流離の翻訳者 青春のノスタルジア -32ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

元NHKのキャスターで草野満代さんという方がいる。以前からファンだったが先日テレビ画面で見かけて懐かしく思えた。

 

学生時代の専門は数学らしい。頭が切れるはずだ。それでいて物腰がソフトなのが好きなところだ。

 

アマゾンで探して「ニュースキャスターの本音」(小学館文庫)を読み始めた。今から20年余り前のキャスターとしての気持ちや裏話が日記形式で綴られている。

 

 

 

草野満代さんで思い出すのが、NHKモーニングワイドを担当していた頃、年明け第一営業日の放送である。たぶん1992年のことである。メインキャスターは松平定知さんだった。

 

映像は、年明け早々、地元の公衆浴場(温泉)の朝風呂に通う老人たちの姿が映し出されていた。それがどうした間違いか、ある老人の●●●がテレビに映し出されてしまった。

 

 

 

松平定知さんは動揺して「おいおいカメラ!何やってんだ!今見えたぞ!」とキャスターにあるまじき、ぞんざいな言葉を発した。正月早々の珍事である。

 

暫くの気まずい沈黙があったが、そのとき草野満代さんが「皆さま、大変失礼いたしました」と冷静な一言を発した。

 

ただ思ったのは、「彼女は何に対して失礼と感じて謝罪したのだろうか?」ということだった。カメラマンか、松平貞知メインキャスターか、それとも老人の●●●か?ただ、以後番組は通常のコースに戻り、何もなかったかのように終了した。

 

 

今思えば、気転が利いた対応だったのかも知れない。その頃から彼女のファンになった。

 

学生時代、グライダー部に所属する友人がいた。小学校からの幼馴染みである。但し、彼の場合は入部の動機がちょっと変わっている。

 

彼は工学部・航空工学科を第一志望としたが、残念ながら第二志望の資源工学科に合格した。だが、空への憧れは捨てがたくグライダー部に入部したというものだった。

 

航空機の機体や部品を設計・製造するのも面白いだろうが、グライダーを操縦するほうがもっと面白い気がする。

 

 

 

一作前のNHKの朝の連ドラ「舞いあがれ!」は飛行機に関連するものだったが、随分昔に「雲のじゅうたん」という朝ドラがあった。1976年(昭和51年)の上半期のものでヒロインは浅茅陽子さんだった。

 

ヒロインの真琴が、大正・昭和時代の女性操縦士という夢に向かって頑張る姿が描かれている。舞台は東北・秋田県だった。

 

 

 

では「知的創造のヒント」「グライダー効果」について以下に紹介する。

 

 

(日本語)

英語の会話をしなくてはならないという日の朝、英語のレコードを聴いておくと、そうしないときときより確実に言葉が出やすくなる。これは多くの人がひそかに実行していることらしい。外国語で文章を綴るときも、その直前に、お手本になる文章をしばらく読んでから執筆にかかると、たしかに書きやすくなるように思われる。

(中略)

これをたとえていえばグライダーのようなものである。お手本になるものに引っ張ってもらうと、飛び上がって空を滑る。しかし、自分の力で飛んでいるわけではないから、やがて力を失って地上へ降りてこなくてはならない。ただ、飛んでいるときは、あくまで優雅で、どうして飛んでいるかなどは問題にならない。そればかりではなく、むしろ、音もなく滑空しているところなど、本当の飛行機よりもましであると思う人があるかもしれない。飛んでいればグライダーか飛行機かはわからない。すくなくともグライダーはグライダーであることを忘れることができる。

 

 

(拙・和文英訳)

Listening to an English record in the morning when you have to speak English will definitely make it easier for you to speak than if you don’t. Many people seem to do such things secretly. Even when writing sentences in a foreign language, reading model sentences for a while immediately before writing seems to make it easier for me to write.

