句動詞をいう。

 

テキストに出てきたのはpass upturn downという二つの句動詞。ともにdecline(断る・辞退する)という意味である。

 

You’d be crazy to pass up the opportunity to be on TV.

= You’d be crazy to pass the opportunity up to be on TV.

テレビに出る機会を逃すなんて、どうかしているよ

 

You shouldn’t turn down such a chance that you can see the world.

= You shouldn’t turn such a chance down that you can see the world.

世界を見ることができるこんなチャンスを断るべきじゃないよ

 

その他の分離可能句動詞put off(延期する)keep up(維持する)figure out (理解する・考え出す)call off(中止・やめる)put out(消火する)などがある。

 

 

これに対して、前置詞・副詞と動詞が切り離して使えないものInseparable Phrasal Verbs(分離不可能句動詞)という。

 

First, we have to find out what the company needs.

(誤)First, we have to find what the company needs out.

まず、その会社が何を必要としているのかを明らかにしなければならない。

 

The city got over the environmental pollution in 1990s.

(誤)The city got the environmental pollution over in 1990s.

その都市は1990年代に環境汚染を克服した。

 

その他の分離不可能句動詞look after(世話をする)run into(偶然~に出会う)deal with(対処する)turn out(結果的に~になる)end up(最後には~になる)come across(思いつく)などがある。

 

また、分離不可能句動詞で3語のものには、look up to(尊敬する)get along with(仲良くする)put up with(耐える・我慢する)come up with(思いつく)catch up on(取り戻す)keep up with(遅れずについていく)などがある。

今週から二学期が始まったらしく、街中で小学生や制服姿の中学生・高校生を見かけるようになった。それが台風の接近で昨日、今日と休校になっている。私の事務所もこの二日間は休みだ。

 

昨夜はかなり雨が降ったようだが、今朝は雨風ともに小さくなった。台風も過ぎ去りつつある。北九州は台風、台風と騒いでもせいぜいこの程度だ。台風が過ぎれば少しは涼しくなるだろう。

 

 

法務事務所での翻訳などの仕事を始めて2か月半、ビザの申請など全く知らない世界だったが、門前の小僧にも少しづつ仕事の中身が見えてきた。業務全体の流れのようなものが何となく分かった。何よりも翻訳が続けられていることが今は嬉しい。

 

起訴状(Indictment)など、それなりの長さの日本語の翻訳には翻訳ツールを使用する。翻訳ツールにより作成された英文を日本語と照合して校正する。「Google翻訳」以外に「DeepL翻訳」というツールも使っている。こちらの方が精度が高いらしい。

 

住民票戸籍抄本の翻訳については、一次翻訳者が翻訳した内容をチェックする。その他給与明細源泉徴収表などの翻訳を行うこともある。

 

英訳したビザ申請必要書類一式は、すべてネイティブ・チェックを施してから顧客に納品する。その書類を持参して、顧客は領事館で領事との面接に臨む。そんな流れである。

 

 

本文に書いた「門前の小僧」の諺門前の小僧習わぬ経を読むだが、英語ではどう表すのだろう。上記DeepLで翻訳してみた。

 

門前の小僧習わぬ経を読む

The boy at the gate reads a sutra he has never learned.

 

ネットで調べると、英語の類似表現に以下のものがあるらしい。

 

(1) A saint's maid quotes Latin.

聖人のお手伝いさんはラテン語を引用する

 

(2) The sparrow near a school sings the primer.

学校の近くにいるスズメは教科書通りに鳴く

 

盆休みが終わり「処暑」も過ぎた。高校野球も終わり夏が終わりに近づいているが、今年の暑さはまだまだ続くらしい。あまり「晩夏」という雰囲気ではないが、祭りの後のような一抹の寂しさを感じる今日この頃である。

 

 

「平家物語」-巻第一・祇園精舎・冒頭部(原文)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。

 

(現代語拙訳)

祇園精舎の鐘の音は諸行無常(万物が常に変化して少しの間もとどまらないということ)を示す響きがある。釈迦入滅の時に白変した娑羅双樹の花の色は盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。栄耀栄華に驕れる者も長くは続かず春の夜の夢のように儚いものである。勇猛な者も結局は滅びてしまう、まさに風の前の塵と同じである。

 

 

このような人生・運命などの移り変り(栄枯盛衰)を意味する英単語にvicissitude(s)というやや格式の高い語がある。

 

Vicissitudes:

You use vicissitudes to refer to changes, especially unpleasant ones, that happen to someone or something at different times in their life and development.

