二日間の黄砂の嵐が過ぎて、昨日の夕方からかなり強い雨になった。車に降り積もった黄砂も完全に流れ落ちただろう。
先日、近所を歩いていると、庭に藤の花が美しく咲いている家を見つけた。桜は散って藤の時節になった。父方の祖母は名前を「藤子」といった。ちょうどこの時期が誕生日だった。随分可愛がってくれた祖母だった。
「藤」の語源は「吹散(ふきちり=吹き流し)」。英語では wisteria と言う。花言葉は「優しさ」と「歓迎」。西洋では welcome と steadfast らしい。
五木寛之著「回想のすすめ」に「人の記憶は、いったいどの位まで幼児期にさかのぼれるのだろうか」について書かれた一節があるが、たぶん幼稚園に入る前の不思議な記憶が残っている。
私は二人の祖母(一人は藤子さん)に連れられて、父が入院している病院らしきところからバス(?)で渡船場に向い、そこから渡船に乗る。
病院かバス乗り場かで何かお菓子が詰まった青いバッグを買ってもらった記憶がある。ペコちゃんの絵がついた濃い青のビニールのバッグだ。
渡船はたぶん若戸渡船だろう。まだ若戸大橋ができる前だろうから1962年より前なので私が4歳くらいのことになる。
港に着くと二人の祖母に手を引かれて丘を登っている映像に移る。丘の頂上付近に祠(ほこら)がある。その祠に入ると祠の壁には「眼眼眼眼眼眼……」、「膝膝膝膝膝膝……」などと書かれた紙がたくさん貼り付けられていた。
参詣者が自分が患っている部位を書いて病気の治癒を祈願したものであることを祖母たちから教わった。その紙の中に「膀胱膀胱膀胱膀胱膀胱膀胱……」と書かれたものがあった。どういうわけか、これを私は「ボウコウ」と読めた。
そのとき二人の祖母は「○○ちゃんよく読めたね!」と褒めてくれている。そんなシーンで記憶は終わる。
実に不思議な記憶である。その祠が何処だったのか何度か検索して調べてみたが、今も所在はわからない。
今思えば、入院していた父の病気快癒の祈願だったのかも知れない。もちろん祖母たちも母も他界しており確認するすべはない。