*snip*

This is like a glider. When you are pulled by a model, you can jump up and glide through the sky. However, since your glider is not flying by itself, it must eventually lose its power and descend to the ground. However, when flying, it is graceful, and it does not matter how you are flying. What is more, someone might think your glider is better than a real airplane because it is gliding soundlessly. If you are flying, you don’t have to tell if you are on a glider or on an airplane. At least, your glider itself can forget that it's a glider.

 

「中絶読書」と聞いて「えっ!」と不審に思う人も多いだろう。私もそうだった。中絶読書とは、本を読みさし(読みかけ)でやめることをいう。

 

私の蔵書にも読みかけてやめた本が結構あるが、外山滋比古氏によれは、それが知的創造に繋がるという。さて、どういうことなのか。

 

 

(日本語)

「中絶読書」は、読み切らないで、おもしろくなりそうなところで、つまりスピードが出たところで、本から離れ、そこに生じる慣性を利用して自分の考えを浮び上がらせようとすることにほかならない。芸術作品なら全部を読み通したうえでの余韻がなくては困るが、知的な文章では最後まで付き合っては、あまりに多く影響を受けすぎることになってしまいおもしろくない場合もある。本はきっかけになればよいし、走り出させてくれればそれでりっぱな働きをしたことになる、そういう読書もある。

おもしろすぎて先を読むのがこわくなるような本がときどきあるというのは、途中で切って、そこに創造的慣性の作用を起すことを、われわれが心のどこかで期待しているからかもしれない。

 

 

(拙・和文英訳)

“Leaving a book half-read” is nothing more than not reading it all, but moving away from the book where it is likely to become interesting, that is to say, when the reading speed increases, and using the inertia generated there to try to bring your thoughts to the surface. In case of a work of art, a resonance is absolutely necessary after reading through it all, however, in case of an intelligent writing, if you get along with it to the end, you will have too much influence, which may not be interesting in some cases. Such an intelligent writing should be a trigger which could spur you into running, and if so, it has played a great role for you. This is also a manner of reading.

We sometimes find a book that would be so interesting that we may feel scary to read it ahead, which may be because we expect somewhere in our hearts to cut it off and create an action of creative inertia in it.

 

昨年7月頃から毎朝1時間程度のウォーキングを行っていたが、12月から3月まで寒さのため休んでしまい、結果的に随分体重が増えてしまった。

 

また少しずつウォーキングを再開しようと思う。

 

 

外山滋比古著「知的創造のヒント」「散歩」に関する記述があったので以下に紹介する。こんな極致に簡単に至れればいいのだが……。

 

 

 

(日本語)

散歩という言葉はぶらりぶらりのそぞろ歩きを連想させるが、それではカタルシス(浄化)はおこりにくい。相当足早に歩く。はじめのうちは頭はさっぱりしないが、三十分、五十分と歩きつづけていると、霧がはれるように、頭をとりまいていたモヤモヤが消えていく。

それにつれて近い記憶がうすれて遠くのことがよみがえってくる。さらに、それもどうでもよくなって、頭は空っぽのような状態になる。散歩の極致はこの空白の心理に達することにある。心は白紙状態(タブラ・ラサ)、文字を消してある黒板のようになる。

思考が始まるのはそれからである。自由な考えがうまれるには、じゃまがあってはいけない。まず、不要なものを頭の中から排除してかかる。散歩はそのためにもっとも適しているようだ。

 

 

(拙・和文英訳)

The word “walking” reminds us of rambling, but rambling is hard to cause catharsis (purification). You should walk at a considerably quick pace. At first, your head doesn't feel refreshed, but after walking for thirty or fifty minutes, the cobwebs in your head will disappear like a fog.

As this happens, close memories fade and distant memories come back. Moreover, even distant memories cease to matter, and your head becomes empty. The culmination of walking lies in reaching this blank state of mind. Our mind is like a white paper (tabula rasa) like a blackboard with no letters.

