新・英語の散歩道(その79)-姜尚中「母の教え」ー紫陽花が咲き始める頃 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

昨日からまた気温が下がった。朝方は暖房が必要なほどだ。春の天候は寒暖の差が激しい。

 

 

母が亡くなってもうすぐ丸4年になる。日本中が「令和改元」のお祭り騒ぎに浮かれていた頃。紫陽花が咲き始めた時節だった。

 

令和改元を知ってコロナ禍を知らずに逝ったのは、ある意味幸せだったのかも知れない。今はそんなことを感じる。

 

 

 

数年前に読んだ、姜尚中著「母の教え」をパラパラめくっていたら、ある文章に傍線を引いていた。心に留まった一節と思ったのだろう。少しだけ母の人生に似てる気がする。

 

 

 

(日本文)

いつも何かに追われるように、次から次へと心配りに忙殺され、人生のペダルを慌ただしく漕ぎ続けた母。おっとりした少女は、次第に、神経症的なこだわりに囚われ、壮年期には、躁鬱の激しい性格へと変貌していた。気の休まる時間など、ほとんどなかったのだろう。だが、人生の終わりの時が近づくにつれ、母は本来の穏やかな性質を取り戻していった。もちろん、純朴な幼子に戻れるわけがない。あまりにも多くの人生の垢が、心身にこびりついていたからだ。しかし、連れ合いにも先立たれ、同じ時代の経験を共有する人びとがいなくなったころの彼女は、人生の酸いも甘いも味わい尽くした、大人ならではの清らかさに包まれていた。息子の目には、人生のもやい綱を断ち、何事にも動じない、自分だけの世界に戻っていくようにさえ映った。

(姜尚中「母の教え 10年後の『悩む力』より引用)

 

 

(拙・和文英訳)

My mother, as if always being chased by something, had been occupied with various considerations one after another, and had continued to pedal her life hurriedly. A calm girl gradually became affected with a neurotic obsession, and had changed to a seriously manic-depressive personality in her middle age. There would have been little time for her to relax herself. However, as the end of her life approached, she restored her natural calm character. Of course, she couldn’t go back to an innocent child because her mind and body were soiled with much dirt of her life. However, when she survived her husband and there were no people who could share her experiences of the same era, she was filled with the purity as an adult who had known sour and sweet of life. In my eyes as a son, her feature was as if she had cast off the mooring of life and returned to her own world where she could always keep herself calm toward anything.