 

栄枯盛衰とは、誰かや何かの人生や発展において、その時々に起こる変化、特に不快な変化を指す。

 

Life is subject (or liable) to vicissitudes.

= Life has its ups and downs.

「栄枯盛衰は世の習い」

 

 

以下はSad Summerと題する楽曲である。Marat MCはロシアのミュージック・グループである。

 

 

夏の甲子園もベスト8が出揃った。高校野球は私の趣味の一つでもある。自分の地元の高校を除いて基本的に「判官贔屓(ほうがんびいき)」のスタンスで観る。先日の「大社-早実」の試合は久しぶりに感激した。

 

 

「判官贔屓」とは伝統的な日本人の心情で、「判官」は、検非違使の尉(位)の一つで源義経「九郎判官」と呼ばれたことに由来し、本来は源頼朝に対して源義経を薄命な英雄として愛惜し同情することを意味した。現代ではそれが転じて不遇な身の上や弱い立場の者に同情を寄せたり応援したりすることを表すようになった。

 

 

「判官贔屓」を英語ではsupport (or sympathy) for the underdogなどと表現する。なおunderdog競争などで勝てそうもない人(側)を意味する。

 

1) The old man always supported (expressed his sympathy for) the underdog.

= The old man always cheered for the side that was behind.

「その老人は、いつも判官贔屓(劣勢な側を応援)した」

 

 

ところで「判官贔屓」の反対語に勝ち馬に乗るという言葉がある。これは、勝利しそうな方に味方して勝利に便乗することをいい、より具体的には集団の中で影響力を持っている人(の側)に付いて、その恩恵を受けたり自分の存立(地位)を維持しようとすることを言う。

 

 

会社・組織などではよく見かける光景だが、こちらは英語ではjump (climb, get, hop) on the bandwagon, adulation, excessive flattery, flunkeyism, ingratiation, sycophancy, toadyism などなどより多くの表現があるようだ。

 

2) Many executives jumped on the bandwagon of the founding family.

= Many executives tried to get leftovers from the founding family.

「役員の多くが創業者一族の勝ち馬に乗った(お零れに預かろうとした)」

 

3) Like a hostess, the young secretary ingratiated herself with the executives by providing them with topics they could be interested in.

「まるでホステスのように、その若い秘書は、役員たちが興味を持ちそうな話題を提供しながら彼らのご機嫌を取った」

 

終戦記念日を迎えた。「晩夏光」とは「夏の終わりの頃の衰えぬ暑光」をいう。今年も静かに盛夏が過ぎてゆく。

 

 

「俺は、君のためにこそ死ににいく」は2007年公開の映画である。ちょうど今、甲子園で戦っている球児たちが生まれた頃のものだ。DVDを借りて一度みたが、どうしてももう一度みたくなり結局DVDを買ってしまった。哀しくも美しいストーリーが印象深い。

 

以下の動画は、この「俺は、君のためにこそ死ににいく」からの映像である。BGMは梶浦由記さんの「花守の丘」。哀しい情景が増幅される。

 

 

「花守の丘」

 

丘を染めて白い花が

咲き誇る夏には

貴方といたこの日々を

思い出すでしょう

 

それはとても哀しいけど

綺麗な一時で

生きてるよろこびの

全てを知った

 

最後の光を惜しむように

暮れ行く大地が優しい声で

永遠を歌い出すまで

 

何も言わず散って行った

静かな花のように

迷いのない強さが

私にありますか

 

それはとても小さなこと

例えばどんな時も

微笑み絶やさない

勇気を持てたら

 

貴方の記憶を胸の中で

誇れる私でいられるように

優しさしさを語りましょう

枯れない涙の海から

 

丘を染めた白い雪が

溶けて行く大地に

何度もまた花びらは

返り咲くでしょう

 

最後の光を惜しみながら

暮れ行く大地が優しい声で

哀しみを歌う時

よろこびの種をまく

永遠を語りましょう

貴方の愛した未来を

 

お盆休みも後半。今年も「終戦の日」が近づいてきた。戦後79年。私のような太平洋戦争を知らない世代にとっても何がしか思うことがある。

 

この時期、NHKなどでは戦争に関する特別番組が放送される。一年に一度くらい戦争について考えてみてもいいのかな、と思う。

 

