流離の翻訳者 青春のノスタルジア -35ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

下宿はトイレと洗面所が共同、洗濯機も共同だった。風呂はなく銭湯通いとなった。

 

毎朝起きると外の共同洗面所で歯を磨いて顔を洗った、洗濯物は共同の二層式洗濯機で洗い別棟の屋上の物干しに干した。物干しに屋根はなく天候に注意が必要だった。京都は雷が多く何度か怖い思いをした。

 

 

徒歩5分くらいのところに「平安湯」という銭湯があった。当時の入浴料は150円くらいだった。長い髪の女性には洗髪料金というものが課された。

 

京都の銭湯の湯温はやたら熱く何度かのぼせてしまった。銭湯の入り方も知らなかった。また買ったばかりの下駄を銭湯で盗られた。鍵がかかる下駄箱に入れればいいものを……。人間不信に陥った。

 

銭湯から少し南に下ったところに「風媒館」という食堂・喫茶があった。「チキンカツ定食」をよく食べた。コーヒーとセットで500円くらいだった。

 

 

 

 

本学を南から北に抜けると今出川通りにでた。銀閣寺方向に東に進むと喫茶店や食堂、古本屋など学生街が続いていた。

 

よく行った喫茶「アラビカ」。オムライスやベーコンエッグとコーヒーのセットが500円だった。愛想のいいママさんとダンディなマスターが居た。

 

その他、食堂「ハイライト」「餃子の王将」(農学部前店)、ラーメンの「天下一品」(銀閣寺店)、中華の「白水」あたりでよく食べた。

 

 

古本屋は今出川通り沿いに10軒くらいあった。古本屋巡りも楽しみの一つになった。文学史の本にあったような名作を買っては少しずづ読み始めた。

 

また「ドクトルまんぼう青春記」に出てきたカントの「純粋理性批判」デカルトの「方法序説」阿部次郎の「三太郎の日記」倉田百三の「愛と認識との出発」などタイトルだけ知っている哲学書も買い集めたが、読破できたものは皆無に等しい。

 

 

 

 

5月に入り、ホームシックとスチューデント・アパシー(Student Apathy)から自分の方向性を見失うなか、渡辺真知子の「迷い道」という曲が流行っていた。

 

4月初旬には教養部の受講科目が決まった。週に英語が2コマ、ドイツ語が2コマ、数学と保健・体育が必須だった。保健・体育では体育実技と保健・体育理論が課された。

 

 

それ以外に人文科学、社会科学、自然科学からそれぞれ3コマ以上を履修しなければならなかった。授業は1コマ90分、平日は1日4コマ、土曜日は2コマだったので一週間で22コマ。そのうち20コマくらいの講義に出るスケジュールを立てた。

 

今も覚えているのが、最初の講義である。科目は宮本盛太郎先生の「政治学」。テーマは「北一輝研究」だった。緊張と期待をもって教室で待っていたが10分、15分と経っても先生が来ない。

 

すると誰かが教室に走り込んできて「休講でーす!」と叫んだ。「京大の講義とはこんなものか……」と気の抜けた状況になった。予備校の講義とは随分の違いである。

 

 

以後も教養部の講義は大体そんな感じだった。「求めさえすれば何でも与えられるが、怠けようと思えばずっと怠けていられる」環境に流されていった。

 

 

 

そんな教養部の講義にも少し慣れた4月の半ば、E2の新歓コンパが出町柳の三角州(通称「鴨川デルタ」)で夕刻から行われた。花冷えのする空の下、河原に円陣を組んで座り、ビールと冷や酒に紙コップ、肴は生協で買ったするめやあられだけである。

 

二浪以上のものを除きほぼ全員が未成年だった。酒の飲み方など知るはずもない。案の定、2名が急性アルコール中毒になり救急車で搬送されるという結末となった。

 

 

私は両隣に座ったクラスメートに両肩を抱えられて、何とか下宿まで辿り着いた。夜中に目が覚めると猛烈な喉の渇きの中、下宿の天井がグルグル回っていた。

 

高校2年の冬以来、二度目の二日酔いであった。

 

 

吉田二本松町の下宿は、通りに面した母屋の二階、三室の真ん中にある四畳半の部屋だった。両隣には、医学部の5回生と理学部・数学科の3回生という硬派な学生が住んでいた。

 

