流離の翻訳者 青春のノスタルジア -31ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

「新・英語の散歩道」シリーズも今回で100話を数えることになった。年明けからはや6か月、時が流れるのは速い。

 

 

今月の頭、翻訳実務検定(TQE)を受験して感じたのは、「可能な限り原文を尊重すべきだ」ということである。逐語訳をしろという意味ではないが、行き過ぎた意訳は原稿作成者に対して失礼だということだった。

 

レポートとは言え、それなりの学識経験がある方が書いた専門的な文書を英訳する場合、自らの言葉を勝手に変更して解釈されるのは作者にとって甚だ不愉快に違いない。自分なら間違いなくそう思う。やはり原文は尊重すべきだ

 

一方で和訳の場合はどうだろう。英訳とは逆に、こちらは多少意訳とはなっても、可能な限り自然な日本語に訳すべきではないだろうか?読み手に誤解を生じさせない、わかりやすい日本語がベストだと思う。

 

まあ、こんなことに気づけただけでも、受験した甲斐があったというものだ。

 

 

以下は、随分昔の京大の英作文の問題である。受験生時代にも何処かで見かけたように思う。まあ、当時はこんなことが大っぴらに言えた古き良き時代だった。

 

 

(問題)

人前で話をしたり、ものを書いてみればわかるように、自分の国の言葉で思うことを表現するだけでも、容易なことではない。まして外国語なら、一生かかっても自由に使えるようになるかどうかは疑問である。日本人が何年も学校で英語を勉強しながら英語が話せないのは、実はそれほど驚くにはあたらない。

(京都大学 1975年)

 

 

(拙・和文英訳)

As you realize when making a speech in front of many people, or when writing an essay, it is not easy just to express what you think in your mother tongue. Still less, in case of a foreign language, it is quite doubtful that you can use a foreign language freely even if you spend your life learning about it. Therefore, it is indeed not surprising that Japanese people can't speak English well even though they have studied it for many years at school.

 

 

次回からは「英語の迷い道」とタイトルを改訂し、英語に関連した話題を中心に進めることとする。

 

太陰暦では一日の始まりは夜だったらしい。

 

一日は夜(to-night)⇒朝(to-morrow)⇒昼(to-day)の順番だった。なおmorrowは古語で「朝」の意味を持つ。

 

これが太陽暦になって夜中に日付けが変わるようになった。「夕べ」と言えば「昨夜」になり、昨日の夕べをの意味になる。

 

 

(to-morrow)もその日の朝ではなく、tomorrow「翌日」を意味するようになった。なんか頭が混乱する話である。

 

クリスマスがもイヴの12月24日の宵祭りであるのも太陰暦の名残りらしい。本来のクリスマスは12月24日の夕べに始まり12月25日の朝に終わる。12月25日の夕べはもうクリスマスではない。

 

 

太陰暦について調べてみたがどうも判然としない。

 

 

あまりにわかりにくいので、興味のある方は外山滋比古著「90歳の人間力」p138-139を読んでいただきたい。

 

長い間積ん読状態にあった伊藤元重著「マクロ経済学」(日本評論社)を昨日から読み始めた。

 

思ったより読みやすい。ミクロ経済学はともあれ、マクロ経済学については、我々が学生時代の数式ばかりの経済書は今は流行っていないようである。

 

 

同書の中に「金利が低下したら、経済全体にどのような影響が及ぶか」について書かれた件(くだり)がある。

 

 

その中で「風が吹けば桶屋がもうかる」の譬えがでてくる。この推論をしっかりと調べたことはなかった。

 

この推論の概要は以下のとおりである。

 

①風が吹けば砂が舞い上がり、砂が目に入り目が悪くなる人が増える。⇒②そのため三味線弾きで生計を立てる人が増え、三味線が売れる。⇒③三味線には猫の皮が必要だから猫が捕られる。⇒④猫が捕られるのでネズミが増え、桶がかじられる。⇒⑤桶を買う人が増え、桶屋がもうかる。ことになる。

 

これも一種の「経済波及効果」かも知れない。

 

 

 