Then, your thought begins. There must be no distractions so that a free thought may arise. First, you should remove unnecessary things from your head. I think, walking seems to be the best measure for that.

今日で4月も終わり。何かとイベントが多い一か月だった。気候も寒くなったり暑くなったり。因みに、この時期の寒さを「若葉寒(わかばざむ)」と呼ぶらしい。

 

 

そんな一か月、たいして本も読めなかったが最後にたどり着いたのが、外山滋比古著「知的創造のヒント」(1977年 講談社現代新書)というものである。

 

読み始めたが、さすが「不朽の名著」と言われるだけあって内容が濃い。同書の内容についてはいずれ何処かで書くつもりである。

 

 

とにかく明日から5月。気分を切り替えてTQEの準備に取り掛かろう。いよいよ緑の季節の到来である。

 

 

 

以下は、熊本地震の直後、2016年5月に書いた李賀「河南府試十二月楽詞、幷閏月四月」の記事である。この時期にぴったりの漢詩である。

 

 

またまた久しぶりのブログ更新である。

 

熊本・大分の地震で揺れた四月は去り風薫る五月となった。前期の数字も固まり今期もはや1か月が過ぎた。この時期に吹くやや強くて冷たい風を青嵐(あおあらし) と呼ぶが、今日もそんな風が吹いていた。

 

今の季節にぴったりの詩を以下に紹介する。「七言古詩」という形式のようである。

 

・・・・

 

「河南府試十二月楽詞、幷閏月四月」 李賀

 

暁涼暮涼樹如蓋    暁に涼しく暮れに涼しく樹は蓋の如く

千山濃緑生雲外    千山(せんざん)の濃緑(のうりょく)雲外(うんがい)に生ず

依微香雨青氛氳    依微(いび)たる香雨(こうう)青(せい)氛氳(ふんうん)たり

膩葉蟠花照曲門    膩葉(じよう)蟠花(ばんか)曲門(きょくもん)を照らす

金塘閒水揺碧漪    金塘(きんとう)の閒水(かんすい)碧漪(へきい)揺れ

老景沈重無驚飛    老景(ろうけい)沈重(ちんじゅう)にして驚飛(きょうひ)する無く

堕紅残萼暗参差    堕紅(だこう)残萼(ざんがく)暗(あん)に参差(しんし)たり

 

・・・・

 

(現代語訳)

夜明けは涼しく日暮れもまた涼しく、生い繁る樹がまるで天蓋のようだ。山々の濃い緑が雲から突き出て見える。細かな香りのよい雨が青い靄(もや)のように立ちこめ、厚い緑葉、びっしりと詰まって咲く花が紆余として曲門に映えている。

石畳の堤の閑かな水は碧の漣(さざなみ)を立て、終わりゆく春景色の日差しは重く緩やかで、慌しく散る花も無い。散り落ちた真紅の花びらと残った萼(がく)が暗い樹の下で入り交じって見える。


GWの初日は生憎の雨となった。久しぶりの一人の連休である。何か「生産的なことをしなければ!」と自分にプレッシャーを掛けながらも、毎日が何となく過ぎていっている。

 

そんな理由から一念発起し一昨日ある試験を受けることにした。翻訳力のチェックのつもりである。

 

 

 

3月以来、旧・安田火災の同期たちと話をするケースが増えている。研修期間の1年2か月間の間、同期の殆どが同じ寮にいたという関係から同期の結束がやたらに強い。

 

研修期間は1982年4月から1983年5月末までで、6月1日付けの人事異動で同期全員が全国に散っていった。我々システム部要員は1983年4月1日付けで事務管理部付けとなり、6月1日に事務管理部各課へ配属された。

 

6月の前半、寮の玄関はもちろん、東京駅や空港で地方へ赴任する同期を送りだしたことを懐かしく思い出す。

 

 

 

以下は、2015年4月に書いた漢詩の記事である。テーマは「送別」である。

 

 

