本「新・英語の散歩道」シリーズも今回で100話を数えることになった。年明けからはや6か月、時が流れるのは速い。
今月の頭、翻訳実務検定(TQE)を受験して感じたのは、「可能な限り原文を尊重すべきだ」ということである。逐語訳をしろという意味ではないが、行き過ぎた意訳は原稿作成者に対して失礼だということだった。
レポートとは言え、それなりの学識経験がある方が書いた専門的な文書を英訳する場合、自らの言葉を勝手に変更して解釈されるのは作者にとって甚だ不愉快に違いない。自分なら間違いなくそう思う。やはり原文は尊重すべきだ。
一方で和訳の場合はどうだろう。英訳とは逆に、こちらは多少意訳とはなっても、可能な限り自然な日本語に訳すべきではないだろうか?読み手に誤解を生じさせない、わかりやすい日本語がベストだと思う。
まあ、こんなことに気づけただけでも、受験した甲斐があったというものだ。
以下は、随分昔の京大の英作文の問題である。受験生時代にも何処かで見かけたように思う。まあ、当時はこんなことが大っぴらに言えた古き良き時代だった。
(問題)
人前で話をしたり、ものを書いてみればわかるように、自分の国の言葉で思うことを表現するだけでも、容易なことではない。まして外国語なら、一生かかっても自由に使えるようになるかどうかは疑問である。日本人が何年も学校で英語を勉強しながら英語が話せないのは、実はそれほど驚くにはあたらない。
(京都大学 1975年)
(拙・和文英訳)
As you realize when making a speech in front of many people, or when writing an essay, it is not easy just to express what you think in your mother tongue. Still less, in case of a foreign language, it is quite doubtful that you can use a foreign language freely even if you spend your life learning about it. Therefore, it is indeed not surprising that Japanese people can't speak English well even though they have studied it for many years at school.
次回からは「英語の迷い道」とタイトルを改訂し、英語に関連した話題を中心に進めることとする。