新・英語の散歩道(その74)-遠い日の記憶④-甘酒と美人姉妹 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

庭の躑躅(つつじ)が咲き始めた。朝方は冷えるが日中は初夏のような時節になった。

 

ところで、この「躑躅」という漢字がだ、音読みでは「てきちょく」と読み「二、三歩進んでは止まること、躓(つまづ)く、躓いて止まること」(漢字源)の意味がある。

 

一説によると、ある種の躑躅には毒性があり、その葉を食べた羊が躑躅(てきちょく)して死んだことが由来とも言われている。

 

 

 

私を可愛がってくれた伯父・伯母が昔住んでいた辺りに今でも時々行く。よく遊んだ神社が今も残っており、神社の裏手には公園がある。

 

この公園は当時はとても広く感じたが、今見ると大したことはない。伯父の家から神社までの距離についても同じである。単に自分のスケール(度量ではなくサイズ)が大きくなっただけのことである。

 

 

 

夏休み・冬休みには何日間も伯父夫婦の家に泊まった。父母と違い何をやっても怒られることはなく私にとってはわがままのし放題で居心地のよい場所だった。

 

伯父の家の周りにも自然と同世代(小学校の低・中学年)の友達ができた。不思議と当時は誰とでもすぐに仲良くなれた。男の子が多かったが顔は全く思い出せない。

 

 

神社の側に「石屋」(今で言えば石材業)を営んでいる家があった。そこには5~6人の姉妹がいた。男の子は居らず、こちらは何となく顔が思い浮かぶ。全員が器量よしだった。

 

当時一番上の姉さんが高校生くらいで、一番下は私より年下だった。伯父夫婦の家に行くと必ずその家に遊びに行くようになった。

 

私が行くとお菓子を出してくれ、姉妹が皆で私の相手をしてくれた。その家で初めて「甘酒」というものを飲まされた。これが私が飲んだ最初のアルコールである。でも本当に優しくて綺麗な姉さん達だった。

 

 

この我が儘放題させてくれる伯父夫婦と、優しい美人姉妹に囲まれた幼少期が私の今の性格の形成に大きな影響を与えているものと思う。

 

伯父・伯母の家は随分前に取り壊され道路の一部になった。石屋の家屋は、ほぼ当時のまま残っているが空き家になっているように見える。人が住んでる気配は感じない。

 

 

あの美人姉妹も既に皆「婆さん」の範囲に入っていると思うが、できれば(お互い)生きているうちにもう一度会いたいと思う。私にとっては決して頭が上がらない人々である。