新緑が目に眩しい初夏となった。暖房器具を片づけ衣替えも殆ど終えた。今年は暑くなるのが早いかも知れない。

 

以下のあまりに有名な漢詩、実はこの季節にピッタリなことに気がついた。

 

新緑の中の送別は考えにくいが、4月に入社した新入社員が、正式な配属が決まってこの時期全国に散ってゆくケースもあるだろう。人生は一期一会である。

 

・・・・

 

「送元二使安西」     「元二の安西に使(つかい)するを送る」 王維

 

渭城朝雨浥輕塵     渭城(いじょう)の朝雨軽塵を潤す

客舎青青柳色新     客舎青青(かくしゃせいせい)柳色新たなり

勧君更盡一杯酒     君に勧む更に尽くせ一杯の酒

西出陽關無故人     西のかた陽関(ようかん)を出ずれば故人無からん

 

(現代語訳)

渭城の朝の雨は軽い砂埃をしっとりと濡らし、旅館の前の柳も雨に洗われて青々と清々しい。

今旅立つ君よ!さあここでもう一杯飲んでくれ。この先、西域との境の陽関を出たら、もう友人は誰一人居ないのだから。


今から12年前、東日本大震災の1か月後に書いた漢詩の記事を再度投稿する。

 

 

 

あれからはや干支が一回り、時の経つのは恐ろしく速い。だがこの12年様々なことがあった。

 

地元の翻訳会社に勤務し始めたばかりの頃だったが、以来、翻訳・通訳部門の責任者となり、コーディネータや営業も経験できた。一つの会社を経営している感覚だった。

 

その間、今のパートナーと巡り合い、母が他界し、実家を相続してリフォーム、パートナーと暮らし始めた。

 

人生何が起こるかわからないが、もうこれくらいでいいかなとも思う。

 

そんな春の日が今日も過ぎてゆく。 

 

 

 

以下は、当時書いた記事である。

 

昨日季節は「春夏型」などと書いたが、日が沈むとまだ肌寒い。日中は20℃近くまで気温が上がっても、夜は10℃以下になる。いわゆる「花冷え」と呼ばれる時節である。

 

この土日、あちこちで桜を見たが、山間では梅と桜が同時に咲いているところ、耳を澄ますと鶯(うぐいす)の鳴き声が聞こえてくるところもあり、なかなか風情がある。

 

いつの間にか、このような自然の風情を楽しめる年齢になってしまった。

 

・・・・

 

江南春                            杜牧

千里鶯啼緑映紅               千里鶯啼いて緑(くれない)に映ず

水村山郭酒旗風               水村山郭(すいそんさんかく)酒旗(しゅき)の風

南朝四百八十寺               南朝四百八十寺(しひゃくはっしんじ)

多少楼台煙雨中               多少の楼台煙雨の中

 

(現代語訳)

広々とした平野の、あちこちから鶯の鳴き声が聞こえ、木々の緑が花の紅に映えて美しい。

水辺の村や山沿いの村には酒屋の旗が春風にたなびいている。

また、古都金陵には、南朝以来の多くの寺院が立ち並び、

その楼台が春雨の中に煙っている。

 

 

(流離の翻訳者・拙訳)

Bush warblers are singing in every fields filled with fresh green looking brighter against crimson flowers. In waterside and mountainside villages, bar flags are fluttering in a spring breeze.

Hundreds of temples have been built since the Southern Dynasties, a lot of towers of which are veiled in a misty rain.

