流離の翻訳者 青春のノスタルジア -43ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

学生時代の教官の著書を読んでいると3回生くらいの頃の思い出が昨日のことのように頭に浮かぶ。勉強もせず無為に時間を潰したほろ苦い思い出が多い。

 

時々「もし第二外国語がドイツ語でなくフランス語だったら今何をしているだろう?」と考えることがある。

 

フランス語であれば教養部のクラスはE1、E2ではなくE3かE4。友人関係も全く異なっていただろう。不思議なことに大学の友人にフランス語選択者は居ない。

 

 

またゼミ(専攻)についても同じようなものだ。私は近代経済学(マクロ経済学)を専攻したが私の友人にマルクス経済学を専攻した者は居ない。

 

近代経済学か会計学など経営学を専攻した友人ばかりである。もちろん法学部に転学部した友人もいる。マルクス経済学を専攻した者とは所詮意見が合わないだろうという偏見があった。

 

 

 

第二外国語は、高校時代に読んだ北杜夫の『ドクトルまんぼう青春記』の中にドイツ語やレクラム文庫の話がでてきた縁でドイツ語を選択したのだが、今にして思えば何もこだわる必要もなかったように思う。

 

 

 

フランス語を選択していたら友人も異なるし全く違う人生を歩んでいたかも知れない。人生の分岐点は意外なところに転がっているものである。

 

「鍋」の季節になった。「寄せ鍋」、「おでん」、「キムチ鍋」何でも美味しい。

 

 

 

 

 

「鍋」は英語では hot-pot という。定義は以下の通り。

 

Hot-pot:

A hot-pot is a mixture of meat and vegetables cooked slowly in liquid in the oven.

 

「オーブン内で(容器の)出汁の中でゆっくりと煮込まれた肉と野菜の混合物」

 

 

「鍋奉行」は英語で hot-pot police という。こちらの定義は以下の通り。

 

Hot-pot police:

A person who insists on observing a particular etiquette when cooking a hot-pot at the table.

 

「食卓で鍋を調理する際に特定の作法を遵守することを主張して譲らない輩(やから)」

 

 

「鍋」と言えば酒だろう。それも日本酒がマッチする。普通はビールと白ワイン。吟醸酒は時々飲むが、以下はどれも好きな歌だ。

 

 

 

日経の Opinion 欄は新語の宝庫である。先日の Retrotopia に続いて昨日は「レコノミー」という語が出現した。

 

省エネの3R(Reduce, Reuse, Recycle)に加え Retro, Reskilling, Reproduction など最近のキーワードを含めて、昨今の経済行動はREが冠につくものが多い。これを「RE型経済」すなわち「レコノミー(Reconomy)」だと論者は定義している。

 

他にも「Z世代」とか「ファストファッション」 ……とか。益々わかりにくい世の中になってきた。

 

 

「古書への旅」が続いている。送られてきた中古品を見ると「帯」が付いているのはもちろん、書店の葉書や販売店の「売上カード」が付いたもの。なかには著者の「謹呈」という栞まで付いたものがあった。大切に読まなければ ……、と思う。

 

 

 

 

 

 

これらの古書は、私を学生時代へと連れて行ってくれる乗車券のように思えてくる。とにかくじっくりと読書の旅を続けよう。

 

 

 

今年も枯葉が散り始めた。秋も終わりである。何かしら物悲しい季節となった。

 

 

今年は大分県中津市の深耶馬渓、昨年は山口県長門市の大寧寺、一昨年は福岡県添田町の英彦山、その前は福岡県朝倉市の秋月。何処かで紅葉を観ている。

 

 

 

 

 

古書を読み返していると自分が如何に何も知らなかったかに気付く。それだけでも良かったのではないか。久々の読書の秋。古書への果てしなき旅路はこれからも続く。

 

 

 

 

先日の日経新聞にこんな記事があった。

 

レトロ(懐古趣味)とユートピア(理想郷)を組み合わせた「レトロトピア」――。ポーランド出身の社会学者ジグムント・バウマン氏が、2017年の著書「退行の時代を生きる」で世に問うた造語である。

 

激動の「現在」に強い不安や不満を感じるがゆえに、手探りの「未来」に希望が持てず懐かしい「過去」に楽園を見いだす。

 