下宿の窓からは吉田山や京都の古い町並みが見えた。机、椅子、本棚、炬燵、冷蔵庫、カラーボックスなどが届くにつれ、次第に自分の部屋らしくなっていった。

 

平日の朝・昼・夜の食事は大学生協の食堂で済ませた。おおよそ300円くらいで食べることができた。しかし、土曜の夜と日曜は生協が営業していないため、吉田界隈で食事をする店を探した。

 

「小料理〇〇」という店を見つけて入ってみると、女将さんに「学生さん向けの食堂なら、通りを南へ下がったところにぎょうさんありますし」と教えられた。そこで初めて、「小料理屋は食堂ではない」ことを知った。

 

 

そうして訪れたのが、「喜楽飯店」という中華料理屋だった。メニューは最初に中国語で書かれ、その後ろの(    )内に日本語が添えられていた。

 

よくわからなかったので、「柳麺(ラーメン)」を注文した。値段は300円ほど。店員の中国人が「ヤナギ!イー!」と厨房に向かって叫んだ。「イー」は中国語で「1人前」という意味だった。

 

しばらくして運ばれてきた「ヤナギ」は、マルタイの棒ラーメンに具をのせたような一品だったが、不味くはなかった。ただ、豚骨ラーメンしか知らなかった私には、やや物足りなく感じられた。

 

ある日、同じクラスの友人と「喜楽飯店」で食事をすることになった。実のところ、私は中華料理といえばラーメン、炒飯、餃子、酢豚くらいしか知らなかった。四国・松山出身の彼は、席に着くなり開口一番「中華丼!」と注文した。つられて私も「僕も中華丼!」と頼んだ。

 

実は、それまで「中華丼」なるものを食べたことがなかった。飯の上にラーメンや餃子が乗った妙なものを想像していたが、実際に運ばれてきたのは、丼にたっぷり盛られたご飯の上に「八宝菜」がかかった一品だった。そして、それは驚くほど美味しかった。様々な野菜と豚肉のほかにレバーも入っており、空腹の学生の胃袋を満たすスタミナ満点の料理だった。

 

「喜楽飯店」には、三田村邦彦に似た若い料理人がいた。腕が良く、何を食べても美味しかったが、とりわけこの中華丼は絶品だった。しかし、残念ながら私の在学中に料理人が変わり、味が落ちてしまった。あの「中華丼」は二度と食べられなくなり、「喜楽飯店」からも次第に足が遠のいていった。

 

 

大学を卒業した後、店は閉店してしまったようで、店の跡も、あの料理人の消息もわからない。それ以来、あの「幻の中華丼」は、私が生涯でぜひもう一度食べたいものの一つとなっている。こうなったら、いっそ「探偵ナイトスクープ」に依頼するしかないかもしれない。

 

 

 

 

 

以下は「英文表現法」から「下宿から眺めた春の町並み」に関する文章である。

 

(問題)

下宿の窓から外を眺めると、暖かい日差しをうけた畑地から、靄がゆらゆらと立ちのぼり、遠く神社の森や、南側の斜面の新しい町並の中に目立つ、赤い教会の塔はその軟らかい大気の中に、かすむように漂っている。春も次第次第に深まり、これで、色づきはじめた桜のつぼみがほころんで、そして、一夜の雨風に散ってしまえば、あとはただ、濃い緑と輝く日射しの初夏へと、移り変って行くばかりだ。(柴田 翔)

 

(拙・和文英訳)

Looking out from the window of the rooming house, I see a haze rising slowly from the fields under the warm sunlight. The distant forest around the shrine and the red church tower standing out in the new townscape on the southern slope are shimmering faintly in the soft air. As spring deepens gradually, cherry blossom buds begin to change the colors. Once the buds open and are scattered by one night wind and rain, the season alone moves to the early summer with deep greenery and bright sunshine.