「金利が低下したら、経済全体にどのような影響が及ぶか」については、

①日本の金利が低下する。⇒

②金利が低いので企業の設備投資が増える。⇒③設備投資のための需要が増える。⇒④設備投資により生産が拡大する。⇒⑤従業員の雇用が増え、賃金(所得)が増加する。⇒⑥物価が上昇する。

②‘貯蓄してもつまらないので家計の消費が増える。⇒⑦消費のための需要が増える。⇒⑧企業は生産を拡大する⇒上記⑤⇒⑥

②‘’海外でもっと金利が高いところへ資金が流出する。⇒⑨円安になる。⇒⑩輸出が増加し、輸入が減少する。⇒⑪輸出のための需要が増える。⇒上記⑧⇒⑤⇒⑥

 

 

結局のところ、①日本の金利が低下する。⇒③⑦⑪国内の需要が増える。⇒⑥物価が上昇する。というシンプルなロジックのようである。

 

一昨日沖縄・奄美地方が梅雨入りした。今日のような初夏の汗ばむ陽気もあと2週間ほどだろう。

 

思い起こせば……。

学生時代、やたらと故事成句や諺を使いたがる友人(雀友)がいた。彼が初巡にオタ風を碰(ポン)したので、私が「オタ風鳴くかぁ~!」と言うと「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と返してきた。

 

「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」とは「お前のような若輩者に私のような大人物の崇高な志を理解することができようか、いやできはしない」という意味である。

 

恐らく初旬に「北」を鳴き、運のみを頼りに対々和(トイトイ)混一色(ホンイツ)あたりを狙うつもりだろう。結局は手が狭まり、三面待ちのリーチあたりに振り込むくらいが関の山である。

 

まあ、このような彼の打ち方には崇高な志などは何処にもない、と言っていいだろう。

 

因みに「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の英訳を調べてみると、

 

Ask not the sparrow how the eagle soars.

(鷲が如何にして舞い上がるかを雀に尋ねるな)

 

という訳が出てきた。名訳である。

 

 

 

外山滋比古著「90歳の人間力」に、諺に関する面白い話が出てきた。

 

「船頭多くして船山にのぼる」という諺だが「指図する人が多すぎると混乱して物事がうまく進まず、とんでもない結果になりかねない」という意味である。

 

この諺の意味の解らない学生が多いらしい。結構優秀な学生が、この諺を「船頭が何人もいて力を合わせて船を山までかつぎ上げた」(笑)という意味に解釈したらしい。

 

船を山までかつぎあげた船頭たちは、果たしてそれからどうするのだろうか?

 

 

因みに「船頭多くして船山にのぼる」の英訳を調べてみると、

 

Too many cooks spoil the broth.

(コックが多すぎるとスープがダメになる)

 

という訳文が見つかった。

 

因みにこの諺を機械翻訳してみると、

 

Many boatmen climb Mt. Funayama.

(多くの船頭が船山に登った)(笑)

 

という珍訳が出てきた。これなら先の学生の解釈の方がましだ。機械翻訳はまだまだのようである。

外山滋比古著「90歳の人間力」に面白い話が出ていた。「コンビニ」に関するものである。英文学・言語学が専門なだけあって、蘊蓄(うんちく)に富んだ話である。

 

 

ある初老の婦人が店へ駆け込むようにコンビニに入ってきて、店員をつかまえて、「トイレはどこ」ときいた。

 

店員はひとこと「トイレはお貸しできません」と撃退した。彼女はスゴスゴ出ていった。店の不親切に腹が立った。

 

……(中略)……

 

年をとると、トイレが近くなる。我慢ができない。それで、したい外出も控えるという人が少なくない。

 

コンビニができて、トイレを貸してくれるときいて、そういう高齢者がどんなに喜んだか知れない。

 

そのコンビニで断られたら、途方にくれる人がいるにちがいない。コンビニはやさしさに欠ける、サービスの精神がない。

 

コンビニはアメリカから渡来した商法だが、英語の本場・イギリスでは、コンビニエンスには、トイレ、公衆便所の意味があることを知らないだろう。

 

コンビニはトイレを貸さなければ、すこしもコンビニではないのである。

(外山滋比古著「90歳の人間力」p.88-89から引用)