 

 

 

ここ1年半ほど自叙伝らしきものを本ブログで綴っている。内容は小学校時代の1970年代前半から始まりやっと2020年までの50年近くに亙るものになった。

 

まあ「懐古趣味」と言われればそれまでだが、孔子の「論語」為政扁に「温故知新(故きを温ためて新しきを知る)」という言葉があるように過去を回顧することは決して悪いことではないと感じている。

 

 

因みに、バウマン氏の「レトロトピア(Retrotopia)」の定義をネット上で見つけたので拙訳とともに以下に記載しておく。

 

Retrotopia” means looking to the past so as to be reassured about an uncertain, troublesome future, where our comfort zones seem threatened by an increasingly diverse world and competing models. A favorable environment in which we can act, secure resources and identify goals in a way that makes us feel safe.

 

(拙・日本語訳)

レトロトピア」とは、我々の「安全地帯」(ホッと落ち着ける場所)が、益々多様化する世界や競合するモデルによって脅かされるように感じられる不確実で面倒な未来を再確認するために過去に目を向けることを意味する。我々が安全だと感じる方法で行動でき、資源を確保でき、また目標が確認できる好ましい環境。

 

 

最近、学生時代に講義を受けた(実際は受講できたのにしっかりと受講しなかった)教官の著書をアマゾンの中古品で探し出して読んでみようという懐古的(回顧的)な試みをしている。

 

古書が届いて中を開くとノスタルジックな雰囲気が漂う。ある意味過去の「罪滅ぼし」のような気持ちにもなる。西村京太郎の小説によく出てくる「過去への旅」みたいなものかも知れない。

 

既に他界されている先生方、ご存命の方でも90歳前後になるだろう。自分も随分歳をとったものだ。

 

 

 

 

 

 

2019年12月、通訳案件が片付き一段落した。以降2020年1月にかけて過去に翻訳・通訳の取引があった企業のうち再受注が見込めそうなところを洗い出して片っ端から電話をして営業をかけるという活動を行った。こちらは「過去への営業」みたいなものである。

 

地場のゼネコン、精密機器や非破壊検査の会社、また北九州貿易協会とタイアップして技能実習生の監理団体を訪問したこともあった。

 

そんな営業の最中、嬉しかったのはメルマガの送付先である九州工大の先生から「一度会って英語談義をしたい」というお誘いがあったことである。専門書に埋もれた研究室で先生に淹れていただいたコーヒーを飲みながらのひと時。営業の疲れを忘れて癒された気持ちになった。

 

 

それから暫く経った2020年1月の中旬。一年で一番寒い頃である。ある「冬将軍」が我々に近づきつつあった。この「冬将軍」、後に COVID-19 と呼ばれることになる。

 

 

なお「冬将軍」とは、モスクワに突入したナポレオンが、厳寒と積雪とに悩まされて敗北した史実に因む冬の異名で冬の厳しさを擬人化した表現をいう。英語では Russian Winter, General Winter, General Frost, Jack Frost, Old Man Winter などと表す。このうち Jack Frost、Old Man Winter はイングランドの神話や童話に由来するものである。

 

Jack Frost is nipping at my nose and ears.

 

「冬将軍(霜の妖精)が鼻と耳を痛いぐらいに凍らせている」

 

Old Man Winter withdrew and allowed flowers to blossom and birds to sing.

 

「冬将軍が立ち去り、花は咲き鳥は歌えるようになった」

 

 

 

 

11月中旬ともなると街のあちこちでクリスマスのライトアップが始まり、年の瀬のカウントダウンのような慌ただしさを嫌でも感じさせられる。そんな地上のイルミネーションを他所に、夜空では美しい冬の星座が競って煌めいている。

 

 

おおいぬ座のシリウス(Sirius of Canis Major)、こいぬ座のプロキオン(Procyon of Canis Minor)、オリオン座のベテルギウス(Betelgeuse of Orion)を結ぶ図形「冬の大三角」(Great Winter Triangle)は有名だが、これとは別にもう一つ図形がある。

 