我々が今日の平和を享受できるのは、太平洋戦争の尊い犠牲があったからに他ならない。国のため、また愛する家族のために散っていった若者たちがいたことを忘れてはならない。

 

 

キミガタメ「うたわれるもの 散りゆく者への子守唄」

 

きみの瞳に映る わたしは何色ですか

赤深き望むなら渡そう陽の光を

 

悲しみが溢れ 瞼閉じました

こぼれた滴は 心に沁みゆく

 

行き渡る波は 弱く交えます

とどけしゆりかご眠りをさそう

 

夢になつかし面影をさがす

手を伸ばし 強く抱きしめたくなるha-

 

きみの瞳に映る わたしは何色ですか

藍深き望むなら渡そう高き空を

 

歓びが溢れ巡りあいました

こぼれおつ笑みは別れを隠す

 

人はいつしか朽ち果てるけれど

唄となり語り継がれてゆくでしょうha-

 

きみの瞳に映るわたしは何色ですか

緑(りょく)深き望むなら渡そうこの大地を

 

もろく儚げなものよ強く美しきものよ あるがままha-

 

きみの瞳に映る わたしは何色ですか

安らぎを覚えたなら そこにわたしはいる

 

きみの瞳に映る わたしは何色ですか

うら深き望むなら渡そうこの想いを

渡そう このすべてを

 

 

盆休みの前半は大学時代の友人が夫婦で訪ねてきて会食したり、また娘家族が帰省してきたりで賑やかに過ごした。

 

昨日近くの焼肉レストランに行ったが、店内は家族連れでごった返していた。猛暑の中、日本中が汗を拭きながら休暇を楽しんでいるように見えた。

 

その帰り、車の中から空に浮かぶ半月をみて「お月さんが付いてきているよ。お月さんもきっと寂しいんだよ。」と孫娘が言った。大人ではなかなか浮かばない発想である。

 

 

帰省は英語でhomecoming帰省ラッシュhomecoming rushというが、この時期、高速道路のサービスエリア等では色々な地域のナンバープレートを見ることができる。雑踏の中で少しづつ寂しい晩夏が近づいている。

 

 

百人一首に「蝉丸(せみまる)」という盲目の琵琶奏者と伝えられる歌人がいる。残した歌は以下のものである。

 

第十番「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関」

 

(拙・現代語訳)

「都を旅立つ人も都に戻ってくる人も、知っている人も見知らぬ人も、みんなここで出逢い擦れ違っては去ってゆく。ここはそんな旅人が行き交うところ、その名を逢坂の関という。」

 

この歌には、「会うものは必ず別れる運命にある」という「会者定離(えしゃじょうり)」の無常観が流れているように思われる。また「逢坂の関」現世そのもののようにも感じられる。

 

 

前回の記事で、学生時代によく通った高野のカラオケスナック「ユレイカ」の話を書いた。この店名の「ユレイカ」、古代ギリシャ語の「ユーレカ」(εὕρηκα、英語はEureka)に由来する。

 

ユーレカとは、ギリシャ語の感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる言葉らしい。古代ギリシアの数学者・発明者であるアルキメデスが叫んだとされる言葉である。

 

「ユレイカ」のママさんから、そんな話を聞いたような聞いていないような、記憶が曖昧である。そんな逸話を英作文の問題に出した大学があった。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

(A)アルキメデスは風呂の中で浮力の原理が頭の中にひらめいた瞬間、「ユーレカ」(「わかった!」)と叫んで風呂から飛び出し、裸のまま街を走ったという。何かを探していれば、必ずそのうちこの「ユーレカ」の瞬間がやってくる。「ユーレカ」は快楽である。おそらく人間が味わうことができる快楽のうちで、最も上質、かつ最も深い快楽の一つだろう。誰でも小さいうちからこの快楽を少しずつ体験して覚えていく。

程度の差こそあれ、「ユーレカ」欲求は、あらゆる人生過程においてあらわれる。「ユーレカ」欲求は、人間の最も本能的、本質的欲求の一つなのであろう。(B)しばしばそれは、他の欲求を圧倒するくらいの力を持つ。メシを食うのを忘れ、デートの約束を忘れるほど本を読みふけった経験を持つ人は少なくないだろう。

(立花隆『知のソフトウエア』より一部変更)

(東北大学・2011年前期)

 

(拙・和文英訳)

 

(A) It is said that the moment when Archimedes hit upon an idea about the principle of buoyancy in the bath, he shouted “Eureka” (“I’ve found it!”), jumped out of the bath, and ran naked through the city. If you are searching for something, you will never fail to encounter the “Eureka” moment in the course of time. “Eureka” is pleasure. It is probably one of the finest and deepest pleasures that human beings can experience. Everyone experiences and learns this pleasure little by little from his or her childhood.