 

つん読(積ん読)は、入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態を意味する言葉であるが、「知的生産の技術」にもう一つの「つん読法」について書かれていた。

 

「読まないでつん読のではなくて――もちろんそれもたくさんあるが――いっぺん読んでから積んどくのである。読み終わって、鉛筆で印をつけた本は、しばらく、書斎の机の上に文字どおり積み上げてある。先に述べた、傍線にしたがってのノートつけは、読んだあとすぐではなくて、数日後、または数週間後に行うのである。その間、本の現物は、目の前に積んどかれる。」

(梅棹忠夫著「知的生産の技術」p.110)

 

 

「古書への旅」を始めてはや5か月。いっぺん読んで傍線をつけた専門書は増えてきた。面白かったと思えるものについて、しばらくしたらノートつけを始めたいと思っている。

 

まずは「入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態」のものをいっぺん読むことを先に進めたいと思う。とりあえず、先日書いた「サイコパス」に関連しての以下の書籍を読み始めた。

 

①「入門 犯罪心理学」原田隆之著/ちくま新書

②「診断名サイコパス」ロバート・D・ヘア著/ハヤカワ文庫

③「平気でうそをつく人たち」M・スコット・ペック著/草思社

④「良心をもたない人たち」アーサ・スタウト著/草思社文庫

 

①は読み終わり、現在②③④を同時並行的に進めている。実例の中で少しずつサイコパスの本質が見えつつある。

 

 

 

 

 

上洛したばかりの頃は、この4年間は京都の名所をしっかり観てやろうと思っていた。当時入ったサークルが「京都を歩く会(京歩会)」というものだった。

 

最初は和辻哲郎の「古寺巡礼」のような硬派なサークルだと思っていたが、果たしてその実態は……、週末ごとに女子大や短大と合ハイを重ねるだけの超軟派な輩たちの集まりだった。

 

新歓コンパにはとりあえず参加したが、軟派をしまくる先輩たちや酔った女子大生たちの行儀の悪さに私の理想の女性像は粉々に破壊された。また年上の女性が酔うと手が付けられないことがわかった。

 

「京歩会」は新歓コンパ終了後に即退会し、以来京都の名所をわざわざ訪れることは少なくなっていった。

 

 

当時「何時でも行ける」と思っていたところで実際に行ったところは殆どない。時間はいくらでもあったはずだが、京都の4年間、大した名刹をめぐることができなかったことが今も心残りとなっている。

 

いつの日かゆっくりと京都を旅して、心行くまで寺社仏閣などめぐることができればと思っている。

 

 

 

以下の京大の過去問は、そんな京都の文化財についての私の気持ちに通じるものである。

 

(問題)

私たちは、周囲にあまりにもたくさんある文化財になれっこになって、その存在を当然のように思いがちである。しかしほんとうは、一つ一つの文化財は、それを維持するために尽くしてきた数多くの人々の多年の努力の結晶なのだ。文化財をおろそかにすることは、そうした人々の努力をないがしろにすることであるという事実を忘れてはならない。

(2002年 京都大学)

 

(拙・和文英訳)

We have become so familiar with many cultural properties around us that we are liable to easily think that they exist around us as a matter of course. However, to tell the truth, each of those cultural properties is the fruit of long years’ efforts by the people who have devoted themselves to maintaining them. We must keep it in mind the fact that we might as well make light of such people’s efforts as neglect those cultural properties.

 

花粉が飛散し桜が開花する中、進学や就職また転勤などの準備で何かと慌ただしい時期となった。まさに「旅立ちの季節」を迎えている。

 

 

 

今から45年前。英和辞典とラジカセだけを抱えて下宿探しに上洛した。過保護だったのか母と祖母が京都までついてきた。出町柳から一乗寺まで始めて乗った京福電鉄など、まるで昨日のことのように思い出す。

 

(京福電鉄・元田中付近)

 

 

結局、下宿は大学のそばの吉田二本松町に決まった。大学まで徒歩5分くらいの四畳半一間の間借りだった。それから二年間、下宿のおじさんやおばさんには随分とお世話になった。

 

 

大学に入学して教養部での授業が始まったとき、新しいドイツ語の辞書や英語・数学のテキスト、その他多くの専門書が揃い始めに新しい世界にワクワクしながら日々を送っていた。

 

それにしても数学のテキスト「位相解析入門」は難解極まるものだった。自分の無知というより、高校数学と大学数学のギャップに愕然とした。

 

もっと真面目に素直な気持ちで授業に取り組んでいたら違った未来もあったかも知れない。今になってそんなことを思う。

 

 

 

以下は「英文解釈難問集」から京都府立医科大学の過去問である。「受験勉強の知識は大海の一滴のようなもの。自分の無知を謙虚に受けとめなさい。」と説いている。

 

 

 

(問題)

We quit the school of our youth for the great arena of life and we are amaze to find how little we really know. We speedily learn that our knowledge is but a drop, while ignorance is sea. If we are brought into contact with cultured and thoughtful people, we are humbled, if not indeed ashamed, of the multitude of things concerning which we are painfully ignorant.