それは、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のリゲル(Rigel of Orion)、おうし座のアルデバラン(Aldebaran of Taurus)、ぎょしゃ座のカペラ(Capella of Auriga)、ふたご座のポルックス(Pollux of Gemini)、こいぬ座のプロキオンの6つの一等星を結ぶ図形でこれを「冬のダイヤモンド(または冬の大六角形)」(Winter Diamond or Great Winter Hexagon)と呼ぶ。澄んだ冬の夜空に煌めく美しい星の宝石。一見の価値がある。

 

 

 

「冬の星座」                                           作詞:堀内敬三 作曲:ウィリアム・ヘイス

 

木枯らしとだえてさゆる空より                   地上に降りしく奇(くす)しき光よ

ものみないこえる静寂(しじま)の中に       きらめき揺れつつ星座はめぐる

 

ほのぼの明かりて流るる銀河                      オリオン舞い立ちスバルはさざめく

無窮(むきゅう)をゆびさす北斗の針と       きらめき揺れつつ星座はめぐる

 

 

 

「立冬」を過ぎたが冬はまだ足踏み状態のようである。今のうちにせいぜい晩秋を楽しもう。

 

 

これは今の時期に限ったことではないが、数匹の猫、時には十数匹の猫が集まりじっと座って日向ぼっこをしているのを時々見かける。これを「猫会議」とか「猫の集会」と呼ぶそうで、英語では cats’ gathering とか clowder(猫の群れ)と表す。

 

「猫会議」は普通夕方から夜にかけて催されるようで、その目的は地域内の猫同士の顔見せやメンバーの確認、合コン(婚活)、その他政治的な話し合い(ボス決め?)など様々な説があるらしい。

 

「猫会議」の場所は公園の片隅や駐車場などで、また猫間の間隔は 50cm~1m で緩やかな円を描いて座る…、などなど色々分析する向きもあるが、本来集団行動より単独行動を好む猫たち、この寒空の下、屋外での「猫会議」より炬燵が恋しくなる季節となった。

 

 

 

因みに「かじけ猫」(寒さに悴(かじか)み日向など暖かい場所にじっとしている猫)、「竈(かまど)猫」(温もりが残る竈の灰に埋もれてじっとしている猫)、「炬燵猫」(炬燵の中や炬燵布団の上でじっとしている猫)はいずれも冬の季語である。

 

 

 

 

猫に関して、学生時代こんなことがあった。

 

ある冬の日、友人の下宿の部屋で麻雀を打っているとドアの外で「カリカリ」と引っ掻く音がする。開けると猫が入ってきた。猫は我々が麻雀する炬燵のそばで気持ちよく眠っていた。

 

その日の麻雀は深夜におよび、眠さを堪えて麻雀を続けていると気持ちよく寝ている猫が恨めしく思えた。誰かが配牌や自摸の悪さの腹いせに猫を叩き起こした。猫は驚いて飛び起き、暫くするとまた眠った。このような虐待が何度か続いた。

 

そしてある時……、叩き起こされた猫がついに怒った。猫は麻雀卓に跳び上がり牌を一通り破壊すると、部屋の隅に行きじっと動かなくなった。以後叩いても起きることはなかった。まるで「置き猫」だった。やはり猫を麻雀に付き合わせてはいけない。

 

 

 

洗牌(しーぱい)の音聞こえずや炬燵猫

 

※洗牌は麻雀牌を混ぜること。学生時代を思い出しつつ一句ひねってみた。

 

 

 

 

二十四節気の「霜降(そうこう)」はとっくに過ぎて、明日11月7日ははや「立冬」である。朝晩少し肌寒く感じられるのも時節である。

 

 

セイタカアワダチソウ(背高泡立草)の黄色い花があちこちで盛りとなっている。北米原産の外来植物だがその由来は第二次大戦後、米軍の輸入物資に付着した種子により分布が拡大したものらしい。

 

元々観賞用、蜜源植物として導入されたが、喘息などの原因と誤解されたこともあり外来生物法により要注意外来生物に指定されている。

 

 

 

気が付けば紅葉が見頃となってきている。これから2週間くらいがピークだろう。今年はウィークディにゆっくりと紅葉狩りができそうだ。

 

因みに「もみじ」は上代には「モミチ」と発音された。漢字も上代では「黄葉」。平安時代以降「紅葉」と書かれるようになったらしい。

 