 

・・・・

 

早くこのような平穏な日本に戻って欲しいと願うばかりである。

 

bush waybler

久しぶりの晴天である。風もなく穏やかな日和だ。こんな季節がずっと続けばいいのにと思う。

 

 

以前受講したセミナーで、講師の方(ある国際系大学の教授)がイスラム教の「ラマダン(断食月)」に関連したエピソードを紹介していた。

 

因みに、今年のラマダン(Ramadan or Rhamadhan)3月22日(水)から4月21日(金)(ヒジュラ暦の第9月、西暦では毎年少しずつズレる)までだったようで、先週終わったところである。

 

このラマダンの期間中、イスラム教徒は日の出から日没まで飲食を断って、信仰心を高めるらしい。従って、研究室の学生にイスラム教徒がいると、講義(ゼミ)の時間にも影響が出てくるといった内容だった。

 

 

 

このラマダンの「断食」に関連して先日の新聞にこんな英文を見つけた。

 

I am fasting.     「断食中です」

 

「速い」の意味の形容詞 fast だが、動詞で「(宗教的理由で・抗議のために)断食する」という意味で使用される。朝食の意味の名詞 breakfast は、本来は断食(fast)を破る(break)ことに由来している。

 

She broke her fast.        「彼女は断食をやめた」

            ⇓

She had breakfast.        「彼女は朝食をとった」

 

「母の日」が、公式に5月の第2日曜日に定められたのは1947年(昭和22年)のことらしい。結構な歴史があるようだ。

 

社会人になってから、帰省すると父に小言のように言われたのが「母の日くらいお母さんに何かプレゼントを贈れ!」ということだった。だが、結局贈ることができたのは母が「バーバ」になってからだった。

 

 

 

ある年の正月の松の内が明けた頃、母と祖母が一緒に外出したいという。私が高校生くらいのころだ。

 

年末・年始のお節料理作りなどで忙しかったから、ゆっくり買い物でもしたいらしい。また初詣にも行けていないので参詣もしてくるという。

 

その日、夕刻になっても母も祖母もいっこうに帰ってこなかった。「夕飯はどうするのか」と少し不安になり始めた。

 

 

もうそろそろ夕飯という時刻になって、自宅前にタクシーが止まって母と祖母が降りてきた。「遅かったね!三社参りでもしたんね?」と尋ねると「いや!映画を観てきた!」という。

 

「何を観たんね?」と訊くと「フーテンの寅さん!」と答えた。思わず笑ってしまった。母と祖母にとっては自分たちへのご褒美だったのかも知れない。

 

その日の夕飯が出来合いの総菜になったのはもちろんのことである。

 

 

 

英作文の面白い問題を見つけた。母親に関するものだ。

 

 

(問題)

母の趣味は買い物である。先の見通しもなくどんどん買うものだからすぐに無駄なもので家がいっぱいになってしまう。なお悪いのは安物ばかり買い込むことで、父などは安物買いの銭失いだと悪口を言う。母の方はすました顔で、あなたもそうして手に入れた一つかもしれませんよ、とうそぶいている。

(京都大学 1990年・後期)

 

 

(拙・和文英訳)

My mother’s hobby is shopping. She buys one thing after another without any prospects, so our home is quickly filled with useless things. What is worse, she buys only cheap goods. Therefore, my father and others complain that she buys cheap and wastes her money. Nevertheless, my mother brags with a straight face that he may have been one of those things I have got in such a manner.

 

初めての「#投稿ネタ」からの投稿である。

 

 

パートナーから「私は中性的な性格」だと時々言われる。確かに小学校くらいまでは女の子の友だちが多かった。誕生会などに呼ばれると男は自分ひとりということが結構あった。

 

中学校に入り、異性を意識し始める年ごろになって妙に昔の女友だちとは疎遠になっていった。

 

 

さて、#投稿ネタの「#好きなマンガのヒロイン」だが、高校2年のとき授業で世界史を学び始めた。初めて真面目に勉強した科目だ。昔から世界史には興味があった。

 

その頃、テレビで観たアニメが「ラ・セーヌの星」というものである。パリの花売り娘のシモーヌは、実は王妃マリー・アントワネットの妹という設定になっている。夜になると「ラ・セーヌの星」となって正義の剣をふるう。

 

フランス革命の前夜の物語であるが、世界史の勉強を進めながら毎週楽しみにしていたことを思い出す。