(京都府立医科大学・1978年以前)

 

 

(拙・英文和訳)

我々は、青春という学校を去って人生という偉大な舞台にのぼる。そして、自分がほとんどものを知らなかったことに気づき驚くのだ。我々は、自分たちの知識がほんの一滴であることに対し、自分たちの無知が大きな海の如きであることを学ぶのである。我々が、教養があり思慮深い人々と接触するとき、我々は、我々が痛々しいほどに無知である多くの事柄について、実際恥じ入ることはないにしても、謙虚になるのである。

 

昨年の秋に植えた20本のチューリップの1本が黄色い花を咲かせた。また小さな家庭菜園では紅菜苔(コウサイタイ)が黄色い花を咲かせている。こちらは日々春らしくなっている。

 

 

 

今までの人生の中で「サイコパス」と呼べるような人間を二人知っている。それも二人とも同じ部門に同時期に所属していた。もう20年以上前のことだが二人とも男性、私より年下だった。

 

「サイコパス」についてはその当時用語すら知らなかった。とにかく二人とも仕事の要領がよく狡猾な人間で気がつけば彼らに利用されていたこともあった。自分の業績のためには何でもやるような輩だった。

 

幸い私は酷い被害は受けなかったが結局二人とも転職していった。今は転職先でそれなりのポジションに就いているのではないだろうか。まあ二人とも二度と付き合いたくない連中である。

 

 

東野圭吾の長編小説「白夜行」唐沢(西本)雪穂「幻夜」新海美冬には、単なる悪女というだけではなくサイコパスの傾向がみられる。

 

 

数年前「サイコパス」に関心をもって何冊か専門書を購入した。最初に読んだものが原田隆之著「サイコパスの真実」というものである。

 

同書の扉にこんな文章がある。

 

「……彼らは、他者の権利や尊厳を考慮せず、自己の利益のみに関心があり、平気で嘘をついたり、冷酷な仕打ちをしたりする。失敗を他人のせいにし、些細なことで怒りを爆発させ、攻撃的な言動を取る。彼らの行動は予測不能で、ときに理解しがたい衝動的な行動に出る。」

 

 

 

幼い頃、漫画などを読んでいると登場人物の声が何となく頭の中で流れていた。登場人物の容姿や性格から勝手に創作されたものだったのだろう。

 

漫画がアニメ化されて声優の声が自分の想像と大きく異なったりすると、当初何となく違和感を覚えていた。大人になってそんな感性も何処かへ行ってしまった。

 

 

中野信子さんの「脳の闇」を読み終えた。専門書なみに難しい内容だった。同書の第八章「言語と時間について」に不思議な話がでてくる。「双子語」(cryptophasia)「個人語」(idiolect)というものだ。

 

 

「双子語」は、双子の間でのみ独自に使用される言語のことで、双子にしか通じない独特の単語や文法体系を持つものである。通常は比較的幼いうちに消失してしまうようだが10歳前後まで「双子語」を使い続けることもあるという。

 

もう一つの「個人語」は個人特有の言語の用法のことをいう。文字言語だけでなく、発話にもみられ、文法、発音にまでも独自の用法が使われているらしい。「方言」が主として地域的に限定されたある集団の間で共有されている言語的特徴であるのに対し、個人語はこれとは別物であると説明される。

 

言語は、文の構成、単語の選択、文体の表現などの要素が含まれるが、個人語では、これらの要素が固有の用法により使い分けられている。人はそれぞれ、使用する言語、社会経済的な地位、地理的な位置によって、固有の個人語を持っている。

(以上、中野信子著「脳の闇」p.228-230より引用)

 

 

果たして自分も「個人語」を使って文章を書き、話をしているのだろうか?であるとすれば、想定される読み手、聴き手により多少活用変化させているものであるように思う。

 

 

同書には釈迦の教えや西洋の哲学者の理論なども随所に引用されており、著者の教養の深さには恐れ入るばかりである。

 

まだ幼稚園くらいの頃にこんな思い出がある。

 

父母と街に買い物に出かけた時、ある大きな看板を見た。その看板には南の無人島の砂浜に私と同じくらいの歳の現地人の男の子が座っているものだった。辺りには誰もいない。男の子独りだけだった。

 