 

 

 

Convenience を英和辞典で引いてみると、確かに「3⦅英正式⦆公衆便所」という記載があった。

 

 

コンビニにはいつもお世話になっている。コロナの緊急対応時を除いて、トイレを貸してもらえなかったことはない。

 

ただ、一つしかないトイレを長時間占有する輩がいるのは、いつも困ったものだと思っている。

 

前回の高校時代の話の続編である。

 

私が通った高校には、実にユニークな教師たちがいた。彼らのエピソードを数え出したらきりがない。

 

 

ただ我々の時代、戦中派の教師も多く、体罰は日常茶飯事だった。まあ大抵はビンタで済んだが、黒板拭きで頭を叩かれるケースもあった。あとでチョークの粉を落とすのが大変だ。

 

銀行時代の友人によれば、算盤で行員の頭を叩く支店長が居たらしいから、それに比べれば手ぬるいものだ。まあ、今だったら大変なことになってただろう。

 

 

だが、やはり厳しかった教師ほど思い出に残っている。今でも思い出すのはそんな教師たちばかりだ。

 

扱いにくい教師もいたが、その教師こそが私を英作文(和文英訳)の世界に導いてくれた最初の恩師でもある。教師の人柄はともあれ、英作文の授業は待ち遠しかった。

 

 

京大の英作文にも教師に関する問題があった。これは正統派教師の話だが、多少型破りであっても教師の熱意や人間性は生徒に通じるものである。

 

 

(問題)

教育とは何かと考えるときに、私が決まって思い出すのが小学校の恩師の顔である。先生は、私たち生徒に、物事に真剣に取り組むことを教えてくださった。その教えは、これまでの私の人生の指針となっている。今から考えると、先生の教えが私の心に響いたのは、先生の尊敬できる誠実な人柄によるところが大きかったように思う。教育において考慮すべきことは、教える内容だけではなく、教える側の人間性でもあるのだ。

(京都大学 2007年前期)

 

 

(拙・和文英訳)

Whenever I think about what education is, I remember the face of a teacher in the elementary school. He taught us students to cope with things earnestly. This lesson has been a guiding principle for my life so far. I think, in retrospect, it is largely because of his respectable and sincere personality that his lesson hit me deeply in my heart. What should be considered in education is not only the contents of what is to be taught, but also the humanity of a teacher who is to teach.

 

先日、高校時代の友人と結構ゆっくりと話す機会を得た。付き合いはもうすぐ50年になる。

 

高校時代の様々なエピソードに花が咲く。写真などあればなおさらだ。「あいつ今どうしてる?」のような話にもなる。

 

「恋バナ」が出始める頃から宴も酣(たけなわ)になる。淡い初恋の話はいつも楽しい。

 

 

「恋は遠い日の花火ではない」というサントリー・オールドのCMがあったが、花火のように淡く消えたからこそ良かったということもある。

 

 

「遠い日の花火」だったからこそ、いつも心地よく、またほろ苦く思い出せるものだ。

 

 

以前から所有していたマンションのキッチンを入れ替えたりクロス・畳・障子を張り替えるなど一通りのリフォームをして売りに出した。何か自分の娘を着飾らせて嫁に出すような気持ちになるから不思議だ。

 

果たしてどんな人の手に渡ることやら?何となく不安でもあり楽しみでもある。

 

 

 

GW明けのこの時期は5月病の時期である。思い起こせば大学1年の頃、何となく大学の授業がつまらないと思うようになった。

 

出席をとる語学(英語・ドイツ語)と体育以外は、出席してもしなくても一緒のように感じて、だんだんとサボり始めるようになった。

 

苦しかった受験生活の反動?ホームシック?などが原因かも知れないが、それらから救ってくれたのが新しくできた友人たちだった。

 

3月末にそんな友人たち5名と東京で再会した。たった2時間半ほどの飲み会だったが実に楽しい時間だった。そんな機会がこれからも持てたらと思う。

 

 

学生の五月病は、別名スチューデントアパシー(Student Apathy=学生無気力症)とも言われるが、一種の適応障害と思われる。

 

 

 

 