山野に紅葉をたずねて鑑賞することを「紅葉狩り」と呼ぶが、昨今の地球温暖化の影響で紅葉の色づく時期も年々遅くなっている。なお葉の黄色の色素はカロテノイド(carotenoid)、赤色の色素はアントシアン(anthocyan)と呼ばれている。

 

 

「山行(さんこう)」    杜牧(とぼく)

 

遠上寒山石径斜             遠く寒山に上れば 石径(せっけい)斜めなり

白雲生処有人家             白雲生ずる処(ところ) 人家有り

停車坐愛楓林晩             車を停めて坐(そぞろ)に愛す 楓林の晩(くれ)

霜葉紅於二月花             霜葉は二月の花よりも 紅(くれない)なり

 

 

 

(拙現代語訳)

遥々と寂しい山に登っていくと、石の多い小道が斜めに続いている。白い雲がかかっているあたりに人家が見える。

車を停めて思わず夕日に照り映えた楓の林の景色を眺めてみた。霜にあたり紅葉した楓の葉は二月の桃の花よりもずっと赤くて美しい。

 

 

(拙英語訳)

“Mountain Walking” by Du Mu

 

Desolate mountain top afar off commands a stony path running slantwise to a house under the white clouds in the distance.

Stopping the cart to stroll around the maple trees in the twilight, frosted leaves look redder than plum blossoms of February.

 

 

 

「気難しい」という日本語からまず浮かぶのは fastidious という形容詞である。この語の定義は以下の通り。

 

Fastidious:

1) If you say that someone is fastidious, you mean that they pay great attention to detail because they like everything to be very neat, accurate, and in good order.

「全てのことについて非常にきちんと、正確で、順序正しくあることを好むがため、細部わたり大きな注意を払う人」

 

2) If you say that someone is fastidious, you mean that they are concerned about keeping clean to an extent that many people consider to be excessive.

「大抵の人が行き過ぎだと思うような程度まで清潔に保つことに気を遣う人」

 

2)は潔癖症のこと。1)のような輩と付き合うのは面倒だ。それが顧客であればなおさら厄介なことである。

 

 

 

 

「気難しい」ならまだしも、それを越えて「偏屈」となるとコミュニケーション自体が難しくなる。これを表す cantankerous という形容詞がある。定義は以下の通り。

 

Cantankerous:

Someone who is cantankerous is always finding things to argue or complain about.

「いつも論争(自説を主張)したり、不平不満をぶつけたりできるものを探している人」

 

不運にもそんな輩に巡り合い仕事上暫くの間コミュニケーションを取らなければならない時期があった。まあ今は人間関係の修業だったと考えている。但し、英文ではこの単語見かけたことは無い。

 

 

2019年11月初旬、新日鐵(現・日本製鉄㈱)関連のN社からベルギー・ブリュッセルへの通訳派遣の案件が舞い込んできた。言語は日本語⇔英語、期間11月末から12月初旬の1週間ほどだった。

 

11月下旬には例の「日中韓三カ国環境大臣会合」の大規模多言語通訳を控えていたが引き受けざるを得なかった。また、コーディネートも私がする以外なかった。

 

 

通訳の内容はN社がベルギーのD社に納入した設備(equipment)の障害の対応に関するもので、インバーター、インダクター、キャパシターなどの用語が出てきたが文系の私にはさっぱりわからなかった。

 

 

 

 

N社の担当エンジニアI氏は幸い大学の後輩(工学部・学士)で、門外漢の通訳者と私に丁寧に技術的基礎を説明してくれた。但し、ある問題があった。それは「D社の担当者がかなり気難しい年配の技術者」らしいことだった。いわゆる前述の fastidious である。

 

ただ、これに関してはI氏が既に相応の対策を講じていた。D社担当者に対する受け応えのポイントをルール化して簡潔に整理していた。

 

「この男は捌ける!」と思った。「Iさん何年目ですか?」ときくと「今3年目です。」との答えが返ってきた。まさに「栴檀は双葉より芳し」と思えた。

 

 

I氏に同行した男性通訳者は、ベルギー・ブリュッセルでの通訳を卒なくこなして帰国してきた。

 

 

令和改元のお祭りムードが続いていた2019年の後半、通訳案件でビジネスも活況、来る2020年もこんな好景気が続くと思っていた。