新・英語の散歩道(その75)-遠い日の記憶⑤-「白い道」(三八豪雪) | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

昨年末に最後の職場を退職したので、先日フリーランスとしての名刺を作り直した。

 

今年は旧友・旧知との再会が多く名刺が役に立っている。それにしてもみんな歳をとったものだ。

 

昨日の飲み会は福岡・赤坂で「もつ鍋」だった。随分久しぶりの味を堪能した。また旧友たちの懐かしい顔を見ていると記憶が次から次へと甦ってくる。脳がまた活性化されたようだ。

 

 

 

季節外れだが、今回は「雪」がテーマである。

 

私が幼い頃は、子どもにとっては雪は「寒い」ものではなく「楽しい」ものだった。今でもそんな雪の日の記憶が甦ることがある。

 

 

 

当時の主たる暖房設備は掘りごたつだった。掘りごたつの中には火鉢があり練炭を燃やしていた。こたつに顔を突っ込むと一酸化炭素中毒になる状況だった。

 

石油ストーブが既にあったかどうかははっきりしない。床面にも火鉢を置いて暖をとっていたような記憶がある。夜寝るときは湯たんぽで暖をとった。

 

 

 

父は若い頃バイクに乗っていた。何度か後ろに乗せてもらったが怖いと思ったことはなかった。ただ、その日はバイクが運転できるような状況ではなかった。大雪だったからだ。

 

まだ私が小学校に上がる前のこと、そんな大雪が降った次の日、小学校の前の道は雪で真っ白になっていた。いわゆる「三八豪雪」(昭和38年=1963年)である可能性が高い。

 

その道を父母と私それに祖母の4人で歩いている。たぶんこたつ用の練炭を買いに行く途中のような記憶がある。

 

何故そのシーンだけを覚えているのかわからない。昭和の寒い灰色の空の下の記憶である。