以下の京大の問題には、そんな状況が描かれている。

 

 

(問題)

都会でひとり暮らしを始めてひと月ほどたった頃、どうにも体の調子が悪くなった。心配になって医者に診てもらいにいった。何の検査をされたのか、今となっては覚えていないが、「あなたはまだ新しい環境に適応していない」と言われ、なるほどそうだったのか、と妙に納得し、安心したのを覚えている。

(京都大学 2004年後期)

 

(拙・和文英訳)

About a month after I started living alone in the city, I came to feel really sick. I became worried about it and went to see a doctor. Now I can’t remember what kind of medical inspections I had at that time, but I remember the doctor told me that I had not yet adapted to my new living environment. Then, strange to say, I understood and was relieved that this was the case indeed.

 

ここ数日、五月晴れが続いている。風がなく昼は汗ばむほどだ。この先が思いやられる。

 

 

TQEの受験を終えて、金融・経済を真面目に勉強し直そうという気持ちになった。それだけでも受験した意味があったように思う。

 

以前から、積ん読状態にあった以下の書籍を読み直すつもりである。積ん読解消を図る。

 

①「ミクロ経済学」(西村和雄著/岩波書店)

②「マクロ経済学・入門」(福田慎一・照山博司著/有斐閣アルマ)

③「マクロ経済学」(伊藤元重著/日本評論社)

④「金融英語の基礎と応用」(鈴木立哉著/講談社)

⑤「経済英語がよくわかる本」(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版編集部/毎日新聞社)

 

は今回の試験でも辞書的に使ったが、実務的な内容なので例文のデータ化を始めた。できればデータ化を6月末までに終えたい。翻訳時に検索できるようにする。

 

①②は読みかけのままの状態だったが、一から読み直す。を読み終えたらに進む。日経新聞の経済記事がきっと随分面白くなると思う。

 

は現在注文中で内容は不明。使えるものなら良いのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

その他「知的創造のヒント」で感銘を受けた外山滋比古著「90歳の人間力」を購入した。こちらは頭の切り替え時に読むことにする。

 

 

 

今は気持ちが前向きになっている。この気持ちを大切にしたい。

 

 

季節はこれから夏に向かう。今年は「金融・経済」の再勉強の熱い夏になる。

 

今回のGWはTQEという資格試験を受験したため英訳三昧の休暇となった。昨日答案を提出し、久しぶりに車で1時間ほどの綱敷天満宮に合格祈願に行ってきた。

 

https://www.sunflare.com/academy/?page_id=14477

 

早春は梅の名所だが、この時期は多くの人が潮干狩りを楽しむところでもある。さすがに昨日は駐車場も海岸も閑散としており静かな参詣となった。三好達治の詩「甃のうへ」を思い出す、少しだけ春の名残りを感じた午後だった。

 

 

 

「甃のうへ」 三好達治

 

あはれ花びらながれ

をみなごに花びらながれ

 

をみなごしめやかに語らひあゆみ

うららかの跫音(あしおと)空にながれ

 

をりふしに瞳をあげて

翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり

 

み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ

廂(ひさし)々に

風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば

 

ひとりなる わが身の影をあゆまする甃のうへ

 

 

 

(拙・自作英訳第二版)

“On the Stone Pavement”

 

Ah, cherry blossoms fall fleetingly,

As if reflecting girls’ beauty fading in a moment.


Girls are talking and walking gracefully on the stone pavement,
Whilst ringing balmy footsteps out under the blue sky.

Looking up at seasonal changes with innocent eyes,
Girls are passing through the late spring in the temple casting no clouds.

Roofing tiles of the temple look moistened with fresh greenery,
With bronze wind bells lingering tranquil under the eaves.


I’m looking back upon the silhouette of myself alone on the stone pavement.

 

 

夕刻から受験の慰労を兼ねて飲み始めた。大吟醸の四合瓶が空になった。最近酒量が増えつつある。

 

そんな中、安田火災の同期の訃報が舞い込んできた。同期123人のうち5人目だ。我々もそんな歳になったのか。ご冥福をお祈りしたい。

 

 

試験の合格発表は6月の終わり、合格できたらまた上京する。