既に夕闇が迫っており、椰子の木が見える海岸の上には美しい夕焼けが拡がっていた。なんとこの看板を見て私はわんわん泣き出したのである。

 

両親に無人島に置いてきぼりにされた男の子を想像して、それが自分と重なってしまったからである。父母とも随分不思議に思っただろう。

 

 

 

数年前、下重暁子さんの「極上の孤独」がベストセラーになった時期があった。読んでみると、著者のアナウンサーやキャスターの経験からか非常に読みやすい日本語で書かれており、とくに山口百恵と安室奈美恵を対比させた件(くだり)など「なるほど…!」と感心させられた。

 

今回、同書の「はじめに」から一節を以下に引用する。実に印象的な文章だ。

 

 

「一人の時間を孤独だと捉えず、自分と対面する時間だと思えば、汲めども尽きぬ、ほんとうの自分を知ることになる。自分はどう考えているのか、何がしたくて何をすべきか、何を選べばいいか、生き方が自ずと見えてくる。孤独ほど贅沢な愉悦はない。誰にも邪魔されない自由もある。群れず、媚びず、自分の姿勢を貫く。すると、内側から品も滲み出てくる。そんな成熟した人間だけが到達出来る境地が『孤独』である。」

(下重暁子著「極上の孤独」より引用)

 

 

 

以前、新聞で「英語のlonelinessとsolitudeは日本語に訳すとどちらも『孤独』だが、英語では明確に意味が分かれている」という記事を読んだことがあった。その記事ではloneliness「寂しさを伴う否定的な孤独」であり、一方でsolitude「積極的に一人になるという肯定的な孤独」を意味すると結んであったが、果たして本当にそうなのか?

 

 

本Articleでは、この「孤独」を意味する2つの単語、lonelinesssolitudeに焦点をあて、その比較を行い若干の考察を試みる。

 

まず日本語の「孤独」の意味を調べる(広辞苑)。

「孤独」:

①孤児と老いて子なき者。

②仲間のないこと。ひとりぼっち。

 

漢字「孤」はそれ自体で孤児、すなわち父に死に別れた子の意味を表す。(漢字源)。

 

 

次に、英英辞典で2つの語、lonelinesssolitudeの定義を確認する。

 

1) Loneliness:

Loneliness is the unhappiness that is felt by someone because they do not have any friends or do not have anyone to talk to.

「友だちや話しかける人が居ないために人が感じる悲哀(不幸な気持ち)」

 

2) Solitude:

Solitude is the state of being alone, especially when this is peaceful and pleasant.

「一人で居る状態のことで、特にそれが安らかで心地よいときの状態」

 

さらにこんな格言があった。

 

Language has created the word “loneliness” to express the pain of being alone. And it has created the word “solitude” to express the glory of being alone.

Paul Johannes Tillich

「言語は一人でいることの痛みを表現するために“loneliness”という語を創り、また一人でいることの恵みを表現するために“solitude”という語を創った」

パウル・ティリッヒ(神学者1886-1965)

 

格言が簡潔に表している通り、新聞記事の内容が正しかったことがわかった。

 

今、中野信子さんの新刊「脳の闇」を読んでいる。いつもながら辛辣な内容だが目から鱗が落ちる思いをしばしばする。脳の働きは実に不思議なものだ。

 

今回、同書の第二章「脳は、自由を奪う」から一節を取り上げてその英訳に挑戦してみたい。

 

 

 

 

(原文)

そもそも脳は、怠けたがる臓器である。脳は、人間が身体全体で消費する酸素量のおよそ4分の1を使っている。そのため人間の体は本能的に、脳の活動量を抑えて負荷を低くしようとする。ところが、「疑う」「慣れた考え方を捨てる」といった場面では、脳に大きな負荷がかかるのだ。自分で考えず、誰かからの命令にそのまま従おうとするのは、脳の本質ともいえる。

(中野信子著「脳の闇」p.55より引用)

 

(拙・和文英訳)

In the first place, human brain is an organ which is apt to spare itself. The brain consumes about one-quarter of the total amount of oxygen consumed by the entire human body. For this reason, the human body instinctively tries to restrain the brain activities in order to reduce its load. However, in cases where a person has to “doubt” or “abandon one’s experienced idea,” a heavy load is applied to the brain. Therefore, it can be thought that it is the real nature of the brain to tend to follow someone’s instructions without thinking by itself.