Although there are differences in degree, the “Eureka” desire appears in various stages of life. The “Eureka” desire is probably one of the most instinctive and essential desires of human beings. (B) It often has such a strong power as may overwhelm other desires. Not a few people have experienced being so engrossed in reading a book that they can forgot to eat or forget a promise of a date.

 

最近、記憶に残る夢を立て続けに見ている。眠りが深いのだろうか。その中で大学時代の友人が2度夢枕に立った。何か虫の知らせのように思える。

 

彼とのつき合いは酒と麻雀が中心だった。元々同郷だが、学生時代にはご家族は大阪に住まわれていた。時々御父上から差入れられる高級なウイスキーのお零れに預かったことが思いだされる。大学2年の夏休みには、北九州に遊びに来て私の実家にも泊った。何もかもが懐かしい思い出だ。

 

彼は元々総合商社指向で3年次は本山美彦助教授(当時)「世界経済論」のゼミに進んだ。ゼミや就職に関係した科目だけは真面目に勉強していたようである。

 

彼とはよく酒を飲み麻雀もした。一乗寺の炉端焼き「京八」高野のカラオケスナック「ユレイカ」が思い起こされる。彼の十八番はサザンオールスターズの「いとしのエリー」だった。歌声が今も耳に残っている。

 

 

大学卒業後、彼は三井物産に進みエネルギー(石炭)部門に配属された。入社して7~8年くらいは東京勤務だったので、よく飲みに行った。彼と飲むのは中央線の三鷹が多かった。

 

当時府中に独身寮があり、飲んだあと何度か寮に泊めてもらった。寮の玄関に「自動靴磨き機」があったことを思い出す。

 

彼が英会話講師の女性と結婚したのが1991年。披露宴の会場は「学士会館」だった。披露宴で彼の空手部の同僚が余興で「浮気」・「病気」・「貧乏」と書かれた3枚の木板を拳と蹴りで叩き割ったことを覚えている。

 

 

彼が結婚した後、私が銀行で勤務していた頃博多で飲んだのが最後となった。そのとき酒の席でちょっとした諍いが生じてしまった。私が悪かった。口は災いのもとである。

 

その後、よりを戻す前に彼はオーストラリアに転勤になった。それまで交わしていた年賀状も途切れてしまった。以来疎遠になっていった。

 

 

ネットが普及した後、彼が三井物産金属資源本部石炭部長になったことを知った。ちゃんと出世していた。それが2010年代半ばのことである。

 

昨今、学生時代の友人たちとの旧交を温める機会が増えているが、当時の友人たちに確認するが、誰も彼の消息を知らない。年齢から関連会社等に移られているかもしれないが……。

 

 

何ゆえ2度も夢枕に立ったのか?彼から何らかの便りがあることを期待したい。

 

 

通勤では、車で大抵はFMラジオを聴いている。勤務は10:00からなのでラッシュには巻き込まれない。

 

そんな中、NHKFMの「音楽遊覧飛行」という番組で懐かしい歌を聴いた。はしだのりひことクライマックスの「花嫁」(1971年)というもの。

 

花嫁と夜汽車、故郷の丘に咲いていた野菊の花束の花嫁衣裳……。とても新鮮な取り合わせだ。当時の世相が思い起こされる。

 

この曲が流行ったのが、私が中学1年、まだ恋も何もわからない頃だ。あれからはや53年、半世紀以上が過ぎてしまった。「昭和は遠くなりにけり」である。

 

以下、歌詞とともに歌を掲載する。

 

 

「花嫁」 はしだのりひことクライマックス(ボーカル:藤沢エミ)

 

花嫁は夜汽車にのって

とついでゆくの

あの人の写真を胸に

海辺の街へ

命かけて 燃えた

恋が結ばれる

帰れない 何があっても

心に誓うの

 

小さなカバンにつめた

花嫁衣裳は

ふるさとの丘に咲いていた

野菊の花束

命かけて 燃えた

恋が結ばれる

何もかも 捨てた花嫁

夜汽車にのって

夜汽車にのって

夜汽車にのって…